出口王仁三郎著 霊界物語 捨身活躍 第48巻
出口王仁三郎著 霊界物語 捨身活躍 第48巻
<序文> 大正12年1月12日 伊豆湯ヶ島に於いて
社会の一般的傾向が漸く民衆的になりつつあり、宗教的信仰も強ち寺院や教会に依頼せず、各自の精神に最も適合する所を求めて、その脆弱なる精霊の満足を図らむとするの趨勢であるようだ。宣伝使や僧侶の説く処を聴きつつ己れ自ら神霊の世界を想像し之を語りて、所謂自由宗教の殿堂を各自の精神内に建設せんとする時代である。既成宗教の経典に何事が書いてあろうが、自ら認めて合理的とし、誌的とする処を読み、世界の何処かに真の宗教を見出さんとし、今日広く芸術趣味の拡まりつつあるのは、宗教趣味の薄らいだ所を補っている。宗教が政治的であり専制的なりしに引替え、芸術的であり民衆的となって来たのも、天運循環の神律に由って仁慈(みろく)出現の前程を謂っても良いのである。この霊界物語もまた極めて民衆的にかつ芸術的に、惟神(かんながら)の時期を得て大神より直接間接の方法を以て現代並びに末代の人生に対し、深遠なる神理を宣示し之を伝達せしめ給うたのであります。惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)。
暗黒を照り返へさむ神聖の 教えの出づる時は近みぬ
世の本の根本知るは日の国に 永久に伝わる本教なりけり
全能の神の存在識らざれば 信仰心は興らぬものなり
燃ゆる如き信仰こそは忠となり また孝貞と成るものと知れ
全宇宙に活機臨々弥満(びまん)する 力を総て神と謂うなり
<総説>
欧米諸国に於ける霊魂学に関する研究は漸く盛んになり、哲学界、文学界、実業界などに於て学識、人格共に世界的定評ある知名の士、即ちロッジ、ジェームス、ロムブロゾー、マーテルリンク、フラマリオン、コナン・ドイル、クルックス等の研鑽によりて発表された言論文章を以て唯一の研究材料となし、心霊の情態を探らむとするもの、わが国学者有識者の間にその萌芽を見るに至ったのは、霊界の為に実に欣喜の至りである。しかし日本人の通弊は何事も外来品を尊重し、自国品を軽視するを以て文明人士の採るべき態度となし、如何なる哲理と雖も、外人の口と手を通したものでなければ、信じられないのだから、実に困ったものである。この霊界物語も列挙せる欧米学者の口より出で手に成りしものならむには、軽薄な日本人には、尊重され歓喜を以て迎えられるであろうが、惜しむ可し、純粋なる日本人より出でたるを以て、邦人には顧みられないのである。
大神は至仁至愛にましませば みろくの神とあがめ奉りつ
人間は天賦の使命と天職を 覚り初めて生き甲斐あるなり
(捨身活躍、本文もあります。 その原文は愛善世界社刊 注釈付き文庫判をお読み下さい、アマゾン、ジュンク堂書店などで取り扱っております。)
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