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フランシス・フクヤマは1989年に「歴史の終わり」を発表して注目された。1989年にはベルリンの壁の崩壊(12月)があった。そしてソ連邦の崩壊(1988年から1991)があった。いわゆる戦後の冷戦構造の崩壊である。この「歴史の終わり」はベルリンの壁の崩壊やソ連邦の崩壊を予測してものでもあったのだが、この冷戦構造の崩壊を自由民主主義のイデオロギー(理念)の勝利として論拠づけた。これは戦後の社会主義と自由民主主義の対立を「歴史」(国家統治のイデオロギー闘争としてとらえる)の終わりとしたのである。マルクス主義的な歴史観では歴史は階級闘争の歴史であり、資本主義の終わりと社会主義への移行が1917年のロシア革命によってはじまったということが主張され、流布されていた。この歴史観はいわゆる階級史観としてあり、ヘーゲルーマルクスの歴史観(弁証法的な歴史観)といわれた。フクヤマはヘーゲルの弁証法を使いながら階級史観ではなく、政治的統治の歴史(国家史、政治史)にこれを適用していた。」世界の動きを政治的統治の歴史とみて。この弁証法的方法を使っていた。
だから、フクヤマには国家体制をめぐる人類史的な闘争論があり、その最終段階として共産主義(社会主義)と自由民主主義のイデオロギー闘争があり、自由民主主義(イデオロギー)の勝利は国家統治をめぐる「歴史」の終わりを意味するとした。つまり、国家統治をめぐる理念(イデオロギ―)闘争ではこれ以降には自由民主主義を超えるものは出てこないだろうから、今後のこの枠内での議論は続くにしても、その枠を超えるものは出てこないとしたのである。これは西欧的な政治観に依拠したものであることはいうまでもないことだが、近代西欧の思想制度を普遍的とする思想に依存していた。その意味で僕は違いを感じてはいたが、冷戦構造の崩壊に対する分析や論評としてはおもしろかった。
フクヤマのいうイデオロギー(理念)は体制の理念であり、体制とは国家統治の形態であり、統治構造のことである。なぜに、共産主義理念は崩壊したのか、あるいは自由民主主義に敗北したのかはいろいろの議論もあったし、フクヤマの議論はこの点では興味深いものだった。僕は共産主義の統治理念(政治理念)に問題があったこと、いわる「プロレタリア独裁による統治」に問題があったとみていた。これはスターリン主義の問題の認識と関わることだったが、マルクス主義がこの問題をきちんと扱えてこなかったことも認識していた。反資本主義的な経済(社会主義的経済)をどのように構築できたかという議論が中心にあり、統治権力(国家権力)の創出-形成―展開において社会主義権力はなんであったかの総括(反省、あるいは反省的対象化)が、新旧のマルクス主義ではなされなかったのである。これは今日のプーチンや習近平への対応(混乱的な対応)と関係している。僕はフクヤマのように近代西欧の思想制度を普遍的なものとみなしていなかったが、その対抗原理としてあった社会主義の自壊というか、敗北を目前にして、その総括をどうしたらいいか、悩んでいたことは確かだった。
冷戦構造崩壊を資本主義の自由民主主義の勝利とするのではなく、社会主義権力の敗北(自壊)として僕らは見ていたし、この敗北を資本主義や自由民主主義を変革していく、対抗原理の創出の課題という面から見ようとしていた。冷戦構造の崩壊の前から社会主義権力(ソ連や中国の権力)を僕は批判する立場に立っていた。だから、それを、本当の社会主義権力の創出の課題と考える基盤はあったし、そうしようと考えてきた。冷戦構造の崩壊とそれに続くソ連邦の崩壊から、すでに30年以上の歳月を経ているのだが、このフクヤマの予言というか、歴史への判断は実現したのだろうか。
2022年の2月にはロシアのウクライナ侵攻があり、想像もしていなかったロシアとアメリカの対立が出現した。また、中国のアメリカに対する対立も出現している。ロシアのプーチンも中国の習近平も西欧的な民主主義体制に対して、社会主義的体制というイデオロギー的な対置をしているわけではないが(彼らはロシア流の民主主義や中国流の民主主義を主張しているが)、フクヤマのいう民主主義体制(西欧的な民主主義体制)に対する挑戦はある。その対立であることは疑いない。これは1980年の後半から1990年代のはじめにフクヤマが見通していた事態とは違う事態の出現である。民主主義体制に対して敗北したはずの独裁的で専制的な体制(権威主義的体制)の復活と挑戦ともいえるからだ。僕はプーチンや習近平はイデオロギーとしては明確化しているとおもわないが、彼らはスターリンや毛沢東の後継者であり、共産主義(国家主義)の継承とみている。フクヤマはこれをどう見ているのか。ウクライナ戦争ではロシアの完敗を予測しているが、中国の動向をどう見ているのだろうか。
フクヤマはロシア(プーチン)や中国(習近平)の言動ということより、アメリカでのトランプ大統領の登場ということにその衝撃を受けたのであろうが、世界の動向の中で、彼の分析し、予測した「自由民主主義」の展開が生き詰まり
予想外の展開にあることをみているのではないのか。その事態に対する分析と解答が本書というわけだが、かつての冷戦とは違った新冷戦が訪れるかもしれない今、このフクヤマの書は非常に面白いし示唆に富む。
民主主義というのは自己統治としての国家統治のことである。自己というのは国民(地域住民や市民)が主体として国家を統治することであり、それが最初に現れたのはギリシャのポリスにおいてだった。それは近代においてヨーロッパで志向されたし、憲法制定権力はその具体的な現れだった。リベラリズムは
民主主義の理念にというか、背後の思想である。民主主義はプーチンも習近平も使うが、僕らがそれにある種の違和を感じるとすれば、民主主義の根底にある自由(リベラル)の欠如をそこに感じるからだ。かつてならブルジョワ民主主義とプロレタリア民主主義があるような議論もあったけれど、民主主義にブルジョワ民主主義とプロレタリア民主主義があるわけではない。民主主義は自己統治の概念であり、国家の構成員による自己統治としての国家統治という考えである。国家統治の歴史的な考えであり、それを人間の存在に関わる思想から根拠づけているものがここでいうリベラリズムである。
