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太元顕津男の神が「西南の空より下り」と詠んでいるとおり、「太元顕津男の神の神名は、ア声の言霊南西に活(はたら)き給ひて顕れ給ふ神名」(七十三巻「総説」)とある。

また、「太元顕津男の神は大太陰界に鎮まり給ひて至仁至愛(みろく)の神と現じ…瑞の御霊…伊都能売神と顕現し…現身(うつせみ)をもちて」(七十三巻一二章「水火の活動」)とあるとおり、太元顕津男の神はミロクの大神であり、現身(うつせみ)を持たれる出口聖師へと至る。

つまり、「泉の水底の鰻」とは、泥海におられた鱗も角(つの)もない青水晶色の蛇体のミロク様ということになる。

大正五年、国祖の大神がなお開祖に懸かられて出された大本神諭の泥海のミロク様に関する内容が、大正八年、同じく国祖の大神が出口聖師に懸かられて出された伊都能売神諭で詳しく述べてある。さらにその内容を受けた歌が三首、昭和八年に出口聖師が口述された天祥地瑞の中にある。教典の違いはあっても、同じ教えが貫いてあることがわかる。 

○大地の創造

 また、伊都能売神諭では、国祖の神様が、世界を造る手伝いをしたいとミロク様にお申し出になり、「誠忠無比の神であるから世界の一切を委す」と言われ、「土と水とを立別け、山、川、原、野、海を拵(こし)らえたのが地の先祖の大国常立之尊」(『伊都能売神諭』大正八年二月十八日)とある。

 霊界物語では、大地の創造がさらに具体的である。

「もつとも大きな竜体の泳ぐ波動で、泥の部分は次第に固くなりはじめ、水の部分は稀薄となり、しかして水蒸気は昇騰(しようとう)する。そのとき竜体が尾を振り廻すごとに、その泥に波の形ができる。もつとも大きな竜体の通つた所は大山脈が形造られ、中小種々の竜体の通つた所は、またそれ相応の山脈が形造られた。低き所には水が集り、かくして海もまた自然にできることになつた。この最も大いなる御竜体を、大国常立命と称へ奉る」    (一巻二○章「日地月の発生」)

  ○神々の昇り降りの龍宮館

 昨年八月二十七日、瑞生大祭後の七夕祭に参拝した。本宮山に向かって祈った時、大神様との一対一感など、これまでにない気持ちの入(はい)りようを感じた。

「気持ち込め大天主太神(おほもとすめおほみかみ)の御名(おんな)唱える本宮山へ」 (『愛善世界』令和五年十一月号 自作)

実はこの参拝前の八月一日、伊都能売神諭のうち、この文章で引用した箇所を拝読し、「YouTube藤井盛」に配信していた。

 ことに、次の箇所は、七夕祭にも重なる神々の昇り降りが示されており、ここを事前に拝読していたことで、霊地に関する思いが特に強くなった。まさに感謝祈願詞(みやびのことば)にある「言(こと)霊(たま)の助(たすけ)に依りて大神の御(み)心を直覚(さと)り」ということである。

「五六七の大神様と日の大神が…天を固めに御上り遊ばし…綾部の神宮本宮の坪の内、龍宮館の地の高天原…天地の神々が…昇(のぼ)り降(くだ)り…集会を遊ばし…御相談なされた結構な霊地(とち)」 (『伊都能売神諭』大正八年二月十八日)

 なお、大本神諭にも龍宮館での神様の昇り降りの箇所がある。

「綾部の陸(あげ)の龍宮館の高天原には、結構な神が降(お)り昇(あ)がりを成(な)されて、世の立替に付いて歴然(ありやか)と神謀神策(けつこう)な現象(こと)」

(『大本神諭』大正五年旧五月十八日)

 

○陸(あげ)の龍宮「奥の院」

綾部の陸(あげ)の龍宮館の「奥の院」が鉢伏山だとある(『大本七十年史下巻』)。この鉢伏山に昭和二十一年五月二十三日、出口聖師が登られている。その後の七月、最後のご巡教先が紀州路であったが、鉢伏山もどうしても行っておかなければならない霊地であったということである。

日本列島がユーラシア大陸から分離し、日本海ができ、「元の大国常立尊が、竜体を現じて地上の泥海を造り固めてゐられた時のお姿同様」(一巻二一章「大地の修理固成」)に竜の形に形成された約一千五百年前は、地質時代の「新生代・新第三紀」に当たる。

鉢伏山は、これと同じ時代区分の中にある二百五十四万年前の火山活動で噴き出した溶岩からなる山である。陸(あげ)の龍宮で神々が昇(のぼ)り降(くだ)りされ、天地の創造や世の立替えの相談がなされた時代を表徴する意味での「奥の院」という考え方はどうだろうか。

なお、この鉢伏山に平成二十八年十月八日、妻とお参りをした。翌二十九年十月三十日に妻が他界して、まもなく七年目になる。腹の据わっていた妻が今も生きていたら、孫娘の不登校にどう対応していただろうか。

     (令6・10・27記)

