「明治150年」と大逆事件
「明治150年」と大逆事件 今に通じる「異質者」排除=棚部秀行(東京学芸部)
毎日新聞2018年3月2日 東京朝刊
大石誠之助の墓前で名誉市民決定を報告する立花利根さん(中央)と作家の辻原登さん(右)。辻原さんの小説「許されざる者」の主人公は大石さんがモデルだ=和歌山県新宮市の墓地で1月24日、神門稔撮影]
和歌山県新宮市は1月17日、「大逆事件」で処刑された医師の大石誠之助(1867~1911年)を名誉市民にすることを決めた。命日にあたる24日、田岡実千年(みちとし)市長は、遺族代表の大石のおいの孫、立花利根さん(81)に表彰状を贈った。刑死から107年後に授与された称号だ。明治維新から150年の今年、大石の名誉が大きく回復されたことの意味を考えてみたい。
新宮名誉市民に刑死者が復権
「偽(うそ)より出た真(まこと)である」。大石誠之助はこのような言葉を残し処刑されたという。「大逆事件」とは、1910年、明治天皇の暗殺を企てたとして社会主義者の幸徳秋水らが逮捕され24人に死刑判決、うち12人は恩赦により無期懲役に減刑されたが、大石を含む12人が翌11年1月に処刑された事件(新宮地域からは6人に死刑判決、2人が処刑)だ。旧刑法73条「(皇族に)危害ヲ加ヘ又は加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」という「大逆罪」が適用された。大半は暗殺計画に無関係であり、冤罪(えんざい)との見方が強い。新宮市は2001年、「軍国主義が進む中での自由主義者、社会主義者の弾圧事件であり、彼らはその犠牲者である」として6人の名誉を回復している。
大石はドクトル(毒取ル)の愛称で親しまれ、地域で貧民救済活動を行った。人権問題にも取り組み社会主義思想に傾倒したが、テロリズムなど実際の行動や計画を起こす人物ではなかった、というのが広く知られる誠之助像だ。
私が大石誠之助を知ったのは、同じ新宮出身の作家、中上健次(46~92年)を通してである。
<合図は診察室の硝子窓をコン、コン、コンと三つたたく。山仕事や木馬引き、それから下駄なおしが多かったので医者にかかる余分な金がないのを知っていたので、そのコン、コン、コンと三つの合図を送ると無料(ただ)になった>(「鳳仙花」)。ドクトルを巡る有名なエピソードが代表作の一つに引かれている。
私は中上健次が故郷に創設した文化組織「熊野大学」の夏のセミナーへ取材に通ううち、地元の市民団体「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」の活動を知った。大逆事件100年、大石が刑死して100年に合わせた09年ごろ、大石を顕彰する運動が盛り上がりを見せていた。だが、「功績はあっても、『罪人』を名誉市民にするのはどうか」という反対の声があり、難しいのだと聞いていた。
昨年末、市の条例が改正され、市長だけでなく市議会からも名誉市民を推挙できるようになった。大石を名誉市民とする議案が提出され、賛成11反対4で議決、最終的に市長が決断した。市は改めて事件を「戦後の研究では明らかに冤罪」とし、大石について「明治期に、熊野地方において人権思想や平和思想の基礎を築いた」ことなどを名誉市民の決定理由に挙げた。
議案を提案した一人、上田勝之市議(52)は「大石誠之助が唱えた『自由、博愛、平等、平和』といった考え方をもう一度見つめ直すべき時だと思う。大石が『罪人』というイメージも、年と共に変わってきました」と話す。そして、「『明治150年』には、大逆事件のような負の側面があったことも伝えたい。モノを言いづらくなった今の雰囲気のなかで、しっかりと地方から声を上げていきたいと思っています」と述べた。
日本近代の起点 負の側面に目を
新宮出身の作家、佐藤春夫(1892~1964年)は東京で大石の報を聞き、<千九百十一年一月二十三日/大石誠之助は殺されたり。(略)死を賭して遊戯を思ひ、/民俗の歴史を知らず、/日本人ならざる者/愚なる者は殺されたり>と、「愚者の死」と題した詩を読んでいる(実際の死去は24日)。
また大石と交友のあった歌人の与謝野寛(=鉄幹、1873~1935年)は、続いて<日本人で無かつた誠之助、(略)神様を最初に無視した誠之助、/大逆無道の誠之助。(略)誠之助と誠之助の一味が死んだので、/忠良な日本人は之(これ)から気楽に寝られます。/おめでたう>。のちに「誠之助の死」と呼ばれる詩を発表した。
二つの詩には、共に「日本人ではない」との特徴的な文言がある。逆説的に事件を批判したのである。文芸評論家の高澤秀次さん(65)はこの詩から、「社会主義革命を恐れた為政者は、強引なフレームアップ(でっち上げ)により『日本人ではない者』というネガティブな象徴を捏造(ねつぞう)し、同時に帝国の臣民=『日本人』というポジティブなシンボルを強化した」と事件を読み解く。欧米列強に追いつくべく早急な近代化を目指す政府は、一丸となった国民意識の醸成を急いだ。「異質な者」を仕立てて排除し、国家を構成するための「日本人」の強化につなげたというわけだ。「大逆事件」はその結果起きた事件といえる。「異質な者」を排除するような社会の動きは、現在の偏狭なナショナリズムの台頭やヘイトスピーチにも通じるだろう。
明治が始まって150年の節目の年、日本近代の起点の一つに「大逆事件」があることを忘れてはならない。その意味でもこの時機に、大石誠之助を名誉市民と決めた新宮市の判断をたたえたい。
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