教主の裁定~茶道・書道 梅園 浩 先生 NO.9
〇教主の裁定
大本神諭と霊界物語、これが大本の二大教典と呼ばれています。ただ、今問題になっておるのは、その中で「教主の裁定発表されたものを教典とする」と書いてあるところで、教主様が決められないといけないという。これは、実は、大本教法もいくらか修正せなならんのです。大本の教典というのは改訂されようとされまいと、大本神諭と霊界物語ははっきり教典なんです。
ただ、なぜ、教主の裁定、発表されたものを教典とするとしたかというと、これは、日本が、実はまだ、占領下にあったときなんです。アメリカのGHQの占領下にあったわけです。占領軍でGHQの監督を受けていた。その時に大本神諭とか霊界物語をそのままぼろっと出しますと、どういう目に遭うかわからんという危険性があったんです。
ですから、当時は、霊界物語でも抄出ということで、一巻から四巻までを一冊にして出すとか、五巻から何巻までかを章にするということで、抜き書きして出す。大本神諭というのが一冊しか出ていない。第一巻が四種類くらい出ています。初めはチョコレート色の薄い大本神諭第一集、カラーばっかり出てから、その次に同じチョコレート色だけど、漢字を入れたのもこれも第一集として、そのうち緑の表紙で、きれで貼った表紙のもの、あるいは黄色の表紙のもの。四種類くらい出ています。大本神諭第一集が出たが、第二集がさっぱり出なかったわけです。物語も抄出という形で出る。
占領軍に占領された状況で、どういうことになるかわからんので用心して、用心して出していた。霊界物語は古い霊界物語がありますから、これも教典だということになると、また三度目の弾圧を受けることは困る。また、たくさんの大本神諭もある。それらの中から二代教主がこれを二大教典として採用する。また、昭和二十七年の三代教主の時代から、これを教典としますということにしたものだけが、教典だとする一つの安全装置として入れたものなんです。
教法第七章が制定される文章が練られる時には、私も出席させていただいておりました。一つ一つの言葉が、今、こういういきさつで入ったというのが、はっきりしておるわけなんです。責任もってそのことが言えるわけなんです。まあ、そういうことで入っているわけで、大本の教典というのは、大本神諭と霊界物語。霊界物語は、その中に既に大本神諭が含まれているんだということを知る必要があるんです。
〇経 ( たて )を含んだ緯 ( よこ )
大本でよく経 ( たて ) と緯 ( よこ ) ということが言われます。開祖様は経 ( たて ) で聖師様は緯 ( よこ ) で、三代様と日出麿先生が経緯 ( たてよこ ) 合わせた伊都能売だと今度の教団の方針の中にも、そのことを発表しているんですが、これは大きな間違いで、本部の方で間違ったことを言うても鵜呑みにせずに、それを審神 ( さにわ ) していくということが、非常に私たちにとっては大事だと思うんです。
厳の御霊は開祖様を通じて地上に天国を築かれ、祭を確立され、瑞の御霊は聖師様を通じて地上に霊国を築かれ、教えを確立され、伊都能売の御霊は現教主様を通じて、地上の天国、霊国に、地上天人としてあるべき姿を築かれた。こういうふうな説き方をしているんです。
それでいくと、開祖様は厳の御霊、経 ( たて ) である。聖師様は瑞の御霊の緯 ( よこ ) であり、そして三代様・日出麿先生は経緯 ( たてよこ ) 合わせた伊都能売だという表現をしておる。これがまるっきり違うわけです。バラバラにして考えるものだから、そうなるんだけれど。
では、畳表 ( たたみおもて ) 見ても、縦糸と横糸でい草が走っているわけです。そして、これはバラバラでは畳表にならんわけです。縦糸を張った、その間を抜いながら横のい草は走っておるわけです。横糸は縦糸を全部その中に含んでいる、包んでいるわけです。だから縦糸を包んで、横糸というのは働きを表しているんです。横の働きというときは当然、縦の働きを中に抱き込んでいるわけです。そうしなかったら畳表一つできないんです。我々の着ている衣料品だって、縦糸というのは全部中に包み込まれている。それを横糸が包み込んで、表面から見ると横糸だけなんですが、中身を見ると縦糸を抱きかかえている。これが横の働きなんです。
だから、聖師様が霊界物語を口述されるときに、けっして、経 ( たて ) に対する緯 ( よこ ) の働き、厳に対する瑞の教えではなくて、経 ( たて ) を含んだ伊都能売の大神の神格に充たされた伊都能売の教えだという、これは、霊界物語の中にはっきり書かれているわけです。入蒙記にはっきり、伊都能売の大神の神格に充たされて教えをしたということが書いてあります。
大正十三年に蒙古へおいでになるときに、書き置きして行かれた有名な「錦の土産 ( みやげ ) 」というのがあるんですが、その中にはっきりと、伊都能売の大神の神格に充たされて伊都能売の教えをした、それが霊界物語だということが書いてあります。
〇謡曲・茶道・短歌・書道
その時に教主様の最初のお婿さんですが、大二 ( ひろつぐ ) さん、今も健在ですけれども、日出麿先生の前の旦那さんです。その方が養子でおられたんだけれども、 聖師様は離縁された。離縁された原因というのが、大二 ( ひろつぐ ) は謡曲にばかり凝っておって、伊都能売の教えである霊界物語を無視しておる。けしからんということで、こんなことでは跡継ぎにさせられんと言うて、離縁されております。もっともそればかりでなくて、いろんな悪行もあったということも書いてありますけれど、根本は、やはり霊界物語を無視して、謡曲にばかりに凝っておる、これがいかんと書いてあります。
今の教団を見ると、大二さんのことが教団のスケールに出てきている。霊界物語という過去の教典を読まんでいいと。今、特派であちこち出ている人でも、物語を読んでないことを自慢にしている特派がいると聞いているが、とんでもない話です。
やたらにお茶を点てることが上手、謡をすることが上手、いいことですけれども、それだけではだめなんです。大本の宣伝使はやっぱり物語を拝読し、物語を中心にして教えを説いてこそ、初めて大本の宣伝使です。その上にお茶を点てることも、花を生けることも、謡をすることも、歌を作ることも上手なのは結構なことです。
私自身もお茶は嫌いじゃないし、謡も親父は観世流をやってましたし、字を書くことも好きです。歌を作ることも好きなんです。しかし、宣伝使としての基本はやっぱり、霊界物語を拝読してそれを基にして、瑞の御霊の教えをお伝えするというのが、宣伝使の第一番の使命である。使命のすべてであると言っていいと思うんです。
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