◎ 鶏の絵のバーナーを中心に飾った  11月1日(金)前半

11月に入った最初の金曜日でしたが、今日Sさんはお休みで、その代わりにEさんが来て

くれました。最近、金曜日の午前の当番は怪我をしたり、風邪が長引いたり、骨折をした

りと、他の曜日に比べて女性がほとんどとはいえ、余裕のある体制でしたが、やや厳しく

なりました。「金曜日には風邪は引けないぞ」と思いますが、そう上手くも行けません。

今日はEさん含め3人で荷物の準備をしました。

抗議行動の日でもありますので、マイク・スピーカーを持ち、椅子の多めに持って行き(

15〜20個)、2台に分けて運んでいきます。一台にする時もありますが、2台に分けた方

が荷物を作りやすい点があります。チラシも20部セットします。

経済産業省前に行くと、当番の人が二人先に来ていてくれて、準備を始めました。アサコ

ハウスの鶏の絵があたらしく入りましたので、それを中心にして飾りました。他の曜日の

人の記録を見ると裁判帰りの人が寄ったという記事もあります。しかし、最近、金曜日は

椅子をたくさん並べますが、来る人はほとんどありません。

1日は午後2時過ぎにHさんが早めにきてすわっていました。3時ころ「早く後半の人が

来ないかな」と思いつつ時計をみていました。「雨がふる」という予報があったのですが

、幸い、雨はふらなかったので、濡れずにすんだ半日でした。

◎ 女川再稼動に反対・きっと事故が起こる 11月1日(金)後半

仙台から旧知の笹氣さんが座込み、最高裁包囲と女川再起動と明日の「動かすな!女川原

発11.2集会」の話をし、先々週に女川の土屋聡さんが描いたニワトリポスターの前で写真

撮影。

杉崎さんの「原発再稼動反対」の歌と「原発に明日が無い」の歌で抗議行動開始。

衆議院が自公過半数割れで終了、八王子で開票立会を経験し21区では大河原さ

んが勝ったが、24区で萩生田に有田さんが小差で負け残念、国民民主玉木さんの動きが

気になる。10月29日に女川原発が再起動、昼に首相官邸前で少人数ながら抗議行動、

現地でも行動があった。10月31日に規制委定例会議でUPZ屋内退避3日間の実効性無

き原子力災害対策指針改訂案論議。本日は「最高裁は口頭弁論を開け!東電元経営陣の刑

事責任を問う集会」第9回最高裁行動と、午後に日比谷野音で狭山事件の再審を求める市

民集会。経産省前テントひろばの毎月経産省申入れの10月文を紹介。

佐藤保さん(月曜日水曜日の座込み):狭山裁判集会に参加、証拠開示を裁判所に要求し

明らかになってきて、再審請求。経産省に反省しろと12年半の座込み。このところの経

産省の原発推進は許せない。絶対失敗する。40年で設計したのを20年以上延長もひど

い。抗議し続ける。

漆原さん:311子ども甲状腺裁判の9月11日の意見陳述から、当時高校生だった原告

の一人が野外を自転車通学し牛乳を飲んでいた。19歳で甲状腺がん罹患、きつい針の検

査、手術後起き上がれず、再発への恐れ。過剰診断の誤りと100mSv安全の誤りを指摘

。9月16日のさようなら原発代々木集会で阿部ゆりかさんが同世代の原告の多くの方が

再発したりする過酷な状況、一人は4回目のアイソトープ治療を受けた人の厳しい治療の

様子を訴えた。子ども脱被ばく裁判が最高裁で争われており11月2日に新宿で集会デモ

を行う、ご参加を。

白倉さん:PFASと原発に関係あり。永遠のプラスチックと言われているPFASは193

8年にデュポン社が発明、マンハッタン計画でウラン濃縮で発見間もないPFASが難題を解

決して有用性を確認、原発も戦争も要らない。福島第一原発と同じ沸騰水型で被災した女

川原発が再起動された。事故原因もまだ分かっていないのに。きっと事故が起こるでしょ

う。事故が原発を止めてくれれば良い。13年間原発を止めようと声を上げている。頑張

ろう。

K.M:横田基地からPFAS、岡山県のある町で「今日から水道水を飲まないでください」

。戦争の道具の害を注視。

平岡さん:選挙後、野党が危うい。玉木国民民主党は口では連立に参加しないといいなが

ら、政策は原発推進で自民党と変わらない。野田立憲も心配、11日まで注視しよう。米

大統領選ではハリスよりトランプ有利に。事故機と同じ女川原発の再稼動は危険。東電元

会長勝俣氏が死去、野党勝利の中で原発反対の声を高めよう。

守屋さん:国民民主党よ、いくら手取りが増えても原発事故が起こったらどうしようもな

い。戦争が起こったらどうしようもない。幸せに暮らせる大前提は、平和と汚染されてい

ない環境があること。経産省よ私たちの命と健康を守れ。

と訴え、「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。

乱さん:29日に12時から女川原発再稼動反対の緊急少数首相官邸前行動を評価。同日

午後に放射性物質の検査数値の改ざん問題の大津漁協不当解雇訴訟が結審。今日も午前に

最高裁抗議があり狭山事件の集会があった。30万人以上の不登校の生徒、学校教育が破

綻。関西生コン「週刊実話」裁判が11月6日に東京地裁であり、武健一さんが報告。今

度の選挙結果から、戦後革新勢力が展望を持っていない。志をより高く持って視野をもっ

と拡げてやれることをして、勉強をもっとして、頑張ろう。

<命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、再稼動反対、運転延長反対、女川原発再稼働反対

、島根原発再稼働反対、柏崎刈羽再稼働反対、東電に原発動かす資格は無いぞ、電気は足

りているぞ、原発動かすな、経産省は嘘をつくな、核のゴミを増やすな、使用済み核燃料

を増やすな、労働者に被曝させるな、NONUKES、ガザ虐殺を直ちに止めろ、NOWAR>コールで終了。

片付けは平岡さんと私でゆっくりとやった。私には明くる土曜に両肩の痛み。

◎ 新たな段階に入ったイスラエル占領政策 11月2日(土)

・長期にわたる国際社会の懸念が生んだもの

イスラエル国会はUNRWAの「国内」での活動を禁止する法案を可決した。またイスラエル

当局との接触を禁止し、国連職員としての外交特権も取消す。これは2007年のガザ封鎖以

降から続く、ガザ地区を居住不可能にするイスラエルの占領政策は新たな段階に入った。

パレスチナ難民の登録者は次のとおり。

ガザ地区148万人、2023年時点

西岸地区87万人2021年時点

レバノン49万人2023年時点

シリア57万人2022年時点

ヨルダン231万人2023年時点

イスラエルが「国内」の範囲を、つまり国境を明確にしているのか否かが焦点だ。

◎ 最後まで責任取らなかった勝俣東電会長 11月4日(月・祝)

きょうは朝から晴れて昼間は気温も24℃で穏やかな天気であった。セッティングを終えて

直ぐに反原発ソングを掛けて、ときどき通る人たちにアピール。

 1時半過ぎにHi・Suさんが来られた。このところ忙しいようで久しぶりの再会である。

 2時頃に通りかかった人から「福島出身の人たちか?」と聞かれたので、テントニュー

スを渡しながら話をした。①最後まで責任を取らずに死んだ勝俣元東電会長―東電内で「

天皇」と言われた人物、国の研究機関からの警告を無視して、防災対策をしなかった故に

東日本大震災での原発事故を招いてしまった張本人として人々に記憶されている人物―の

こと、②緊急停止した女川原発のこと、③「誰も責任を取らない」ということでは戦前か

らの日本支配層の伝統!がまかり通っているから、経産省がこれほど時代錯誤の原発政策

をやって恥とも思わなくなっていること等々。

2時半過ぎに乱さんが来られた。女川原発が緊急停止したことに因んでものした川柳を2句

披露してくれた。

  『再稼働 無理と女川ギブアップ』『再稼働たった6日でダウンする』

 乱さんから「ALUKU」ということミニコミ誌を紹介された。霞が関一帯の名所旧跡が写

真入りで紹介されている。乱さんの一番の押しは田中正造が天皇に直訴した日比谷交差点

の写真、通りがかりに手に取ってみたらよいかと思います。

3時になったので4人で片づけをして撤収した。しばらく事務所で雑談をして事務所を後に

した。

◎ たった5ミリ、数グラムのデブリの取り出し大騒ぎの事か 11月6日(水)

寒い。セッティングを始めるのが早かったので、12時には終って座り込み開始。朝NHKの

ニュースで福島第一の2号機から、デブリを5ミリ、数グラムを取り出したというニュース

をやっていた。今後、核種等々の分析を大洗にある施設に運んで、1年だかかけてやると

言っていた。5ミリなのかヨと思った。東京新聞には、「5センチの小石状」と書いてあっ

た。5ミリと5センチでは相当違う。NHKはその後も5ミリと言っている。「デブリの取り出

しに成功」というけれどデブリは880トンある。報道も必ず880トンをいう。「デブリの取

り出しを始めるので場所が必要なので汚染水の入ったタンクを撤去しなければならない。

海に流す」ということで海に流し始めたのだが、一体いつ撤去されたデブリが敷地を埋め

るのか。誰がその作業をするのか。そういう話を当番でしあった。女川原発も再稼働しよ

うとしたが「トラブル」で4日に停止したそうだ。原発はやめろ。

足の悪い鳩だけが来た。おむすびの米粒を少しやった。一挙に寒くなった。Wさんは大き

なストールを巻いていた。Hさんが2時から国会前で共謀罪反対の抗議行動があるのでと、

座り込みに参加してくれた。Hさんは「上着を着てこなかったのは失敗だった、寒い、で

も大丈夫だ」と言って、1時30分過ぎに国会前に向かった。

今日は関西生コンの『週刊実話』ねつ造記事裁判があって、午前午後と1日中、証人尋問

などが行われているそうだ。アメリカ大統領選の開票でトランプ優勢というニュースを聞

きながらの座り込み。

◎ 秋晴れのすがすがしい陽気だが、風が強くて苦労した 11月7日(木)