近代西欧で発生した民主主義(人類最初の民主主義は古代ギリシャの民主主義)は法の支配とか、支配権力の抑制(憲法理念)としてあるが、それを支えているのが、リベラリズムであり、近代市民思想といわれるものだ。フクヤマは古典的リベラリズムの再確認と擁護という形でこの本の展開をしているが、誰もが民主主義のことを口にするが、突き詰めていくと曖昧になってしまう状況のなかでは一つの考えだと思う。民主主義論としてネグリが構成的権力論としてそれを検討しているが、曖昧さを克服しえていない、と思う。
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この本は10章にわたる編成でなっているが、その最初の章は「古典的リベラリズム」とは何かであり、その確認である。彼はそれをアメリカでの中道左派政治の思想(一般にリベラル派とよばれるもの)、あるいはリバタリアニズム(自由至上主義)、欧州で使われる意味でのリベラリズムではないが、それらを含む大きな傘のようなものが古典的リベラリズムだという。そして、平等な個人の権利、法、自由が大事だと考える点では一致していると語っている。ただ、近年、右派のポピュリスト(アメリカのトランプなど)だけでなく、左派(アメリカも民主党のサンダースなど)の挑戦も受けている、という。リベラリズムが社会主義(共産主義)の対抗概念であった時代には見えなかったリベラリズムの多様性が、社会主義の後退後には露呈しているのが現在ということだろうと思う。僕は
冷戦構造の崩壊をフクヤマのいうように自由民主体制の勝利というようには分析しなかった。社会主義の体制が崩壊したのは自由民主体制との対抗で敗れたというよりは、自壊したのである。、だから、今後は自由民主体制の理念が現実との間の関係を試されるだろうと思った。自由民主体制がその理連と現実の関係が問われるのである。その関係、関係的な矛盾が共産主義との対抗関係中で隠されていた矛盾が表面化するというように。自由民主主義という体制、統治形態の中で、国家権力と構成員の関係、個人の権利と制度との関係などが問われるのである、と見ていた。フクヤマがこの本で扱っているのは自由民主体制が対抗関係を失ったときに直面する理念と現実の矛盾であり、統治体制と個人の関係の矛盾などであり、それは興味深いが、彼には自由や民主主義が体制的にあるときに、現実と理念の矛盾があることには着目していなかったようにも思う。自由や民主主義をブルジョワ民主主義として批判するものとはべつに、体制的理念としての自由や民主主義を現実と理念に関係から批判する動きもあったし、そこはフクヤマにはなかったのだが、そこから出てくる矛盾にフクヤマが目を向けざるをえなくなっているのはこの本の特徴だし、そこは当然のことといえる・
一つとして新自由主義の問題がある。新自由主義は経済過程への国家の介入を小さくするということであり、小さな政府ということであるが、これは経済的自由主義であり、現実には格差拡大と新たな貧窮を生みだした。これは社会的福祉の削減をして、保護ネットの必要性を不可避にしているが、この背後で僕は新自由主義が経済過程への国家介入を避け、そこでは小さな政府が強調されながら、国家の軍事面では国家強化が図られるということだったこともみている。軍事面でこそ小さな政府が望ましいのだが、そこは逆だった。この新自由主義は国家関係において、自由と民主主義の統治形態の押しつけということもあり、国家関係が力と支配の関係から少しも開放されていない面がみえた。ブッシュ大統領のイラク戦争はおけるふるまいはそれを示していた。アメリカの民主主義と戦争の関係をあらためて問うことを僕らに強いたといえるのだろうか。これは今回のウクライナ戦争でアメリカに対する人々の疑惑を生んでいる理由でもある。
自由民主主義体制を超えるものとしてあったのが社会主義という体制だった。これは資本主義批判と結びついていた。つまり反資本主義ということと、反自由民主主義ということは結びついていたのである。この社会主義体制というのは「プロレタリア独裁による統治」ということであったが、その統治形態や実態は明確にならなかった。スターリン主義という独裁的・専制的政治形態のことが明瞭になるだけだった。独裁的な政治体制ということは権威主義的な体制ということであるが、それならば自由民主主義体制とはなにか。
「リベラリズムは。しばしば<民主主義>という言葉に包含されるが、厳密に言えば、リベラリズムと民主主義は異なる原則と制度に結びついている。民主主義とは、国民による統治を意味し、今日では、普通選挙権を付与した上での定期的な自由で公正な複数政党の選挙として制度化されている。私が用いている意味でのリベラリズムとは、法の支配を意味する。法の支配とは、行政府の権力
を制限する公式なルールによる制度である、たとえ、行政府が選挙を通して民主的に正当化されたとしてもそれは制限される」。
これがフクヤマのいう「リベラルな民主主義である」が、僕はこれだけでは何かが不足しているように思える。僕は民主主義とは「権威による統治」ではなく「討議による統治」であると考えている。「討議による統治、のために議会があり、そのために選挙があり、政党政治がある。「討議による統治」とは国家の意思決定が構成員による「討議」で決められることであり、権威による統治とは権威(例えば天皇)の意思による決定である。天皇の統治(権)とはこういうことだった。多分、僕らは日本で民主主義があるか、どうかに考えるとき、討議による統治の不足を考える。不足というよりはそのような形の民主主義は不在というべきだ。選挙や政党政治が民主主義の制度であるというが、討議のよる統治
