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(1) 台湾有事をめぐる答弁
11月21日の東京新聞は高市総理の「台湾有事をめぐる答弁」を引き出した岡田克也・立憲民主党のインタビユーを掲載している、これは高市総理の発言ではなく、それを引き出した岡田克也議員の質問に非難が集中している動きがあることによるのだと思われる。高市発言が中国の反発(制裁など)を招いたことの批判を高市発言に対してではなく、その質問をした岡田克也に向けられる、簡単に言えばお門違いの批判である。岡田議員への批判はおかしなことだということを批判者は分かっているのだ。彼らは批判さるべきは高市だが、批判はしたくない、むしろ擁護したいと思っているのかも知れない。さりとて、中国批判も高市の発言の擁護するのも難しいから、質問者の岡田議員に批判が向けられたのだと思う。誰がみても、こういうお門違いの発言が流通していくことが問題である。ここには中国批判が分けの分からないうちに世論として形成されている動きがあるのだと思える。世界的に大国の国家主義(新帝国主義)がせり出してきて政治的な国家主義的な対抗が連鎖反応として出てきている。一般には右傾化とか、タカ派的動きといわれるが、これは国家主義的動きで、それがメディアも含めて広がっているのだと思う。ここは非常に危うい問題がある。少し歴史を振り返ればよくわかる。加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を書いているが、戦争には国家主義に同調し、押し上げて行く国家やメディアの動きと、人々の動きがある。外の動きに対する恐怖と対抗、内での恐怖の共同性の広がり、これが国家主義(ナショナリズム)の発現(戦争)だが、そういう兆候があるのだ。僕等はこの動きに拮抗しなければならない。
高市発言よりもそれにたいする中国側の動き(領事の発言や制裁)にたいする反発が対抗的に形成され、その対抗感情は怖れなどを伴うと加速されるところがある。何が問題か、対立の理由など関係なく、対立が拡大していく。対立の理由が曖昧だからこそ、対立は加速していく。これは共同幻想としてのナショナリズムが高まっていくことでもある。眉唾ものだといわれても、歴史の渦中ではそれはなかなかわからない。これは国家主義が強まる時代の国家対立の傾向だが、日中関係はそういう関係の端緒にあるといえる。これにはウクライナ戦争以降の世界の動きが反映しているのである。
僕らは、高市発言を、それが中国の反発を招いたことも含めて何が問題なのか
をはっきりと認識し、この対立が加速して行くことを阻止しなければならない。誰もが中国との戦争なんてあるまいと思っているのかもしれない。その理由がないではないかと思っている。そこを明瞭にしていくには国家の運営担当者(権力)の意向と形成される世論というのが大事で、事態は逆の方向に向かいかねないと思っている。そのためにはまず高市発言についてきちんと把握することが大事である。高市の11月7日発言の質問をした岡田克也はつぎのようにのべている。
「安全保障関連法や当時答弁で相当限定した場合でしか存立危機事態に該当しない、ということがはっきりしている。『台湾有事は日本有事』とする安倍晋三元首相や麻生太郎副総裁の発言を聞くと、非常に限定のないものとして、安易に存立危機事態になると言い過ぎているという問題意識があったので、首相自身の見解を確認したかった」(11月21日(金)、東京新聞)
安保法制で規定した存立危機事態を安倍や麻生は曖昧に(特に台湾有事について)振り回しているので、高市総理にその見解を聞きたかったというわけである。台湾で中国(台湾政権と中国政権)の間で武力紛争があるとすれば、これは存立危機事態に該当するのか、ということだ。外交関係の見地から、ここは曖昧にしか答えてはいけないということがあるのだろうが、自民党の首脳は曖昧にしか考えを持っていない。外交上、曖昧にしか答えてはいけないということと自民党の首脳が曖昧な答えしかないことは別である。ただ、安倍や麻生が「台湾有事は日本の有事」という見解を口にしていることは、存立危機事態に該当するということを言っているのだと思う。これは自民党全体の見解ではないが自民党には台湾有事という言葉で中国と台湾の武力紛争が存立危機事態に該当するという見解を持つものがいて、安倍政治の継続を語り、麻生を副総理にした高市なのだから、それをただしたということである。この質問に対して高市はこう答えた。
「高市氏は政府の模範解答をくりかえしていたのに、突然『戦艦を使って武力の行使もと伴えば、どう考えても存立危機事態になり得る』と発言した。これで最初に議論したはずの制限が全部とんでしまった。台湾有事についても限定した場合しか、該当しませんという答弁を期待していたので、『どう考えても』という表現に非常に驚いた。聞いてもいないのに。北京政府がどうこうという議論を展開し、はっきり言って理解に苦しんだ。まずいと思って、すぐに話題をかえた」(11月21日(金)、東京新聞)。
岡田議員は外交的な発言を期待したのに、高市は台湾に対して北京政府が武力行使をすれば、存立危機事態になるというところに踏み込んだ答えをしたわけだ。存立危機事態ということは曖昧である。他国が武力侵攻された時、それが
日本の存立危機事態の場合ということだが、安保法制では限定的ということで
曖昧にされてきた。存立危機事態は、元々は日本の憲法解釈に妥当する範囲で考えれば日本が侵略された事態ということになるのだが、この言葉は侵略された事態以外のこととして提起されたのだから曖昧になるほかなかった。元はいえば集団自衛権の行使もこれに日本が侵略された場合に限定されていた。海外で他国が軍事侵攻をうけたからと言って日本が参加することは否定されていた。集団自衛権への参加の要請を受けても、憲法の制約上、参加できなかった。それは戦後の日本が海外での軍事行動を否定してきた根拠になってきた。
安倍は他国が武力攻撃を受けた時に、集団自衛権行使で加われるように、この制約を破るべき解釈を変えた。そうなれば、集団自衛権行使ができる場合の規定が必要で、それが存立危機事態であるが、この規定は曖昧だった。曖昧であるほかなかった。それは、存立危機事態の解釈如何でとんでもない方向に向かうかもしれないが、解釈で歯止めをかけようとするものだった。この法案自身が憲法違反だという指摘もあり、僕もそれに賛成であった。これを推進した安倍はこれを海外の軍事行動に使えるようにしたかったことは事実だ。その意味では台湾が中国から武力侵攻を受けた時,存立危機事態に該当させたいと思っていたと推察される。憲法の規定は日本が侵略された時に自衛として軍事行動が許されるということだから、台湾への中国の攻撃を日本ヘの侵略とはみなせないわけだから、存立危機事態とみなせないはずというのは一般的な解釈でもあった。安倍や麻生は「台湾有事は日本有事」として、存立危機事態に該当すると主張してきた。高市は安倍を受け継ぎ、麻生を服総理にしているのだから、彼らの見解と同じ、中国の台湾への武力行動を存立危機事態に該当するとした。日本が他国に侵略されたことを超えて日本が武力行使できる範囲を広げたかったのかもしれない。専守防衛という枠を超えて軍事展開ができることを安倍は考えた。安保法制では公明党もいて、存立危機事態という曖昧な表現になったが、高市は中国と台湾の紛争は存立危機事態として、自国が侵略されることでもないのに、武力行使がしたい(する)という本音を語ったことになる。