Yoさん、Inさんと3人で設営。秋晴れのすがすがしい陽気だ。しかし風が強いため、いつ

もの汚染水放出反対の横断幕がポールごと車道側に飛ばされてしまった。それで、設置を

あきらめた。通りかかった男性が黙ってカンパを入れてくださった。13:15

Suさん、Hiさん参加。13:50

火曜日にメールで予告があった通り、HaさんとIshさんが車で乗り付け、17日の「ひまわ

り集会INしずおか」で使うためのバナーを2枚(10月18日に経産省前で土屋さんが描いた

鶏の絵と女の子の絵1枚)を借りて行った。

Ishさんはお土産にウナギパイを置いて行ってくださった。14:00前、Yoさんは「マイナ

カード反対デモに行く」と言って退出した。入れ替わりで

Okさん参加。私はYoさんから預かっていたお裾分けの銀杏をOkさんに渡す。Okさんが「ど

うやって食べたらいいかわからない」と言うので、Inさんがレンジでの調理法を伝授した

。今は青森市議をしているOgさんが、以前、国会周辺で拾った銀杏を販売していた際、説

明書にその調理法を書いていたという。続いて後半担当のTaさんが到着したのでバトンタ

ッチした。

========投稿=========

*経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その232

核ナショナリズムが推進する核発電と核兵器を止めよう

~山本義隆<核燃料サイクルという迷宮〜核ナショナリズムがもたらしたもの>から(4

)*~  2024年11月7日 

核兵器と核発電(原子力発電)との関係が非常に重要になってきた。何度も紹介してきた

山本義隆さんの本からその議論を紹介する。

*岸伸介の潜在的核武装論*(同書2.4)

・日本における核開発・原発推進の基底には、核ナショナリズムに導かれ裏打ちされた「

潜在的核武装」という政治路線が連綿と引き継がれていることを直視しなければならない

・核技術の保有それ自体が疑似軍事力の保有なのであった。

・戦前に「満州国」の経済開発、そしてその後の戦時統制経済を指導し、1941年より東条

英機内閣の商工大臣を務めて日米開戦の詔書に署名し、戦後A級戦犯容疑で逮捕されたも

ののなぜか不起訴になり、その後政界に進出し、57年2月に内閣総理大臣に登りつめた岸

信介が、<核技術を保有することこそが、核戦争時代の軍事力の基盤を形成する>、<平

和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる

>と表明した。・岸は首相に就任した3か月後の57年5月7日に参議院で、また14日には外務

省記者クラブで、<自衛の範囲内であれば核兵器の保有は合憲だ>と表明している。

*中国の核実験をめぐって*(同書2.5)

・中国核実験に早くに反応した学者が核「密約」の若泉敬で、「核兵器はこんにちでは、

第一義的に政治的・心理的兵器であるといえる」と表明。

・日本の核武装の疑惑を払拭する唯一の道、すなわち日本は将来的にも核武装に手を出す

ことはないという外国にむけての明確なメッセージの表明は、ドイツがやったように、脱

原発を宣言し、原発依存から撤退することしかない。・潜在的核武装を目的として核技術

の開発が政治的に位置づけられたならば、核開発および原子力発電における経済性はもと

より、安全性までもが二の次、三の次の問題にされてしまう。

*核不拡散条約をめぐって*(同書2,6)

・佐藤栄作は、沖縄返還協定をめぐる交渉をとおして、沖縄への核兵器搬入の「密約」を

含めて、米国からの「核の傘」提供の約束を引き出し、他方で国内向けに「核兵器を作ら

ず、持たず、持ち込ませず」の「非核三原則」を語ることになる。

・ウラン235原爆に比べてプルトニウム原爆は10分の1ぐらいの費用で作られ、資源

や経済に大きな負担にならない。

・核燃料サイクルの稼働でもって潜在的核武装論は自己完結する。

・日本における核武装研究は1960年代後半から、政府内で極秘裏に進められるようになっ

た。

・アイゼンハワー演説に最初に呼応したのは、国家主義的な政治家であり、そして戦前に

統制経済を指導した官僚であり軍需産業を担った財閥系企業であった。彼らは核に戦後の

復活のシンボルを見たのであった。

・政治家はそこに「一等国」への道を、官僚は電力国家管理の回復を、そして財閥と電力

会社は大きなビジネスチャンスを見出した。…。財閥大企業は原子力発電に疑似軍需産業

を見たのである。

・こうして原子力ムラが形成され、核燃料サイクルの建設という国策が決定された。その

背後にあったのは核ナショナリズムであり、その動きを導いた潜在的核武装という政治路

線だった。

 さて、「核の潜在的抑止力」のために原発維持をと主張していた石破茂が首相になり、

既に核兵器を保有している中国、北朝鮮、ロシアなどの国から日本を保護し続けるには費

用がかかりすぎと主張し、「日本が独自の核兵器を開発すべきだ」と提案(2016年3月29

日)したトランプが米国大統領に選出された。 何としても、*核ナショナリズムが推進

する核兵器と核発電と核燃料サイクルを終わらせなくてはならない*。

=====添付資料======

・原発週報2024.10.31~10.05 編集:漆原牧久

=========デモ、集会==========

◆11月13日(水)

12時~13時 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動(六本木ファーストビル前)

◆11月15日(金) 17時~18時 経産省前抗議集会(毎週)

経産省前テントひろば経産省正門 ◎経産省前の座り込み行動は、平日:12~16

時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時

◆11月15日(金)第41回「原発いらない!金曜行動」(首相官邸前)

 福島第一原発の核汚染水海洋投棄を中止せよ!

老朽原発うごかすな!東海第二原発再稼働するな! フクシマは終わっていない!

18時30分より19時45分、首相官邸前、「原発いらない金曜行動」実行委員会、定例:毎月

第3金曜日

◆11月15日(金) 月例祈祷会「死者の裁き」 (JKS47士)

会場:経産省前テントひろば

14:30 ~  芸能の時間 14:50 ~ 「月例祈祷会」 厳修  

◆11月17日(日) 13h30-15h30 (13h00開場)

伴英幸さんを偲ぶ会。日暮里サニーホール(荒川区日暮里5-50-5

アートホテル日暮里ラングウッド4F)

◆11月22日(金) 17h00-18h00、経産省前テントひろば、抗議集会

◆11月24日(日) 脱原発青空テントひろば川柳句会

12時~ 経産省前テントひろば 選者:乱鬼龍

◆11月30日(土) 18h30― 『東海第2原発をいまこそ廃炉へ!』

データー改ざん・欠陥工事の隠蔽・財政破綻の日本原電に原発を動かす資格はない。文京

区民センター3A会議室。とめよう!東海第2原発首都圏連絡会

◆いま、吉本隆明を問うー生誕100年祭

1. 隆明の「少年時代」を探索する

と き 11月7日(木)10:00~13:00 (了)

2. テーマ「吉本隆明と三島由紀夫 ― 天皇制をめぐって」

11月14日(木)17:00~21:00(開演 17:30)

登壇者 富岡幸一郎(文芸評論家)・安藤礼二(文芸評論家)

会場「渋谷 LOFT9 Shibuya」 参加費:2,000円(ドリンク代別)

