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機の仕組
筆先には、「機の仕組」について、しばしば説かれている。「にしきの機の下ごしらえであるから、よほどむつかしきぞよ。このなかにおりよると、魂がみがけるぞよ。みがけるほど、この中は静かになるぞよ。機の仕組であるから、機が織れてしまうまでは、なにかそこらが騒々しいぞよ。にしきの機であるから、そう早うは織れんなれど、そろうて魂がみがけたら、機はぬしがでに(一人で)織れていくぞよ」明治三三年旧八月四日(『大本神諭』「第二集L)
にしきの機とは、綾錦の布を織ることをさすが、みろくの世に至る道程を、さまざまに織りなしていく人々の苦節を色糸にたとえ、象徴的に表現したものであろう。機は経糸と緯糸で織り成されるが、
出口直と王仁三郎のふたつの魂の要素ともいうべきものが、経と緯の関係になぞらえる。
経糸 出口直 艮の金神 変性男子 厳の御霊
緯糸 出口王仁三郎 坤の金神 変性女子 瑞の御霊
対立し、ぶつかり合い、からみ合うふたつの個性や生きざまの鮮やかな対照がいつのまにやらそのまま組みこまれて、大本の教義を成していく。直にかかる神の啓示と王仁三郎にかかる神の教えが、火と水、男子と女子、父と母、天と地、小乗と大乗、ナショナルとインターナショナルというように、まったくあい反しながら、機の経糸、緯糸となって織りなされてゆくのである。
「古き世の根本のみろくさまの教えをいたさなならん世がまいりきて、にしきの機のたとえにいたすのは、変性男子のお役は経のお役で、初発からいつになりてもちっとも違わせることのできんつらい御用であるぞよ。変性女子は機の緯の御用であるから、きとくが落ちたり、糸がきれたり、いろいろと綾のかげんがちごうたりいたして、何かのことがここまでくるのには、人民では見当のとれん経綸がいたしてあるから、機織る人が織りもって、どんな模様がでけておるかわからん経論であるから、出来あがりてしまわんとまことの経論がわからんから、みなご苦労であるぞよ」大正五年旧九月五日(『大本神諭』「第五集」)
この筆先には、経緯の役目の相違がはっきりと示されている。経糸は、いったんピンと張り終ると、後はびくとも動くことはできぬ。それが経糸の役目である。
国祖国常立尊の至正、至直、至厳なやり方に対して不満の神々が天の大神に直訴する。天の大神もついに制止しきれず、「もう少し緩和的神政をするよう」説得したが、国祖は聞き入れぬ。もしそこで聞き入れてゆるめれば、機の末は乱れきるのが目に見える。たとえ天の大神のお言葉を拒もうとも貫く、これが機の仕組の経糸のつらい役目なのだ。
経糸が張られれば、後は緯糸のお役。緯糸は、張りつめた経糸の聞をくぐり抜ける度に筏(おさ)で打たれながら、きとくが落ちたり、糸が切れたり、梭のかげんが違ったりしつつ錦の機の完成まで動き続ける。これまたいっそうつらい役。
経と緯というのは、すべての物事の成り立ちのぎりぎり決着の表現であろう。いかなる文化も経と緯、時間と空間のないまじりから成る。「縦横無尽の活躍」というのも、自由自在な働きの根底が経と緯とで構成されていることを示す。
大本的表現をすれば、この錦の機を織り上げるのが神業であり、人間は一筋の糸として参加するため、この世に生まれてきたのである。この地球上で人聞が創造している文化(政治、経済もふくめ)は、それぞれ勝手にやっているようで、実は織られているのだ。短い糸をつなぎ、より合わせていつか時代の流れの色模様が染め上げられていく。