高市は北京政府の台湾での武力行使は日本にとっては存立危機事態とみなすということだが、これは日本の防衛政策として枠を超えたものであり、危険の方向だ。高市らはこれを「従来からの政府の方針」というが、勝手な解釈というか言い分である。中国と台湾の武力紛争をどう認識し、対応するかには明りょうな考えは必要だ。この見解が曖昧だったことも確かである。これについて僕の考えはあるが、それは後で述べる。ただ、北京政府の台湾併合問題は中国の日本侵略ではないことは明白であり、存立危機事態でもないことは明白であり、日本が集団自衛権の行使として軍事行動をすることは間違いである。中国の軍事的動きにアメリカが介入し、そのアメリカに集団的自衛権の行使として日本が加わる。今度の高市の発言はこのことを念頭にしたものだと思われる。そのためには存立危機事態に該当すると言ったわけだ。なぜ、存立危機事態に該当するのか、高市は説明していないが、中国と戦争になってもいい、それは当たり前という考えが高市にはあるのかもしれない。どう考えても存立危機事態には該当しないといいうのが普通だろうと思う。
トランプ大統領が台湾問題で軍事行動を起こすかどうかは分からないが,その中国に対する対立(敵対)意識から見ると考えられないではない。その場合に、アメリカは日本に参戦を要求するだけではなく、日米対立の変わりに、日中の対立を、つまり日本と中国を戦わせようとするかもしれない。アジア問題はアジア自身で解決せよということだが、日本を先頭にして中国と闘わせるのだ。これは十二分に考えられることだ。一番、警戒しなければいけないことなのに高市はトランプに迎合し、その先棒をかずこうとしている。
「非常に問題のある発言、日本が集団自衛権を行使すれば、当然相手も反撃してくる。自衛隊員や日本国民にも擬制が出るかもしれない。そうした事態はぎりぎりさけなければいけない。戦争を始めることになる存立危機事態に簡単に該当するというな、というのが私の主張だ」
台湾問題に対して、日本が軍事的対応をするということは、戦後の日本が侵略された場合の以外は軍事行動をしないという枠組み(専守防衛)を超えることである。その枠組みを超えようとして出てきたのが存立危機事態という概念であり、集団自衛権行使の憲法解釈の拡大である。いずれも安倍晋三の生み出したものだが、安倍政治の継承をうたう高市にとっては当たり前の事かもしれない。戦後の日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などアメリカの集団自衛権行使の呼びかけを断ってきたが、台湾問題ではその枠組みを破ろうとしているのだ。ここには日本の憲法下でも国際紛争に対する対応(日本はそこに加わらない)ということを一国平和主義として批判し「積極的平和主義」を主張した安倍晋三の考えがある。いずれにしても、台湾をめぐる武力紛争を存立危機事態に該当するという高市の発言は日本の国家の防衛方針(専守防衛路線)を踏み外れたものだし、危険なものである。その意味では岡田氏の発言は妥当である。
(2) 台湾有事ってどういうことか
ここで僕らが検討しなくてはいけないことは「台湾有事」をどう考えられているのか、どう考えたらいいかということだ。「台湾有事」とは一般に僕らがイメージとして持っているのは、中国政府の台湾の武力併合である。ロシアのウクライナ侵攻と重ねて考えられている。
「最初に指摘しておきたいのは、習近平にとって<台湾統一>のレガシーとはいわゆる軍事的制圧―人民解放軍が台湾に上陸し、台湾総統府を占領し、中国国旗<五星紅旗>を総理府に掲げることーでは必ずしもない、ということだ。この点について、日本のメディアが多くの日本人専門家の認識は根本的に間違っている。中国が考えているのはそんな単純なことではない。」(垂秀夫 『日中外交筆録』
一般的に流布されている「台湾有事」とはこういうイメージであり、高市発言もこのイメージに乗ってなされている。おそらく、この中国の台湾併合には台湾側の抵抗があり、それにアメリカが軍事支援として加わるということでもいい。そこで日本はどうするかであり、日本は集団的自衛権行使としてこの戦争に関わるというのが高市発言だ。
中国大使を務めた垂秀夫はこれに対して、こういう認識は間違っているという。彼も武力侵攻を否定はしていないけれど。習近平が中国と台湾の平和統一とはもっと違ったものであると指摘する。ここは注目していい見解であると思う。彼は習近平が台湾への武力侵攻は当面(短期的・中期的)にないだろうと予測(分析)する。垂は習近平の「平和統一」を警戒せよというのだが、これは後に触れるとして、なぜ彼が台湾ヘの武力行使がない理由として短期的要因と中長期的要因を挙げているのを見てみよう。
「なぜ中国は台湾への武力行使に容易に踏み切らない(踏み切れない)のか、<短期的要因>と<中期的要因>に分けて解説しょう。短期的要因のうち最も大きいのは、経済的要因である。(中略)これほど経済が悪化しているときに台湾に武力行使をすれば、ただでさえ外国企業に直接投資が二〇二三年,二〇二四年と大幅減なのに、国際社会から経済制裁を受け、外資が一斉に中国から逃げ出す。さらに兵士や兵器の投入で莫大な戦費コストがかかるため、中国経済が取り返しのつかない大打撃を受けるのは必至だ。(中略)そもそも、習近平は、経済発展よりも<国家の安全>を優先し、表面的には社会は安定していると認識している。ならば経済の不満をそらすための戦争など、なおさらありえない」(垂秀夫 『日中外交秘録』)
経済的な不満を逸らすために武力行使に踏み切るのではないか、とか、タイムリミットがあって武力行使に踏み切るのではという観測もあるが、経済的にあり得ないという垂の見解は説得力があると思う。
「中長期的要因としては、政治体制の違いがある。民主主義でやってきた台湾人は、自由のない共産党体制に飲み込まれてしまうことに対する恐怖と危機意識が相当強い。台湾人の反感と抵抗を抑えて統治していくのはどれほど大変か、疑いの余地はない。仮に一時的に占領しても根強い抵抗状態が続けば、大陸内でも共産党独裁に反発する勢力が力を得て、共産党政権が崩壊しかねないほどの危機に陥る可能性も否定できない。武力行使という選択肢は、中国共産党の自壊に直結するおそれがあるのである。」(垂秀夫 『日中秘録』)
この見解は分かりにくい中国の動きを明瞭にしてくれる。そもそも、「一つの中国」ということ、それに向かっての動きが分かりにくいのだ。中国大陸と台湾に二つの政権ができ、それが戦後長年にわたって存続してきたが、その政権もまた「一つの中国」もいろいろの変遷がある。毛沢東政権、つまり共産党政権が成立し、大陸からにげた蒋介石は台湾で国民党政権を存続させた。中華人民共和国と中華民国が成立した。この国家はそれぞれの相手の政権の打倒をめざした。二つの政権を一つの政権へということであり、二つの政権と二つの中国ということを一つの中国へということであった。毛沢東も蒋介石も自己政権による中国の統一をめざしたわけである。この対立は中国における近代革命(近代国家)上の問題であったが、ここには世界的な社会主義国家圏と自由主義国家圏の対立が関係していた。戦後過程で、蒋介石の大陸反抗(共産政権打倒と中華民国の中国へ)という動きは現実性がなくなった。そして、中国の台湾の併合も棚上げ状態になった。(鄧小平による一国二制度の容認)。また、世界も中国と台湾への関係について大きく変わった。日本は国交回復し、中国の共産党政権を中国の代表と認めたし、アメリカもそうであった。戦後のこの二つの政権の問題は変遷を重ねてきたが、現在は共産党政権による統一(一つの中国)ということが残っている。こういうことを中国も表明してもいる。だから、台湾有事という言葉ものこっている。
