霊界物語 如意宝珠 第15巻 第20章 <五十世紀>より
霊界物語 如意宝珠 第15巻 第20章 <五十世紀>
出口王仁三郎 大正11年4月4日 口述筆記
松彦の神に伴われた一行三人は、鏡の岩にピタリと行当たり、如何にこの関所を突破せんかと首を傾けて、胸に問い心に掛け、やや当惑の体にて幾ばくかの時間を費やすのであった。
玉彦 『我々は現界に於いても、心の鏡が曇っている為に、万事に付け往き当たり勝ちだ。神界へ来ても矢張往き当たる身魂の性来と見えるわい。アア、どうしたら宣かろうかな。見す見す引き返す訳にも往かず、本守護神も好い知恵を出して呉れそうなもんだなア』
松彦 『貴方はそれだからいけないのですよ。自分の垢を本守護神に塗付けるという事がありますか』
玉彦 『我々は常に聞いて居ります。本守護神が善であれば、肉体もそれに連れて感化され、霊肉共に清浄潔白になり天国に救われると云う事を固く信じていました。こう九分九厘で最上天国に行けぬと云うことは我々の本守護神もどうやら怪しいものだ。コラコラ本守護神、臍下丹田から出て来て、この肉の宮を何故保護をせないのか、それでは本守護神の職責を盡せんではないか。肉体が天国へ行けば本守護神も行ける道理だ。別に玉彦さんの徳許りでない、矢張本守護神の徳になるのだ。何をグズグズして居るのかい』と握り拳を固めて臍の辺りをポンポン叩く。
松彦 『アハハハハ、面白い面白い』
玉彦 『これは怪しからん,千思万慮を盡し、如何にしてこの鉄壁を通過せんかと思案にくるのを見て、可笑しそうに我々を嘲笑なさるのか、貴方も余程吝な守護神が伏在して居ますな』
松彦 『天国には恨みも無ければ悲しみも無い。また嘲りもありません。私の笑ったのは貴方の守護神が私の体を籍って言われたのですよ』
===== 中略 =====
玉彦 『アハハハハ、余り好い景色で気分が良くなって何も彼も忘れて了った。さうすると、矢張り執着心も必要だ』
松彦 『それは決して執着心ではありません。貴方がたの身魂を守る生命の綱ですよ。ヤア急いで参りましょう』
向こうの方より、身の丈二尺許りの男女五人連れ、手を繋ぎながら、ヒョロヒョロと此方に向かって進み来るのであった。
玉彦 『ヤア小さいお方が御出でたぞ。此処は小人島の様だな。天国にはこんな小さい人間が住まって居るのですか。ナア松彦さん』
松彦 『何、神界許りか、現界も此の通りですよ。一番図抜けて大男と云われるのが三尺内外、一尺八寸もあれば一人前の人間だ。顕幽一致、現界に住まっている人間の霊体が、此の高天原に遊びに来ているのだ。ああやって手を繋いで歩かないと、鶴が出て来て、高い所へ持って上がるから、その難を防ぐ為、ああやって手を繋いで歩いて居るのだ』
玉彦 『ハテ益々合点が往かなくなって来た。我々三人は、常世の国を振り出しに、世界各国を股にかけ、現界は大抵跋渉した積りだが、何程小さき人間だと云っても五尺より低い男女は無かった。赤ん坊だってあれ位の背丈は、現界の人間なれば持っていますよ。貴方、何かの間違いではありませんか』
松彦 『五尺以上の人間の住まって居ったのは、昔の事だ。現界は二十世紀という、魂の小さい人間が住まって居た時代を超過し、既に三千年暮れている。現界で云えば、キリストが現れてから五十世紀の今日だ。世は漸次開けるに伴れて、地上の人間は労苦を厭い、歩くのにも電車だとか、自動車、飛行機等に乗って天地間を往来し、少しも手足を使わないもんだから、身体は追い追いと虚弱になって最早五十世紀の今日では、こんな弱々しい人間になって了ったのだ。併し乍ら、十九世紀の終わりから二十世紀にかけて芽を吹き出した、三五教の教えを信じ不言実行に勉め、労苦を楽しみとしている人間の系統に限って、夫れと反対に六尺以上の体躯を保ち、現幽神界に於いて、神の生き宮として活動しているミロク人種もありますよ』
松彦 『サアお話は聖地に到着の上ゆっくりと致しましょう。神様がお待ち兼ね、ぼつぼつ参りましょう』
===== 後略 =====
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