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◎多くの「国民」は原発の危険性を知っている(世論調査)3月21日(金)
水曜昼の雪と雨の中の原子力規制委員会抗議行動が耐えがたい程寒かったが、今日はとても暖か、ゆっくり座り込こむ。それでも、午後4時前に文科省前から大音響が聞こえる。統一教会か? 更に財務省前にも、日の丸を掲げた人たちとともに財務省解体を訴えるアピールが聞こえる。面白いのは、竹中平蔵を厳しく非難する女性アピール。ただ、財務省行動のあおりを受けて、警察が、経産省前歩道を横ポールで仕切り、抗議しても「前の週に傷害事件があリ、今週も何が起こるか分からないから」と聞き入れない。 財務省の音響に負けじと経産省抗議を開始。
オープニングSkさん:「原子力発電NO」、「原発には明日が無い」の歌。
Ogさん:万が一の事故を起こしてはいけない(伊方原発訴訟)にも拘らず、東電トップの刑事訴訟無罪を批判。東電株主代表訴訟の控訴審高裁判決は6月6日。
Hoさん:世界は危険な状況。ロシアとアメリカの交渉は不調、トランプのやり方が間違っている、昨日3月20日は30年前にサリン事件、オームが衆議院に立候補して駅前で踊るのを見た。赤軍派が負けたからか? ファシズムも起こる。粘り強く運動を創っていこう。コロナで家事をしていて、しばらく来られなかった。健康に気をつけて、有意義に頑張っていこう。
Km: オームの話で思い出した。霞ヶ関の駅で、ばたばた倒れている人を助けもせずに通り過ぎていく通行人を、辺見庸が批判。私も、その頃はそうだった。
Ouさん:青田恵子さんの「おおよその幸せ」を詠む。
<ミミズが土から這い出て来たよ、踏みつぶすかい、ミミズは土を耕してくれたんだよ、役割があったんだよ、人間はミミズに感謝しなくちゃ、感謝の気持ちは、人間をおおよそ幸せにしてくれるから。おおよそ、人間が幸せになることを考えていけば、おおよその物事が解決していくんだよ、…、例えば黒い雨裁判、線引きをして一定の人だけ認定する、…、すべての人を認定した方がよい。戦争で人間はおおよそ幸せになれない、けどウラン弾をたくさん作って撃ち込んで、大儲けしたヒトは、…、すでに人間じゃない、ミミズはそう呟いて、涙を流しながら、土を耕していたよ。>
Yoさん:放射能汚染ゆえに、すぐに殺されずに長らえた牛の話をし、浜岡原発が廃炉に向かって動き出した、核のゴミの行き場が無いのに原発再稼動するな。
Moさん:浜岡2号機の廃炉でえらそうに言うな、今ある原発すべて廃炉にしないといけないのに。財務省抗議が行われているが、減らすべきは防衛費・軍事費・原発に使うお金ではないか。「座込め、ここへ」と「ああ福島」を歌う。
Km:「ああ福島」を李政美と作詞した武藤類子さんがドイツ団体の「環境賞」を受賞した。
Skさん:14年間原発を止める為に経産省前で抗議行動を続けている。税制を変えるなら、原発に国費を使うな。元福井地裁判事の樋口英明さんのシンプルな「原発の本質」を知ろう。3.11を経験した日本は原発を止めよう。断水しても停電しても燃え上がる原発。3.11直後の「最悪のシナリオ」を繰り返してはならない。東海第二を止めよう。危険の百円ショップだ、砂地に建てた地震に弱い原発、全長1500kmの燃えるケーブルを使っている、燃えなくできるのは15%だけ。私たちは福島に頼っている、原発を動かさせない。樋口英明講演会を5月10日に亀有で開催。
Km:日本原電は、署名を送り返したことがあった。しかし、院内ヒアリング集会で、資源エネルギー庁に、日本原電を指導させたので、今は、本店ビルの袖で、申し入れ書を読上げできるようになった。一方、3.11前の世論調査の結果では、世論は、やはり原発の真実を知り、心配している。特に、「審査合格の原発も、事故が起こる可能性あり」が83%、「事故が起きた場合、安全に避難できない」が86%、「最終処分の計画は、安全と思わない」が73%、…。 => https://www.jca.apc.org/~kimum/METIno238.html