垂秀夫は短期的要因・長中期的要因をあげながら中国は武力行使をしない(しえない)と分析している。平和統一のほうを警戒すべきだというが、中国の台湾の併合ということが消えたわけではない。
高市が中国の武力行使を念頭にしてそれを存立危機状態に該当するとしたことは、当面の動きの判断としても間違っていると思う。高市には垂の情報は入っていると思われるから、それは承知のうえでの発言だと思う。高市には中国の体制や動きに批判があって、台湾有事を利用して表明したのだと思える。反中をいうことで政治的支持に結びつけようとした政治的な発言だ。これにたいする中国側の反発と制裁も極めて政治的だ。
高市は自身の発言がこんな騒ぎになるとは思わなかったのであろうが、反中国の立場を表明したかったのだと思う。これにはアメリカ(トランプ)対中国意識が関係しているのであり、それを代理しての発言ともみてとれないでもない。
台湾有事についての明確な認識や見解を持ってのことではない。だから、存立危機事態に該当するのかだって明確な説明はできないのだ、台湾ヘの中国の武力行使があれば、アメリカは台湾側を支援する軍事行動にでる、それに日本は加わるべきだという考えがあってのことに過ぎない。アメリカの反中意識に加わり
自己の反中意識を披瀝したに過ぎない。政府の立場にいれば、普通の人がみえない中国の動向がみえるはずで、それを踏まえていれば出てこない発言である。
垂が提示しているように、中国の武力行使はないという分析は示唆的だが、それは消えたわけではない。だから、その動きを僕らがどう認識するか、という問題はある。そして、これは習近平下の中国の評価ということにも重なる。中国の統治権力の評価である。
確かに鄧小平の路線になった時に中国の政治(体制)路線は変わった。社会主義国家(プロレタリア独裁による統治国家)の形成という毛沢東路線は変更になった。それは経済重視路線であり、先ほど述べたように台湾に対する戦略も一国二制度の容認にかわった。ただ、鄧小平は毛沢東の政治路線を棚上げにして封印
しただけだったこともある。鄧小平の後をついだ面々は概ね彼の路線を引き継いできたが習近平はこの鄧小平路線の修正をめざしている。ただ、この中身は明りょうではではない。習近平は鄧小平路線を変更したことを垂秀夫は「国家安全」路線へと語っている。ここで習近平は再び台湾統合問題を強調もしている。ただ、毛沢東路線のように社会主義国家の建設ということで台湾統合を論拠づけていないことも確かだ。だから、台湾の独立の動きを警戒している。蒋介石の国民党支配下で台湾は大陸にその拡大(大陸反抗)を目指していたが、これは消えて台湾の自立(独立)の動きが出てきている。こういう動きをにらんで「一つの中国」は台湾の独立の動きの阻止になっているが、その場合の論拠は明確ではない。中華民族の統一ということは共産党の統治(共産党独裁体制)による台湾併合とは結びつかないからである。習近平は中国共産党の統治主体の正統性の確認に苦慮していると言われ、毛沢東を踏襲せんとしていると言われる。その場合の毛沢東は革命後に文化大革命まで進めた毛沢東ではなく、抗日戦争を指導した毛沢東ということになっている。このことは習近平が日中戦争の問題を持ちだして人々の反日意識を高めようとしていることに関わる、ここでは、台湾統合というのは毛沢東路線のように明確ではなく、国民の支持ももう一つだということがあるように推察できる。このために掛け声とは実際はうごけないのだ、と垂は分析している。
(3)台湾への中国の武力行使
ここで再び垂秀夫が、習近平が台湾への武力行使に踏み切らない(踏み切れない)要因として分析しているところに戻りたい。彼が指摘しているのは武力行使に踏み切れない中国の内部事情としての中国国民の共産党統治への反発をあげている。僕は逆に、中国での共産党統治への不満が高まる場合にそれを逸らすために、台湾への武力行使があるとかもしれないと想定しているが、それは中国の共産党にとってはかけみたいなところがあるともみている。台湾への武力行使にたいしては天安門事件のような闘争が中国国内での反発として起こりかねないということである。鄧小平の路線は毛沢東も社会主義路線の混乱を救ったが、共産党の支配力は減衰している。台湾の政権は国民党からの脱却もあり、国民的基盤(民主的基盤)としては強まっている。そして武力行使のだんだん難しくなっているとも考えられる。ここにいくつかのヒントというか、暗示があると思う。
中国の台湾に向けた武力行使を止めるのは台湾と中国大陸の住民(中国国民)の意向(抵抗)とその動きにかかっているということである。それは中国の統治権力としての共産党独裁の行方に鍵があり、その意味ではこれは日本の存立危機事態などと関係ないのだ。この場合に中国の武力行使に抵抗する地域住民の支援をどうするかという問題がある。アメリカや日本が中国に対する対立意識があって、それが主体として関わればそれはアメリカや日本との国家間戦争になるし、それは台湾への中国の武力行使という問題を別の問題にしてしまうのである。高市だって中国の台湾への武力行使に対して地域住民(中国国民)の抵抗への支援ということがあり、それでアメリカや日本の軍事介入を構想しているのかも知れない。それは問題を違った方向に導く。それを支援で軍事介入すれば、日中戦争にしてしまう。台湾に対する武力行使は日本が侵略されることでは中国の武力行使は基本的には中国における統治権力の問題であり、中国の国民(地域住民)が解決すべき問題である。これは中国における統治権力のあり方であり、その決定は中国国民にまかせるしかない。このところを踏まえて、どのような支援が可能かをかんがえるしかないのであり、高市の介入は安易すぎるのである。日本と中国の戦争になることを避けながら、中国国民の抵抗を支援するというのは難しいかもしれないが、そこは考え抜いてやるしかない。
僕は中国が台湾に向けた武力行使したなら、それに抵抗する中国(台湾を含む)国民を支援する。そこには現在の中国の共産党独裁という統治権力にたいする批判がある。中国における統治権力が国民の自統治権力として、国家主体の権力であることを望む。しかし、このことは中国の統治権力は中国国民が決定することに変わりはない。習近平下の中国の統治体制を独裁的・専制体制として批判するし、それと抵抗する人と連帯し、可能な限りの支援をするし、それを追求するこれは中国との関係が自由で平等な関係になるためでもある。
中国が台湾に武力行使したとき、中国の行動に反対して日本国家が軍事介入することには反対する。武器の援助まではいいと思うが、国家の行動には反対である。それは問題の解決をあやふやにし、国家間戦争にいたらしめるからだ。だから中国の台湾への武力行使を「台湾有事」とし、それを日本有事とすることに反対する。垂秀夫は中国の台湾武力行使を困難だろうと分析し、習近平の「平和的統一」を警戒する。そして、それが本当に「台湾有事」だという。そして、台湾有事とは日本の安全保障を危うくするという。この発言には疑問がのこる。なぜ、台湾と中国の統一が日本の安全保障の危機なのか。納得のいく説明がないからだ。憶測すれば垂は独裁的統治権力(専制的統治権力)が戦争を生みだす根拠になるといいたいのかもしれない。僕はそう思っている。ただ、中国に対するこの発言は外交官であった垂が持たざるをえなかった制約だと僕は推察している。この問題は独裁的権力への批判であり、中国の共産党独裁への批判でもあるが、これは同時に日本の統治権力のあり方に対する視線でもある。
