大正10年2月 第1次大本事件の前後を霊界物語と共に考える。

明けましておめでとうございます。今年こそ良い年になりますよう、皆さまと共に励みたく、御挨拶させて頂きます。

表題の件、下記の如く、宜しくお願い申し上げます。

大室寅之祐なる明治天皇も、皇后を演じた一条美子も維新の秘密を胸に抱いて生き抜いた。急速な西洋文化の吸収、日清・日露の戦争をくぐり抜け、江戸時代にはなかった皇室の権威を高めた。元勲達の仕掛けとはいえ、明治大帝と称せられ、多くの国民が宮城にひれ伏して天皇の回復を祈る伝説的な天皇像を作り上げた。但し人間的には大酒に夜ごと泥酔し、子女に対して冷淡だった。嘉人親王などに面会すら嫌ったという。皇太后とされた一条美子の実家では支流の醍醐家の次男忠貞が養継子となる、その妹が醍醐親子(ちかこ)である。鶴殿男爵に嫁ぎ鶴殿親子となり、直接の血縁関係はないが、美子は特別に可愛いがったという。後に鶴殿親子は大本入りする。

華族の筆頭は一条家で、美子の成婚前に、支流醍醐家から忠貞を養子に迎え家督を継承する。醍醐家も有栖川宮家も後陽成天皇に繋がる。醍醐親子(ちかこ)は皇后美子(はるこ)の17才年下の姪となった。少女時代の親子は有栖川熾仁親王に書道を学んでいた。孝明天皇が使用していた金蒔絵の机を譲られ、親子は聖師に献上する。今日も大本本部に現存する。熾仁親王と聖師は出会いはなかったが、金蒔絵の机が立派に役目を果たしたと思われる。親子は孝明天皇の義理の妹、明治天皇妃の義理の姪であり、大正天皇妃の大叔母となり、大本が宮中へ浸透していく。

物語第52巻、応対盗という章に冥土の八衢(やちまた)の場面があり、原敬と山県有朋、そして安田善次郎が登場する。(渋沢栄一は第47巻 震士震商をご参照ください。)

ハイ私は敬助(原敬)と申します。

どっか具合が悪いか、チッと顔色が悪いぢゃないか

何か停車場のような所へ行って居ったと思へば、私の胸に行き当たったものがある。いつの間にか斯様な所へやって来ました。(大正10年11月東京駅で殺害される)

年齢は幾つだ

ハイ60歳で御座います。

お前は余程ハラの悪い男だなア、エルサレムの宮を部下の奴に命じて叩き潰したのはその方だろう(大正10年10月綾部本宮山神殿が破壊される)

イエ滅相な、決して私ぢゃありませぬ。片山君(山縣有朋)が命令致しました。決して主犯ではありませぬ。

この章は大正12年2月10日の口述で、聖師が山縣有朋を第1次大本事件(大正10年2月)の主犯として特定した大切な章です。

香淳皇后の色覚異常の遺伝があるとして、1920年(大正9年)から1921年(大正10年)にかけて元老・山縣有朋らが久邇宮家に婚約辞退を迫った宮中某重大事件で、聖師は鶴殿親子より皇室へ、問題なしと伝え、山縣有朋が失脚した恨みから事件を起こした張本人だからです。

安田善次郎(オノヨーコはひ孫)と渋沢栄一も経済人であるが、地獄行きとなっている。

関係者の年表である。

大正7年9月 原内閣発足

大正9年~大正10年 宮中某重大事件

大正10年2月 第1次大本事件

大正10年9月 安田善次郎暗殺(1か月後に起きた原敬暗殺事件を誘発したと言われる)

大正10年10月 綾部本宮山神殿が破壊

大正10年11月 原敬 東京駅で殺害

大正11年2月 山縣有朋 病死

大正12年1~2月 物語第47&52巻 口述

昭和6年11月 渋沢栄一 死去

渋沢栄一は物語口述時点では存命であり、名前が思い当たらないよう、慾野深蔵という漢字である。現在では禁止されている優先株をタダで貰う手口で500社以上の企業を設立した。東大の安田講堂で有名な善次郎は、12の旧国立銀行を自分の安田銀行に統合し、陰徳と称して、人の弱みに付け込む方法で財を成した。

明治時代からの殖産興業・富国強兵に関わった人たちで、物語で原敬がモデルの敬助が言った泥棒会社の構成員だった。

其の方は何者だ、ネームを名乗れ

ハイ私は片山狂介(山県有朋)と申します

成程、随分軍閥でバリついたものだな。お前の為に幾万の精霊を幽界へ送ったか分らぬ、幽界にては大変に名高い男だ。此処で審判く訳には行かぬ。サア、奥へ行けッ

次にやって来た爺は鉄の杖をついている。

其の方は高田悪次郎(安田善次郎)ではないか

ハイ私は表善裏悪の張本人、世界一の富豪になろうと活動しましたが、不慮の災難によって、かような所へ迷い込み面目もムいませぬ

其の杖は鉄ぢゃないか、左様な物をこんな所まで持って来るか

鬼に鉄棒(かなぼう)と申しまして、此の鉄棒を以て、全ての銀行会社を叩き潰し、皆一つに集めて巨万の富を積んだ武器ですから放すことは出来ませぬ。この鉄棒から生み出した2億円、言わば手形のようなもの。地獄の沙汰も金次第、何と云っても渡しませぬ

貴様は天国よりも地獄が可いのだな

ウンと一声霊縛(れいばく)をかけるや、高田の手は痺れて鉄棒は地上に落ちた、高田の手を後ろへ回し

此の応対盗人めと言いながら、ポンと尻をけって門内へ投げ込んだ

(第52巻 応対盗より)

以上です。

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