(討議を通しての国家意思の決定)が不在なら民主主義は空洞的なものであり、不在というほかない。国会(議会)は形態や制度として民主主義いわれるが、その根本には「討議による統治」があって制度として機能するのであって、それが不在なら民主主義の制度と言っても意味をなさないのだ。僕らが、今、政党政治や選挙に空洞性を感ずるとすれば、討議による統治ということ、それによって国家意思の決定の不透明さも含めた不在を見ている。討議に統治(国家意思はの決定)はどのような政治形態で実現するのかも含めて根本的な政治のあり方のビジョンを持たなければ、民主主義の議路は空しい。僕はフクヤマの提言にもそれを感じる。統治による統治の対極にあるのは政治的支配者や組織(官僚)の独裁的。独善的な国家意思(政策など)の決定である。例えば閣議決定という国家意思の決定には国民の意思は何処にも存在しているようにみえない。現在の政治制度では民主的な行為とみなされている。形式的な制度よりも、国民の意思が参画しているようには見えない。国民的意思が討議となって存在している様相が何処にも見えない。国民の意思の参加ということは、どのような形態であれ、討議という形が不可欠であり、結びついているのだ。国民の意思から隔絶された機関(官僚的機関や政党)の意思が国家意思として現れることは国民の討議の不在であり、それは機関の意思行使に討議が不在であることと結びついている。自由(リベラル)ということは国家の意思決定に参画でききる自由がることだが、それは討議する自由があり、それが根幹にあるのだ。誰が何処でどのように討議
して決定したのか見えない国家意思の決定という政治を対極にみればいい。
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この本の中で強調されているのは個人の自律性と保護である。個人の尊厳と言ってもいい。ただ。左右のリベラリズムによってこの基本原理が極端に進められ原理自体が損なわれる事態をうみだしているという批判というか、フクヤマにはある。リベラリズムへの不満である。右派によって進められたネオリベラリズム(新自由主義)がその一つだとすれば、左派では自律とはアイデンティティの政治であり、これを進めると寛容というリベラリズの前提を損なわれるとする。このあたりの指摘は面白い。例えば、現在の動向の中で情報や科学(科学的合理性)の問題がでてくる。コロナ問題はその一つだった。そこで権威主義的な権力は情報や科学を無視するか、政治的に操作する。僕らはここであらためて、自由の重要さに気が付く。科学が合理的なものとして僕らに届き、合理的なものとして機能するとすれば、自由がなければならない。政治(権力)が介入すればそれは歪められるのである、情報についても同じである。この本の中ではリベラリズムに対する左右の批判を扱っている。左派(多くはマルクス主義から転向したリベラル派)の批判はそのアイデンティティを急進的に追求すると、自由の寛容さが損なわれるというのがフクヤマの見解だが、ここは面白いいがフクヤマのリベラリズムが体制的なものに陥っていると思える。僕は自由民主主義に対する対抗イデオロギーであった共産主義(社会主義)のイデオロギーが失墜したあと、民主主義のことに興味を持ったし、そこに注目してきた。それは主にフクヤマが左派の批判理論として指摘しているものだ。僕は彼が批判している左のリベラル派(批判理論)に注目してきたが、そこに共感も持ってきた。彼の分類によればフーコーやポスト・モダン派はこちらに入る。フクヤマは中道リベラル派とでもいうべき存在なのであるが、自由や民主主義を統治論として理解する視点さえあれば、多くのことが読み取れると思う。ただ、フクヤマには民主主義を統治論(統治権力論)として理解しているのかという点では疑問はあるのだが。
それは彼のリベラリズム論が体制論であることと関連している。
経産省よ、 原発無くして! 柏崎刈羽再稼働を止めて! 11月28日(金)
日本祈祷団が経産省前で戦争反対と原発反対を訴えて祈祷、三上さんほかテント座り込み者も参加。Szさんの「原発では明日がない」と「原子力発電NO」の歌で抗議行動開始。
Kmから、25日に柏崎刈羽の再稼働是非を県民に決めさせろと訴える1200人が県庁包囲、東京からも大阪からも知人が参加していた。12月に柏崎刈羽再稼働阻止の為の院内ヒアリング集会も準備中。コール<柏崎刈羽再稼働反対、地震対策いい加減だぞ、福島は終わってないぞ、東電に原発動かす資格ないぞ、…>
Skさんが、14年間もここで原発政策を転換するように訴えている、放射能被害は続いている、再処理も40年以上成功していない、「原発なくして良い社会にしていく」そういう声を経産省では出せないのですか? 福島の人が東京で避難生活をおくるようになった、放射線量が高いので長く福島に居たくなかった、福島原発被害東京訴訟に注目。
Heさんが、民族排外主義を批判、若狭の原発稼働を批判、福井県の高浜集会に参加する。
Htさんが、311後、原発は全部止まっていた、原発再稼働は一体何なのだ、経産省なんて無くなればいい。女性首相と話題になっているが、小池知事も芳野連合会長も女性だ、いいのか? 経産省よ、絶対に原発再稼働をすぐやめて。明日土曜には新宿で反戦集会がある。
Kmから、高市首相は自分の非を認めて謝罪することをしない、ひどい。
Myさんが、寒空に負けずに「座り込め、ここへ」と「水に流すな」を歌い、ドイツ公共放送が高市首相が非核三原則を無いものにしようとしていると報道、原発と核と人間は共存できない。
Kmから、原発が再稼働されてきているが、大事故を起こした日本から「原発は安全・被ばくしても安全」と嘘の情報を世界に発信して、迷惑をかけている。
Rnさんが、私たちは経産省はじめ原子力帝国と渡り合っている、水力・太陽光・風力ほか自然エネルギーがある。明後日の日曜に斎藤美智子さんを偲んで川柳句会が開く。
テントがある時によく来てくれたChさんが息子が戻ってきた話をして喜びを表した。
Tmさんが、経産省の皆さんあなた方の仕事の目的は国民の命を守ることでしょう。新潟の柏崎刈羽も北海道の泊も、うごかしてはいけない。コール<原発いらない、地震の国に原発危ない、避難ができない原発危ない、老朽原発最も危ない、原発いらない、…>
終了後、首相官邸前でも柏崎刈羽再稼働反対集会、戦争反対集会。
ご参考(AIが示す集会の重要ポイント)
•柏崎刈羽原発や東海第二原発の再稼働は安全面で問題が多く断固反対する。
•原子力規制委員会や地方自治体の再稼働容認に対する強い批判。
•原発被害者の裁判の現状と苦難の実態の紹介。
•高市首相による核政策の容認や核兵器関連発言への反発。