高市の中国批判にはこれがあるのかも知れない。「自由や法の支配」というのは中国批判の言葉であるからだ。ただ、高市はこの理念を衣装や看板ではなく、これを身について思想として持っていると言えない。そうならば、専制的なトランプに対して批判的な態度を取っていいと思う。そう考えるのが普通だろう。習近平とトランプを独裁的、専制的存在として同時的に批判しなければ高市の「自由や法の支配」なんて方便以上のものにすぎないことになる。かつてなら反社会主義という対抗概念で自由や民主を言えた。高市には反社会主義【反中国】という林縁が惰性のようにあり、それを反中と親トランプで表しているのかもしれない。でもこれは看板や衣装で本当のところは伝統的な国家主義(保守主義)に
回帰しているのではないか。それが安倍政治を引き継ぐ実態である。だから彼女の反中意識は国家主義的な反中意識である。
今回の高市発言に対して日本国民の反応として結構支持が高いと報じられている。これには中国も驚いているという報道もあるが、これは参院選挙での参政党の躍進もあったように、国家主義が台頭し、トランプも専制化する事態の中で国家主義的な反発が広がっていることがあると思う。歴史を振り返るという国家主義の台頭と角錐が激化すると、国家もメディアも国民も国家主義的な対応に走る。国家主義に抗する動きはなかなか困難になる。それは国家やメディアの独占力が大きな力を占めるからだが、国家主義に抗し、それを超えていく道筋というか論理が見えにくいことがある。細くなっていくのだ。「台湾有事」という問題もそういう傾向を持っている。本当のことが見えにくく、曖昧なことが政治的対立の契機になってしまう。
安倍晋三は「積極的平和主義」のもとに軍事介入することを考え、そのために集団自衛権の行使を拡大までした、安倍は自衛隊が海外戦闘をする機会を考えてきた。それは、自衛のための戦争という戦争の制約を超え国家がその意思通り自由に戦争できることができるための必要な経験であった。この経験に寄らなければ侵略された場合以外の軍事行動は否定されることを超えられないと考えてきたからだ思う。その安倍の願望をPKOで派遣された自衛隊は戦闘を否定して拒否した。これは自衛隊員の意識に戦争の制約の意識がそれなりにしみ込んでいるためである。戦後史が生んできた数少ないよきことだ。高市は安倍のこの戦争についての考えを受け継いできたが、それを台湾問題で漏らしてしまったのであろう。これは中国に反発されるのは当然だが。それよりまずもって、日本の国民が批判しなければならないことだ。
霊界の最高機密一 神の正体
教団「大本」は新興宗教の元祖といわれるが、大本から派生した新興宗教・新新興宗教は数多く、大正・昭和の歴史の裏面でもはかり知れぬほど大きな影響を与えてきた。だが王仁三郎は宗教家と呼ばれるのを嫌い、みずから世界改造業者と自負した。世界改造のためには、まず人間を改造せねばならぬから、同時に人間改造業者でもある。
王仁三郎については、屹立(きつりつ)したカリスマ性、確言といえる予言、超能力、けたはずれの作歌の数、耀盌に代表される芸術性などが次第に評価されてきた。だが思想家としての王仁三郎はほとんど知られていない。
王仁三郎の思想は、大宇宙の根源力たる神が存在し、霊界が実在するという前提に立脚して展開する。同時に霊界と合わせ鏡である現界もなおざりにはしない。霊界と現界の両方に足をふんばりつつ、独自の世直し思想を展開して行く。
神とか霊界とかいえば、それだけで身構える人が多い。それは多くの宗教団体の犯したさまざまな不祥事件の影響にもよろう。そして多くの人たちが無神論者であることに一種のエリート的誇りを持つ。だが王仁三郎は、
「自分で無神論者だと思いこんでいるだけで、心の底からの無神論者は少ないという」という。
彼らを無神論者に追いこんだ責任の大半は、宗教側が負うべきであろう。世界の歴史を振り返れば、宗教という名のもとに、どれだけ多くの血を流してきたことだろう。今もその争いは世界のどこかで続けられており、古くは十字軍をはじめ、今日でもアイルランド紛争やイスラム世界の紛争など、数え上げればきりがない。
また宗教の名によって迷信がはびこり、金がかき集められ、豪華な殿堂伽藍が作られ、政治に利用されて教団が集票組織になるなど、宗教団体の与えた弊害は余りにも大きい。まともな神経なら反宗教になるのは当然であり、宗教憎さのゆえに宗教団体が鰹節(だし)にする神を否定したくなる。だが宗教団体がいかに堕落しようと、神の実在とはかかわりない
記紀やギリシャ神話の神々のように、神を人格的存在とし、狐や狸などの低級霊まで神にまつりあげる。天皇を現人神(あらひとがみ)としたり、戦死者を神として靖国(やすくに)神社に祀ったり、これでは宗教アレルギーになってしまうのも無理はない。
世界の人口の大きな比率を占める仏教も、神を認めない。その代わり、宇宙の大理法(大きな法則)を仏とする。だから神仏の概念も種々雑多である。王仁三郎の思想を知るには、まず神の定義が必要であろう。
王仁三郎は断案する。
宇宙の本源は活動力にして、即ち神なり。万有は活動力の発現にして、即ち神の断片なり。
(『霊界物語』六七巻六章「浮島の怪猫」)
王仁三郎のいう神とは、宇宙の活動力である。科学もまた宇宙の活動力を研究する。ただ王仁三郎のいう活動力と科学の研究対象である活動力との根本的なちがいは、それに「意志」を認めるか否かだ。
科学では意志をみとめない。活動力に意志がないというのではない。「この風はどんな気持ちで西から東へ吹くのか」とか、「この花はどんな気持ちで咲いたのか」と考えていたのでは、科学は成立しない。そこで前提として、意志を無視するところから始まる。王仁三郎のいうように、神が宇宙の活動力だとすれば、仏教でいう宇宙の大理法と同じで、ここにおいて無神論者はいなくなる。
「神が宇宙の活動力ならば、活動力さまと言って拝めばいい。それをなぜ”神”ともったいぶった名をつける必要があるのか。そこに宗教の欺瞞がある」
という反論もあろう。だが言葉の表現には限界がある。
例えば「人」という言葉にしても、実は何も説明していない。もし正確に言うならば、二本足で歩く哺乳動物」とでも言うほかはあるまい。「母」なる言葉も曖昧で、義理の母もあれば、育ての母もある。「私を生んでくれた女性」というしかない。
「父」 はもっと曖昧で、本当の父かどうかは母しか知らぬ。だから正確に表現しようとすると、「私を生んだ女性に私を生ましめた男性」というよそよそしさになる。「活動力」では、神の持つ神変不可思議な力や絶対善、絶対愛なる存在とはほど遠く、血の通わぬ死体を見るようなイメージになろう。結局は「神」というしかあるまい。
霊界の最高機密二 宇宙創造の”からくり”を説く
王仁三郎は、「神は宇宙の活動力」という。そして宇宙剖判から創造の模様の数十億年を、超早送りで神から見せられている。
宇宙成立以前の天もなく地もない遙かな昔、大虚空(こくう)があった。すなわち「無」の時代である。西洋哲学の伝統の中では、「無から何ものも生じない」と考える。だが中国では、老子によって無の思想が始まり、西田哲学は絶対無を説いた。王仁三郎もすべてのものは無から始まると説く。
龍樹菩薩は空を説いた。空というのは神または霊ということである。目に見えず耳に聞こえぬ世界であるから、空というのである。空相は実相を生む。霊より物質が生まれてくることを意味する。無より有を生ずるというのも同じ意味で、神がすべての根元で森羅万象を生ずるのである。
霊が先であり、体が後である。
