万教が帰一、開祖の見真実、教えの神髄(梅園 浩先生) NO.6

○万教が帰一  

 本当の天授の真理で正しい教えであるならば、すべての、いわば万教が帰一できる教えでなければならないということです。万教の帰一ということで大本の中でもよく誤解されているのは、万教同根という言葉で、妙な理解があります。万教同根だから、仏教もキリスト教も金光教も何教も大本もいっしょですよという万教同根説があるわけです。これは大本の信仰から言うと、そういう万教同根説というのは誤っているのではないかと思うんです。

 霊界物語の第六巻に万教同根というタイトルがありますが、元の霊界物語では神儒仏耶の同根という言葉で書いてありますように、神道といえども、仏教もキリスト教も、あるいは儒教も道教もすべて根が同じだよということです。

その根が同じということは、大本のいわゆる独一真神から、その時代、その土地に応じて救いとして宗教が降ってきた、元をたどれば、宇宙の根本の神様の救いに戻るんだということです。それを万教同根と言います。

第六巻で見ますと、例えば仏教でいうと瑞の御霊の分霊としての月照彦がインドに釈迦としてお生まれになったと書かれています。瑞の御霊の分霊がインドにはお釈迦さんとして現れる。それから、分霊である足真 ( だるま )彦の御霊が達磨と現れて禅宗を開いていくと書かれています。それから、キリストとか孔子ですもですが、孔子をせっかく降して儒教を開いたけれども、神霊界の様子に少し疎いところがあったので野立彦命はその身魂の一部を分けて、今度は老子として降した。いわゆる老子教ということが書いてあります。

 主神のお働きを、救いの面から見れば瑞の御霊と言いますが、瑞の御霊の大神様が分霊として月照彦神、足真彦、弘子彦司 ( ひろやすひこのかみ ) とかいろいろ出されて宗教を興しておられるわけです。ですから、いろいろな宗教の元をたどっていくと瑞の御霊の大神様のところに帰っていくんだというのが、万教同根の思想なんです。

では、キリスト教や仏教、儒教、道教といっしょかというと決していっしょじゃないんです。儒教の教えと道教の教えとは非常に違いがあります。キリスト教の教えと仏教の教えとは非常に違いがあるから、決していっしょじゃないんです。ただ、その元をたどっていくと、瑞の御霊の大神様の救いというところに帰っていく。その意味で同根だということなんです。

○開祖の見真実

 ひるがえって大本はどうかというと、開祖様が明治二十五年から国常立尊の神懸かりによって、大本の教え、道を開かれ、その開祖様がされた予言のなかで最大の予言というのは何かというと、天のみろく様が地上に降って来られて、国常立尊、国祖の神業を輔ける、その予言が最大の予言なんです。

国祖の神業を輔けるために天のみろく様は地に降って輔けてくださる。それがどういう形で輔けてくださるかというのは、開祖様にもわからなかったんです。それがいわゆる一輪の秘密なんです。「なおにも知らしてないぞよ」ということなんです。それが初めて開祖様にわかったのが、大正五年の九月八日に綾部を発って、九月九日に播州高砂沖の神島に渡られて神島開きをなさった。その時に初めて神様から教えられたのは、聖師様こそがそのみろく様の肉の宮だったというのです。

初めて開祖様が神様から教えられた時が、数え年で八十一歳、ご昇天になるわずか二年ほど前です。そこで開祖様は、もう血の気を失って土気色になって、二代様におっしゃったということを、二代様はよくご生前にお話になられておられました。聖師様を先生と呼ばれていましたが、先生がみろく様だったと。神様がそうおっしゃると、開祖様が土気色になっておっしゃったそうです。びっくりされたわけです。

まさか、明治三十二年から自分のところに来てくれていた上田喜三郎改め出口王仁三郎その人が、天のみろく様として国常立尊が待ちこがれておられた天のみろく様の肉の宮だったということは、開祖様はご存知なかったわけです。開祖様に初めてわかって大正五年から見真実の境地に入られるわけです。 

 ですから、同じ筆先でも、明治二十五年から大正五年九月八日までの筆先と大正五年九月九日から後の筆先とは、大本では厳重に立て分けしてあるわけです。大正五年九月八日以前の筆先は未見真実時代の開祖様ご修業時代の筆先であって、その中には矛盾撞着があって当たり前なんです。事実あるわけです。それから後の筆先は、これは顕真実の境地に入られ、聖師様のご神格がわかってからのお筆先だから、今までの筆先とは別なんです。それだけの違いがあるんだということを、聖師様は、はっきりとお示しになられているわけです。

  〇教えの神髄

ですから、天のみろく様、瑞の御霊の大神様全神格をもって聖師様が出てこられた。そして、その聖師様によって完成された大本の教えというものは、あっちの教えやこっちの教えといっしょですということではなくて、あらゆる教えが持っておる真理が、実は大本を訪ねて来ると、みなその大本の教えの中に説いてあるんだという、そういう教えなんです。それが万教帰一の教えというんです。

 ですから、私たちが霊界物語を拝読したら、キリスト教の教え、あるいは仏教の教えの神髄がわかるはずなんです。しかし、私たちがまだまだ不勉強ですから、神髄がわかったとはとても言えませんし、一生かかってもそういうことは言えないでしょうが、実際の宣教をさせてもらっていて感じることは、仏教の人と話していても、キリスト教の人と話していても、私たちが仏教の経典を読んでいるわけでもないし、バイブルを暗記するほど読んでいるわけでもないんですけれども、向こうの人の話を聞くと、みなわかるわけです。よくわかるわけです。だから、そういう点では、私たちが大本の教えのなかで教えられている教えというのは偉大だなということを、そういうささやかな体験の中でも感じるのです。

大本柏分苑

大本柏分苑のホームページです。 5件のSNSがあります。 ①アメーバブログ ②フェイスブック ③TWITTER ④YOU TUBE ⑤ライブドアブログ 下記それぞれの画像をクリックして下さい。

0コメント

  • 1000 / 1000