•原発政策の問題点を経済産業省に直接訴え、闘い続ける意志表明。以上 (Km)
脱原発テントひろば 青空川柳句会
12時より脱原発青空テント川柳句会が開催されました。暖かな陽の射す小春日和の一日でした。今回の川柳句会参加者は初参加のお二人を含めた8名。
席題は「いのち」、「生きる」
昨年9月に亡くなった斉藤美智子さんの追悼句会につき追悼句を1句
Nさんが、撮影・プリントして下さった斉藤さんの遺影と、乱さんの句「哀悼斉藤美智子さん」を飾って始まりました。
・反原発 ひとすじの道 ひたすらに 乱鬼龍
・反核ひとすじ 美智子天寿を 全うし 乱鬼龍
斉藤美智子さんは、お元気な時には毎日座り込みに参加されていたので、川柳句会のある日曜日は句会にも毎回参加して下さっていました。席題をお伝えすると15分程度で達筆に4句を書き上げていた姿が思い出されます。短時間で作られるにもかかわらず、それがほぼ毎回入賞されていたことも印象的でした。
14時35分投句締め切り、入選者の発表、披講となり、まず斉藤美智子さん追悼句が2回ずつ読み上げられました。
「斉藤美智子さん追悼句」
・軍国から 真の愛国 少女へと - ふ64
・主のもとで 安らかな日々 祈ります - 乾草
・慈母の声 為政者たしなめ 三世に届く - 海の民
・いわし雲 テントひろばに 君が翔ぶ - 小貧民
・さりてなほ 斉藤節の 冴えわたり - 琉香山
・脱原発 斉藤美智子 共にあり - 原子力ガリレオ
・道端に 小さく強き 意思ありき - 芒野
次に入選句が発表され、”原発は未完の技術”ミカン、”こんなバカな世の中に誰がした”バナナ、海苔、”原発はイカん”イカの缶詰、雑誌「川柳マガジン」、季刊誌「季節」など多数の賞品が乱さんより入選者に手渡されました。
入選句は以下の通りです。
「いのち」の特選
・生命なき AIまかせ 大丈夫 - 芒野
「いのち」の秀句
・スマホ中毒 ゲームの駒に 人が見え - ふ64
・命(ぬち)かぎり 生きぬき戦後 おばあに春 - 琉香山
・汚染土を 命削れと 国は撒く - 原子力ガリレオ
・この命 国の犠牲に するものか - 幸柳
・戦うぞ 命の限り 脱原発 - 海の民
「生きる」の特選
・生きる意味 教えられたし ガザの子に - 海の民
「生きる」の秀句
・生きるとは 意思を示して 座ること - 芒野
・忖度が いまだ生きてる 伏魔殿 - 琉香山
・長命を よろこぶべきか 弾とぶ世を - 小貧民
・金稼ぎ 生きてるだけか 自民党 - 幸柳
・原発が 長く生きれば 次は事故 - 原子力ガリレオ
次回の脱原発テントひろば青空川柳句会は、12月21日(日)12時より開催いたします。是非ご参加ください。
12月1日(月)
いつもより少し遅れて経産省前に着いた。先に着いていたMiさんは、周りのゴミを拾っていたらしく、ゴミの入ったビニール袋を手に持っていた。直ぐにグッズを降ろして、セッティングを開始。バナー4枚とノボリ旗7本を終えたのは、ちょうど12時だった。
直ぐに反原発ソングを掛けて通り掛かる人々にアピール。「福島原発事故は終わってないぞ!」「汚染水を海に流すな!」「原発の再稼働反対」。
一段落したところに、Miさんが温かい紅茶とお菓子を用意してくださった。美味しく頂いた。
午後1時前に英語講師のAさんが来られた。 乱さんが作った斎藤美智子さん追悼会ビラを渡したところ斎藤さんを写した画像を一杯撮っていて、それを見ながら思い出を語り合った。
1時10分ごろに外国人3人組が通りかかったので、英語バージョンを渡したところ、すぐに読んでくれて、我々が何故ここで座り込みをしているか理解してくれた。英語講師のAさんが居たので、会話がスムーズに出来た。あとでAさんに聞いたらフランス人だったそうだ。私の頭の中にはイギリス人しか思い浮かばなかったが。
1時半にKuさんが2時から始まる「東海第二原発の院内ヒアリング集会」に、スタッフとして関わっているので、議員会館に行かれた。
きょうは第一月曜日なので同年代のMiさんが会えるのを楽しみにしていた。ところが、いつもなら2時半過ぎに来られるのに、きょうは遅れていた。3時になっても来ないので、他に用事があるMiさんは諦めて、虎ノ門方面から帰られた。その直ぐ後に反対方向からⅠさんが押し車で来られた。Iさんに事情を説明した。
Ⅰさんから、東京都が発行しているシルバーパスについて聞かれたので、説明した。利用している頻度から推測したら、12000円払って購入しても、使い切れないようなので、今まで通り、その都度、現金で支払う方法をお薦めした。
きょうは、気温も23℃と暖かで、日差しもあって、風もほとんど無かったので、楽な座り込みであった。
12月1日(月)欄外あるいは脚注
◯政府のインテリジェンス機能を大幅に強化
強化すべきは「諜報」ではなく「知性」。「戦艦を使って」発言のように、それがもたらす影響を心配などしない頭脳。あるいは「公衆浴場での社会の混乱」といった荒唐無稽な心配をしたりする頭脳。まさに「intelligence」を欠いている。
◯「続・今日は何の日」
東京新聞11月29日朝刊によれば、南北線開業の日ということ。国連総会において、パレスチナ分割決議(181号)が採択されたのが1947年11月29日。その日、第一次世界大戦後、国際連盟の御墨付きにより英国の植民地(委任統治領)にされたパレスチナは、完全独立ではなく、永年暮らしてきた土地の57%を気前よくイスラエルに渡すことを要求された。しかもイスラエル領とされた土地にもパレスチナ人が大勢いた(半数以上)。
その後の歴史をみれば、欧米と同じく、国連はイスラエルによるパレスチナの植民地化を認可したということがわかる。
◯新聞報道のパレスチナ
ここ一ヶ月で、パレスチナ関係の三冊の本を読んで気がついた。入植者植民地主義、人種差別という言葉がないのだ。ジェノサイドも稀だ。あるのは人道危機ばかり。つまり、報道していないことがあまりに多いのだ。
「イスラエル=アメリカの新植民地主義ガザ〈10.7〉以後の世界」ハミッド・ダバシ 2025.5.30
「パレスチナ、イスラエル、そして日本の私たち 民族浄化の原因はどこにあるのか」 早尾貴紀 2025.4.1
「イスラエルについて知っておきたい30のこと」 早尾貴紀 2025.4.20