経と緯とがうまく整い、見事な布が織られていくことを「まつりあう」という。政治を、日本古来の言葉では「まつりごと」と称した。天と地、神と人、霊と体との均り合いが真にうまくとれることが政治の理想であろうが、神に対する祭りも同様である。その意味から見れば、現今の文化のいっさいは均衡を欠いており、人聞の我欲だけが一方的に突出して、歪んでしまっていはしないか。
筆先では、大本の機は日本の、世界の雛型となるべき錦の機という。少しのゆがみも許されぬ経糸はもちろん、我がなければならず、あってはならずで、打たれ打たれて織られていく緯糸の過程の苦きゆえに、魂に磨きがかかるのであろう。醜い我欲を捨て、織り手の心のままに澄んでいけば、錦の機は自然に完成していくと、筆先は繰り返し教えている。
たてよこの 神のよさしの綾錦 機のかがやく世とはなりけり
綾の機 織る身魂こそ苦しけ一れ 一つ通せば三つも打たれつ
9月3日(水)
今日も暑い。ムシムシするが風がふくとけっこう涼しい。セッティングを終ったころ、経産省から出てきた人がにっこりと笑って、エールを送ってくれた。「今日は9月3日で、沢地さんがやっている国会前の政権批判の行動の日で、大抵その帰りにテントひろばに寄ってくれる人がいるので」と、遅番の保っちゃんは早くきてくれたが、誰も寄ってくれなかった。でも、交差点のところでこっちに手を降ってくれる人がいた。ヨーカンさんが寄ってくれて、お弁当を食べ、「3の日行動」の話をしてくれた。沢地さんは入院しておられるそうだ。9月3日は沢地さんの誕生日で、95歳になられたそうだ。
今日は「福島原発被害東京訴訟 第2陣の裁判」の日で、原告は避難生活・暮らしの原状回復・生活再建の賠償を東電と国に求めている。午前午後と証人尋問で、午前の傍聴をしたナベさんがお茶とサンドイッチを持ってテントに来てくれて、すぐに午後の傍聴に行かれた。ナベさんは、午後の裁判傍聴が終ってから、またテントにきてくれた。
今日は第一水曜日で、日本原電抗議と東電抗議がある日で、ナベさんは夜の東電抗議のときに広げる超大型横断幕を持っていた。それを持って裁判傍聴もしていたわけだ。
いつも、この裁判の傍聴をしている自転車のおじさんが、「今日は証人尋問者が予定より少なくなって早く終った」といって、テントニュースなどを取りに来てくれた。今日の「東京新聞」に東海第二原発のある茨城県東海村の村長選挙が9月2日から始まったという記事が出ていた。9月7日が投開票。現村長の山田修さんは、原発反対でずっとやってきた村上達也村長を引きついて「原発反対」で村長になったのに、今度は「原発賛成」になったそうだ。大名章文さんは「原発反対」。大名さんに勝ってほしい。
雨上がりの霞が関で、柏崎刈羽再稼動反対、原発も戦争も基地も要らない! 9月5日(金)
大雨の中で、午後3時にバトンタッチ、徐々に小やみになり、雨がやんだ午後5時から経産省抗議行動。
福島第一原発事故以降の原発問題、柏崎刈羽原発の再稼働反対、被曝被害の実情、エネルギー政策の転換、さらには沖縄基地問題や国際情勢にまで言及し、多角的に脱原発と平和を訴えた。
Km、Heさん、Yoさん、久しぶりSkさん、Myさん、Ksさん、Bdさんが、概略、次を主張。
・「原発の安全神話の崩壊と再稼働反対を通じた脱原発の実現」。安全とされていた原発事故の被害や、放射線の危険性を訴えつつ、再稼働を許さない市民運動の重要性を強調。
・柏崎刈羽原発の再稼働は安全性問題や管理体制の不備が多く、断じて許されない。
・福島事故の被害と放射線の危険性は国も認識しているが、政策転換が進まない現状を批判。脱原発と再生可能エネルギー推進(地熱、風力など)を強く求める。