3. テーマ「吉本隆明と60年安保闘争・全共闘運動」

11月19日(火)17:00~21:00(開演 17:30)

会場「渋谷 LOFT9 Shibuya」 参加費:2,000円(ドリンク代別)

4. 総合テーマ「いま、吉本隆明を問う」

11月23日(土・祝)12:30~16:40(開演 13:30)

会場:日本教育会館(一ツ橋ホール)8F 会場整理費2,000円

『霊界物語』一巻から六巻までに王仁三郎の口を通して筆録されている。これは国常立尊の御退隠にかかわるあたり、神代の昔、素盞鳴尊が高天原を追放される記紀神話にどこか似ている。相応の理により、地上霊界の主宰神である国常立尊の動向は、地上現界の主宰神素盞鳴尊の行為に投影されるのか。

この先語られる神代史はまさに記紀神話を裏返し、問い直す対抗神話といえる。

『古事記』では、素盞鳴尊は、父伊邪那岐尊に命じられた大海原を治めきれず、ただ手もなく長い年月を泣きわめく。あげくに父神にとがめられ、地上を捨てて荒々しく高天原に上り、姉である司神天照大神に抵抗し、乱暴狼籍(らんぼうろうぜき)を働く。たまりかねて姉神は岩戸にこもり常暗の世を招くに至って、万神は智恵をかたむけ岩戸を聞き、素盞嗚尊を弾劾の上、追放する。何ともあきれはてた悪神なのである

しかし高天原を追われて出雲国に降った素盞嗚尊は、どうしたことか突如、詩的で英雄的な神に変神する。粗暴で無能で女々しくて何ひとつ取柄のなかった神が、ここでは恐ろしい八岐の大蛇を退治して悪の根を断ち、櫛名田(くしなだ)姫を救け、大蛇の尾から出た名刀を天照大神に献上する。勇気凍々、優れた智謀、果断な処置、自分を疑い追放した姉神へさらりと向ける崇敬の志。

出雲の地に須賀宮を建て、妻を得た喜ぴを

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と美しい歌に託す詩情。いったいどちらの素盞鳴尊が実像なのか

素盞鳴の 神世にいでてはたらかば がぜんこの世は浦安の国

伊邪那岐の 神の鼻より現れましし 素盞鳴の神先端の神

先端の 先端をゆく素盞鳴の 神のいでます世とはなりけり

素盞鳴と いう言霊は現代語の 先端を行く百破戦闘よ

蓑笠を つけて国々まわりつつ 霊魂しらべし神ぞとうとき

素盞鳴の 神は神代のエロの神 三十一文字で世をならしましぬ

八雲たつ いづも八重垣つまごみにの 歌の心を知れる人なし

素盞鳴の 神の始めし敷島の 歌は善言美詞(みやび)のはじめなりけり

素盞鳴の 神にならいて吾今に、歩みつづくる敷島の道

海原を 知らせと神のメッセージ いまにまったき素盞鳴の神

さらにまた年をへて、違った素盞鳴尊の顔がある。根の堅州国に住んでいた時のこと、大国主命は悪逆非道の兄弟八十神から逃れて、その祖である素盞鳴尊のもとへ逃げこむ。そこで尊の娘須勢理姫と一目で恋におちる。

素盞鳴尊は大国主命を蛇の室、翌夜はムカデと蜂の室に寝かせた上、野火を放ってあやうく焼き殺そうとする。そのやり方はまことに乱暴で意地が悪い。大国主命は姫や野鼠の助けを得て、これらの難問を無事に切り抜ける。素盞鳴尊は頭のシラミをとらしているうち、寝てしまう。大国主命は姫と共謀して、寝入った素盞鳴尊の髪を垂木(たるぎ)に結びつけ、巨岩で戸をふさぎ、生太万(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)と天(あめ)の詔琴(のりごと)(政治的、宗教的支配力の象徴)を盗み出し、須勢理姫を背おって逃げ出す。

天の詔琴が木にあたって鳴り響く。目ざめた尊は室を引き倒し、結びつけられた髪をとかして黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いつめ、遠く逃げゆく二人に叫ぶ。

「そのお前が持って出た生太万、生弓矢で八十神どもを追い放ち、国の支配者となって、わが娘須勢理姫を正妻となし、宇迦(うか)の山に立派な宮殿を造って住めよ、こやつめが」

髪の中に無数のムカデを飼っておくような、見るも恐ろしい素盞鳴尊。その婿を試す方法はいかにも荒っぽい。しかし最後のせりふにこもる深い情愛はどうであろう。可愛い娘と生命ともいうべき宝を盗んで逃げる男に向って、「こやつめが」と投げる一言に、無限のいとおしみがあふれでいるではないか。

数々の試練をくぐり抜けて自分をあざむいた男に対して、その資質を審神し、娘との愛をもたしかめ、盗んだ宝を与えて、その未来を指示し祝福してやる。なんと行き届いた舅であろうか。

素盞鳴尊は救世主神

大本では、素盞鳴尊を瑞の御霊の救世主神であり、購い主として仰ぐ。これは明治政府の宗教政策により作為された皇室の祖神天照大神を仰ぐ、神道系宗教に見られない神観である。霊界物語では一巻から六巻まで、艮の金神国常立尊を主軸にして、神代が展開する。だが一五巻からは、完全に主軸が素盞鳴尊に移動するのである。

なぜ大本ばかりは、世間のいう悪神、崇り神を信仰するのか。出口直にかかった良の金神ばかりか、王仁三郎にかかる素盞鳴尊まで。

王仁三郎は、素盞鳴尊が犯した罪について、言霊学上から独特の解釈を示す。

悪盛んにして天に勝つ。地上神界ですら、すでに国祖の威霊は封ぜられ、天地の律法は名ばかりの世であった。伊邪那岐大神の神命を受けて素盞鳴尊が地に下った時、合せ鏡である現界は手がつけられぬばかりに乱れていた。もともと軽い清らかなものは天になり、重く濁ったものが沈んで積み重なり地を造った。その成り立ちから体的なのだ。当然、肉体を持つ地上人類の体的欲望は激しい。

霊的性能が体的性能に打ち克つための、すなわち霊主体従の素盞鳴尊の神教など、血を吐くほどに叫んでも、体主霊従に堕した人々には通じない。その心痛は「八拳須(やつかひげ)心の前に至るまで」泣くほどであった。治まる時には治めずとも治まるが、治まらぬ時にはどんな神が出ても治まらぬ。

父伊邪那岐大神のお咎めに対して、素盞鳴尊は一言の弁明もせず、地上人類の暴逆や不心得をも訴えず、罪を一身にかぶって引退する覚悟であった。咎める伊邪那岐大神も、貴のみ子の苦衷を察せられぬはずはない。しかし人類を傷つけまいとされる尊の誠をくみとられ、「いま、わが子一人に罰を与え罪人としたならば、人類も悪かったと気づいてくれよう」との悲願をこめ、涙をのんで追放される。

八束髭 わが胸先に垂るるまで 嘆き玉いぬ天地のために

素盞鳴の 神は地上を知らすべき 権威持たせり惟神にして

素盞鳴の 神の恵みに村肝の 心せまりて涙こぼるる

変性男子と変性女子

素盞鳴尊は地上を去るにあたり、姉天照大神に別れを告げるべく高天原へ上る。地上は統治者を失って、大変な騒ぎである。天照大神はその騒ぎに、弟神が高天原を奪りにくると疑い、もろもろの武備を整え、おたけび上げて待ち受ける。