◯マルコムXの警告
それは「テ-ブルに座っても、皿の上のものを食べなければ、食堂にはならない」。どういう意味なのか?この警告を引用したカィンディ・アンドリュ-ズは、国連を例にあげている。国連は、総会での一構成員につき一票の投票により外からは民主的に見えるかもしれないが、この組織は(中略)安全保障理事会の決定で治められている。(中略)すべての国が食卓に座る権利を持つが、何を食べるかを決めるのは、あらかじめ決められた国だけなのである。
12月2日(火)
晴、やや曇り気味で寒かった。座わり込みは6〜7人(途中から3〜4人になった)。2011年福島原発事故から14年、されど世界の原発はうごいている。なかんずく広島、長崎の被爆国にして、2011年福島原発事故を經驗している日本においてなお、原発撤退にいたっていない。
経産省前は、時たま座り込みに話かけてくる通行人もいるが、あたかも何もなかったかのように時がすぎてゆく。しかし福島原発事故で故郷を失い、帰るところもなくなった多くの福島県人がいることを我々は知っている。
そして経産省前には第2テント=福島の女たちのテントも建てられ、福島からやってきた女たちが座り込み、又、隊列を組んで経産省包囲デモを行った。
「脱原発」「原発いらない」の声は日本国中にひびいた。多くの人が日本から原発を無くそうとの想いを抱きはじめた。
日本を核発電、核武装大国にしたい国家権力保持者たちは、それを恐れ、2016年警察権力を用いてテントを強制撤去した。しかし我々は、それを闘いに転化すべく、直ちに経産省前座り込みを開始した。それらの攻防を経て14年、脱原発の国民的世論は日本を覆い、動かし難いものになりつつある。
それを眼に見える形で表しているのが、経産省前テント〜座り込みである。だからこそ、国家権力は警察権力を用いて2016年9月テント強制撤去に踏み切った。だが、われわれはそれをものともせず、即、経産省前座り込みを開始した。それは「テント」と変わらず目に見える形での、経産省前での日本国民の「脱原発」の声である。−われわれは、脱原発をなしとげるまで、座り込みを続けるぞ。
12月3日(水)
曇り。セッティング時に雨がパラパラと降ってきたが、まあ1日中大丈夫だった。統一教会が、文科省のところで車1台・マイク音の街宣。いま、山上さんの裁判・本人尋問が続いているし、韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領が、統一教会(鶴子"ハン・ハクチャ"総裁)に、解散命令が出せるか検討に入ったという状況だからだろう。
セッティング中に目の不自由なHさんがきた。ずっと座り込んでくれていて、1時前に裁判の傍聴に行った。
12時過ぎに元共同通信記者の福島さんが「支援しているクルド人・デニスさん関係の裁判がある」と言われて通り過ぎる。Fさんが「裁判があると思ってきたが、間違えたので」と、足元に「戦争やめろ」などプラカードをおいて座り込んでくれた。いろんな話をするが、Fさんは「山上さんの裁判の証言を見ていて、沈着で、安倍銃撃についても自力で熟慮を重ねて行動したことがよくわかる。統一教会によって母と山上家族が悲惨な目に会わなかったら、きっと立派な人生を送っていただろう」と言われた。それから当然だが、高市批判をされ、マスコミが高市を支持しているようで、「日本が台湾、中国、朝鮮を侵略支配した歴史をまったく言わずに『台湾有事を日本有事』なんていう、お先棒を担ぐのはだめだ」と言われた。Fさんはカンパをしてくれて、結局、家に帰られた。
パレスチナ支援の外務省行動をしている女性が立ち寄り、カンパをしてくれた。小野さんが来た。何年ぶりか。聞けば胃がんや前立腺がんや、ほかにもがんを患って手術・入院で大変だったこと、しかし生還できたこと、体重は45kg位になってしまったが、いまは55kgくらいまで回復したこと、人々の動静などを話した。
今日は12月3日で、沢地さんの「3の日行動」のある日で、終ったからヨーカンさんたち3人の女性が立ち寄ってくれた。続けて、その行動に参加された古藤さんと大島さんがいつものように寄ってくれた。今日は150人集まって、みなさん高市批判をしたと言われた。
通りすがりの人がバナーの絵を見て「いい絵だ」とほめてくれた。保っちゃんは「宮城県の画家が書いてくれたのです」と説明。おじさんは「絵を大事にしなよ」といってくれた。Hさんは裁判の傍聴から戻ってまた座り込んでくれた。保っちゃんは、あったかいコーヒーをふるまう。
当番のAnとともに片付けに入る。寒くなってきた。今日は14人にもなった。
今日は第一水曜日なので、夜に東海第二と東電への抗議行動がある。保っちゃんはそれにも参加する。
12月4日(木)
Inさん、Yoさんと3人で設営。雲一つない抜けるような青空だが、風が少し強く、日陰だと寒く感じる。Yoさんは、日の当たる車道側に椅子を移動して陣取った。12:45 Okさん着。「先週11月28日の"柏崎刈羽原発動かすな官邸前行動"では、新潟出身の若い女性の発言が素晴らしかったね」と感想を語り合う。その女性は東京で学生として過ごしていた時に中越沖地震が起き柏崎刈羽原発で火災というニュースを聞いた時の恐怖感を語り、涙声で「お願いですから原発に反対してください」と訴えていた。
立ち止まって私たちを見ている女性がいたので、Inさんが声をかけると、「柏崎刈羽の再稼働もう決まっちゃったのですよね。私、新潟県の30キロ圏内の出身なのです」と不安げに言った。私が「まだ決まってはいません。あきらめるわけにはいきませんから、ぜひ私たちの活動に参加してください」と言ってチラシ類を渡すと、「ありがとうございます」と言って受け取って行った。13:25 通りかかった男性が「寒いから気をつけてくださいね」と言ってカンパを入れて行ってくださった。一人の女性が私たちの「原発なんかいらない」というバナーを見て、「原発いらないわよね」と言って通り過ぎて行った。14:00 過ぎ、後半担当のTaさん、Suさんが到着したのでバトンタッチした。
=======投稿=======
11月28日「柏崎刈羽原発動かすな」官邸前行動実施報告 (漆原牧久)
18:15~19:15、約40人が参加、マイクリレーにて抗議を行いました。印象深かった2人の女性の発言を以下に紹介します。