・沖縄基地問題や戦争被害にも言及し、平和の実現と原発廃止を結びつける。
・1999年9月30日のJCO事故を思い起こし、原子力事故を繰り返すな。
なお、次週9月11日(木)に経産省前で大規模集会を開催し、さらなる抗議行動を予定。
9月8日(月)
きょうも酷暑。35℃以上との天気予報だったので、途中で、かき氷を買って事務所に着いた。事務所の前にはOgさんから事前に知らされていた通り、テントニュース用の紙が届いていたので、印刷機の前に置いた。奥にはパラソルが所狭と干されていた。金曜日は朝から雨が降っていたことを思い出した。時間が無かったのか、プラスチック箱に入っているバナーなどは濡れていた。箱の中を雑巾で拭いて、グッズをチェックしてグッズを積み込んだ。
スマホを見たらMiさんから電話が来ていた。電話すると「きょう体調が良くないので休ませてほしい」とのことだった。この暑いなか、頑張ってきてくれたので、疲れがたまっていたのでしょう、「来週は祝日なのでゆっくり休んで下さい」と伝えた。
ちょうど、そこに早番のKuさんが到着されたので、一緒に諸々のグッズを積み込み、経産省前まで台車を運んでもらった。ジリジリと照りつける太陽光線を浴びながら、汗を拭きふきセッティング。私が、のぼり旗3本と「処理水は汚染水」のバナーをやっている間に、Kuさんは女の子のバナー4枚を上手くセッティングしてくれました。2人だったのでセッティングを終えたのは12時ちょうど。
すぐに反原発ソングを掛けて人々にアピール。パラソルを組み立てて、氷水をコップに3杯飲んで、ひと息ついた。この暑いなか、昼食時間には多くの人通りがあったが、それを過ぎると極端に少なかったのが印象的だった。
12時40分に遅番のOgさんが早くも来られた。きょうは珍しく通りかかったお二人から道を尋ねられた。「小滝橋行きのバスに乗るにはどう行ったらいいですか?」私「前の財務省を渡ればすぐにバス停があります、20分間隔で来ます」。また「虎ノ門ヒルズにはどう行ったらいいですか?」私「虎ノ門方面に歩いていけばいいけれど1キロほど歩きますよ」、「もっと近いと思っていました、日比谷線で行きます」。この暑いなか、それが正解でしょう。
2時過ぎには旧統一協会が何時ものように文科省の前で「地裁が旧統一協会への宗教法人の資格をはく奪したのは前代未聞の宗教弾圧だ」と恥も外聞もなくわめきたてていた。被害者から1億円以上をだまし取ったことに付いては口をつぐんでいる、そのことが世間から問われているというのに!
午後2時半に、早番のKuさんが9/11東電行動の打ち合わせがあるとのことで帰られた。その後は何事もなく時間が来たので、2人で片付けて撤収した。帰るとき気温36℃、少し下がったが湿度は40%と変わらず。蒸し暑いわけだ! 朝晩はかなり楽になってきたので「もう少しの辛抱」です。頑張りましょう。
9月9日(火)
14時に着くと、Ed さん、Ogさん、Ooさん、Ya さん座り込み中。間もなく同じ後番のAsさんが到着。Yaさんから月間記入のための会計資料を渡される。その後、Yaさんは事務所に退席。Ogさん、Edさん、帰路へ。Ooさん、Asさん、私の3人となる。暑さは、ややおさまった感じだが、まだまだ暑く、私はなにもできない。となりのOoさんは、こんな暑さでも読書で凄い。Miさんが来て、終りまで、すわりこみ、そのあと、後片付けを手伝ってくれた。このところ、ふたりだけでの撤収が続いていたので、今日は楽だった。
