真に依信すべきは主神一柱のみ <2-2最終回>

「天界と地獄」の内容は、スエデンボルグが霊界に入り天人から聞き取ったというものであるが、〔天界と地獄〕天界における方位のこと(一四一)

〔①方位の定め方〕

世間にては太陽が地上を去る最高の処を南と云い…地下にある処を北となし、太陽が昼夜平分線に上る処を東となし、その没する処を西となす…世間に在りては一切の方位を南より定

むれ…

天界にては主が太陽として現われ給う処を東とし、之に対するを西とし、天界の右方を南とし、左方を北とす

霊界物語にある主神の御神格や霊界に関する論文的な箇所は、すべてこの本によっているのではないかと思われるほどである。

また、第四十七巻(第十二章「天界行」)に想念の延長に関する七五調の長歌があるが、それに該当する散文形式の文章が「天界と地獄」(八五)にあったり、第五十六巻(第八章「愛米」)に、中有界で高姫と求道居士が自愛について論争する場面があるが、それがそのまま、「天界と地獄」の地獄界(五五五)に出ていたのには驚いた。

しかも、鈴木大拙の訳の用語の多くが霊界物語に用いられている。

なお、スエデンボルグは1688年生まれで1772年に没している。一方、出口聖師は1871年のお生まれで1948年ご昇天である。スエデンボルグ没年の1772年のほぼ100年後の1871年に聖師がお生まれになり、また、スエデンボルグが生まれた1688年のちょうど260年後の1948年に、出口聖師がご昇天になっておられる。

これは単なる偶然ではなかろう。「それはわしじゃ」という出口聖師の声が聞こえて来そうである。また、鈴木大拙が訳した明治四十三年が、ユダヤ歴で5670年(註3)というみろく様にちなむ年であるのも興味深いところである。 

(註3)「神の國」2020年2月号31頁 村山浩樹氏

「明治42年9月16日からユダヤ歴5670年」


〇霊界物語を説明する「天界と地獄」

さて、単に霊界物語と同じ文章が「天界と地獄」にあることよりも、もっと重要なことがある。「天界と地獄」が霊界物語を説明していることである。

対比表2〔霊界物語〕第47巻第20章「間接内流」

〔②常に日月に向かう〕

さうして天界の天人は何れの処に其顔と体躯とを転向するとも、皆日月に向つて居るのです。其日月に向うた処を東と云ふのです。

故に高天原の方位は皆東より定まります。何故なれば、一切のものの生命の源泉は、日輪様たる大神様より来る故である。故に天界にては、厳の御魂、瑞の御魂をお東様と呼んでゐます。

先に述べた霊界物語の長歌と「天界と地獄」の散文の例もそうである。

左の対比表2での霊界物語と「天界と地獄」の内容はどちらも「天人がいずれを向いても、常

に日月が面前にある。それは大神様が生命の源泉だから」とのことで同じである。しかし、霊界物語にはない、その理由を示した詳しい内容が「天界と地獄」には次のようにある。

〔天界と地獄〕天界における方位のこと(一四三)

天人は、人間の如く、何れの方位にも其面を向け、

〔天界と地獄〕天界における方位のこと(一四一)

〔②常に日月に向かう〕

こは天人何れの処にその面と体躯とを転向するも然らずと云うことなし。

かくて天界の方位はみな東より定まる。何が故に主が太陽として現わるる処を東となすかと尋ぬるに、そは一切の生命(いのち)の本は太陽たる主より来ればなり、又天人が主より、熱と光、即ち愛と智とを摂取する度に比例して、主は彼等の上に現わるると云えばなり。是の故に聖言中に主を呼びて東となす。

その身体を転じ得れども、天人の眼前に見ゆるは常に東なりと云うわけは、天人における相貌の変化は人間と同じからずして、他の根源に由ればなり。

‥かの根源と云うは能主の愛のことなり、この愛によりて方位の定まること、天人も精霊も相異ならず、そは今述べたる如く、彼等の内分は、実際その共通中心点、即ち天界に在りては太陽たる主の方向に対して立てばなり。