女性A:私はちょっとこの前を通っただけなんですけども、出身が新潟県の中越になります。私が生まれた所は三条市なんですけど、祖母の家は長岡市にあります。長岡市が一体どういう所かと言うと、もしも柏崎刈羽の原発で何かあったらすべてを捨てなければいけない土地です。私が大学生の時に東京にいたので、こっちで中越地震のニュースを見ていたんですけど、その時に誤報で「柏崎刈羽の原発で火事」というニュースが流れました。速報でした。その時の緊張は忘れられません。原発があるということは、そこにいる人たちがすべてを捨てるということです。私がその時に考えたのは、子どもの時に過ごした家も、祖母の家も、無くなって避難生活になるんだと、そういう覚悟を私たちは強制的にさせられているのだと。実際、新潟県の人たちの中には原発に反対している人たちはすごくたくさんいます。だけれども、選挙の時に原発に反対する人はいません。言ってはいけないような空気があります。それが、私たちが感じてきた原発というものです。この東京の土地で電気を使うために、私たちの土地は犠牲になります。でも何かあったら私たちが全部を捨てて東京を守る、それでいいんですかと、私は言いたいです。福島の事故もそうですけれども、こんなことがあった日本でまた原発再稼働するなんて、ばかばかしい。地震のたびに、私たちは実家の心配をしているのです。原発はどうなのだろうかと。あんな老朽化のシステム、大丈夫なのだろうかと、本当に不安でたまりません。お願いですから、原発に反対してください。
女性B:私は東京都民で、東京都で生まれて東京都でずっと育って、親戚が新潟にいたりするわけでは全然ないです。けっこう大きくなるまで自分の住んでいる所の電気がどうやって作られてきたのかとか、どこで作られてきたのかとか、そこにどういうリスクがあるのかとか、そういうことを全然考えずに生きて来ることのできた東京都民です。福島の事故の時にやっぱりすごくショックで、その時にいろいろ調べたりとかできる限りしたのですけど、新潟のこの原発でも作られた電気を使うのが、結局、ここじゃないですか。ですけど、東京都民のアンケートとかだと、電力が安定するからけっこう賛成みたいな意見もあったりして、そういうことがすごく恥ずかしい。実際に何か起こった時に「避難」って言いますけど、万が一すぐ避難したとして、それで、じゃあ無事で済むのか、そういうこともあるし、避難したら自分の生きていた所を離れろということで、そのことをすごく簡単に外側からとらえ過ぎているような気がします。逃げるって言っても健常者、自分の足で歩けて、着の身着のままで行っても、ある程度は健康で過ごせる、そういう人たちを基準に「避難は大丈夫だ」と、すごく楽観的に考えている気がします。私は多分このまま東京に住むんですけど、東京都民として、やっぱりこの問題は新潟の人の問題だ、みたいな感じでは絶対ないと思うので、東京に送られる電気を享受する身として、反対したいと思います。
動画はこちら:https://www.youtube.com/watch?v=5TRMWKMiZH8&t=1276s
=====今後の集会・行動等==========
◆12月10日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
◆12月12日(金)経済産業省前 17:00~18:00
◆12月12日 (金)「柏崎刈羽原発動かすな」首相官邸前抗議行動 18:15~19:15
◆12月17日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
◆12月19日(金)経済産業省前 17:00~18:00
◆12月19日 (金)「柏崎刈羽原発動かすな」首相官邸前抗議行動 18:15~19:15
◆12月21日(日)脱原発テントひろば青空川柳句会 12:00~
◆12月21日(日)脱原発カフェ「ドイツの脱原発に学ぶ」16:00~18:00
場所:経産省前テントひろば事務所(東京都港区西新橋1-21-8新虎ビル2F)
報告:折原利男さん
◆12月24日(水)大間裁判 集会 衆議院第二議員会館第一会議室 12:30~
◆12月26日(金)【119回JKS47月例祈祷会】
会場:経省前脱原発テントひろば
時:午後2時30分より
◆12月26日(金)経済産業省前 17:00~18:00
◆12月26日 (金)「柏崎刈羽原発動かすな」首相官邸前抗議行動 18:30~19:45※この日は「原発いらない金曜行動」に合流
◆12月30日(火)~1月1日(木)「学び、遊び、つながる 請戸川河口テントひろば」主催バスツアー実施 申込は杉山さんまで
「日本人は13歳」 Douglas MacArthur (1880~1964)1945年日本にやってきたときマッカーサーは65歳であった計算になる。
わたし個人が「おまえこそ13歳だろ」と人から言われたら、自分は否定しない、恥ずかしいとも思わない。還暦も近い年齢に達したわたしだが、世の中は知らないことばかり、知らないことがほとんど。自分は無知だ。
なんで?どうしてそうなるんだ?つねに答えを探ろうとするのはまさに13歳にふさわしい自然な態度だと思う。
学校では「正しいと思うことはキチンと主張しなさい」家庭では「ウソをついてはいけません」と言われるのが、その年頃ではないだろうか。
「世のなかは理不尽にできてるもんだ。ウソとホントが判然としないところでウソをつける人間が世のなかをうまく渡ってゆけるんだよ、青いなぁキミは」などと、悟り顔でいう老人に自分がなるのは御免こうむる。
さて置いて、日本人は13歳、となると、個人に向けられたものとはまったく意味合いがちがってくる。
「皇国2600年の俺たちが、建国わずか200年のお前らからそんなこと言われて黙っていられるか!!マッカーサーよ、俺はお前のその偉そうな態度に腹立てる。しかし感謝もする。なぜって、もし俺みたいな青二才がおなじことを言ったところで誰も聞く耳を貸す者はないからだよ。あんたの口からでた言葉だからこそ、快・不快はあるにせよ、みんな耳を傾ける、そういう国民だ日本人は」
