要荘・掬水荘の明渡訴訟の今後を考える

~実質的教主としての御用は三十年~ 

      〔30・4・28  藤井 盛〕

出口王仁三郎聖師が昭和三年三月三日に「みろく下生」を宣言されてから九十年目、「愛善世界」の平成三十年三月号に、要荘・掬水荘明渡訴訟の控訴審判決が掲載されました。

実は、私はこれまでずっと、同誌掲載の裁判記録の意味がよくわかりませんでした。そこで北村栄弁護士にお尋ねしたところ、判決をわかりやすく説明した資料を送っていただきました。

お陰で判決の意味がよく理解できましたので、今後予想される本部の再提訴への対応や、また、その対応の基礎となる教主論について考えてみました。ご意見をいただければ幸いです。

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〇教主をめぐる教学問題が棄却の理由

大本本部は、直美様は四代教主ではないとして、要荘・掬水荘からの立退きを求めて提訴した。これに対して大本信徒連合会は、直美様が四代教主であることを主張した。

判決では、こうした教主の正当性をめぐる争いは教義上の問題であり、裁判での判断にはなじまないものとして、本部の提訴を棄却し信徒連合会の勝訴となった。

ところで、「裁判での判断にはなじまない」とは、裁判に入る前の間口の問題

である。しかし、本当に「間口の問題であるかどうか」を判断するため、裁判所は

双方の主張を聞くことで、実質的に「中味」の吟味を行っている。

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つまり、教主問題が教義上の問題であるかどうかの判断をまず行ったというこ

とである。そして、教主について、本部が「二大教祖と等質的な存在」としてい

るのに対して、連合会が「教義と神定に拘束されるもの」と主張していることを

裁判所は認定した。しかも、特に直美様について、「四代教主となるこ

とが確定したとみなされていたとみる余地がないとは決していえない」とまで、裁判所は連合会の主張を好意的に理解するに至っている。

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ところで、裁判には「一事不再理」の原則があり、今回の争点である教主をめぐる教義問題では、再度、本部は提訴ができない。

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しかし、今後の裁判においても本部の提訴を棄却とするには、引き続き教主問題が教義上の問題であると連合会が主張し続ける必要がある。

連合会はこれまで、聖師のご意思が示されたお歌を根拠として、直美様を「神定四代教主」として主張してき

たが、五代教主以降については聖師の書き残されたものがない。従って、今後も教主問題を教義上の問題とするためには、これまでとは異なる教義上の根拠が必要となる。今回、五代教主様以降にも通用する教義上の根拠を考えてみた。

〇開祖様の神業成就と三十年

霊界物語第一巻に開祖様の神業成就に関するお示しがある。

神諭に曰く、『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。

   〔第一巻 発端〕

開祖様の神業成就とされる大正十一年(一九二二)は、開祖様に国祖の大神様がお懸かりになった明治二十五年(一八九二)から、ちょうど三十年に当たる。

ところが、開祖様のご昇天は、それ以前の大正七年十一月六日である。一方、開祖様ご昇天の翌月大正七年十二月から、聖師に国祖の神様が懸かられ伊都能売神諭が出されている。つまり、大正七年から十一年まで聖師が開祖様に代わって御用を務められたのである。

艮の金神国常立尊が、明治廿五年から永らく出口直の体内を借りて、若姫君の尊と引添ふて変性男子と成りて、三千世界の世の立替の経綸( しぐみ)を、筆先に書して知らせたなれど。後の立直しの筆先は未だかゝして無いから、変性女子の体内を籍 ( か )りて是から時節に応じて書すぞよ。……大正七年旧十月廿九日、新の十二月二日、変性女子に憑りてしるしをく。

     〔神霊界 大正七年十二月十五日号〕

 

○教主としての実質的な御用の期間は三十年

開祖様のご昇天により二代様が教主に就かれたことになるが、聖師が開祖様の代役を務めておられたため、二代様の教主としての実質的な御用が始まったのは大正十一年(一九二二)からとなる。そして、二代様のご昇天が昭和二十七年(一九五二)三月三十一日であるので、二代様の教主としての実質的な御用の期間は三十年である。三十年は開祖様の神業成就までの期間と同じである。

では、三代様はどうであろうか。三代様は、二代様ご昇天により昭和二十七年(一九五二)四月一日から教主に就かれ、ご昇天は平成二年(一九九〇)六月である。確かに三代様の教主として期間は三十八年であるが、果たしてその期間が三代様の実質的な教主としての御用の期間であろうか。

実は驚くことに、昭和二十八年にあった三代教主就任祝賀会の前日に出された「聖師伝」には、昭和三年三月三日の「みろく下生」の記載がない。また、昭和二十九年の主会長会議で、出口伊佐男総長は三代様を「現に生きていられる開祖様、聖師様、二代様」とまで持ち上げておられる。

当時のこうした救世主たる聖師の御神格を認めず、三代様を生き神のように崇める本部の信仰姿勢は、今回の裁判において本部が教主を「二大教祖と等質な存在」と位置付けたことにそのままつながっている。

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ところで、聖師伝で削除された昭和三年三月三日の「みろく下生」は、聖師が救世主として降臨されたという大本の教えの要となるところである。ただ一方で、「みろく下生」の祭典が、治安維持法による弾圧の起訴理由であったことから、弾圧の過酷さを経験された三代様や出口伊佐男総長など幹部が、再度の弾圧を恐れて「みろく下生」や聖師の御神格を表に出したくなかったという事情も理解できる。

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