家を建てようという思いは外的に見て空である。けれどもその思いの中には、ちゃんと立派な建造物ができ上がっているのである。ぞれがやがて設計図となって具体化する。
さらに木材の蒐集となり、組立となり、ついに実際の大厦高楼(たいかこうろう)が現出する。空相が実相を生み、無より有が生じたのである。
真如実相という意を聞〈のか。真如は神、仏、絶対無限の力をいうのであるから、前と同じ意味である。実相は物質的意味である (『月鏡』「空相と実相」)。
そして王仁三郎は、幽(無)から顕(有)への発展過程を四つの段階に分けて説明している。
幽の幽(無の無)
幽の顕(無の有)
顕の幽(有の無)
顕の顕(有の有)
あなたは顕の顕の存在である。だがそれ以前は母の胎内にいて、見ることができない。この状態が顕の幽である。そしてその前の段階に父と母の出会いがある。その時点では、父と母との意識のなかでも、あなたは存在しない。しかし愛の結びによって、母の胎内に一点の(ホチ)、が宿る。その状態が幽の顕である。ところがその父と母もすぐに愛の結びに至ったわけではなく、無意識のなかでお互いが何かを求め合っていた。その状態を幽の幽という。
この世で起こることのすべてが、このような段階をへて顕在化する。
さて本論に戻ろう。。
まったく何もない宇宙の大虚空(幽の幽)に、忽然と葦芽(あしかび)(葦の若芽(わかめ))のような一点の、「、」ほちが現れ、「、」は次第に拡大して一種の円形Oを作る。そのOは湯気よりも煙よりも霧よりもかすかな神明の気を放射していき、Oを包んで◎の形になる。宇宙誕生の瞬間である。
これが宇宙の大元霊、主神の幽の幽の状態であり、古事記では、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という。主神の静的状態にある時は、時間・空間を超越している。時間・空間がないのではなく、またあるのでもない。その観念の起こるべき素因がないのだ。
余談になるが、不思議なことに王仁三郎の拇印(ぼいん(がまさしくOを丸く囲んだ◎の形になっており、大本では「スの拇印」という。大本から派生した宗教団体のなかには、◎を主神の象徴として標識に使用している教団もある。
◎は最初に人間の耳には聞こえない幽(かす)かな、微(ほの)かな「ス」という言霊を生む。言霊とは、言葉に宿っている霊妙な力のこと。そのスの言霊がどこまでもス-ス-ス-と伸ぴ広がり、ふくれ上がってウの言霊を生む。このウの言霊は嶋り鳴りて鳴り極まるところ、上にのぼって神霊の大原子である霊素が発生する。
これが古事記でいう高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。またウの言霊は下がっては物質の大原子である体素を醸成する。あらゆる物質の体を生み出す根源の言霊であり、古事記に示す神皇産霊神(かんみむ すびのかみ)である。
霊素・体素をかもし出したウの言霊は万有の霊と体を生み出す根元であり、ウの言霊を生み出したスの言霊はさらにその総根源である。
言霊学では、霊はヒ、チであり、体はカラ、カラタマを指す。また人は霊を止める存在だから、霊止(ヒト)という。またこの宇宙には、産霊(結び)という奇ぴな働きがある。
古事記冒頭の文章を引用する。
天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日(高皇産霊)
次に神御産巣日(神皇産霊)神、此の三柱の神は並独神(みなひとりがみ)成り坐して、身を隠したまひき。
高皇産霊、神皇産霊の神名に使われる産霊の産は産む、蒸すの意であり、霊は霊、日、命の意がある。単なる連結ではなく、まったく相反するものが結び合うことで、新しい生命を生み出すという力だ。
例えば陽極と陰極の結びで電気が生まれ、酸素と水素の結びで水が生まれる。男と女の愛の結びによって子供が生まれる。宇宙間に発生した霊(チ)素と体(カラ)素が結んで霊体(チカラ)素、いわゆる力が生まれる。このつ一つの霊力体が万物活動の原動力になる。
重ねて言うが、天之御中主神はいわゆる大元霊を指し、高皇産霊(高御産巣日)は言霊から作られた霊素で霊系の祖神、神皇産霊(神産巣日)神は同じくウの言霊から作られた体で体系の祖神になる。
高皇産霊神も神皇産霊神も、天之御中主神の活動に合わせて発生する霊体二元の働きを表現した神名である。三神でありながら一神、一神でありながら三神という三位一体の関係にあり、造化三神と言われる。また三つの身魂、すなわち瑞の身魂という。
さらにウの言霊は活動を続ける。上に昇りつめてアの言霊を生み、さらには下にくだってオの言霊を生む。ここに天の言霊であるア、オ、ウ、エ、イの五大父音が生まれる。五十音の五大母音にあたる。
さらに七十五声の一言霊が生まれ、それぞれが相和して鳴り響く。言霊のビッグパンであ
る。これにより宇宙間に精気が発生し、精気から電子が生まれ、電子が発達して電気が発生し、動・静・解・凝・引・弛・合・分の八力が完成する。
こうして霊界が形成されるが、幽の顕の段階で、まだ現界はできていない。
(1)
トランプの再登場は戦後の日米関係を見直すいい機会だ、と感じた、あるいはそう感じている人は少なくないはずだ。高市総理は「日米の黄金時代がやってくる」とはしゃいでいたが、とんでもない話である。誰かがこれは同盟ではなく、服従だと言っていたが、自発的隷属というべきことだ。僕はトランプが再登場し、彼の言動を見聞きするにあたってかつて批評家の江藤淳が戦後の日米関係の矛盾的実態を暴いたことを思い出した。それは戦後の日米関係が対等で自由な関係にあると言った理念が虚構に満ちたものであることを暴いたものだった。自由で対等な独立国家間の関係という理念の下にアメリカは戦後の占領から独立へ導いたとされた。が、アメリカが占領下でやった巧妙な検閲など自由の理念に反する行為をやっていたことを江藤は暴いた。アメリカは自由の理念の下で権力支配を巧妙にやっている、その欺瞞的構造を指摘したのだ。これは戦後の日米関係が自由で対等なものとする理念の下で成立してきたという欺瞞を暴くものであった。この理念の下で実体はアメリカの日本支配(支配と従属)の関係が実体であることを摘出したといえる。
戦後の日米関係が自由で平等な関係という名の下で支配と従属という関係にあることはそれなりに認識されてきたことである。左右の反米派はあり、日米関係の見直しはいろいろと主張されてきた。これはなかなか広がらなかった。その一番のおおきな要因は政府から国民まで、国際関係の中で日米関係を基軸におくことが矛盾を持つにせよ、さしあたってはそれでいい(やむを得ない)とい
う意識が浸透していたからだと思う。この意識というか、壁が日米間兼の見直しという動きを阻んできたのだ。だが、いま、アメリカは「必要不可欠な国」といことから、「我慢のならない国」へと変化しているという記事をネットでみたが、
僕もそう思う。これはトランプの言動に人々が感じていることであり、アメリカに対する意識の変化である。
アメリカに対する意識の変化がトランプの再登場によって進行していることは疑いない。これに対して批評家の佐藤優は次のように述べている。
「ロシア・ウクライナ戦争で、アメリカとヨーロッパの間に深刻な軋轢が生じている。政治家や有識者の一部に法の支配、民主主義などの普遍的価値観からはずれてきたトランプ政権のアメリカから距離を置こうという考えが出始めている。これは極めて危険だ。日米同盟の顕教の部分しかみていない一面的な見方だからだ。トランプ氏がアメリカ軍最高司令官であることを忘れてはいけない。いま。考えなくてはならないのは、トランプ氏から日本が<ウクライナやヨーロッパになびく信用できない国だ」と思われないようにすることだ。日本は躊躇せずに