11月23日付の高知新聞に、13歳向けのわかりやすく書かれた記事が載っていた。砂川事件に関しての最高法廷がくだした現時点での憲法解釈についてのことである。
まず砂川事件とはどのようなものであったのか、ザッとおさらいしてみるとつぎのような次第。
米軍立川基地の拡張に反対する一部住民らが、柵を破壊して基地に侵入し、逮捕されたというもので、事件それ自体は平凡で些細なことなのだが、裁判が、駐留米軍は憲法9条に違反しているか否か、という論争に発展したことで、世間からにわかに注目を集めることとなった。
それでは下に新聞記事をそのまま書き写します。
最高裁大法廷は、砂川事件の伊達判決を破棄した1959年12月の判決で、憲法9条は戦争を放棄し、戦力保持を禁じているが、「主権国として持つ【自衛権】は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して【無防備、無抵抗】を定めたものではない」との解釈を示しました。
また9条2項の戦力不保持は、永久に放棄した【侵略戦争】を引き起こせないようにするためであり、保持が禁止された戦力とは、日本が【指揮権、管理権を行使できる戦力】と定義しました。
そうすると、日本に指揮権も管理権もない【駐留米軍は戦力に当たらない】として、戦力と認めて憲法違反とした伊達判決を退けました。
一方、伊達判決では、米国の戦略で駐留米軍が他国に出動し、日本が直接関係のない武力紛争に巻き込まれる危険があるなどとして、米軍駐留自体が憲法の平和主義に反すると判断されました。
これに対し最高裁は、米軍駐留の根拠となる日米安保条約には、日本の存立の基礎に重大な関係を持つ【高度の政治性】があり、一見して明らかに憲法違反で無効と認められない限りは裁判所による【司法審査権の範囲外】という考え方を明らかにしました。
こうした考え方は【統治行為論】と呼ばれます。
以上が記事からの抜粋でした。なかなかよく考えられた判決でした。
ところで、去年か一昨年のことだったか、アメリカ公文書図書館(機密扱いにされていた公文書を50年?だか経過したのち公開して、歴史検証できるシステム)が公表した資料から、まさに上で紹介された砂川事件の最高裁判決が下される直前に、日本の政府高官がホワイトハウス高官に、これから判決しようとされる判決内容を書面で知らせていたことが、判明したという報道があった。
つまり、日本の司法は「高度な政治性」の名のもとに、その独立性が歪められ、司法と政府が一体となって砂川事件に当たったのである。
どうして日本はそうまでして卑屈になれるんだろう?そうまでして献身的にアメリカの日本支配に協力的になれるんだろう?
一市民としてこのことをどうとらえるか、各自で考えてみることが大事ではないでしょうか。
もうひとつ不満があるのは、こういった事実を外国から知るという情け無いハナシだということです。
日本で起きたことなのに、日本人が日本国内で検証するすべもない体制と体質、政府にとって都合の悪い「真実」が国内から表面化しない国家というのは、国のあり方として大いに疑問が残る。
ところで、法律にたずさわる職業家、たとえば判事・検事・弁護士・法学者などは、あたりまえのことですが法律として書かれた文言から一歩も枠外へでることなく、その範囲内であれこれ解釈して生きている、ということを念頭におく必要がある。
たとえば、もしもわたしが一国の独裁的な王だとして、家来に命じて自分に都合よい法律を書かせたとする。
そうすると、どんなに頭の良い法律家であろうとも、独裁者たるわたしの自分勝手で都合のよい法律の文言のなかで、あれやこれやと解釈するしか手立てがないわけである。
日本国憲法一~九条はまさしく日本人(左右を問わず)をあやつり人形にするカラクリがあることを、これまでわたしはブログに書いてきた。
憲法一~八条によって、天皇ヒロヒト氏は生かされた。恩を施された日本人はアメリカに逆らえないことになった。
エノラゲイという爆撃機に搭載された原爆に書かれてあったメッセージはDear Hirohito。
ジョーク混じりに原爆を投下する無神経なアメリカにへつらう日本人の心理に、おなじ日本人として理解できない。
かの国は、ヒロヒト氏および日本人全員を嫌悪していた、しかし65歳の老獪なマッカーサはヒロヒト氏を生かした、それだけで日本人はおとなしく従順になった。
ヒロヒト氏の戦争責任はこの点にあることも書いた。
敗軍の将を、わたしは戦争責任の理由とはしない、「生かされた」ことを戦争責任と考えるのである。
ヒロヒト氏は御前会議において、宣戦布告を裁可した時点で、もし日本が敗戦した場合のことを考えてみたことはいっさい無かったのだろうか?
実質的には東条英機が影の最高実力者であったとしても、ヒロヒト氏は天皇という名義をブランドを看板を東条に貸し与えたのである。
一兵卒からすれば、天皇ヒロヒトという名義は、志気が高揚し、誇らしげに戦える正義心を鼓舞する絶大な効果があった。この方の為なら自分は死ねる、とまで考えることができた。
天皇陛下バンザイと叫んで死んで逝った兵士たちは、自分はいま死んで行くけれど、天皇陛下どうぞ後のことを大日本帝国のことを宜しくおねがいします、と死んで逝ったのではなかったのか。
命を賭してまでの戦争ではなかった、とヒロヒト氏が考えていたのだとさいしょっからわかっていたなら、兵士たちはそんな戦争の為に自分が死ぬなんてバカバカしい、と思ったにちがいない。
わたしが彼らの身になれば そう考える。
自分らは命を捧げて戦っているのに、最高の位にあるお方に本気度がなかったならば、死ぬ覚悟も決めてない天皇と知っていたなら、自分の死は「犬死にだ」とだれもが考える、生きて虜囚の辱め、なぞウソっぱち、と悟ったことだろう。
ヒロヒト氏と東条英機のふたりは国民の目に一連托生と映ったのだ。
それなのに、マッカーサーらの計画どおり狙いどおり、独裁者の汚名と責任を東条英機らにおっかぶせ転嫁して、あなたは生かされた。
もともとヒロヒト氏は戦争を止めたかった、する気がなかった、というのであるなら、軍部に対する拒否として何らかの行動はとれたはずである、なんなら御前会議の場で退位してもよかったのだ。
わたしはこの人物を考えるとき、煮え切らないこの人にやりきれなさを覚える。ミカドというものはこういう種類にできているのか?