終わり間近、パンオリエントニュース社の代表取締役という方が立ち寄って、良くわからないことを話していかれた。「アメリカは何もしない。代わりに君たちが核武装するべきではないか」と言っていたようだ。Ooさんが 「日本は戦争はしないという憲法を持っている。アメリカの核とは無関係に」 と返答。「核の傘の下での平和」という概念が壊れた今、ほんとうに、核反対が言えるのではないか。(石上)
9月10日(水)
午後に雨が降るという天気予報だった。天気はくもりで、少し気温は下がっていたが、湿度は高かった。13時ころ、鹿児島の川内原発反対で活動している野村さんがお土産を持ってテントにきてくださった。明日9/11のテントひろばと東電前行動の確認をして「明日に備える」と言って、すぐ帰られた。
外務省前で「ガザ攻撃をやめさせよ」と抗議行動をしている女性が声をかけてくれた。「今日は用事があるので」とすぐ帰られた。寄ってくれるだけでも、闘う者同士のエールの交歓ができて、うれしい。
午後3時過ぎに雨粒が落ちてきたので、いよいよ雨かとパラソルを開いたが、降らなかった。ところが、そのあと蒸し暑さが増した。(この時、上野付近は大雨だった。)
木村さんと奥内さんが、明日の司会の打合せをしてから、テントに寄ってくれた。明日の天気がどうなるかだ。植え込み周辺のゴミ拾いをし、ヤブカラシのツルをとった。東京新聞に載っていた「長生炭鉱で発見された人骨」を日本政府・省庁が人骨のDNA鑑定をしようとしないという記事について、 保っちゃんと話した。TVでもやっていたが、どうして鑑定をしないのか。発掘をやっている井上洋子さんたちとの交渉では警察庁が出てきて、アレコレ言っている。歴史を偽造し、植民地支配の責任をとらない。本当にずるい。このことは政府・行政の全てに当てはまる。
9月11日(木)
今日はテントひろば14周年集会の日だ。11時前に事務所に着くと、すでにRaさん、Kuさん、Fuさんが来て集会の準備をしていた。Fuさんの車で荷物を運び、Inさん、Yoさん、Kuさんと一緒にFuさん主導のもとに横断幕とのぼり旗のセッティングをはじめ、12:30に完了した。それまでの間にObさん、Takgさん、Watさん、Hiさん、Kimさんが到着した。Raさんが差し入れてくれたガリガリ君を頬張っていると、集会で演奏予定の朴保さんが現れた。セッティングを始めたころ、晴れ渡っていた空に雲が増え、怪しい空模様になってくる。13:00過ぎ、地下鉄駅前でKuさんが東海第二原発再稼働阻止を訴えるビラ配りを始める。13:15 Okさん着。街宣カーも到着し舞台の準備を始める。街宣カーに取り付けた「9.11脱原発・経産省前大集会」の看板の位置が低すぎるのに気づいたので、街宣カーの上に乗り位置を修正した。そうこうしているうちに、13:45から朴保さんの演奏が始まった。ほぼ同時に大粒の雨が降り始めたので、私はギターと楽譜が濡れないように朴保さんの後ろでパラソルを広げて立った。こうして大雨の中の14周年集会が始まった。
集会中、土砂降りの雨に打たれながら、私は木曜日担当として以下の発言をさせていただいた。「私は先輩の女性お2人と一緒に木曜日の前半を担当しています。後半は、先輩の男性2人が担当されています。座り込みの担当を始めてから2年半程になりますが、私自身活動経験の非常に浅い人間ですので、他の座り込み担当の方々、あるいは立ち寄ってくれる方々との交流を通じて、様々な運動の経験と知識を吸収することができ、ここでの座り込みの時間を大変有意義に感じています。これからも、ここテントひろばが、文字通り人と人とが出会い交流するひろばとして、その出会いと交流を通じて、脱原発の運動を社会に広めていく拠点として、受け継がれて行くことを願いながら、この場所で座り込みを続けたいと思っています。すべての原発が止まる日まで、共にがんばりましょう。」
