『「歴史認識」とは何か』(大沼保昭著聞き手江川紹子)と『「慰安婦」問題とは何だったか』(大沼保昭)2-2
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日韓条約で朝鮮植民地支配の問題は解決しているというのが、安倍の主張であるが、朝鮮植民地支配は何ら批判すべき、また反省すべきことではないというのが安倍の思想である。彼には東京裁判史観批判、日本の戦争は自衛のための戦争であり、アジア解放のための戦争であったという考えがあるように、大陸での戦争と、朝鮮植民地支配は同じことではないが、戦前の日本の国家政策として関連して考えられるべきであり、その批判や反省ということが歴史認識という言葉で語られてきたとすれば、安倍には歴史認識はないということがある。戦後の韓国や中国との関係ではこれをどう考えるかということが重要なこととしてあった。日本の歴代政権は東京裁判を受け入れる形で、あるいはあの戦争への反省もあって、それなりの対応をしてきた。ただ、歴代政権はその周辺に、東京裁判史観批判の部分を抱えており、その言動が表立つときに、韓国や中国からの批判を受けた。それを象徴するのは日本政府首脳の靖國参拝だった。これは先のところでも述べたように靖國神社が戦死者を追悼しているからではなく、戦死者を英霊として追悼しているからであり、あの戦争の肯定の立場でそれをやっているから公的な参拝が問題となった。
そして韓国との関係では従軍慰安婦問題が登場した。従軍慰安婦問題は日本が植民地支配を反省しない象徴のように韓国ではなっているが、その意味ではこれは歴史認識の問題でもある。その象徴になっている。2015年の政府間合意で慰安婦問題は解決したのにそれを韓国は履行していないというのが安倍政権の立場だが、これは国民には明瞭にされていないことである。安倍が河野談話を否定する閣議決定をしようとしたことが問題なのだ。
従軍慰安婦は日本が戦時において慰安婦として占領国の女性たちに性交を強制した問題であり、中国、台湾,フイリッピン、インドネシア、オランダなどに及んでいる問題だが、朝鮮半島出身の女性たちの問題がお主なこととなっている。従軍慰安婦にされた朝鮮半島出身の女性たちが圧倒的多かったこともあるが、韓国では慰安婦問題は<植民地支配を反省しないシンボル>のようになっているからでもある。
従軍慰安婦の問題は早くから知られていたことである。僕は田村泰次郎の小説から知った。彼の小説は従軍慰安婦の存在を明らかにした戦後の最初のものだった。ただ、GHQは朝鮮半島の女性たちが従軍慰安婦に狩りだしたことの公表を禁じた。例えば、田村の『春婦伝』は映画『暁の脱走』になるときシナリオも改変をさせられた。(田村の小説がGHQの検閲で書き直されたことも想像しえる。ただ、現在ではもう立証はできるすべがない)。だから、従軍慰安婦問題が浮上するのは時間が経ってからだった。GHQが公表を禁じたことと資料が焼かれたり、散逸したりして実態がつかみにくくしてきた。
慰安婦は軍が管理、あるいは関与して兵士に性的慰安を提供する組織(慰安所)に駆り出された女性たちである。従軍慰安婦問題では強制連行が問題にされてきたが、そのされ方は強制連行を含む様々であり、強制連行の有無はさしたる問題ではない。そこで「性的奉仕」を強いられ、長期間自由が拘束される状態にあったことが問題だった。これに対して「慰安婦」は、当時は合法的な公娼制度の一環として存在した公娼の一種であり、何ら問題にされるべきではない、それが自民党の政治家や右翼や右派のイデオローグの主張だった。慰安婦≒公娼・売春婦であり、問題にされる必要はないということだった。この右翼や右派の主張は歴史的事実からかけ離れているが、問題をこじらせてきた。
軍が慰安所のようなものを作り、「性的奉仕を強いる」存在を組織するのは、形態は様々であれどのような軍にも付随することであるという主張がある。これについて僕は調査をしていないから、何もいえないが、日本の軍はそれを公然とやったのかもしれない。軍に付随するものでるか、どうかが問題ではなく、それが女性たちに「性奉仕」を強い、女性の人権を侵害したことが問題である。日本の政府はこのことに不十分でも対応してきたといえるが、保守の政治家や右派の知識人等は、慰安婦は公娼であり、売春婦であり、問題にされる必要はないといってきた。そして、それを論じることを妨害することでその存在を消そうとしてきた。安倍首相は以前から言動をみても、右翼の政治家や知識人と同じ考えであると見なしていいと思う。慰安婦に朝鮮半島出身の女性たちが多かったのは日本の植民地支配と深く関係していた。安倍たちは日本の植民地支配を反省することを拒否しているから、慰安婦の存在に否定的態度を取るのだと言える。村山内閣時の河野談話を否定するような閣議決定をして世界から批判を浴びたことは記憶にあたらしいところだ。
安倍は「徴用工問題」や「慰安婦問題」が日韓条約や政府間合意で解決ずみとしていのかもしれない。こうした法的、政治的解決は一時的で部分的なものである。戦争の問題や植民地支配の問題はこれで解決ずみということではない。長い射程で解決していくほかない。個人請求権の問題が出てき、慰安婦問題が登場したことは政府間の解決が一時的、部分的であるということだ。東京裁判史観批判の立場の考えや植民地支配は問題がなかったという考えは長い射程の要求される解決のための導き糸にはならない。歴史認識というのは戦争や植民地支配に対する考えであるが、この問題は未解決の事としてあり、向かい会い続けるしかないのである。
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