日本人の原精神性を探る

出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)より下記抜粋します。

1973年に外部の一橋大教授 安丸良夫氏(Y)と作家 真継伸彦氏(M)が対談してます。

=終末観と世直しの宗教=

(M)高橋和巳の邪宗門を名作とされる安丸さんは、どういうところでそう思われたのですか? (Y)大本教の特徴をある点で非常に鋭く捉えているという事ですね。(M)ひのもと救霊会という名称のつけ方ひとつにしても、鋭いと言っておられる。(Y)日本には世直し的な宗教、あるいは終末的な宗教というものは、比較史的に見た場合には非常に少ない。あっても、その思想的な発展がうまくなされないような性格が、日本の社会の中にあるような気がしますが、大本が特殊な重要な位置を占めており、終末観的な性格を持った教団の特質、その中に内在している矛盾が見事に典型化されている点があると思う。

(M)安丸さんは大本教の一つの特徴として、終末観で成立する宗教は、世直しという発想が論理的に考えてあり得ない。それが大本教の場合にはあったと的確に説明されている。高橋君の邪宗門の場合は、大本教だけではなく、日本の民間宗教を総合的に追体験しようという意図がありました。出口王仁三郎と邪宗門の主人公、行徳仁三郎という名前や、本部を綾部とおぼしき丹波の神部に置いたところからも、やはり大本教が中心に考えられている。日本の現代の作家が宗教を取り上げる場合、浄土宗とか禅宗、いわばインテリが入りやすい仏教に入ってゆく。日本人の精神性全体を表している教派神道や新興宗教に共感し追体験していく作品は非常に少ない。

野間宏の青年の環や、丹羽文雄の蛇と鳩ぐらいしか思い出せません。高橋君は、大本教を中心にして民間宗教に表れている、日本人の典型的な精神を追体験し共感しようとしたのですね。ただ大本教の解釈の仕方が、高橋好みの終末観の方に流れてしまい、世直しの方が少ない。邪宗門を敗戦後に、不自然な破局にもっていったのも、一面的な共感しかできなかった証拠ではないかと思う。創作の行徳仁三郎は、出口王仁三郎ほど信仰によって普通の人間には得られない自由を得たとは思われない。あれだけ多勢の信者を惹きつけた人間的魅力が、行徳には教祖らしくない、理性が勝ちすぎて包容力が乏しくやせた精神のように見えて仕方がない。

(Y)邪宗門で気にかかるのは、終わりの破局のところで、そういう結末を迎えるように、構成されているところが実際の大本と違う。行徳と王仁三郎という人物の違いという問題にかかわってきます。王仁三郎は非常に包容力と咀嚼力の大きい人で、出口なおの筆先に大化物とあり、現在でも教団ではそう呼んでます。その違いを考えていくとやはり日本の庶民の意識という問題が出てくるはずです。(M)私自身、本願寺中興の祖といわれる蓮如を描いて思った事があります。<鮫>という作品で、相手は何しろ84歳まで生きて、応仁の乱という乱世を生き抜いた。  蓮如は一代で王仁三郎と同様に、数百万の信者を惹きつけ、本願寺の礎を築いた。生命力も超人的で83歳までに27人の子供を作った。奥さんは50歳も若い(笑)。そういう信仰によって自由になっていく人間像に関心を持ち、書きたいと思った。王仁三郎の場合は、高熊山に入って修行しますね。あそこでガラリと性格が変わる。人格が信仰によって変化する。飛躍的な体験があり、もとはそれほど天才的な人でもなかった。(Y)高熊山の修行を重く見る説、見ない説があります。霊界物語が高熊山の修行によって、教義の基本が確立したという理論になりますが、その説に反対で、修行を始める前にも、神がかりについていろんな指導をやってます。 大本では鎮魂帰神と言いますが、その一連の出来事の中の一つが高熊山の修行で、教義的にはそのあとに出口なおと接触し、大本に入るという面を重んじたい。(M)話はそれますが、<おれ以上の神がかりだ>と言って驚いた北一輝は、典型的な神がかりで、危機に陥って、生きるに生きられない自分に、神がのりうつって人格が転換し、憑かれたような勇気の持ち主になる。王仁三郎や蓮如は、北一輝ほど憑かれた人ではない。(Y)神がかりというのは、その人間がそれまでの社会関係から自由になる重要な形です。大本の場合は出口なおが、神がかりしたという事が決定的な飛躍になります。 王仁三郎の場合は国学系統の神がかりで、沢山の技術を伝承したものです。自由の獲得と国学的な習練とが、複雑に入り組んでいます。三島由紀夫が英霊の聲で参考とした友清天行の著書が有ります。友清は大正7年の神霊界という雑誌に<一葉落ちて天下の秋を知る>という論文を書き、大本の終末観的な立場を代表します。大正期の大本には王仁三郎によって大成された、鎮魂帰神法で多くの人が入信しており、昭和のファシズムの時期にどうつながったのか関心が有ります。(M)古いニュ-ス映画で、いがぐり頭の松岡外相がヒトラーと会見してますが、非常に神がかり的な顔つきですね。  神がかりが、人間の置かれている複雑な社会関係から自由を得ていく方法の一つならば、ああいうヒステリックな顔、何かが憑いているイメージを感じます。安丸さんは神がかり現象をご覧になりましたか?(Y)僕はありませんが、大本の文献には、神がかり状態になった状況はかなりあります。(M)バリ島で二人の少女にヒンズーの神さんが降りてくるドキュメンタリーを見ましたが、もとは意志薄弱でしたが、降りてくると硬直して踊るようになる。自由になるわけですね。ユングの説では、人間は二重人格的な構造を持っている。社会関係を調和的に生きる自我と、表現できない自己に分裂している。

