王仁三郎の耀盌 (ようわん:楽焼茶碗)  Sinjoro Orui

出口王仁三郎(1871年~1948年)という名は近年、精神世界に関心がある若者の間で高まっているが、そのほとんどは予言者としての王仁三郎である。昭和前期の人々の間では王仁三郎は山師とか怪物といった否定的なイメ-ジで語られるのが常であった。邪教と烙印を押されて2度も天皇制国家権力に弾圧された大本の教祖として、当時の新聞に代表されるマスコミが流布した虚像がそのまま生き続けている。私のような王仁ファンからすれば、まっとうに王仁三郎を見てもらいたい。今回は芸術家としての面である。短歌や書、彫刻は勿論、王仁三郎独自の固有の世界がある。耀盌と称せられる抹茶茶碗に代表される陶芸作品である。

その作品集は5~6冊ほど発刊され、私も何度かデパートやギャラリーで開催された作品展を見る機会があった。見るたびに王仁三郎の豊潤で鮮麗な世界に魅了される。その豪華な写真集をゆっくり眺めていると、王仁三郎という人は本当に若々しい活力を晩年の最後のぎりぎりまで持ち続けた稀有の人だとつくづく思う。

作品は5,000~6,000点あるという。王仁三郎に晩年という言葉は似つかわしくないが、天に召される2年ほど前の約1年間の陶芸活動によつて生み出されたというのだから、並みの人間ではない。昭和10年12月8日、不敬罪、治安維持法違反の容疑で検挙され、6年8ケ月の獄中生活を強いられた後の作陶である。怪物という名もけだし名誉だと言える。わび、さびといった日本の伝統的な美にはまりきれないその絢爛華麗な色彩は、天国をイメージしたという。

アーノルド・トインビーはそこに東洋の美の調和を見た。耀盌は弾圧下で書くことも語ることも許されなかった王仁三郎の黙示的なメッセージの集約だったかもしれない。人々が疲れ、生命力を衰退させている現代において、耀盌によるメッセージは、閉塞状態からの解放の鍵を潜ませていると思います。

大本柏分苑

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