Km:経産省は嘘をつくなコール。終了後、首相官邸前で「原発いらない金曜行動」。
◎3月22日 (土)
◯商品拳
政治するなら、こういう具合にしやしゃんせ・・・アウトもセ-フ、世も末だ。
◯ガザ再び、そしてウクライナ
イスラエルが、ガザへの空爆と地上侵攻を再開した。空爆前にトランプはSNSでハマスに対し「今すぐ人質を開放しなければ地獄が訪れる」、「お前たちは終わりだ」などと発信してきた。だが、400人以上を殺戮した18日の空爆、19日の地上侵攻にもトランプの言及はなく、ロシアとウクライナ関連については連日のように投稿しているという。今更ながら、パレスチナの事はイスラエルに一任。そしてウクライナ。トランプは、停戦の条件としてロシアへの領土割譲をゼレンスキ-大統領に要求するだろう。その領土とは「ルガンスク州」「ドネツク州」「ザポロジェ州」「ヘルソン州」。平和は遥かに遠い。
◎3月23日 (日)
12時より脱原発青空テント川柳句会が開催されました。先週と打って変わって気温も24℃まで上がり、暑いくらいの陽が射す一日でした。今回の川柳句会参加者は6名。席題は「人生」「商品券」。14時30分、投句締め切り。14時45分より、入選者の発表、披講となりました。
選者の乱鬼龍さんより入選句が読み上げられ、”原発は未完の技術” みかん、”こんな日本たたき売りに出したい” バナナ、”イカにも!” いかの缶詰、”活動のノリを良くしよう” 味付け海苔、雑誌「季節」2025年春号など、数々の賞品が入選者へ手渡されました。
句会の後には、日比谷公園にてお花見の会を行いました。桜の花の開花宣言前となりましたが、ちょっとだけ咲き初めた桜の下、9人でお花見をしてきました。
入選句は以下のとおりです。
「人生」の特選
・人生は 光と闇の せめぎあい - 海の民
「人生」の秀句
・甘い蜜 吸おうと思って 八十年 - 水蓮仏
・世襲議員 人生の辛さ 知ってるか - 幸柳
・フクシマの 子ら元服し 追う夢は - ふ64
・人生は 谷間ばかりを 歩いたよ - 原子力ガリレオ
・幸不幸 数えず過ぎて 半世紀 - 芒野
「商品券」の特選
・尽力と 言うなら皆に バラ撒いて - 芒野
「商品券」の秀句
・配ります 商品券で 人集め - 原子力ガリレオ
・金権政治 改めました 金券に - ふ64
・物価高 もらってみたいな 商品券 - 幸柳
・下野するしかない 自民の政治文化 商品券 - 海の民
・商品券 もらって返す アホ議員 - 水蓮仏
次回の脱原発青空テントひろば川柳句会は、4月27日(日)12時より開催いたします。是非ご参加ください。
◎3月24日 (月)
午前11時半に経産省前に着いたら、Miさんが待っていた。風も穏やかで暖かいので、セッティングは順調だった。牛、鶏、女の子4枚のバナー全て揃ったので壮観。通りかかった人が幾人もシャッターを切っていた。初めてらしくテントニュースは受け取とって貰えなかったのが残念だった。
12時過ぎに共産党系の全労連が、春闘として経産省に話し合いをするためにやってきて「演説したいので場所を借りたい」と言ってきたので「どうぞ」と言って、やって貰った。原発については、原発の危険性を指摘したのは良かったが、あとは「雇用を守れ」だけで、九州電力が原発を維持したいために自然エネルギーを買わずに捨てている現状に触れなかったのは残念であった。
午後1時半にHさんが来られた。3時からの裁判傍聴に参加するために、2時過ぎに裁判所へ行かれた。
Mさんが読んでいた新書を見せてくれた。「日米軍事化の現状」。似たような本は沢山出回っているが、トランプは在日米軍の縮小を計画しているという報道があった。果たしてどうなるであろうか?