「私に邪(きたな)い心はない。ただ事情を申し上げたいばかりに参ったのだ」と告げても、疑いはとけぬ。

素盞鳴尊の心の潔白を証明するために、天の安河原での誓約の神事を申し出る。天照大神は素盞鳴尊のもつ剣をとって三つに折り、天の真奈井にすすぎ、かみにかんで吐き出す息から三柱の女神が生まれた。素盞鳴尊が天照大神の髪や左右の手にまいた珠をとって同じくかんで吹き放つと、五柱の男神が生まれた。そこで天照大神は告げる。

「あとに生まれた五柱の男神は私のもっている珠から生まれたからわが子、先に生まれた三柱の女神は汝の剣から生まれたから汝の子である」

この御霊調べの結果、天照大神は五つ(厳)の男霊、すなわち厳(いづ)の御霊(みたま)であり、女体に男霊を宿すから変性男子。素盞鳴尊は三つ((瑞)の女霊、すなわち瑞の御霊であり、男体に女霊を宿すから変性女子と判明する。

変性男子、変性女子は大本独特の筆先用語であり、神界の都合で国常立尊、のちには男霊である天照大神の霊魂の湿る出口直を変性男子といい、逆に豊雲野尊や女霊である素盞鳴尊の霊魂を宿した王仁三郎を変性女子という。また直を厳の身魂、王仁三郎を瑞の身魂とも呼ぶ。

天照大神が素盞鳴尊の心を疑ったことについて、王仁三郎は述べる。

「元来、変性男子の霊性はお疑いが深いもので、わしの国を奪りにくる、あるいは自分の自由にするつもりであろう、こう御心配になったのであります。ちょうどこれに似たことが、明治二五年以来のお筆先に非常にたくさん書いてあります。変性女子(王仁三郎)が高天原(綾部)へきて破壊してしまうといって、変性女子の行動に対して非常に圧迫を加えられる。また女子が大本全体を破壊してしまうというようなことが、お筆先にあらわれております。・・・大本教祖(出口直)も変性男子の霊魂であって、やはり疑いが深いという点もあります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生(みこうみ)の誓」)

王仁三郎は、皇室の祖神とされる天照大神を批判し、その対抗神である素盞鳴尊を愛の神として捉えている。善と悪とは相対的であり、一方を善とすれば、他方は悪となる。今日まで、皇室の祖神天照大神は善の象徴として考えられていたが、はたしてそうだろうか。

安河に 誓約の業を始めたる 厳と瑞との神ぞ尊き

八洲河の 誓約になれる真清水は 罪ちょう罪を洗い清める

疑いと武力が紛争の種

素盞鳴尊が地上を追われたのには、より深い原因があったことを、王仁三郎は『霊界物語』の中で一庶民の噂話にことよせ述べている。

「天の真奈井からこっちの大陸は残らず、素盞鳴尊の御支配、天教山の自転倒島から常世国、黄泉島(よもつとう)、高砂洲は姉神様がおかまいになっているのだ。それにもかかわらず、姉神様は地教山も黄金山も、コーカス山もみんな自分のものにしようと遊ばして、いろいろと画策をめぐらされるのだから、弟神様も姉に敵対もならず、進退これきわまって、この地の上を棄(す)てて月の世界へ行こうと遊ばし、高天原へ上られて、今や誓約とかの最中だそうじゃ。姉神様の方には、珠の御徳から現われた立派な五柱の吾勝命(あかつのみこと)、天菩火命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)という、それはそれは表面殺戮(さつりく)征伐などの荒いことをなさる神さまが現われて、善と悪との立別けを、天の真奈井で御霊審判(みたましらべ)をしてござる最中だということじゃ。

姉神様は玉のごとく玲瀧(れいろう)として透きとおり愛の女神のようだが、その肝腎の御霊からあらわれた神さまは変性男子の霊で、ずいぶん激しい我の強い神さまだということだ。弟神様の方は、見るも恐ろしい十握(とつか)の剣の霊からお生まれになったのだが、仁慈無限の神様で、瑞霊ということだ」(『霊界物語』一二巻二五章「琴平丸」)

いわば天照大神は疑い深く、我が強く、弟神の領分まで侵略したがるほどに欲深く、殺戮征伐を好む神になる。素盞鳴尊がなすすべもなく泣いていたわけであろう。

これが口述されたのは大正一一年三月一一日、大日本帝国はシベリアに出兵、軍備を強め、仮想敵国を作って牙をとぐ頃。しかも王仁三郎は第一次大本事件で投獄され、開祖出口直の墓はあばかれ、神殿はこわされ、不敬罪に関われている最中である。よくもまあ、これが酷(きび)しい検聞の目をくぐり抜けたものである。

視点をかえて見れば、天照大神の行為そのものにも首をかしげたくなる。お別れの挨拶がしたいという弟神の心を察する前に、ソク武力を整える。天界と地界は合わせ鏡、手のつけられぬ地上の乱れの原因を知り、その立て直しの方策を考えるのに一度高天原を見たかった・・・そう思いやることがなぜできなかったろう。

今日でも「疑い」が、大は仮想敵国をつくり上げる国際問題から小は家庭のいざこざまで、どれほど多くの紛争の種を撒(ま)いていることか。それを清くあるべき高天原の主宰神がまず犯された罪は重大である。

しかもその疑いの解決を、まっさきに武力に求めようとした。この体質は省みられず、帝国日本に引き継がれ、尾を引いた。口述の翌一二年関東を襲った大地震には朝鮮人暴動の疑いをかけ、数千人を殺している。その後も二度にわたる世界大戦や幾多の愚かな戦争のくり返しが、人類をどれほど悲惨な状況におとしいれてきたことか。さいわい神代では、素盞鳴尊の言霊と誓約によって、あやうく地上軍との武力衝突こそ避けられたが。

素盞鳴尊は「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば、自ら我勝ちぬ」(これで私の清明潔白なことは証拠立てられた。私の心の綺麗なことは私の魂から生れた手弱女によって解りましょう。従って、私の勝です)といい、勝ちのすきびに乱暴をする。これについて王仁三郎は、地上から従ってきた素盞鳴尊の従神たちの集団行為だという。主である素盞鳴尊があらぬ疑いをかけられた無念を、その潔白が晴れたとたんに爆発させたのだ。

素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、天の磐戸隠れの騒動を仕組んだのは、ウラナイ教の高姫ということが霊界物語に記されています。

第一八章  婆々勇(ばばいさみ)〔五八五〕

 高姫、黒姫、蠑螈別を始め、一座の者共は折から聞ゆる宣伝歌の声に頭を痛め、胸を苦しめ、七転八倒、中には黒血を吐いて悶え苦しむ者もあった。宣伝歌は館の四隅より刻一刻と峻烈に聞え来たる。

黒姫『コレコレ蠑螈別サン、高姫サン、静になさらぬか、丁ン助、久助その他の面々、千騎一騎のこの場合、気を確(しっか)り持ち直し、力限りに神政成就のため活動をするのだよ、何を愚図々々キヨロキヨロ間誤々々するのだい。これ位の事が苦しいやうなことで、どうして、ウラナイ教が拡まるか、転けても砂なりと掴むのだ、ただでは起きぬと云ふ執着心が無くては、どうしてどうしてこの大望が成就するものか。

