天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

(1)

経産省前というか、ここ霞が関にも秋の訪れを感じさせるように街路樹が紅葉をはじめている。紅葉をめでるというにはもう少し、時が必要だがそれにしても秋は短くなったと思う。連休毎の台風や豪雨などに気候の変動を痛感しているのだが、それはまた季節の変動でもあるように思える。後になればなる程、その被害の大きさが明かになる一連台風などの被害には胸が痛くなるばかりである。今の僕には胸が痛くなってもどうしょうもないのだが、でも、この気候変動には従来と違った対策が必要なのだと思う。これは長い射程を必要とし、何処から手を付けるか、何をすべきか見出しにくくとも、問題の所在だけは見えているように思う。

開発主導的な日本列島改造ではなく、自然の猛威に対してこれまでの開発型ではない日本列島保全策が必要だと思う。これは差し当たっては方向性の認識としてあるのだとしても、方向性はいえるのではないのか。一例として、過日、台風15号を中心に千葉県の南、房総半島にもたらした被害をあげることができる。

周知のように今回の台風で最も鋭く現象したのは停電であった。停電による生活の直撃だった。停電という事態をもたらした原因については詳しくとりあげないが、基本的には電気事業体(東電)が民生の電気の保全のために十二分な手当てをしてこなかったことである。そして、そこから直ぐに浮かび上がってくるのは再稼働も含めた原発への過剰な投資であり、こだわりである。東電は柏崎刈羽の原発再稼働や東海第二原発の再稼働のために莫大な金を回し、その分、民生の電気の保全を怠ってきたのである。これは原発を基軸とする電源開発と供給を基本にして、民生の電気の保全や維持に手を抜いてきたことである。ここには電力の供給と需要についての事業としての方向があり、この方向は日本列島改造型の構想に支えられてきたのである。原発の再稼働や保持ではなく、再生エネルギーや自然エネルギーへの転換は地産地消も含めて電力の需要と供給の方向転換を意味していた。これには日本列島改造型の開発構想転換を含むものでもあったのだ。電気事業体である独占体は事業の方向性の転換ではなく、従来の方向を固執しているのだが、その矛盾を露呈させたのが千葉での停電だったのである。これは象徴的なできごとで、同じことはどこでも起こるのであり、台風の度に生ずることである。台風に関連することはいろいろと考え去られるのだが、これは新天皇の即位と一連の儀式についてもいえる。

(2)

 平成天皇が生前退位を提起し、それが実現して行く過程から、僕らは天皇や天皇制について考えることを強いられてきたといえるが、新天皇の即位とそれに伴う一連の儀式はその続きといえる。

平成天皇のありように共感を示す部分が僕らの周辺でも見られようになってきたことは周知のことである。僕らの周辺とは保守や右翼ではなく、大きくいえば左派の人たちという事だが、そこでは反天皇、反天皇制というのは当り前であり、自然なことだった。ここには戦争における天皇の役割が理解されていて、それに対する批判があったのである。ただ、天皇や天皇制に対する関心といえば、僕らの世代では無関心の関心とでもいうべきものであった。天皇や天皇制に対する関心が僕らの中に登場してきたのは1970年の三島由紀夫事件くらいからである。

戦後には天皇や天皇制についての大きな転換があった。それは戦後憲法(日本国憲法)での天皇規定の転換である。明治憲法(大日本帝国憲法下)での天皇規定(第一条から三条)、つまりは天皇が国家の統治者(統治主体)から、象徴への転換である。これは一言でいえば、君主主権国家から、国民主権国家への転換である。これは天皇統治を本質とする国体の転換である。いうまでもなく、日本は国体の護持を前提に降伏(ポツダム宣言の受諾)をしたのだが、これは転換したのである。支配層は日本国憲法の天皇規定を受け入れることで、国体の転換に同意したのであり、俗にいえば転向したのである。それを認めてはいないにしてもである。

天皇主権国家、つまり、天皇統治は大きくいえば国民主権国家に変ったのである。これは天皇の霊性(幻想の喚起力)の減衰であり、根本的性格の転換だった。僕らの戦後世代が天皇や天皇制に無関心であったということはここに大きな理由があったのである。多分、1960年代の安保闘争から1970年代の初めまで天皇や天皇制が思想的な関心に登らなかったのはそのためと言える。

ここで注意しておく必要があるのは、天皇主権国家は憲法の書かれたように国民主権国家に転換したということについてである。日本国憲法においてそれは疑いのないことであるけれども、これは現実的にはそうではないという事である。確かに宮沢俊義は8・15革命説を唱え、この憲法上の転換は革命であるという説を展開しており、これは憲法上の主流の考えになっている。僕はこれにある種の疑問を抱いてきた。国民主権は権威のある国民意識となっているとはいいがたいからである。憲法は革命、あるいは革命の産物であると言われる。それは憲法が国民主権を根底とし、憲法制定権力によって創出されたものであり、そこで憲法も、国民主権も権威を持つのである。この憲法制定権力による憲法の創出が革命であるのだ。大日本帝国憲法から日本国憲法への改正は、基本的にいえば欽定憲法上の改正であり、国民が憲法制定権力として登場したのではなく、支配層の力として行われたということがある。これについては革命の形態が問題になるので、難しいことがあるが、この点は憲法9条と比較して考えるといいのかもしれない。