気温は20℃を越えていたが、風が吹くと寒く感じた。来週はまた寒くなると報道されている。上着を一枚リュックの中に持っていくつもりである。
◎3月25日(火)
今日は、暑くて陽射しが強そうなので、パラソルを持って行ったが、正解でした。前半は、それで、しのげました。セッティング途中に、官庁街で一番早く開花する外務省角のソメイヨシノを見てみると、ここ一日二日で急に咲いたのか、満開でした。
座り込みを始めて間もなく、2011年10月から福島第一原発事故の終息作業に従事していた「あらかぶさん(ニックネーム)」が、2014年に急性骨髄性白血病になり、被ばく労働が原因であるとして、労働基準監督署が労災認定しましたが、東京電力は白血病を発症するほどの被ばくはさせていないなどとして、現在、裁判所で係争中です。
2025年1月29日、東京都労働委員会は「竹中工務店は、あらかぶさんが働いていた当時の被ばく労働管理などの作業環境に係る事項について、団体交渉に応じなければならない」と命令しましたが、いまだにユニオンとの団体交渉に応じていません。この裁判を当初より応援していたTaさんが参加、続いてHrさんが参加。この後、15時過ぎに「旧統一教会に、民法上の不法行為では初の解散命令が出たようだ」と、テントによく来て下さる男性が知らせに来てくれましたので、直ぐに東京地裁まえに行くと、報道陣がごった返していました。旧統一教会の代理人は、東京地裁の判断が下るや、すぐに地裁を飛び出して、数十社に及ぶ報道陣をかき分けて、待たせてあった車に乗り込み逃げ去ったようです。
この後は、浜岡原発に反対するグループが見えられて、後半の当番者と共に、経産省に向けての抗議行動を行ったとの事でした。
◎ 3月26日(水)
先週とは打って変わって暑い。半袖の人もいる。セッティング時はブラウス。経産省内の桜も咲き始めた。今日も財務省前には機動隊のバス(マルキバスという)がいたが、終日抗議の人は来ず。
ヨーカンさんは寄ってくれたが、「用事がある」と、すぐ帰る。人が寄ってくれるのは、ありがたい。今日は、あぶくま会裁判。田村市都路町地区(旧緊急時避難準備区域)の移住者、居住者たちの控訴審。当番Wさん、田中さんなどが傍聴に行く。木村さんも規制庁抗議のあと、来る。アメリカ大使館前で「辺野古基地建設やめろ」などのシュプレヒコールをしたら、ずっと警官がついてきたそうだ。
「チラシありますか」と男性が声をかけてくれる。出張で東京に来たそうだ。「みなさん身体に気を付けてください」と励ましてくれた。
◎3月27日 (木)
数日暖かい日が続いたので、外務省前の桜が満開になっていた。先週はほとんど開いていなかった経産省の前の桜も8割くらい咲いていた。今日は、いつものUrさんがお休みで、午後当番のTkさんが事務所から荷物を運んでくれた。いつもと違ってちょっと戸惑ったが、たまたま参加していたArさんも手伝ってくれ、Kaさんと4人で、何とかセッティンが終わった。しばらくして「現役自衛官セクハラ国賠訴訟」の報告会に行くという方が寄ってくれた。Yaさんのお知り合いで、以前、原発現地にも行き、大間グロックにもご一緒していたそうで、色々、話が弾んだ。そしてカンパまでして下さって感謝です。午後1時半頃、Okさん、続いてTaさんも来て、にぎやかになった。午後2時過ぎ、Siさん登場。2時半からは月例のJKS47の祈祷会があり、最初に「被ばく労働を考えるネットワーク」のNaさんが経産省に向かって抗議の声を上げ、その後「般若心経」を上手に読み上げたのには驚いた。演芸の部でビクトル・ハラの「平和に生きる権利」を歌った後、テントから乱さんがスピーチをした。私は、その後、帰宅の途に着く。
=====添付資料======
・原発週報2025.3.19-3.25.docx 編集:漆原牧久
・富久亮輔さん訃報のお知らせ.docx
=====今後の集会・行動等==========
◆3月31日(月)冨久亮輔さん火葬 13時15分までに南多摩斎場一階ロビー 町田市上小山田2147
◆4月2日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