煮え切らない性格が災いして、ほんらい助かったかもしれない敵・味方に関係なく数百万数千万人の尊い命が失われたことを思うと、まったくやりきれない。
そもそもどこの国でも、王様の基礎を築いた者の始まりというものは、残酷冷酷な人物の極みであった。
親子・兄弟・親戚どおしが血で血を洗う凄惨なことを平気でやってのけたような一族だった。
源氏と平家の争いも、天皇家を軸とした遠い親戚どおしだった。
つい先日も、自分の一家六人を殺害したのち本人は橋の上から飛び降り自殺したというニュースが報道されたけれど、想像してみればいい、そういう種類の人物が血縁の人を斬り殺す光景を、目撃した近所の農民に返り血を浴びた壮絶な顔でふりむいた目に、古代の農民が震えおののく光景を想像すればいい。
どこの国の王も、そういう種類の人間のまさしく子孫である。サダムフセインをキムジョンウンを見るがいい。彼らはまさに黎明期の王たちだ。
時代がくだって、当時の生々しい記憶が薄れ、体制ができあがり、神話がつくられ、庶民から自動的に尊敬されるようなものが確立されると、わが手で鋤・鍬・織り機を持たなくとも、しもじもが米や衣服を上納してくれる頃には、歌舞音曲に親しんゆで優雅に暮らせるのだ。
人間はたしかに社会的な生き物である。
わたしに物心がついた頃、この国にエンペラーが存在することを見聞で知った、しかしそれは社会が決めたことであり、わたし個人がそのお方をエンペラーと決めたわけではない。イラクや北朝鮮に生まれた若い人たちにしても、すでにサダムフセインやキムジョンウンが王として決まっていたのとおなじである。
ノーベル賞をもらった人を「すごい人だ」と褒めても、その息子まで褒めることはない。
腫物にでも触れるようなデリケートな目でエンペラーを見ることなどわたしにはない。空を飛ぶような人間としてではなく、ふつうの人間として彼らを見る。
世間から批判されようが、わたしが天皇に対する考え方は、こういうことだ。
ついついわき道にそれ、熱くなったけれどハナシを憲法にもどし、…「生かされた」ことが戦争責任の理由とするのである。
いまとなっては仕方ないことだ、ヒロヒト氏は亡くなった、すべては終わったが、米軍基地はいまも居座っている。
そして第九条、これがまた曲者だ。
新聞に書かれてあるように、憲法九条は、日本はみずから「指揮権、管理権」を行使できない。
米軍は日本の管理下にない、日本の治外法権だ、だから米軍駐留に違法性も問題もない、という方程式になっている。
「くそったれのマッカーサー、日本人は13歳というあんたの言葉は、あんたにしちゃよくできた名言だ!!」
コップのなかの嵐のように、戦後の70年間、日本は右だの左だのが子供のケンカのように互いが罵り合い、どつきあってきた、そして自分の軸足をどちらか一方に置くようなすり込みをされて、そうするような対立の構図で物事を考えさせられてきた。
その間、アメリカは、痛くも痒くもなく、涼しげな顔で着々と支配を不動のもの、確固たるものとした。
かつての日本は満州経営をしていたけれど、いまの日本人は満州人とおなじ目に遭っている、いや彼らより愚かかもしれない。
わたしが「米軍を追っ払え」と、突き動かすものは、心底不快だから。
その不快感は正直に言ってわたしのなかのナショナリズムがそうさせるのだと思う。
ナショナリズムがまったくない人は、外国軍の駐留を何とも思わないだろう。
タレントに所ジョージという人がいるけれど、ああいうアメリカ好きな人間は、無条件で基地を歓迎するタイプの人たちだ。
日本人一般はナショナリズムを危険視する傾向があるけれど、よく考えてみて、米軍はアメリカナショナリズムの代名詞ではないのか?
つまり、日本人は日本のナショナリズムを否定して、アメリカナショナリズムを肯定している矛盾に気づかないだろうか。間接的にアメリカナショナリズムをプッシュしていることに。
わたしのナショナリズムを説明することは自分でも難しいのですが、文章全体から感じてもらえたら、と思う。
ふつう一般に、ナショナリズムというと、大衆向けに、視覚的に認識しやすい記号として、日ノ丸・天皇・靖国をイメージする、これらは群衆心理を束ねるための、また国民の目をそらす為の装置として用意されたものです。
アメリカは日本の右と左に限らず、こういったポピュリズムに染まりやすく、深く考えることのない国民、思惑どおりに自由に操れる国民を歓迎し、利用してきた、日本政府も積極的に協力したのである。
新聞記事がまさしくそれを証明している。
ルソーの言葉を借りることになるが、「投票権を持つということは、その人は政治研究の義務を充分に課せられるのである」
「義務を充分に課せられる」重い言葉ではないか。
容易なことではないのですが、国民ひとりひとりが、常にこの意識を持って、はじめて真の民主主義が成り立つのではないだろうか。
いま世間でおこなわれているのは民主主義の理念からほど遠いポピュリズム政治であって、ただ数の収奪戦にすぎない。
みなさんがご立腹するのを承知で言わせてもらうと、いまの時代というものはヒツジの群れ、名づけて羊群主義の時代である。
えーぃくそ!!マッカーサーよ、日本人全員がお前らに服従しようとも、俺だけは服従しないからな。