アメリカの立場を支持することが適切だ。ヨーロッパ諸国は地理的要因、国力の
限界のために日本の脅威にならない。しかし、アメリカ潜在的に日本の脅威となりうるからだ。日本の外交目的は日本国家と日本国民の生き残りだ。観念論もしくは理想主義的日米同盟観(価値観の一致)からリアリズムに基づく日米同盟観(新帝国主義的国際環境での日本国家と日本国民(民族の生き残り)に視座を転換する必要がある。トランプ大統領時代のいまこそ日米同盟は日本の生命線であり、日本外交の公理系を形成いるという真実を忘れてはいけない)(佐藤優VS片山杜秀『昭和100年史』
佐藤優は戦後の日米関係には顕教と密教があるという。顕教とは「太平洋戦争に敗北したあと、日本は国家体制を根本的に転換した。天皇は統治権の総覧者から国民統合の象徴になった。国民主権、民主主義、人権尊重が日本国家の基本的価値だ。これらは文明世界の基本的価値観とみなされているが、実際はアングロ。アメリカン(英米的)価値観に過ぎない」(前同)という。これに対して密教とは「太平洋戦争に敗北し、焦土となった経験から学ぶのは、アングロサクソン(とりわけ、アメリカ)とは絶対に戦争をしてはいけないということだ。そのために最も効果的なのは、ジュニアパートナーとしてアメリカと同盟関係を構築することだ。同盟関係にある国同士が戦争をすることはない。同盟関係でジュニアパートナーはシニアパートナーに主権の一部を自発的に委譲する。【中略】それを単純に対米従属と非難することはできない。アメリカのジュニアパートナーになることが国家と国民(民族)の生き残りにとって最も現実的な選択だからだ。
佐藤はアメリカの大統領にトランプが再登場し。彼の言動が戦後の日米関係の表向きの理念が揺らぎはじめ、日米関係を見直そうという風潮がでてきたことを危険とみなす。それは日米が自由で対等な関係という理念が疑われだしたことである。彼はこの日米関係は顕教、要するに表向きにすぎなし、この価値観は普遍的なものではなく、アングロ・アメリカンの価値観にすぎないともいう。
戦後の日米関係は従属的関係に見えたにしても、アメリカとは戦争をしないという関係(密教的関係)があり、そのための同盟であったが、それが今、重要だという。日本が他の国家との戦争状態になったときの同盟(アメリカが日本を支援する、あるいはアメリカが日本を支援する)ではなく、日本とアメリカが戦争にならないための同盟だという。この解釈というか、見方は面白い。
たしかに、戦後の日米関係は二重の関係だった。ここで佐藤の言う顕教的な関係がその一つだ。日米が自由で対等な関係と言われ続けてきたことであるが、戦後の日本の国家の転換(天皇の統治の国家から戦後憲法下の国家)を根拠づけていた。ここには戦後の米ソ対立下での自由主義国家か社会主義国家かの選択が介在していた。日本が世界的には自由主義陣営に属することを根拠づけていた。
裏ではアメリカとの戦争を避ける道であつた。佐藤はウクライナ戦争以降、アメリカ外交においても、法の秩序、民主主義、人権といった価値観が後退し、力の論理が強調されるようになった。国際政治は大国間の力の均衡できまるという帝国主義の論理が蘇っているという。要するに国家主義による大国間対立が顕著になってきているということだ。そこで、アメリカとの戦争をしないという同盟関係が重要だという。自由陣営の属し、それゆえにアメリカと同盟をという関係は自由主義圏と社会主義圏の対立が解体(冷戦構造の崩壊)の後は、価値観の統一(法の支配)などとして主張されてきた。これは日本の世界的な立ち位置であり、外交の基準とされてきた。佐藤はそんなものは普遍的なものでなく、アングロサクソンの価値観であり、その内部でも対立を生みだしているもの(アメリカとEUの軋轢)だから、たいしたことはないという。それより日米関係も露骨な主権国家間対立が明瞭になってきたのだから、アメリカと対立を回避することが大事だ。アメリカとEUが摩擦をおこし、対立しても価値観での選択ではなく、戦争さける、という観点でアメリカと同盟を優先しろという。
ここでの佐藤の論理に従えば、日米の戦争を避ける(アメリカは潜在的脅威)ためにトランプに同調し、アメリカの立場を支持することが重要だということになる。これは今、日米関係の見直しということヘの批判である。日本のアメリカと関係が従属と言われようと、それは戦争を避けるための自発的な選択であり、今こそそれが重要だというわけだ。この論理はリアリズム的な論理と言われるが、ここにはいくつもの疑問がある。まず、トランプの取っている政治、その権力的な所業を肯定するのか、どうかということがある。例えば、トランプとヨーロッパとのの軋轢という時、佐藤の言うように躊躇せずにトランプを支持することが適切なのか。どうか。これは彼の関税政策についてもいえる。トランプの政治的な言動についてはアメリカでも世界でも批判は強い。それは戦後に、日本がアメリカとの同盟の根拠となってきた国民主権、民主主義、人権尊重などトランプが壊していることだ。EUとアメリカの摩擦はそこが起因している。そうすると、トランプを受け入れ、同盟して行くことは、二つの問題がうまれる。
その一つは日本の戦後体制というか、価値観をどうするか問題。つまりトランプに合わせて変えていくということである。日本の戦後体制を支えてきた価値観には問題もあり、変革を要求されてもいる。だからといって、それをトランプの提起する方向に変えることはいいことではない。例えば、トランプが日本は国家防衛のため戦争できる体制にせよと言ってきた場合にそれに従うのか。(現在は防衛費の増額要求だが、それはもっとエスカレートするかもしれない)。それにもう一つ、アメリカが中国と対立し、戦争をはじめたら、アメリカは日本が中国に戦争をすることを要求する。(安倍晋三は集団自衛権の行使の解釈を変更し)、他国に戦争に介入できる道を開いた。例えば、アメリカと中国が戦争をはじめたら、アメリカ側に加担する道だ。これは、アメリカの戦争に日本が加担する道であり、トランプの要求に応じることだ。
今、高市の台湾有事における武力行使発言が物議をかもしているがこのことだ。中国の台湾への武力行使にアメリカが介入したら、日本はアメリカを守るために軍事行使をするということである。これはアメリカの武力行為に集団安全自衛権を行使して同調するということだ。アメリカはこういう形だけではなく、アメリカと中国の戦争を、日本に代理させて日本と中国を戦争させるということもやりかえない。アジア人同士を戦争させるやりかただ。トランプは中国と戦争する事も考えているだろうし、その時に、日本を参加させるだけではなく、日本と中国を戦わせようともする。これがアメリカの同盟の本音だ。佐藤のいうように日本とアメリカの戦争ということより、アメリカが他国(例えば中国)の戦争に日本を加わらせるという方が多いのだ。かつてのアメリカよりトランプのアメリカはその方向が強いのだし、そんなアメリカに従属する同盟を強めようとするのは危険である。日本は中国との戦争の可能性が強いが、その契機に中国とアメリカの戦争である。その時にアメリカ側に立たされるということであり、これは避けなければならない。そのためには戦後の日米関係をみなおすべきである。