◆4月2日(水)日本原電本店前抗議 17:00~17:45 東電本店前抗議 18:45~19:45
◆4月4日(金)経産省前抗議集会 17:00~18:00
◆4月9日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
◆4月11日(金)経産省前抗議集会 17:00~18:00 主催:経産省前テントひろば 経産省正門前
王仁三郎の神観
真の神はもとより日本専有の神ではない。世界各国で、いろいろな名がつけられている。またこの神に対する概念も、浅深、大小さまざまだ。
主神、独一真神、造物主などは、真の神の属性からつけられた名前である。神道では天之御中主神と称え、キリスト教ではゴッド(天の父)、イスラム教ではアラー、ギリシャ神話ではゼウスの神という。中国では天、天主、天帝などといい、易では太極だ。仏教でこの概念に比較的近いのは、阿弥陀如来であろう。阿弥陀如来は西方にある極楽世界を主宰する仏陀の名で、信者は死後、その世界に生まれ変るとされている。
大本では大国常立尊であり、筆先は天の御先祖きまと親しく呼びかけ、救世主神としてみろくの大神ともたたえる。また霊界物語では、素盞嗚大神がそれにあてられている。「ルシャナ仏 阿弥陀如来も伊都能売も御名こそかわれ一つ神なり」と王仁三郎は歌うが、真の神を信仰の対象にする宗教である限りただ呼称が違うだけで、実は同じ神に祈っている。だから宗教によって「わが神尊し」と争うことほど、ナンセンスなことはない。同じ神を祈っているのに、なぜこうもいろいろな宗教に分かれるのかといえば、基本的には神をどう観るかという神観の相違に帰する
世界的宗教を大別すれば、一神教、多神教、汎神教になる。一神教は一神観にもとづく宗教である。一神観では、神はただ一柱あるのみ。その神は唯一絶対の存在であり、万物を創造し、時間を超えて永遠に生きる。すべての存在は神によって支配きれ、生かされ、神の経論の中にくみこまれる。神は被造物である人間と本質において相違する超絶的存在だが、同時に人間の心を理解し、人間に働きかける人格的存在でもある。イスラム教、キリスト教は典型的な一神教だ。
多神教は多神観にもとづき、複数の神を認める。それらの神は太陽神、大地の神、海原の神、風の神などの自然神であったり、医薬・治療の神、農耕の神、真理・秩序・正義の神、生殖の神、技術の神、思慮の神というように、抽象的なカや観念を司る神であったりする。エジプト、ギリシャ、ローマの宗教やヒンズー教、日本の神道などは多神教であり、神社には多くの神々が合せ祭られている。
汎神教は汎神論にもとづき、すべての存在(宇宙、世界、自然)が神であり、神はこれらすべてと同一という宗教観、哲学観だ。インドのウパニシャツドの思想、仏教哲理、ギリシャ思想、また近代ではスピノザ、ゲーテ、シェリングなどの思想は汎神論に属する。仏教の「仏性」思想はかなり汎神論的であり、特に大乗仏教にそれがいちじるしい。
真の神は「天地万有の創造主」であり、「無限絶対無始無終の宇宙の大元霊」であると称える王仁三郎の神観は、まぎれもなく一神観だ。複数の神も認めており、そういう意味では多神観に立つ。そして「宇宙の本源は活動力にして、即ち神なり。万有は活動力の発現にして、即ち神の断片なり」というからには、汎神論である。
王仁三郎は述べる。
「宇宙根本の力を体現するものは、すでに述ぶるが如く、宇宙を機関として無限、絶対、無始、無終の活動を続けたまうところの全一大祖神天之御中主神、一名大国常立尊である。この意義において、宇宙は一神である。が、宇宙の内部に発揮さるる力はおのおの分担が異り、方面が異り、性質が異り、軽重大小が異り、千種万様その究極を知らない。そしてこれらの千種万様の力は、おのおの相当の体現者をもって代表されている。この意義においては宇宙は多神にいわゆる八百万の神の御活動である。由来、一神教と多神教とは、あい背馳して並立することができぬものの如くみなされ、今日においてもまだ迷夢のさめざる頑迷者流が多いが、実は一神論も多神論もともにそれだけでは半面の真理しかとらえていない。一神にして同時に多神、多神にして同時に一神、これを捲けば一神に集まり、これを放てば万神わかるのである。
