出口栄二先生 みろく信仰と大本の立場

出口栄二先生の著作には、1996年現代を駆る出口王仁三郎、1999年王仁三郎精神に生きる(いずれも愛善世界社刊)などがありますが、1979年出口栄二選集(講談社刊)第1巻より<みろく信仰と大本の立場>を下記に抜粋します。

弥勒菩薩は梵語でマイトレ-ヤ、中国では慈尊と訳され、弥勒は南インドのバラモンであり、天上に生まれ、現に兜率天にあって釈迦の入滅後56億7千万年後、下生して衆生を救う意から、未来仏、弥勒如来と称される。弥勒の起源はイランの太陽神ミラスに由来する説、弥勒菩薩出現による理想社会、豊楽安隠の社会思想はヘブライズムのメシアに由来する説がある。

インドに生まれた仏教は、北伝仏教により中国に入る。インド思想の深玄幽境に瞑想して悟得する仏教が、中国人の現世中心的な生活原理を尊ぶ思想に入ります。仏教の現世否定的な出家解脱、輪廻転生の空獏幽溟な思想と中国の現実主義的立場が論争しました。

中国の弥勒信仰は死後における彼岸の救済よりも、現実的弥勒下生信仰へと発展し、中国古来の易姓革命の思想と交わり、此岸の浄土を願う思想となり、政治経済・文化全般に及び、現状打破変革の思想を醸成していきます。

聖師は弥勒とは<至仁至愛で意であり、仁愛と信真によって、宇宙改造に直接当らせたまうゆえに、弥勒と書いて弥々革むる力とあるのをみても、この神の御神業のいかなるかを知る事を得らるる>(霊界物語第48巻西王母)と述べ、端的に弥勒の精神をあらわしている。

立替え立直しが大本の精神であり、その現幽神三界を立替え立直しする主体神が出現したところに、大本の出現の根本義があり、大本信仰の要点があります。

日本の弥勒信仰の隆盛は、平安時代の末法思想により、1053年藤原頼通が宇治に鳳凰堂を建立した阿弥陀如来の信仰と重なります。釈迦が滅するときの印璽を慈尊に授け、弥勒菩薩が成道すべきことを衆生に知らせた真言を開いた空海を、艮の金神の分霊として、聖師は高く評価された。

 弥勒信仰は上生信仰と下生信仰に大別され、下生信仰とは釈迦の死後56億7千万年後、弥勒菩薩が下生して釈迦の救いに漏れた人々を救う信仰です。平安時代に弥勒下生まで自分の肉体をミイラにして待つ死を、入定、即身仏といって、尊い死の姿でした。

日本においては、経塚(教典を経筒に入れ土中深く埋める)や、修験道の役行者が金峯山で感得した蔵王権現の像などで、吉野の金峯山は弥勒浄土の地とされ長く信仰されてます。綾部近郊の弥仙山頂上に金峯山神社があり、開祖出口なおが弥仙山で修業され、日本海の孤島沓島に三千年忍び給うた国祖神が綾部に御帰還のおり、しばらく弥仙山に御神霊をおとどめになります。

 中世になると、弥勒の化身とされる布袋信仰や、庶民に福を与える日本独特な七福神信仰があります。みろくの神の化神として種々の姿を変じ庶民の願望をかなえ、悪魔から守り平和を与えるみろくの神の愛の精神が現れた姿です。聖師は七福神の姿で自己の神格を芸術的、ドラマチックに自ら演出表現されます。

近世になると、おかげ参り、ええじゃないかと呼ばれる世直しを願う、民衆のみろく社会への熱気に満ちた行動が起こり、根底にひそむみろく信仰の生きた鼓動が感じられる。

大本は尊い東洋の宗教思想の根幹であるみろく信仰の生命を承継し、平和なみろくの御代を創造し、万物を更生し、新しい生命を賦与して、立替え立直しの中心的神であるみろくの神を主体として生きた真実の信仰を信奉する。

大本信仰に対する動的神観にめざめ、三大学則の精神(宇宙の本源は活動力にしてすなわち神なり)を体認し、みろく神業に奉仕の誠を捧げる覚悟が必要です。

大本柏分苑

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