国依別宣伝使と言霊(ことたま)の神力 PART③最終回

〇琉球の国魂神

ところで、この豊玉姫と琉と球の玉に関して、山川日出子さんの「琉球国魂神の霊石」と題する文章がある。【註6】。概要は次のとおりである。

昭和三年元旦、沖縄の波の上神社に参拝された出口聖師が、山川さんに小石を二つ渡された。これを昭和十年の事件中に、ご主人の生家鳥取でお祀りした際に「豊玉姫」とのご神示が山川さんにあった。

その後、出口聖師が獄から出られて、山川さんが亀岡に帰ったところ、聖師から「大本でも豊玉姫は祭ってある」と言われた。また、聖師は小石が琉球の「国魂神」であるという歌も残しておられた。

斎垣(いみがき)の小石もらいて琉球の  国魂神と永遠に斎かむ (昭和三年元旦)          

その後、「国魂神さんはお帰りの時期ではないか」と山川さんがふと思われ、昭和四十七年三月、出口直美現四代教主様が琉球主会長の崎山氏に渡され、沖縄の波の上神社に鎮祭された。

琉球に関する二つの石となると、琉と球の玉、あるいは潮満、潮干の玉を連想する。加えて「豊玉姫」は琉の玉や潮満の玉となり、よりその連想は強まる。

なお、国魂神の霊石が沖縄に再び帰ったのが、昭和四十七年三月であるが、その年の五月に沖縄が本土復帰を果たしている。沖縄の米軍統治が終了し、本土復帰となるのを待っていたかのように霊石が沖縄に帰り、本来の国魂神として祀られたということになる。

【註6】『おほもと』昭和四十七年五月号「琉球国魂神の霊石」 『愛善世界』平成九年五月号に転載。

〇神功皇后に関する山口の民話

関門海峡に、源平合戦の壇ノ浦の戦いで源氏軍が拠点としたという満珠(まんじゅ)島、干珠(かんじゅ)島という二つの島がある。山口県下関市にある忌宮(いみのみや)神社、かつて仲哀天皇が穴門(あなど)の豊浦(とよらの)宮という仮の皇居を七年間置いた所であるが、二つの島は現在この神社の飛び地境内になっている。

この仲哀天皇のお后である神功皇后が、豊浦宮のある豊浦津(とゆらのつ)で「如意の珠」を海で拾われた話が日本書紀にある。これをベースにしたのであろうか、霊界物語の潮満、潮干の玉を思わせる民話が地元にある。

民話は、神功皇后が三韓征伐の折、龍神から満珠(まんじゅ)、干珠(かんじゅ)の玉を授けられ、玉が持つ潮の満ち干(ひき)の力を用いて新羅(しらぎ)の軍を負かし、その後、海に沈めた満珠、干珠の二つの玉から満珠島、干珠島が生まれたというものである。山口県小学校教育研究会国語部編集の「山口の伝説」に収められている。

琉と球の玉、あるいは潮満と潮干の珠の話は、記紀神話と霊界物語をつなぎ、また古代のみでなく現代のことでもあり、さらに沖縄から私の地元山口にまで及んでいる。幅の広い話となった。

<琉球の国魂神の霊石>

縦横3CM、どちらも上部に白線の輪、若狭湾にある冠島・沓島(男島・女島)を想わせる。


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