=====今後の集会・行動等==========
◆ 9月12日(金)経産省前抗議集会17:00~18:00
◆ 9月17日(水)原子力規制委員会前12:00~13:00
◆9月19日(金)経産省前抗議集会17:00~18:00
主催:経産省前テントひろば
◎ 経産省前の座り込み行動は、月~木:12時~16時、金:13時~17時。
土・日・休日は、座り込みを休みます。ただし、青空川柳句会は、毎月1回、日曜日に実施します。
≪経産省前テントひろば≫ ℡ 070-6473-1947 〒105-0003 港区西新橋 1-21-8 新虎ビル
◆9月19日(金)国会議事堂正門前 総がかり行動 18:30~19:45
◆ 9月21日(日)第2回『脱原発カフェ』16:00~18:00
場所:経産省前テントひろば事務所
テーマ:汚染水問題から考える原発の今
問題提起:石上健二さん(経産省前テントひろば)
主催:脱原発カフェ実行委員会
出口王仁三郎聖師の著作は「道の栞」そのほか多くの随筆、歌集など膨大な量に及びますが、その中でも霊界物語は大本神諭とともに根本教典になっています。全81巻83冊の長大な物語であり、世界的に見ても類のない宗教教典です。
聖師はこの物語を三日に一冊の割合で何の参考書も見ずに口述されていきました。それを考えても、決して人間業とはいえません。
大本神諭の真解書
霊界物語は、開祖が書いた大本神諭の真解書です。大本神諭は断片的ですが、霊界物語はこれを総合的に劇化して表現したものです。
「この物語によらなければ、教祖(すなわち開祖)の筆先の断片的(台詞書)のみにては、たうてい神界の御経綸と御意志は判るものではないのであります。」(霊界物語第12巻序文)
霊界の真相を説く
また霊界物語には宇宙創成の時の様相、天国・地獄の情況、中有界における審判の模様など、人間にとって枢要な意味をもつ霊界の真相が描写されています。その中で人の死という通過点がどういうことなのか、また霊界という現界に近接した世界が存在する中で、人間の現界における生がいかなる意味を持つか、要するに霊界も含めた大きな宇宙の中に生きる人間の生命と人生について、深く的確な教えが示されています。
霊界物語は天国の福音を伝えるものです
霊界物語は霊界の真相を説くとともに、「天国の福音」を現界に伝えるものです。
「ここにおいて、神は時機を考え、弥勒を世に降(くだ)し、全天界の一切をその腹中に胎蔵せしめ、それを地上の万民に諭し、天国の福音を、完全(うまら)に詳細(つばら)に示させたまふ仁慈(みろく)の御代が到来したのである。」(霊界物語第48巻第12章「西王母」)
天国の福音とは天国の言葉であり天国の心です。それを信じそれを口にするものは天国の言葉・天国の心を自分のものとすることができるのです。それは霊魂の救済の第一歩なのです。しかし真に救われるためには、口と心だけでなく行いも出来なければなりません。言心行一致の信仰でなければ真の救済はないのです。
霊界物語は最後の審判書である
霊界物語は最後の審判書といわれます。それは霊界物語が人の霊的救済について詳細にまた明解に手取り足取り教えているということでもあります。