変性女子の霊や肉体を散り散りばらばらに致して血を啜り、骨を臼に搗いて粉となし、筋を集めて衣物に織り、血は酒にして呑み、毛は縄に綯ひ、再びこの世に出て来ぬやうに致すのがウラナイ教の御宗旨だ。折角今迄骨を折つて天の磐戸隠れの騒動がおっ始まる所まで旨く漕ぎつけ、心地よや素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、今は淋しき漂浪(さすらい)の一人旅、奴乞食のやうになつて、翼剥は)がれし裸鳥、これから吾々の天下だ。

この場に及んで何を愚図々々メソメソ騒ぐのだ。高姫さま貴女も日の出神と名乗った以上は、何処迄も邪が非でも日の出神で通さにやなるまい。

憚(はばか)りながらこの黒姫は何処々々迄も竜宮の乙姫でやり通すのだ。蠑螈別さまは飽までも大広木正宗で行く処までやり通し、万々一中途で肉体が斃れても、百遍でも千遍でも生れ替はってこの大望を成就させねばなりませぬぞ。エーエー腰の弱い方々だ。この黒姫も気の揉める事だワイ、サアサア、シ’ャンと気を持ち直し、大望一途に立て通す覚悟が肝腎ぢや。

(大正一一・四・三 旧三・七 加藤明子録)

天の岩戸ごもり

高天原の神々は、天照大神に素盞鳴尊の従神たちの暴逆を訴える。だが天照大神は、誓約によって弟神の潔白が明らかになった今、激しく後悔されたであろう、だから今度は、しきりに弁護する。

「神殿に糞をしたといって騒ぐけれども、あれはきっと、酒に酔って何か吐き散らしたまでのことでしょう。田のあぜや溝をこわしたというのも、耕せば田となる土地をあぜや溝にしておくのは惜しいと

思つてのことでしょう。わが弟のしたことですから」

だがかばい切れぬ事件が起こった。

清めぬいた忌服屋(いみはたや)では、天照大神のもとで織女たちが神に捧げる御衣を織っていた。その時、御殿の棟がこわされて、その穴から火のかたまりのようなものが落ちてきた。逆はぎにはがれた天の斑馬(ふちこま)ではないか。逃げまどう織女たちの絶叫、梭(ひ)に陰上(ほと)をついて死ぬ織女。なんと、天井の穴からのぞき見ているのは、弟素盞鳴尊の髭面ではないか。

あまりのことに思慮を失った天照大神は、天の岩屋戸に閉じこもってしまう。これによって高天原は常闇の世となり、荒ぶる神々はここぞと騒ぎまわり、禍という禍はことごとに起こった。

天の斑馬(ふちこま)を逆はぎにはいで落としたのは、明らかに素盞鳴尊自身である。こればかりは、弁護の余地さえなさそうだ。それにしても、安河原の誓約(うけい)では確かにやさしい魂をもっ素盞鳴尊が、なぜわざわざ姉の面前で、そのような残虐行為に出たものか、その矛盾がひっかかってならない。これについては、王仁三郎はなぜか口をとざして語らぬ。代って私が推理しよう。

素盞鳴尊の従神たちの乱暴を神々が訴えた時、天照大神は弟神をかばい過ぎてしまった。厳然として天地の律法を守らねばならぬ高天原の主宰神が、天則違反を犯す天下の大罪人(部下の罪は主人の罪の意で)を、いとしい弟だからと見すごしてはならない。それは天地の神々へのしめしもつかず、律法は内側から崩れてゆこう。だからこそ父伊邪那岐尊は、涙を呑んで貴の子を追放されたものを。姉神がかばえぱかばうほど、素盞鳴尊は苦しんだであろう。姉神をその重大な過失から救い、従神たちの天つ罪をつぐなって、傷ついた律法の尊厳を守る手だては「部下の罪は私の罪だ。どうか私を罰Lて下さい」とまともに申し出ても、理性を失っている神は聞き入れまい。

素盞鳴尊のとるべき道は一つ。姉神の面前でのつぴきならぬ怒りを買うのだ。万神の激怒をわが身一神にふりかえて処罰させる。それしかないではないか。ところが天照大神はしょせんは女神。素盞鳴尊の深い志を察して罰を与えるゆとりすらなく、

天職も誇りも捨てて岩戸へこもってしまわれた。王仁三郎がこの事件について口ごもるのは、触れようとすれば非を皇室の祖神天照大神に重ねて帰せねばならない。

しかし王仁三郎は、天照大神と機について、重大なことを示唆している。

「ここで機を織るということは、世界の経論ということであります。経と緯との仕組をしていただいておったのであります。すると、この経綸を妨(さまた)げた。天の斑馬、暴れ馬の皮を逆はぎにして、上からどっと放したので、機を織っていた稚比売(わかひめ)の命は大変に驚いた。驚いた途端に竣に秀処(ほと)を刺して亡くなっておしまいになったのであります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生の誓」)

単に血だらけの馬を落として驚かす単純な悪戯などではない。素盞鳴尊が天照大神の経輸を妨害したと、王仁三郎はいっている。もしそうであれば、まさしく素盞鳴尊は天下の大罪人である。が、も一つ底があるかも知れない。合せ鏡の元、天照大神の経論そのものが国祖の律法から見て間違っているとすれば・・・。

瑞御霊(みずみたま) 千座(ちくら)の置戸を負わせつつ 世人の犠牲と降りましけり

機の仕組

筆先には、「機の仕組」について、しばしば説かれている。「にしきの機の下ごしらえであるから、よほどむつかしきぞよ。このなかにおりよると、魂がみがけるぞよ。みがけるほど、この中は静かになるぞよ。機の仕組であるから、機が織れてしまうまでは、なにかそこらが騒々しいぞよ。にしきの機であるから、そう早うは織れんなれど、そろうて魂がみがけたら、機はぬしがでに(一人で)織れていくぞよ」明治三三年旧八月四日(『大本神諭』「第二集L)

にしきの機とは、綾錦の布を織ることをさすが、みろくの世に至る道程を、さまざまに織りなしていく人々の苦節を色糸にたとえ、象徴的に表現したものであろう。機は経糸と緯糸で織り成されるが、

出口直と王仁三郎のふたつの魂の要素ともいうべきものが、経と緯の関係になぞらえる。

経糸 出口直     艮の金神  変性男子  厳の御霊

緯糸 出口王仁三郎 坤の金神 変性女子  瑞の御霊

対立し、ぶつかり合い、からみ合うふたつの個性や生きざまの鮮やかな対照がいつのまにやらそのまま組みこまれて、大本の教義を成していく。直にかかる神の啓示と王仁三郎にかかる神の教えが、火と水、男子と女子、父と母、天と地、小乗と大乗、ナショナルとインターナショナルというように、まったくあい反しながら、機の経糸、緯糸となって織りなされてゆくのである。

「古き世の根本のみろくさまの教えをいたさなならん世がまいりきて、にしきの機のたとえにいたすのは、変性男子のお役は経のお役で、初発からいつになりてもちっとも違わせることのできんつらい御用であるぞよ。変性女子は機の緯の御用であるから、きとくが落ちたり、糸がきれたり、いろいろと綾のかげんがちごうたりいたして、何かのことがここまでくるのには、人民では見当のとれん経綸がいたしてあるから、機織る人が織りもって、どんな模様がでけておるかわからん経論であるから、出来あがりてしまわんとまことの経論がわからんから、みなご苦労であるぞよ」大正五年旧九月五日(『大本神諭』「第五集」)