高市のトランプとの同盟強化は誰が考えても危険であり、今、見直さなければならないのだ。武市発言は台湾有事における発言は、アメリカを守るか。台湾を守るのかもはっきりしない。どっちにしても問題だが曖昧は一層危険だ。これは高市に中国関係に関する基本的な考えがないことを示している。台湾有事だというが、それはどういう有事であるのか、その時に日本はどう対応すべきかの基本的な考えがない。戦後の保守主義は反社会主義(反共産主義)ということで中国と対立してきた。これは日中国交回復と冷戦構造の崩壊で変わったのである。かつてアメリカは中国と反社会主義ということで対立をしていたが、それはかわった。現在もアメリカは中国と対立している。それは国家主義的な対立である。これはトランプになってから強まってきたが、そのまま日本はアメリカに同調して中国に対立をする必然性はない。ここのとは台湾問題についてもいえるのである。
毛沢東政権下では台湾は中国革命(社会主義革命)から資本主義体制として残された体制であり、革命の継続としてこの体制は打倒対象だった。このことは逆
もいえた、台湾側からすれば大陸の政治体制は打倒の対象だった。この大陸の政権と台湾の政権の対立に対してアメリカや日本は戦後のある時期まで、社会主義を軸に対立し、日本やアメリカは台湾の政権を支持してきたが、これがかわったことは先に述べたとおりだ。しかし、中国と台湾の対立は続いているが、それは曖昧だ。鄧小平の時代には「一国ニ制度」の容認としてあった。そして習近平の時代になり対立は激しくなった。しかし、この対立は曖昧である。同じようにアメリカや日本のこの問題に対する考えは曖昧だ。高市が反中国であることは割と明確に思えるが、保守の慣習的な反社会主義であるようにおもえる。現在の習近平政権をどう見ているのかは曖昧だ。また、台湾問題に対する対態度も曖昧だ。惰性的な反社会主義―反中国は推察できるが、曖昧なままアメリカの対中国戦略に追随していくのは危険である。
原発を止めよう、戦争を止めよう 11月7日(金)
座り込みの前を8人程が本館に入り30分後に出てきた。写真撮影を頼まれたので、撮影後に尋ねると、立憲民主党議員とともに埼玉県のメガソーラー批判の要望書を提出したそうだ。テントと柏崎刈羽再稼働反対チラシを渡す。
寒空で暗くなったころ、Szさんの「原発では明日がない」と「原子力発電NO」で抗議行動開始。
Kmから前日の社民党の「つどい」にテントから数人が参加した報告とともに、トランプに従う高市首相を評価する報道が多く政権支持率が高いことを嘆き、柏崎刈羽については県民の心配がまだまだいっぱいあるとの報道を確認。
Tbさんが、本館に向かって、明かりを灯して汚染水を流したり放射能をばらまいたり柏崎刈羽を動かしたりしないでと訴え、11月13日の「あらかぶさんの話を聞く集い」(亀戸)の案内。 短く「脱原発」コールのあと、Heさんが柏崎刈羽再稼働反対を訴え、外国人入管政策を批判。
Yoさんが、浪江町に2千数百人しか居ない、復興途中なんて大ウソ、フクイチに人が一杯いるが、全然進んでいない。改憲阻止の集会からアメリカと一緒に軍事訓練している状況で憲法が危ない。 Kmから原発を止められないでいるが軍事産業の為の戦争を止めねば。
Skさんが、井戸川さんの集会から、立地の町長として国(経産省)が嘘をついて法律違反を批判、直木賞作家坂東眞砂子さんを紹介し、現実と超現実というのは紙一重で、今私たちがここでいる何気ない平穏な生活は本当はやっぱり放射能に汚染されている誰にとっても危険極まりないもう繰り返してはならない現実なのだという認識と両面あると思う。とにかく繰り返さないように私たちは力を尽くしていきたい。
Myさんが「座り込め、ここへ」を歌い、原子力規制庁が原子力災害対策指針をいじったが屋内退避は無理と訴え、「水に流すな」を歌う。 Yzさんが埼玉県川口市のクルド人排外を強く批判。 Rnさんが、北海道からSoさんが来たが体調不良でこの集会に出られず、3日に川柳シンポジウムを報告。排外主義が戦争への導入部である。
火炎瓶鉄さんが、斎藤美智子さんを案じ、<経産省は恥を知れ、フクイチ事故はどうなってる、もういい加減に目を覚ませ、答えは一つ脱原発、答えは一つ核廃絶、…>と経産省にコール。 Ksさんが、沖縄の米軍の訓練を憂う。パラシュート降下訓練、普天間基地へのステルス戦闘機、対潜哨戒機の降下訓練、少女暴行事件、爆音、PFASと。「琉球弧の戦場化を許さない! 11月行動 (14日政府交渉,15日集会デモ)にご参加を。脱原発、柏崎再稼働反対、原発反対、戦争反対、基地反対のコールで終了。
なお、集会模様の動画がアップされたので紹介する。良かったら、ご覧ねがいます。
7日の経産省前の抗議のユーチューブ、3件。
https://www.youtube.com/shorts/-hzFYtMWrxg
https://www.youtube.com/watch?v=AtRtme7vsdo&t=31s
https://www.youtube.com/watch?v=sWGPaYzLcXY
(追伸)7日時点では確認できていませんでしたが、次の訃報が明らかになりました。テントひろばでも大活躍されていた斎藤美智子さんが昨年9月3日に病院で永眠されました、97歳でした。取り急ぎお知らせします。
テントひろばでご一緒した行動を思い起こし、心からご冥福をお祈り申し上げます。
11月10日(月)
いつもの時間に事務所に着いた。乱さんから原子力ドンキホーテ氏宛の荷物があるので電話で確認した。金曜日に持っていってくれるものと思う。
大きなバナー3枚とも静岡に出張中なので、女の子のバナー3枚、NO NUKES、1枚、「汚染水を海に流すな!」1枚とノボリ旗7本を箱に入れて台車に運んだ。途中で早番のKuさんが来られたので、残りの荷物を一緒に運んだ。
経産省前に着いたのは、午前11時半だった。早くに来ていたMiさんは落ちていたゴミ拾いをしていたそうで、ビニール袋にはゴミがたくさん入っていた。
荷物を降ろしてセッティングを開始。終えたのは11時55分。早速、反原発ソングを掛けて道行く人々にアピールした。
今朝は晴天で日差しもあり暖かかった。汗ばむほどなのでジャンパーは事務所に置いてきた。しかし12時15分から急に大粒の雨が降ってきたのでビックリ。大慌てで、テントニュースとカンパ缶を机の下に避難させた。気温は22℃から18℃に下がり、強い風も吹いてきたので、体感温度は13℃ぐらい。瞬く間に寒くなって困った。スマホで確認したら、雨は午後2時まで降り続くとの事。何とか我慢するしかない。
12時半過ぎ、スマホに日誌を書いている間に遅番のOgさんが来られたらしく、Kuさんと話し込んでおられたのでビックリ。
雨は午後1時に止んで急速に晴れてきた。しかし気温は18℃のまま。相変わらず強い風が吹いていて体は冷え切ったまま。2時過ぎに目の不自由なℍoさんが来られた。すぐにMiさんが用意してくれた温かい紅茶とお菓子を渡してくれた。 Miさんは体が冷えたので2時半に帰られた。 Kuさんも他の用事があるとのことで3時に帰られた。 その後は何事もなく時間が来たので2人で片付けて撤収した。
注意事項。パラソルについて。古いものは小さめ。最近、買ったものは大きいーふたりで利用できるように。これをごちゃまぜにして束ねると経産省前に行ってから使えないことになってしまう。大きさが違うから。
雨が降って来た時に緩いまま使っていて、突風が吹いてきた時に抜けてしまって車道に飛んで行ってしまった。幸い、車が通らなかったので事なきをえたが車にぶつかっていたら事故になっていた。
帰って来てからOgさんが間違えないように赤マジックで塗ってくれました。4組あります。よろしくお願いします。
11月10日(月)欄外あるいは脚注
◯ この記事は何なんだ!