「最後の審判は、閻魔大王が罪人をさばくと同様なる形式において行はるると考へてゐる人が多いやうだが、それは違ふ。天国に入りうるものと、地獄に陥落するものとの標準を示されることである。この標準を示されてのち、各自はその自由意志によって自ら進んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである。標準とは何か、霊界物語によって示されつつある神示そのものである。」(水鏡「霊界物語は最後の審判書なり」)
この神示が極めて明解であるゆえに、最後の審判となりうるのです。
霊界物語によって救世主は不滅…霊界物語は聖師の肉体であり霊魂である
よく「聖師が救世主であることは認めるが、死んでしまったら意味がない、死んだ獅子よりも生きた鼠(ねずみ)の方が偉い」という人がいますが、とんでもない間違いです。霊界物語の出現によって救世主としての聖師は不滅となったのです。
「瑞月(聖師)が霊界物語を編纂するのも、要するに法すなわち経蔵または教典を作るので、すなはち神を生みつつあるのである。また自己の神を現し、また宣伝使といふ神を生むためである。ゆえにこの物語によって生まれたる教典も、宣伝使も、神言も、みな神であって、要するに瑞月そのものの神を生かすためであると確信している。『霊界物語』そのものはつまり瑞月の肉身であり、霊魂であり、表現である。」(霊界物語第40巻緒言)
要するに霊界物語の存在は、聖師の肉体と霊魂が存在することと同じことなのです。
救世主たる聖師の肉体は亡くなっても霊界物語がある限り、救世のご活動は永遠不滅です。
○天祥地瑞口述の時代
天祥地瑞の口述が始まったのが昭和八年旧八月十五日。終わったのが翌昭和九年八月十五日で、この十一年後の昭和二十年八月十五日に太平洋戦争が終わる。この時期、歌で綴られる天祥地瑞の口述に合わすかのように、全国に歌碑が建立されている。また、昭和九年七月二十二日、昭和神聖会が発会し、以降、各地方にもその支部が発会する。昭和神聖会発会の六年後の昭和十五年七月二十二日には、近衛第二次内閣が成立し、日独伊三国同盟の締結や大政翼賛会発会など、戦時体制へと進んで行く。
ところで、昭和十年二月二十一日の地恩郷での歌碑除幕式と二月二十四日の昭和神聖会徳山支部発会式との間の二月二十三日、出口聖師が山口線で我が家の前を通っておられる。その十三年後の昭和二十三年二月二十三日が、我が家の祖霊復祭の日である。
○神聖歌劇の公演
第二次弾圧事件勃発の昭和十年十二月八日を前にした十月二十八日、神聖歌劇の二回目が綾部の五六七殿で公演されている。この神聖歌劇は弾圧当日の十二月八日、島根別院でも公演されている。出口聖師が早朝、当局に拘束された後、夜七時よりとどこおりなく行われている。
なお、神聖歌劇で公演されたのは、天祥地瑞七十三巻(子の巻)一章「天(あま)之(の)峯(みね)火(ひ)夫(を)の神」と七十九巻(午の巻)一章「湖中の怪」~七章「相聞一」である。七十九巻は、国津神と人面竜身の竜(たつ)神(がみ)族(ぞく)の物語。竜神族(たつがみぞく)は頭部と両腕は人と似ているが、肩部(けんぶ)から下は太刀(たち)膚(はだ)の竜身で、獣(じう)族(ぞく)である。
竜(たつ)神(がみ)族(ぞく)は人間となることを望み、国津神の女性、麗子(うららか)をさらい竜宮島に連れ帰る。妹の麗子(うららか)を探して竜宮島に渡った兄艶男(あでやか)を、竜(たつ)神(がみ)族(ぞく)の女性らは恋い焦がれる。七十九巻には、艶男(あでやか)を恋い焦がれる竜(たつ)神(がみ)族(ぞく)の女性らの歌が長々と続く。
「風吹かば露やこぼれむ花散らむ
早く手(た)折(を)らへ一本(ひともと)の白(しら)萩(はぎ)」(八章「相聞二」)
「時じくに言(こと)霊(たま)放つ琴(こと)滝(だき)の
