労働組合・適材適所・働ける場の確保 梅園浩 先生 NO.16
〇労働組合
日本の労働組合が、自分の給料を賃上げするだけに四苦八苦して闘争しているのが、組合活動のすべてではあるまいということを、森恭三さんも指摘しておられます。日本の憲法の精神の中で本当に生きる労働者であるならば、戦争に協力するような生産は、それがたとえ企業体の成長のために必要だと言われても、戦争道具を作るような仕事で精を出すような組合ではいかんのではないか、それでは本当の日本の労働者と言えないのではないかと、そこまではっきりした意思表示をすべきだということを、森恭三さんが言っておられます。
これも、大本の教えの中からも言えることで、讃美歌の中に、いくら幸多き仕事といえども神様のお許しのない職業には就かんという意味の歌があります。しかし、なかなか今の世の中、そうはいっても生活しなきゃならん、そのためには少々そういうものでもやむを得んじゃないかという、そこに、今の世の中の苦しみがあるわけです。なるべく、そういう苦しみをなくする方向で世の中を動かしていくということが、みろくの世に近づくということです。
そして、非生産的な、破壊的な仕事はなるべくどんどん社会から姿を消させていく。よりよい生産的な仕事が増えていくように、そういうふうな世の中にするということが、世の中を進歩させるということになる。
○適材適所
また、そうなってきたときに、やはり、一人ひとりの人材が適材適所で生かされるということは、適宜の事務という意味から言っても大事なことです。みろくの世は、適材適所に生かされる世の中だという言い方もされるわけですが、今の世の中、日本の社会なんかは、必ずしも適材適所とは言えません。
本当にこの人は立派な人だと思っても、やっぱり、働く場が与えられない人は多いわけで、だんだんそういう人たちが増えつつある。特にアメリカでも、ヨーロッパでも失業者が増えてきている。これはもうみろくの世とはだいぶ縁遠い話です。
やっぱり人間というのは、働くことに幸せっていうものを感じる存在ですから、それが、自分のいわゆる適材が適所で生かされるということは、幸せの第一歩なんです。
ところが、せっかくの能力を持ちながら、働く場が与えられないということは、これはみろくの世ではないわけです。今の世の中は、何か、やっぱりますます好ましくない、そういう状況が日本の中に増えつつある。これは、やはり考え直してみなければいかんと思うわけです。
〇働ける場の確保
今の生産性第一主義ではいかん面があるわけです。生産性を上げたら企業は儲かるかもしれんけれども、逆に不幸な人間を、不幸せな人間を生んでいくということがあります。一番大事なことは、生きている人間が、それぞれ幸せを実感しながら生活できるという社会であるということなんです。そのためには、少々生産性を犠牲にしたっていいじゃないかという、そこまで、やはり、実業家が考えなくてはならないわけです。
機械を入れて、どんどん安いコストでたくさん製品を作ってうんと儲ければ、それで人間は幸せになれるか、決してそうではない。一人一人が働く場、自分の能力に応じて働ける場、そういうものをまず確保するということが、非常に大事なんです。それが奪われるということぐらい不幸せなことはないわけです。
0コメント