「ガザ住民 続く苦しみ」の見出しで始まる11月8日東京新聞朝刊の記事。停戦はおおむね維持されているが、10月10日の発効後も、イスラエルの散発的攻撃が続き、11月7日までに240人以上が死亡した。つまりは停戦していないではないか。また死亡したのは誰か? 住民? それとも戦闘員なのか? 死亡原因は何か? 240人死亡を発表したのはどの機関か?
つまりは「西部戦線異状なし」ということらしい。ちなみに、同紙朝刊1面に「今日は何の日」という欄がある。きたる11月29日を何の日と書くか注目している。そんな日があるかは知らないが、肉の日(イイニク)といったところか。私の希望は・・・ヒントだけ。それは「181」。
◯子供のオモチャか!
「だってぇ、みんな持っているよ」。
◯はあ?またも仕掛けり
「残業代の減少を補うための無理な副業で健康を損ねる方が出ることを心配している」。
そんな立法事実はあるのか? このままだと、火星人来襲に備えることになるかもしれない。
◯排外主義とは一線を画す
それは「はっきりと区切りをつける」という意味であり、紙一重とは一線を画す。
◯トラの威を借る人々
トラに足並み揃えて、異を狩る。
11月11日(火)
13時半頃、早めに到着。近くの議員会館で、集会があるとのYaさんの話。14時過ぎからOTさん、OSさん等、こちらに寄ってくれた人が数人。
14時45分、Aさん到着。少しの遅れはともかく、これだけ遅れるのは稀。Yさん、Oさん、Ooさんと噂話を始めると、突然、現れた。別に動じることなく普段と同じ。15時50分、寒いので畳み始める。0さん、Aさんと3人。
私は、今日はふたつ、書類を持っていた。ひとつ目は、藤原節男さんの、東京電力ホールディングを告訴した、10月15日付け告訴理由書。内容は、福島第1の3号機の爆発は核爆発であること。柏﨑刈羽原発6号機7号機は福島第1の3号機と同じ構造であり、常に核爆発しかねない危険性を孕んでいる。よって、絶対に稼働してはならない。 また、核爆発となれば、明らかな東電の規制基準違反であり、欠陥原子力発電所が業務上過失の事故をおこしたことになり、原子力事業者に無限責任が適用され、東電は破産、または会社更生法による会社再建となり、欠陥原子力発電所再稼動などはもっての外である。
ふたつ目の私の所有物は、PKO法「雑則」を広める会の、「未来に続くいのちのために原発はいらない」第7号。「フクイチのメルトダウンから14年、あのとき、何が起こっていたのか」目次 初めに 大量の放射能が降った東電福島第1原発の大惨事。フクイチ事故とは・・・・フクイチ事故の後で・・・・フクイチ事故の被災者は・・・・日本が原発をやめるために・・・・あとがきまで、全56ページのA5版小冊子である。その7ページに3号機の爆発の瞬間の写真がある。核爆発の決定的な証拠とされており、高濃度の核分裂物資であるヨウ素やセシウムが検出されている。
その他、フクイチ事故被災者への償いは?フクイチ事故では健康被害は何も起きない、小児甲状腺がんの激増、等々、良い内容である。 (kenji ishigami)
11月12日(水)
薄日。寒くはなかった。Iさんが車でグッズを運んできてくれるので助かる。今日は遅番のWさんが都合で来られず、Yさんに代わった。IさんとYさんは初対面で自己紹介などをしあっていた。佐藤保っちゃんは病院の検査で休み。
Yさんが読んでいた『イスラエル=アメリカの新植民地主義』について内容を聞いた。読まなければならない本がありすぎて、お手上げだ。ちょうどそこに、水曜日に外務省前で「ガザ攻撃をやめよ」行動をしている女性が寄ってくれた。その人たちはイスラエル大使館にも抗議に行っているそうだ。人数が少なければ大使館前まで行けて、抗議文は「渡せる」そうだが、イスラエル大使館のやり方は、抗議文=紙を入れるポストなどはなく門の外から内側の地面に投げ入れろというものだそうだ。もっとも、このやり方はずっと前もそうだった。本当に失礼な、傲慢なやり方だ。
ヨーカンさんが規制委員会抗議から回ってきてくれた。温かそうなデニムの素敵な上着を着ていた。今日はすぐ帰られた。
地下鉄のメンテナンスの人が数人で、経産省の敷地内にある地下鉄の排気口の掃除をやっていった。地下鉄トンネル内の汚れた空気と外の空気の入れ替かえがスムーズにいくようにする掃除だそうだ。そういうことをちゃんとやらないとカビが出てしまうそうだ。
午後3時頃にゆうさんが来て、最後まで座ってくれた。Anさんは北海道に住んでいた時ヒグマに出くわしたことがある、熊がビックりして逃げたなどと話してくれた。撤収作業を4人でやって、帰りの運び込みはYさんとふたりでやる。
11月13日(木)
曇り空で少し肌寒い。Inさん、Yoさんと3人で設営、いつもの反原発ソングを流しながら、Yoさんが持参した新聞を読む。新聞は新潟県での柏崎刈羽原発再稼働についての県民意識調査の結果を伝えている。新聞によって調査結果の評価に違いがあるが、いずれにしても新潟県知事は都合のよいように評価して今月中には再稼働同意を表明し、来月2日から始まる県議会で了承を取り付け「県民の信を得た」と称して再稼働に突き進む腹だろう。そのような事態を許してはならない。私は明日11月14日18:15~19:15首相官邸前で「柏崎刈羽原発動かすな」の集会を開く。昨日、新潟在住の男性から「私は巻原発反対運動に参加していた。案内を見てぜひ参加したいと思い、上京して参加するのでよろしく。」との電話をいただいた。期待に応え、明日はしっかり抗議行動をしたいと思う。
13:25 Okさん着。14:00 Suさん着。チラシを取りに来た男性が、伊方原発差し止め訴訟で棄却されたことなどを話し、もし伊方の周辺に地震が来たら原発は沈んでしまうかもしれない、そうしたら海に放射能が散らばって漁業は壊滅してしまう。東京の人達は生活に追われて原発のことにあまり関心がない。もっと現地に行って運動すべきだとひとしきり持論を披露して行った。14:15 Taさん着。最近の熊被害の報道は過剰に思え、どうも怪しいと思っていたら案の定自衛隊の出動などという動きが出て来た。熊の出没は太陽光パネルの過剰設置が原因だというデマを流しているユーチューバーもいる。「気候変動」が原因という説も出始めている。メディア報道には気をつけないといけない、等の話をしているうち時間になり、Suさん、Taさんと3人で撤収し、5178日目の抗議を終えた。
=====今後の集会・行動等==========
◆11月19日(水)総がかり行動 衆議院第二議員会館前
18:30~19:30
◆11月21日(金)経産省前抗議行動
17:00~18:00
◆11月21日(金)原発いらない金曜行動 首相官邸前
18:30~19:45
◆11月24日(月)東海第二原発廃炉デー大集会 13:30~16:05
◆11月28日(金)JKS47月例祈祷会 14:30~16:00
◆12月30(火)~1月1日(木)「学び、遊び、つながる 請戸川河口テントひろば」主催バスツアー実施 申込は杉山さんまで