この意義において天地、日月、万有、一切ことごとく神であり(汎神)、神の機関である。小天之御中主神である」(『大本略義』「天地剖判」)
宇宙を一大人格ととらえてみよう。宇宙は一つ、その本体は宇宙の活動力の本源である真の神一柱、一神観である。
しかし太陽も月も地球も星も、その他いっさいが宇宙の懐にあって活動しているように、真の神の力徳の大小の変化にいちいち神名をつけた時、それが八百万の神々となる。また真の神から生まれたいろいろのエンゼルや古代の英雄を神と呼ぶ場合もある。つまり多神観だ。巻けば一神、聞けば多神で一神即多神、多神即一神である。
宇宙間のすべてが真の神の霊力体で作り出され、分霊、分力、分体を受けている。これは汎神論である。ただ王仁三郎の汎神論で注意すべきは、「石ころ即仏」、「木の葉即仏」ではく、石ころも木の葉も真の神の一部分だということである。
別の角度から説明しよう。ここに一冊の本がある。つらぬかれているテーマは一つだ(一神観)。だが開けば何百ページに分かれ、それぞれに意味がある。(多神観)
そしてどのページも本の一部分だ(汎神論)。ただし本そのものではない。
地の上に 数多の国はありながら 信ずる神は一つなりけり
一はしら 神のいさおを八百万 わかちてとける大本の道
八百万 神はいませど伊都能売(いづのめ)の 神の分かちし霊魂なりけり
西東 南も北も天地も わが身も神のふところにあり
人体のたとえ
人体でたとえれば、人体は一個体である(一神観)。その人体は頭、胴、子、足、さらには骨、筋、、皮膚、内臓などに分れ、それぞれ独自の働きを持つ(多神観)。そしていかなる部分もすべて細胞から成り立ち、その一つ一つの細胞は生きて活動している(汎神観)。ここに太郎がいる。何か真剣になそうとする時、彼のカは一点、思いは一念に集中される。まさに太郎は一つだ(一神観)。だが太郎にしても、心が千々に乱れることがある。また太郎の行動に名がつけられる。体全体で行動する時、立つとか、坐るとか、走るとか、止まるとか。また体の一部たとえば指先の動きにつねるとかなでるとか、くすぐるとか(多神観)。そして指もまた太郎の一部分である(汎神論)。ただし太郎そのものではない。このように王仁三郎の多神観も汎神論も、真の神の本質を説明する便宜のためであり、本質的にはあくまで一神観である。
「反可通学者は、日本の神道は多神教だからつまらない野蛮教だといっているが、かかる連中はわが国の神典を了解せないからの誤りである。独一真神にして天之御中主神と称え奉り、その他の神名はいずれも天使や古代の英雄に神名を附せられたまでであることを知らないからである。
真神は宇宙一切の全体であり、八百万の神々は個体である。全体は個体と合致し、個体は全体と合致するものだ。故にわが神道は一神教であるのだ」(『筆のしずく』五)
大本教旨
それ以外に王仁三郎は独特の汎神論を持つ。それを大本教旨といい、いわば大本の教えの根幹をなす。
「神は万物普遍の霊にして、人は天地経論の主体なり。神人合一してここに無限の権力を発揮す」
第一段は神について。万物に普遍している霊が神だというのだから「巻けば一神、開けば多神」という王仁三郎の神観に立つ時、万物に普遍した霊は、総根源たる真の神から分け与えられたものだということを、理解しておく必要がある。
第二段は人について。天は地上に対する宇宙、現界に対する霊界を意味するから、天地とは霊界現界を合わせた全宇宙である。経論とは、「唯天下至誠、為能経論天下之大経、立天下之大本、知天地之化育」(『中庸』)、「上下心を一つにして、きかんに経論を行なうべし」 (「五箇条の御ご誓文」一八六八(慶応四)年とあるように、天下国家をととのえ治めるための雄大な構想の意味がある。つまり人は字宙全体を立派にととのえ治めるために構想し実践すべき主体であり、これほど人間としての存在を高く評価した哲学は他にあるまい。