表面的な自我(エゴ)と内面的な自己(セルフ)の二つに分ける。両者の関係がジキル博士とハイド氏のような二重人格的な関係に成る。あまりにも過酷な人間関係に耐えられず、もともと意志が薄弱で厳しい人間関係になると、自我から自己へクルッとひっくり返る。その状態の一つが神がかりの自由だと思います。(Y)そういう転換が起きるのは、表面に現れなかった抑圧され、自覚されてこなかったものが表現されるわけです。日本の近代社会なり、現代社会でもよいですが、社会の表層、表面的な建前から見えなかった問題が、神がかりを通して表現される。歴史学としても興味のある問題です。

(M)神がかりによる自由は、ほんとうの自由なのか、信仰者の自由と考えましたが、蓮如や親鸞という宗教者が得た自由は神がかりの自由だったのか?人間は意識存在だから望ましい自由は、明確な意識なり理性を備えた自由でないといけないが、神がかりの自由はそうでないと思う。

=自然宗教と創唱宗教の接点=

 

(Y)王仁三郎の場合の神がかりは、自然発生的なものでなく、習練の積まれた人為性の高いもので、自分が考えてきた事を織り込んで、重点的な内容にしたという性質があります。非常な勉強家ですから、いろんな思想を神がかりと称する人為的な操作を通して、教義の中に盛り込んでいった。

あまり神秘化する必要はなく、神がかりという宗教的に権威づけられたもので、現実の世界との接点をいろんな形で形成した人物だと思う。(M)霊界物語も一種の筆先で、自分に乗り移った神が書いている。霊界物語を読んで連想するのは、北野天神の縁起です。日本の伝統的な山中他界説ですね。霊界の感じとか表現法が、不思議だとか珍しいとは思いません。宗教は創唱宗教と自然宗教とに二つに分けられる。仏陀・イエス・マホメットのような宗教的天才が唱えだした宗教と、バリ島・沖縄・ヒンズー教のような世界中の至るところにある自然宗教、神羅万象を神と見ます。王仁三郎の場合も自然宗教性をそれほど超えていないように見える。コノハナサクヤヒメだとか。

(Y)大本の場合、自然宗教・シャーマニズムと創始者のいる創唱宗教とが交錯する地点に位置していると思う。教義がもっている、社会的な意味はたいしたものでなくとも現実の社会と格闘した色々な努力が組み入れられ、土俗的なものを吸い上げて形成される。(M)じつは私は王仁三郎が好きです。蓮如もそうですが、単に生命力を解放して自由になっただけでなく、人間的にも温かな優れた人格で、芸術作品も作ってますね。王仁三郎に望ましい人間像を見る思いがあります。ただ親鸞とか道元のように、後世に影響を与えるほどのものは残していないかもしれない。

(Y)神がかりは、宗教の教理として、理論的な展開が論理的レベルに達していない事と関係してます。日本の近代社会の中で庶民レベルの問題を踏まえ、ある程度、有効に組織しようとすれば、王仁三郎のやり方であったわけで、その巧妙さの中に現実と妥協した面もあったと思う。(M)北一輝との共通性ですが、自分が信仰で自由を得たが、天皇制が上にあって、妥協せざるを得なかった。大本教がはやりすぎたことも、王仁三郎の思想を高めなかった理由ではないか。イエスや仏陀は王仁三郎ほどはやっていなかった。迫害されたし、売れなかったからこそ、内面的に自分を深めた。

王仁三郎の場合は非常にはやったから、大勢の信者をどうするか目前の問題が重要になってしまう。(Y)江戸時代末から成長してきた新宗教は、天皇と関係なかったが、発展すると天皇制イデオロギーと結びつく。教団形成の過程で、筆先になかった天皇制的な観念や記紀神話と大本の教義が結びつき、社会的にも承認されてゆく。(M)浄土真宗の場合、親鸞と蓮如の差としても現れる。親鸞の方ははやらなかったから、思想を深める事ができた。蓮如は現実の教団をどうするか、当時の権力と、浄土真宗を裏切るまでに妥協する。王仁三郎にもあったと思う。 (Y)王仁三郎が持っていた可能性を拡大鏡にかける面があったと思います。実はあいまいでないもの、ほんとうの精神性を取り出す事が必要で、2回も弾圧された意味を考えれば、王仁三郎の提出した問題を解くかぎがあると思います。大本は自生的に生まれ、激しい社会批判をとった宗教です。もとは天皇制的な観念はゼロで、社会批判が中心的な思想であり、明治20年代から大正・昭和と日本の社会が持っている矛盾を人々に強く訴えたと思います。ある意味で根本的な変革を望んでいたり、ある意味で自分が置かれている、社会的な条件が根本的に変革されない事を望んでいるとも言える。

(M)根本的な変革でありながら、変革できないような問題の出し方をしている。日本の近代国家が提示した強国日本という夢と、王仁三郎の思想とはどこかで結びついていて、彼が現実の中で苦闘すればするほど、利用される面もあった。しかし民衆的なものを取り込もうと努力していた事が、大本の持っている最も重要な意味にならないか。

1972~1973年 出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)全5巻 ①神と人間 ➁変革と平和 ➂愛と美と命 ④10万歌集 ⑤人間王仁三郎 はアマゾンにて中古本が入手可能です。


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