憲法9条は紛れもなく戦争についての革命というべき条項である。この非戦条項は戦争についての革命(歴史的な考えをあらためる)ことであった。これも憲法改正上で行われたのであり、国民主権の登場と同じである。ただ、この憲法9条は権威を持ち、力を持っている。これはここに戦争についての国民の意識が登場(反映)していることだ。このことを考えてみれば国民主権はそうではない。国民の意識において明瞭に存在するものではないということにほかならないだろうと思う。ここが立ち止まって考えるべきところである。憲法の条文にあっても、現実意識としは不在に近い事情がある。

戦後の保守はという事は、支配共同体は天皇主権から国民主権への転換を剣法の規定として受け入れた。これは象徴天皇、あるいは象徴天皇制を国民主権の結果として受け入れたのだろうか。ここは曖昧だった。支配層、あるいは支配共同体は天皇主権(天皇統治)の願望を秘めつつ、そこことを象徴天皇に残そうとしてきた。この事情は戦前の天皇と天皇機関説のことを想起すると分かり易いかもしれない。

戦前の帝国憲法下の天皇は国家主権の主体であり、日本は天皇統治国家だった。大日本帝国憲法の一条から三条までの規定はこれをこれに明確にしている。これを国体と言った。これに対して憲法4条の規定(憲法)の運営規定によって国民主権から生まれた政治形態(立憲君主を含む民主的な政体)を理論づけるものが天皇機関説だった。これは国民主権なき、立憲政体のことであり、君主主権を背後に持った考えである。この天皇機関説は君子主権と国民主権が妥協的で決着がつかず(ということは君子主権が主体であるのだが)という状態の中で国家主権説を持って登場したものである。ドイツで登場したこの考えはドイツではイギリスやフランスに比して官僚(国家機関)が強く、官僚統治主体の傾向が強かったためにでてきたものである。天皇機関説は国家主権説を背後に持ちながら、立憲政体の容認をしたのだが、国体明徴運動(天皇統治)の明確化という動きの中で敗退した。(天皇機関説事件)。このことを顧みる必要があるのは戦後の日本の支配層(支配共同体)はポツダム宣言にある民主的傾向の復活ということを手立てに日本の戦後形態を構想したということだ。結局のところは君主主権とも国民主権とも明確にしないで、民主政体を取ったという事であり、戦前のように天皇統治を持ったものではなかったが、だからと言って国民主権にたったわけではない。天皇統治への復帰を願望しつつ立憲政体を取るという事であり、象徴天皇、象徴天皇制はその差物としてあった。国民主権の曖昧さと象徴天皇制は表裏一体のものである。

(3)

 僕は新天皇の即位とそれに伴う一連の儀式を見ながらももやもやした気分のなかにある。これはこの即位の儀礼が,天皇統治(君主主権)の時代を踏襲したものであり、象徴天皇が天皇統治の残滓を示すことになっているからだ。同時に国民主権の不在という、その現在を実感させられるからだと思う。平成天皇が天皇統治の時代の天皇(神聖天皇)に戻そうとする動きに抵抗し、生前退位を自ら提起したことに注目していいと思うが、儀式においては天皇統治の時代の様式を踏襲していることには疑念を持つ。天皇や天皇家での力ではどうしょうもないのだろうが、僕らの側から、つまり国民主権の側から儀式も含めて天皇のあり方が提示できないということにもやもや気分がつきまとうのである。僕は憲法の9条は改正の必要はないし、選び直しということも必要はないが、天皇条項は変えるべきだと思う。それは象徴という規定を含めた天皇条項の排除である。儀礼的存在として、それこそ象徴として残すという選択肢もあるが、それらは国民的討議を経てということになる。

 即位式の一連の儀式を見ながら思うことは、これは国民には何ら議論というか関与の余地もなく、上から提起され、ひたすら受け入れることを促される代物だということだ。儀式がどうあるべきかの議論の余地もない、このあり方は国民主権によってえらばれた象徴という規定にすら反するものである。天皇統治の時代は天皇の存在について議論することもタブーであり、それを議論しようとするものは命がけの決意を必要とした。いま、儀式について議論の一つ起こらない状態は異様であり、この中に僕は天皇統治の残滓を見ている。今、日本の国家に対する基本的立場が国民主権の登場であり、それが国家主体になっていくことであるが、その事の現在と今後のことを考えさせられている。国民主権という考えが深まって行くことと,天皇や天皇制の見直しは関係することだ。儀式の見直しには国民主権が深まっていくことが不可欠だ。

大本柏分苑

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