是の如き彼等の内分の前面に在るものは常に愛ならずと云うことなし、而して彼等の外的形態なる面貌は、その内分によりて存在するものなるが故に、その面貌の前面に絶えず現わるるものは、彼等の中に能主たる愛なるや明なり。

かくして太陽たる主は、天界にては常に天人の面前に在りと謂うべし。天人がその愛を有するは主よりするものなるが故に。又主は天人に対して、自己本来の愛におり給うを以て天人が如何なる方向に転回するに拘わらず、常に主をその前に見るを得るは、主の所為なるを知るべし。

是等の事は今精しく説くを得ず、後来特に天界における表象と相貌、及び時間と空間とを説く処に至りて、此事益々智性の上に明かなるべし。

霊界物語の論文箇所が難解であるのと同様、このように「天界と地獄」も決して読みやすくはない。霊界物語を説明しているというものの、理解するのはなかなか容易ではない。

「天人の生命の源泉は主神の愛。天人の内分は主神の愛に向かうので、内分の現われなる面貌も主神に向かう。面貌の向かうところに常に主がおられるのは主神の愛のゆえんで、主神の為せるところ。今は詳しく説けないが、今後さらに表象などを説いていけばわかる」などとまとめてみるのが、私の智慧証覚では精一杯である。

ただ、主神は天人一人ひとりに対して、厚く愛を注いでおられることだけは十分伝わってくる。

また加えて、「天界と地獄」の文章量は厖大である。講談社文芸文庫版で一頁680字(40×17)あるものが500頁にも及んでいる。

全体にほぼ目を通したが、霊界物語との対比表の作成が、霊界物語を理解する上で有意義であることをひしひしと感じている。ただ、なかなかの大仕事である。

なお、「天界と地獄」が霊界物語を詳しく説明しているということは、逆に言えば、霊界物語の文章には、書かれたもの以上のことが込められているということである。「天界と地獄」の存在がその証拠になる。

また実は、「人と主神一柱との一対一の信仰」をよく説明する箇所が他にもある。霊界物語第四十七巻「総説」・第九章「愛と信」を、「天界と地獄」の〔主は天界の神なること(二)〕がよく説明している。

両者は「神を三分できない」とか「言葉は心から出て、言うところは思うところ、思うところは言うところ」、「心に三を念じて口に一を言うを得ず」などを共通の語句としている。この箇所も対比表を作成することで「人と主神一柱との一対一の信仰」をよく理解することができると考えている。文章をまたまとめてみたい。


〔余録〕出口聖師を意識した鈴木大拙

 鈴木大拙が戦後、昭和天皇に講義した内容が「仏教の大意」(角川ソフィア文庫)として出版されている。このなかで仏教を「大悲(大慈)」と「大智」に分けて説いているのは、「天界と地獄」で説いている主神の御神格である「愛」と「信」に沿ったかの構成である。また、仏教を説いているにもかかわらず「神慮」という言葉を使うのも、「天界と地獄」の訳者ならではのことである。

また、鈴木大拙と折口信夫との対話が「折口信夫対話集」(講談社文芸文庫)に収められている。対話がなされたのは昭和二十二年十二月である。

このなかで、鈴木大拙は「神社神道の教義を担うのは宗派神道」だとして、天理教や金光教と並べて大本教を挙げている。しかも、ユダヤ教からキリストが出てきたように、神道からもそうした者が出て来るという、暗に出口聖師を指しているのではないかと思わせる言葉がある。

神社神道というか…教義の系統が全くない…教義を立てるとすると黒住教、金光教、大本教という宗派神道でなければならない…

ユダヤの中にキリストが出てキリスト教を拵(こしら)えて…

神々をして各々その処を得せしめるような組織は、八幡様の宮司たちがお寄りになって評議しても出来ない…これはやはり人格から出なければならない…誰か偉大な宗教家が立ってその宗教を中心にして出来る

〔講談社文芸文庫「折口信夫対話集」338~341頁〕

〔追記〕 私が拝読して録音した霊界物語をインターネットに載せ始めました。

YouTube 霊界物語〔拝読録音〕で検索してみてください。

現在載っているのは、47巻、48巻、1~4巻です。全巻を載せたいと思っています。

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