この筆先には、経緯の役目の相違がはっきりと示されている。経糸は、いったんピンと張り終ると、後はびくとも動くことはできぬ。それが経糸の役目である。

国祖国常立尊の至正、至直、至厳なやり方に対して不満の神々が天の大神に直訴する。天の大神もついに制止しきれず、「もう少し緩和的神政をするよう」説得したが、国祖は聞き入れぬ。もしそこで聞き入れてゆるめれば、機の末は乱れきるのが目に見える。たとえ天の大神のお言葉を拒もうとも貫く、これが機の仕組の経糸のつらい役目なのだ。

経糸が張られれば、後は緯糸のお役。緯糸は、張りつめた経糸の聞をくぐり抜ける度に筏(おさ)で打たれながら、きとくが落ちたり、糸が切れたり、梭のかげんが違ったりしつつ錦の機の完成まで動き続ける。これまたいっそうつらい役。

経と緯というのは、すべての物事の成り立ちのぎりぎり決着の表現であろう。いかなる文化も経と緯、時間と空間のないまじりから成る。「縦横無尽の活躍」というのも、自由自在な働きの根底が経と緯とで構成されていることを示す。

大本的表現をすれば、この錦の機を織り上げるのが神業であり、人間は一筋の糸として参加するため、この世に生まれてきたのである。この地球上で人聞が創造している文化(政治、経済もふくめ)は、それぞれ勝手にやっているようで、実は織られているのだ。短い糸をつなぎ、より合わせていつか時代の流れの色模様が染め上げられていく。

経と緯とがうまく整い、見事な布が織られていくことを「まつりあう」という。政治を、日本古来の言葉では「まつりごと」と称した。天と地、神と人、霊と体との均り合いが真にうまくとれることが政治の理想であろうが、神に対する祭りも同様である。その意味から見れば、現今の文化のいっさいは均衡を欠いており、人聞の我欲だけが一方的に突出して、歪んでしまっていはしないか。

筆先では、大本の機は日本の、世界の雛型となるべき錦の機という。少しのゆがみも許されぬ経糸はもちろん、我がなければならず、あってはならずで、打たれ打たれて織られていく緯糸の過程の苦きゆえに、魂に磨きがかかるのであろう。醜い我欲を捨て、織り手の心のままに澄んでいけば、錦の機は自然に完成していくと、筆先は繰り返し教えている。

たてよこの 神のよさしの綾錦 機のかがやく世とはなりけり

綾の機 織る身魂こそ苦しけ一れ 一つ通せば三つも打たれつ

謀略的岩戸聞き

高天原の司がすべてを投げ捨て岩戸にこもっては、世は闇夜となりはてる。万の災禍も起こってきた。そこで八百万の神々が安河原に集まって思金神(おもいかねのかみ)に知恵を傾けさせる。長鳴鳥を鳴かせ、さかきの上枝にみすまるの玉をかけ、鏡をつけ、下には白や青の布を垂らしておき、太祝詞を奏上した。天宇受売命(あめのうづめのみこと)が伏せた桶の上で、足をふみとどかし、胸乳もあらわに踊り狂ったので、高天原も揺れるほどに神々はともに笑った。天照大神は不思議に思われ、岩戸を細目に聞いて声をかけられた。

「私がこもっているので、高天原は暗く、また世の中も暗いと思うのに、どうして天宇受売命は楽しそうに踊り、神々は笑うのか」天宇受売命は答えた。

「あなたよりも尊い神が出られましたので、みな大喜びで笑い遊んでいます」がたしかに岩戸の前には光り輝く女神がいる。それがさし出された鏡に写る御自身とは知らず、思わず戸より出てのぞかれたので、隠れていた天の手力男神がみ手をとって引き出し、布刀玉(ふとたま)命がしめ縄を張って「これより中に、もう戻らないで下きいと申し上げた。

岩戸は聞けこの世は明るく照りわたった。

まるで天照大神の日頃のお疑い深き嫉妬深さをみこして万神謀議の末、道具立ても抜け目なく、まんまと罠にはめて成功した。めでたしめでたしである。しかしこれが高天原随一の知恵者、思金神の出し絞った知恵というのか。それにしては幼稚な・・・そう思った時、逆に胸の暖まる心地がした。この物質世界でこそ人聞は有史以来、悪知恵を研ぎすまさねばならなかった。この程度の策略にころっとだまされる天照大神も、いっそ愛らしい無垢のお心ではないか。

岩屋戸の変以前の高天原は、そうした嘘やいつわりを知らぬ清い別天地であったろう。とすればこの天界に芽生えた邪気の初めは何か。一方的に被害者にされる天界の主宰神天照大神にまったく非はなかったのだろうか。王仁三郎は述べる。

「言霊の鏡に天照大御神のお姿がうつって、すべての災禍はなくなり、いよいよ本当のみろくの世に岩屋戸が開いたのであります。そこで岩屋戸開きが立派におわって、天地照明、万神おのずから楽しむようになつだけれども、今度は岩屋戸を閉めさせた発頭人をどうかしなければならぬ。天は賞罰を明らかにすとはこのことでございます。が、岩屋戸を閉めさせたものは三人や五人ではない、ほとんど世界全体の神々が閉めるようにしたのである。で、岩屋戸が開いたときに、これを罰しないでは、神の法にさからうのである。しかし罪するとすれば、すべての者を罪しなければならぬ。すべての者を罰するとすれば、世界はつぶれてしまう。

そこで一つの贖罪者を立てねばならぬ。すべてのものの発頭人である、贖主(あがないぬし)である。仏教でも基督(きりすと)教でもこういうのでございますが、他のすべての罪ある神は自分らの不善なりし行動をかえりみず、もったいなくも大神の珍の御子なる建速須佐之男命お一柱に罪を負わして、髭を切り、手足の爪をも抜き取りて、根の堅洲国へ追い退けたのであります」(『霊界物語』一二巻三O章「天の岩戸」)

みずから悪神の仮面をかぶり、千座の置戸を負って、怒れる神々に髭をむしられ、手足の爪まで抜かれて高天原から追放される素盞鳴尊。その推理は、国祖国常立尊の御退隠と重なって、何がまことの善なのか悪なのかを、この世の根源にさかのぼって問い直したくなる。

姉神をふくめた万神と地上人類の罪の贖主として甘んじて処刑を受けられた素盞 鴫尊こそ救世主、救いの大神として、王仁三郎は位置づける。もとより国祖は、この岩戸の開き方が気に入らない。筆先はずばり指摘する。「まえの天照皇大神宮どののおり、岩戸へおはいりになりたのをだまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇受売命どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり」明治三八年旧四月二六日(『大本神諭』第四集)

神代の昔から、こうした嘘や偽りで日の大神をだました上、力にまかせてひっぱり出し、それを手柄として自分たちの謀略を省みようともせぬ高天原の万神たち。神がこうだから、神に誠心がないから、それが地上世界へ写って人民が悪くなる。目的さえよければ手段を選ばぬ今の人民のやり方が、どれだけ世を乱すもととなっているか。

人民ばかりが悪いのではない。神、幽、現界を含めて三千世界を立替え立直す。まずその根本を正してこの世を造り直させよう。これがどうやら国祖の御意志らしい。

さすが剛直をもってならしたお方であり、八百万の神々に煙たがられ、ついに艮へ押し込められたお方だから、岩戸聞きのやり方はもとより、現界の、ことに上に立つ人々の利己と欺瞞にどんなにか我慢がならなかったことであろう。