それに増して清き君はも」
(一一章「瀑下の乙女」以下も同)
「一夜(ひとよ)さのつゆの情(なさけ)をたまへかし
伊吹の裾野に咲く女(をみ)郎(なへ)花(し)よ」
「どこまでも此(この)真(ま)心(ごゝろ)の届かねば
鬼となりても君悩まさむ」
なお、神聖歌劇の場面は、兄艶男(あでやか)が水(し)火(ほ)土(つち)の神の助けを得て、竜宮島の弟(おと)姫(ひめ)神(がみ)となった妹麗子(うららか)と再会するまでである。
ところで、この物語には「主の大神の御(おん)鼻(はな)とつたはり来る伊吹山」が出て来る。伊吹山と比叡山が面する琵琶湖は、天照大神と素盞嗚尊の誓約(うけひ)の舞台であり、それぞれの御霊から出た五男神と三女神は、初めて人体を具備した神である(『皇典釈義』二十三節「人類出生の始め」)。竜(たつ)神(がみ)族(ぞく)が、人間となることを望んだことに通うところがある。
また、この琵琶湖の周囲には、艶男(あでやか)を助けた塩土(しおつち)老(の)翁(おきな)を祀る塩津神社もあるが、日本書紀には山幸が塩土(しおつち)老(の)翁(おきな)の教えにより海宮(わたつみのみや)に行き、妻となった豊玉姫が竜となって子を生む話がある。子は神武天皇の父親(巻第二神代下)。大本神諭にも「龍宮の乙姫殿を見て皆改心をいたされよ」(大元・旧八・一九)とか、霊界物語にも、七巻二二章「竜宮の宝」や二十五巻三篇「竜の宮居」などの箇所がある。
これらが七十九巻の竜宮島や弟(おと)姫(ひめ)神(がみ)との関連があるとすれば、興味深いところである。
○言霊の力
霊界物語を、声を出して一巻拝読するのに八時間かかる。また、歌で綴られた天祥地瑞を、節をつけて歌うと十二時間になる。特に相聞歌が多い七十九巻は、私の録音では十三時間かかっている。
相聞歌が続く七十九巻を聞きながら、一番の盛り上がりを感じたのが十二章「樹下の夢」である。竜身の燕子花(かきつばた)に対して宣る艶男(あでやか)の言霊に、燕子花(かきつばた)の全体が人身へと変わる。
「『わが言霊に力あれ
わが言霊に光あれ。
わが宣らむ生(いく)言霊の幸はひに
乙女を全(また)き人とせよかし
わが肌に添へる乙女の優(やさ)姿(すがた)
神の子となれ人の子となれ
紫に匂へる妻の燕子花(かきつばた)
まことの人と現(あ)れさせ給へ
一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)五(いつ)六(むゆ)七(なな)八(や)九(ここの)十(たり)
百(もも)千(ち)万(よろづ)の神、憐れみ給へ、救はせ給へ』
斯(か)く七日七夜間断なく艶男(あでやか)が宣れる言霊に、不思議や燕子花(かきつばた)の全体忽(たちま)ち人身と変じ、荒々しき太刀膚の影もなく、全身餅の如く膚(はだ)細やかに全く人身と生れ変りける」 (一二章「樹下の夢」)
なお、神聖歌劇の公演で、出口聖師は七十三巻(一章「天之峯火夫の神」)では、天(あま)之(の)峯(みね)火(ひ)夫(を)の神の役をされているが、この七十三巻(一章)には、言霊により宇宙が創造されたと示してある。
「大虚空中に一点のヽ(ほち)忽然(こつぜん)と顕れ初めて⦿(ス)の言霊生まれ出で、⦿の言霊こそ宇宙万有の大根源にして、遂に⦿は極度に達してウの言霊を発生せり。ウの活動極まりてアの言霊を生めり。ウは降っては遂にオの言霊を生む。七十五声の神を生ませ給ひ、至大天球(しだいてんきう)を創造した」
(七十三巻一章「天之峯火夫の神」要約)
また、七十九巻(総説)には、我が国が言霊の幸はふ国で、日本人の声は直音で清明円朗だとある。