第三段は神と人との関係について。大本教旨にある「神人合一して」は、「霊体一致して」と表現される場合もあるが、この方がより広い意味を持つ。神は霊であり、人はその霊を容れる体だ。いくら霊で自の前のグラスを取ろうと念じても、体が協力せねば取ることができぬ。
だが霊の働きが停止すれば、ただこんこんと眠る植物人間になるよりあるまい。霊と体と合して初めて力が出るように、神と人とが一体になってこそ、初めて無限の力を発揮できるのだ。
真神は 万物普遍の霊にして 人は天地の経論者なる
大神の みたまをうけし人の身は 天地経論の主宰者なりけり
主の神は 万物普遍の霊なれば 人を造りて世を聞きましぬ
人は神の代行者
もし神と人とが完全に合一したとすれば、自分からも、社会からも、その外側の地球からも解放され、思わず言霊となってほとばしろう。
天にかがやく月日の玉を/取ってみようと野心をおこし/天教地教の二つの山を/足の台にして背伸びをしたら/雲が邪魔して一寸にや見えぬ/見えぬはずだよ盲目の企み/そこでちょっくり息してみたら/雲が分かれて銀河となった/左手に太陽わしづかみ/右手に月をばひんにぎり/顔にあてたら目ができた/顔にあてたら目ができた
さらに王仁三郎は歌う。
日地月丸めてつくる串団子 星の胡麻かけくらう王仁口
日地月星の団子も食いあきて いまや宇宙の天海を呑む
「神が全智全能ならば、なぜかかる不公平なる世界をいつまでも放置しておかれるのか。賛沢三昧に暮らしている国があるかと思えば、一方では飢えに苦しむ国がある。この世界には差別がいっぱいだ。これでは人類の苦しみを眺めて喜んでいるとしか思えない」 という疑問に出合うことがある。
神は「隠身」、つまり肉体を持たぬ存在だ。そこで神は全智全能なるが故に、人を地上に下して、自分の代行者として天地経輸の働きをになわせた。いわば人は地上における神である。この現界においては、人が主体なのだ。神と人とがあいまって初めて、神の全智全能の威力を発揮できる。
神は山河草木を造り出したが、人間の力が加わらねば、山河草木は依然として太古のままであろう。神はこの宇宙を生成化育、無限に発展させようという大欲望がある。そしてこの地上にすばらしい楽園、みろくの世を造ろうと望んでも天地経総の主体としての大使命をになう人が協力せねば不可能なのだ。ただ祈っていれば理想的世界が到来すると考えているような宗教があるが、それは神と人との関係を理解しないからにほかならない。
真の宗教者ならば、世界の軍備全廃のために率先して行動することを、王仁三郎は教えている。みろくの世が実現するもしないも、すべて人の責任にある。この世がいつまでもよくならないのは、人が神の意志を無視して勝手なことをやっていることの証明でもある。
ではみろくの世を実現するのは、神か人か。こんな笑い話がある。「大坂城は誰が造ったかね」「もちろん豊臣秀吉だ」「違うな。大工や左官が造ったのだ」
確かに大坂城は大工や左官が造った。秀吉がいかに権力があろうと、大工や左官がいなければ、大坂城はできなかった。しかし大工や左官が何万人いようと、あの時、秀吉が築城を決意せねば、大坂城はできなかった。働き手は大工や左官だが、しかし誰が造ったかといえば、やはり豊臣秀吉が造ったというべきであろう。
そのように、みろくの世の建設のための働き手は人だが、絶対的な権限はやはり神にある。革命は人の知恵の限界内で、人の力で理想世界を築こうとするものだが、それが実現してはたして人類が幸福になれるかどうかの保証はない。あるいはジョージ・オーエルの『一九八四年』のような、人聞ががんじがらめに管理されるような状況にならぬとも限らない。だが王仁三郎のいう世界改造は、神人合一、神と人との協同作業で理想世界を築こうとする。それが立替え立直しである。
ちはやふる神の霊魂をわかたれし 人は神の子神の宮かも
いと小さき人聞なれど魂は 全大宇宙に感応するなり
世の中の一切万事の出来事は 神のよさしの経倫としらずや
手も足も動かさずしてみろくの世 はやこよかしと祈る曲神
延び縮み心の船のままぞかし 神の経倫は人にありせば
体も霊魂も神のものなれば 仰ぎうやまえ我とわが身を