時は今、再び岩戸が閉められる。明治二五年に国祖は出口直にかかり、第二の岩戸聞きを宣言した。それは立替え立直しと共通項でくくられるものであり、相互に内的関連性を持つといえよう。

ではどうした方法で第二の岩戸を聞くのか。神代の岩戸聞きの過ちを再び繰り返さぬためには、愛と誠で開くよりない。王仁三郎は示す。

「天の岩戸の鍵をにぎれるものは瑞の御霊なり。岩戸の中には厳の御霊かくれませり。天の岩戸開けなば、二つの御霊そろうてこの世を守りたまわん。さすれば天下はいつまでも穏やかとなるべし」(『道のしおり』「第三巻」上)

素盞嶋尊の願っている理想世界とは何か。尊が八岐の大蛇を退治し櫛名田姫を得、出雲の須賀に宮を作った時の歌に集約されている。

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」

この歌が和歌の始まりといわれる。一般的解釈は字句通り、雲の沸き立つ出雲の地に宮を建て妻を得た感動を歌ったものとされるが、王仁三郎はその歌に特別の密意を読みとっていた。

「出雲」はいずくも、「八重垣」は行く手をはばむ多くの垣、妻は秀妻、すなわち日本の国、だからこの歌は素盞鳴尊の嘆きと決意を示したものとなる。

「伊邪那岐尊から統治をゆだねられたこの大海原、地上世界には八重雲が立ちふきがっている。どの国にもわき立つ邪気が日の神の光をさえぎるばかりでこの世は曇りきっている。秀妻の国の賊(八岐の大蛇)は退治したものの、さらにこの国を八重に閉じこめている心の垣 その八重垣をこそ、取り払わねばならぬ」

人類の歴史は、いわばいかに頑丈な垣根をめぐらすかに腐心してきた。神代の昔、すでに姉と弟の間にも越えがたい垣根がはばんで文明が開化すればするほど、われわれは多くの垣根を作って生きている。

国と国が、人類同志が、民族間、階級間、その上宗教の違いまでが生み出す心と心の垣。そのさまざまな八重垣を取り払い、焼き減ぼすのが、素盞鳴尊の目ざす火(霊)の洗礼、「みろくの世」ではないだろうか。

○孫娘の不登校

 孫娘の不登校で困っていたところ、愛善歌壇(『愛善世界』十月号)の短歌が目についた。

「思春期のこむずかしきに疲れたる吾に添ひ呉れる愛犬もなかは  京都 竹庭小菜」

この歌の「もなかは」は古語だろうか、どういう意味だろうかと思っていたところ、犬の名前だと教えてもらった。しかも、「もなか」はお孫さんらの名前から取ったものとのこと。私と同様、お孫さんのことで困っておられるようである。

私も孫娘の歌を、十月初め愛善歌壇に送った。

「学校に行かない行けない孫娘明日はじいじが守りしてやろうか」

小学校の先生や友人などにも相談しているが、孫娘は小学校に行ったり行かなかったりしている。ひきこもりにしたくないので、休んだ日、広島に日本画を見せに行ったこともある。

ところでこの孫娘、不思議な力も持っているようだ。三年前、お雛様の前で写真を撮った時、孫娘に向けて光の粒がさっと集まり、写真にも写った。孫娘の祖母、つまり私の妻も、杖立温泉でスプーンを曲げたり、熱田神宮で草薙の剣の威徳に感じて、足の痛みが治ったりしている(『愛善世界』令和元年八月号「お父さん、足の痛いのが治った」)が、その血をひいているのか。また、光の粒が見えた私も私だが。

  ○気苦労ありての御用

なお開祖の御霊(みたま)の稚姫君命が、わが子の身の上に苦しまれていることが、道の栞にある。

「稚姫君命の罪いと深くして…かぎりなき心に苦しみありて、わが子の身の上につきて、心をくだく身魂となれり」

(『道の栞』明治三十七年十月三十日)

そのご苦労が具体的に、出口聖師が書かれた「大本の活歴史」(『愛善世界』平成三十年十月号~三十一年一月号)の中にある。

なお開祖には八人の子があった。長女ヨネ子が博徒大槻鹿蔵に奪取された後に発狂。三男伝吉も大槻の養子。長男竹蔵の自殺未遂と十七年間の失踪。次男清吉の近衛隊への入営。次女琴子の嫁ぎ。三女久子の嫁ぎと発狂。しかし、なお開祖は泰然自若とし、屈することはなかった。

ところが、牢獄の身が、四女龍子と末子澄子の苦悩を増すとして、なお開祖は自殺を図られた。しかし、大神の厳訓を受け、その愚かさを悟られている。

なお開祖のみでなく、我々も気苦労などの苦労がないと、誠の御用ができないとある。

「初発は肉体の苦労、肉体の苦労が済みたら気苦労があるぞよ…良い御用を致す身魂程(ほど)苦労致さな、苦労無しの事は、誠の事は出来は致さんぞよ」

  (『大本神諭』大正四年旧七月十二日)

また、御用が、昔からの霊魂(みたま)の罪咎(めぐり)の帳消しになるともある。

「昔からの霊魂(みたま)の罪咎(めぐり)が在るから、今度の御用は苦労の固りで、昔からの霊魂(みたま)の帳消しを致して、水晶の元の霊魂にいたして、お役に立(たて)るのである…筆先を十分腹の中へ〆(しめ)込み」

(『大本神諭』大正五年旧二月三日)

○ミロク様のご艱難(かんなん)

 なお開祖にご苦労させたのは、ミロク様である。  

「ミロク様が苦労致す身魂に、こしらへて…変性男子の御魂に致して、是(これ)程(ほど)長い艱難(かんなん)を今に命(させ)て」 (『大本神諭』大正五年旧三月二十八日)

また、地の世界を創造されたミロク様のご苦労が、大本神諭に示してある。ミロク様が泥海の中でおできになって、地の世界を創造されたとある。

「昔の根本(もと)の初(はじま)りのミロク様が此の世の御先祖様…斯(この)世(よ)の御先祖さまが、地の泥海の中に御出来なされたなり、霊(ひ)能(の)大神どのも同じ泥海の中で御出来為(な)された…地の世界を創造(こしらへ)なさるまでの、独(ひとり)身(み)での永い御艱難(かんなん)」

(『大本神諭』大正五年旧五月十四日)

 実はこれと同じ内容が伊都能売神諭にもある。さらに詳しく述べてある。ミロクの大神は蛇体で青水晶色だとある。

「この地の世界の初(はじま)りは世界一体に泥海…其(その)泥の世界に身の丈は五百丈ばかり…蛇体の…五六七(みろく)の大神様と御成(おな)り…鱗は一枚もなし、角(つの)も一本もなし、体の色は青水晶の…天地の元の祖神」

「斯(この)世(よ)を創造して、天地を開く事に非常に苦心…此の大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申上げる」

「我の片腕に成るのは其方(そなた)様(さま)…日の大神様も…力一杯活動いたし」

  (『伊都能売神諭』大正八年二月十八日)

さらにこのミロクの大神に通じることが、天祥地瑞の太(おほ)元(もと)顕(あき)津(つ)男(を)の神の歌に出て来る。自らを鰻(うなぎ)だったと言われている。

「西南の空より下りし我にして

    この清(きよ)泉(いづみ)に住みたくぞ思う」

「その昔鰻となりて仕へてし

我はなつかし泉の水底」

「この水に鰻とかへりて永(とこ)久(しへ)に

我は住みたくなりにけらしな」

(七十五巻一章「禊の神事」)