「我国を言霊の幸はふ国と言ひ、言霊の助くる国と言ひ、言霊の明らけき国と言ひ、言霊の治むる国とは言ふなり」。(七十九巻総説次も同)
「外人と我日本人との音声言語を比較するに、外人の声はすべて濁音、半濁音、拗音(えうおん)、促音のみにて、又鼻音(びおん)ンを用ふるもの頗(すこぶ)る多く、日本人の声は直音のみにして(但し今日の人の声は此限りに非ず)清明円朗にして、各声確然たる区別あり」
そして、出口聖師は、天祥地瑞の口述をされながら、言霊の幸はふ日本の各地に、昭和八年から十年までの間、三十三基の歌碑を建てておられる。
○意外な結末
北原白秋の有名な歌。
「君かへす朝の舗(しき)石(いし)さくさくと
雪よ林檎の香のごとくふれ」
(『北原白秋歌集』岩波文庫)
踏まれて舗(しき)石(いし)が返るのと、君を家に返すことが重なる。さくさくと舗石を踏む音が、林檎を噛む音を連想させ、噛んで立つ香りのように雪よ降れと言う。みごとに女性への思いを詠んでいる。
しかし、隣家の女性を愛した白秋は獄に繋がれ、思いをより直接的に歌った相聞歌がくりひろげられる天祥地瑞七十九巻の結末も、罪へとつながる。
人身と変わった燕子花(かきつばた)は、竜宮島を出て艶男(あでやか)の国津神の地、水(みな)上(かみ)山(やま)の神(かむ)館(やかた)で子供を産む。しかし、人身でいることは苦しく、川で竜身であるところを艶男(あでやか)に見られてしまう。そこへ、艶男(あでやか)を慕い渡って来た竜身の三女と争いになる。川は増水し国津神に被害が出て、艶男(あでやか)も川に沈んでしまう。凄惨な場面である。
「四頭(しとう)の竜神(りうじん)互に眼(まなこ)を怒(いか)らし、一人(ひとり)の艶男(あでやか)を奪はむと…格闘を続け、竜体より流るる血汐(ちしほ)は、濁水に和して…水量(みづかさ)は日に日に増さり…低地に住める国(くに)津(つ)神(かみ)等(たち)は住家(すみか)を流され、生命(いのち)を奪はるる者多く」
(七十九巻二三章「二名の島」以下も同)
そこへ御(み)樋(ひ)代(しろ)神(がみ)の朝(あさ)霧(ぎり)比(ひ)女(め)の神が「嚠(りう)喨(りやう)たる音楽と共に」降(くだ)って来られる。
「われこそは主(ス)の大神(おおかみ)の神(み)言(こと)もて
御樋代神と降(くだ)り来つるも」
「神の子の御魂(みたま)を持ちて獣(けもの)なす姫を
娶(めと)るは罪とこそ知れ」
また、天地の乱れが鎮まるのも、朝霧比女の言
霊である。
「『一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)五(いつ)六(むゆ)七(なな)八(や)九(ここの)十(たり) 百(もも)千(ち)万(よろづ)八(や)千(ち)万(よろづ)
風も早(は)や凪(な)げ雨も降るな 雲よ退(しりぞ)け地(ない)震(ふる)止まれ
これの神(み)国(くに)は主(ス)の神の 依さし給へる御樋代神の
永(と)久(は)に鎮まる清(すが)所(ど)なり 雨はれ国はれ雲はれよ
葭(よし)の島根は今日よりは 黄金(こがね)花咲く食(を)す国と
宣り直しつつ開くべし ああ惟神々々
わが言霊に力あれ 生(いく)言霊に光あれ』
と宣らせ給ふや、さしも烈しかりし雷鳴は鎮まり…安
静の昔にかへりしこそ畏けれ」
朝霧比女は、艶男(あでやか)と燕子花(かきつばた)の間に生まれた竜彦(たつひこ)に国の将来を任せることとして物語は終わる。
「貴(うづ)の子よ愛(めぐ)しき御(み)子(こ)よ汝(なれ)こそは
国の柱よすくすく育てよ」
(令7・2・24記)