新型コロナウイルスと信仰の力 (2ー2最終回)
スペイン風邪と神霊界「随筆」
出口王仁三郎聖師が、スペイン風邪のことを大正九年の神霊界に書いておられる。大正九年は一九二〇年であるから、死亡率が上がった一九一八年夏の第二波以降の執筆である。二箇所見受けられる。
最初に出て来るのは一月一日号である。「愛善世界」誌五月号のみろく大祭の報告(六三頁)に原文の一部が掲載されているが、スペイン風邪が国内にはびこり始めた時の注意が述べられている。
「流行性感冒により新舞鶴町で日々十人の死者が出ている。衛生上の注意を怠らないことと浄き信仰により心身の健全を計ること。いよいよとなれば、政府は全ての興行物の停止や学校の休校などの防止手段を積極的に取るとともに敬神の行動を取ること」(要約)
衛生面の注意や興行の中止、学校の休校など、現在取られているのと同様の感染防止策が示されているとともに信仰の必要性が唱えられている。
次に出て来る二月十一日号では、感染が進んだのか、出口聖師は「都(と)鄙(ひ)至る所に滑稽を演じて居(を)る」とし、特に島根県の大根島は「最も甚だしい」と評しておられる。
「流感で八九十人の患者と数名の死亡で住民が非常に恐怖、小学校の休校や家業の中止、郵便物の停滞、村議会招集に応じない議員、招集に応じたものの沿道の患者の多さに縮み上がってそのまま役場の食客となった議員、伝染を恐れ罹患した家族の見舞いに行かない家族、親族総代一人立会のみの葬儀という全島大怠業という通信あり。島の住民のみならず、今度の流感に就(つ)いて、全国の人民の狼狽さ加減と云うものは、実に愛想が尽きる」(要約)
滑稽に見えるほど、あまりに全国民がスペイン風邪に狼狽しているということだが、それは人々が体主霊従で、天地経綸の司宰者たるの役目を果たさず、信仰心がないからだと次のように強い口調で言っておられる。
「何れも皆日本の神国たる所以(ゆえん)を忘れて、体主霊従主義に心酔して了って居るから、彗星を恐れたり、流感ぐらいに閉口垂れて了ふのである。そんな意志の弱い事で、日本神国の神民と云はれやう乎(か)。天地経綸の司宰者と呼ぶ事が出来やう乎。恒(つね)に敬神の念慮無きものは、斯(こ)んな時に第一番に腰を抜かして震い上るものである」
なお、このスペイン風邪での世界の死者は数千万人とも言われているが、新型コロナウイルスの死者約二十九万人(五月十三日現在)とは桁違いの多さの中での出口聖師の言葉である。
〇信仰に励む
ハラリ教授が「専門家の声に耳を傾け始めたのはいい兆候」と言っているとおり、私たちは専門家が呼びかけている「三密」などの感染防止策を取るとともに、何より、教典等に示されている「信仰の力」こそが重要な感染防止策であることを改めて認識し、一層の信仰に励むべきである。これはみろく大祭の報告の中で、「正しき神の道を歩む」「ご神力の発動による禊ぎ祓いをお願いする」と同主旨である。
そして、みろく大祭での出口直子さまのご挨拶(二五頁)のとおり、「感染の拡大が一日も早く収束して、穏やかな日が戻」るよう願いたいものである。
〇三毒を改める
最後にハラリ教授の言葉を紹介したい。教授は、貪・瞋(しん)・痴の三毒を改めれば危機を乗り越えられ、世界をよりよいものとすることができると語っている。
「我々はそれ(三毒)を防ぐことができます。この危険のさなか、憎しみより連帯を示すのです。強欲に金もうけをするのではなく、寛大に人を助ける。陰謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。それが実現できれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界をよりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手前に立っているのです」
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