国際主義を超えホマラニスモ!マルクスからザメンホフ人類人主義へ
『星火方正』16号(2013年5月刊)掲載
国際主義を超えて HOMARANISMO ( ホマラニスモ )を!
―K・マルクスからL・ザメンホフの人類人主義へ―
大類 善啓
領土問題を契機に政府レベルの日中関係が冷え込んでいる。一部、日本に存在する嫌中感情も広がっているように見える。しかしやっとここに来て、感情的な論調や雰囲気が減少しているようである。日中双方の心ある人たちが「理性的に行動しよう」と呼びかけた効果もあるだろうが、ある一定の時間が経てば、熱しやすく醒めやすい感情的な心模様が変わってきたのだろう。感情的な雰囲気は消え去るものなのである。
「わが国固有の領土」なる欺瞞
とは言え、とても気になったのは、この間の日中双方の政府高官レベルに見られる「わが国固有の領土」というフレーズである。この言葉を聞くたびに、この世の大地に対する不遜な言い方だと思った。
そもそも論議の前提になっている「日本」にしろ「中国」にしろ、このような「国民国家」なる概念はたかだか、100年ほど前になって初めて出てきた考えである。日本についていえば、それ以前は、薩摩であり肥後であり長州という「藩」という概念に支配され、人々は自分を日本人とは捉えようとしてもそういう発想など全くなく、自分は薩摩の人間であり長州人だと思っていて、そう公言していた。
それ以前はどうだったか。はるか2000年前、「わが日本」なるものはなかった。例えば、「わが国への稲作技術の到来」というような歴史の教科書の記述などを読んだり聞いたりするたびに、当時の人々にとって、そこが「日本」であり、彼の地は「中国」だったろうか。そんな「国」はありもしなかったのである。
ユニークな歴史家である網野善彦によれば、「日本」という名前が登場するのは、8世紀初頭に勢力を振るっていた一族が本州の西南部や九州の北部をめぐる領土の支配を確立した時のことのようである。その最高権力者が「天の王」を意味する天皇という称号を与えられた。要するに、「日本」とはある特定の一族によって支配された政治的な単位だった。
そういう観点をしっかりと持っていれば、「国民国家」概念が存在する以前、どこの海であろうと、異なる言語を話す近隣の漁民たちは時に争うことはあっても、おのずと共存しながらお互いに漁を釣って生活の糧にしていたと想像できるはずである。長期的な視点に立てば、いわゆる領土問題などもおのずと「共同開発して共に利益を享受しよう」という考えに到達できるだろうし、それこそが平和的な解決方法だと認識できるだろう。
人民日報から消える「国際主義」
紆余曲折を経ながら今日言うところの「国民国家」概念が生まれ、領土問題も発生してきた。
現在、冷静になってきたとはいえ、日中双方の政治家レベルによる「わが国固有の領土」という発言が頻繁に出てきた時、国交正常化以前から日中友好運動に携わってきた人々の中から、「今こそ、軍国主義と日本人民を区別した周恩来総理の教え」に帰るべきだとの声が出てきた。
周恩来は周知のように、方正日本人公墓建立を許可するよう英断を下した人である。そうして常に、日本の軍国主義と日本人民を区別するよう人々に指導していた。
ところが現在の中国政府は、そのような区別などはせず、日本政府に反対することが即、「日本」そのものに反対するという発想になり、それが反日感情を爆発させる方向に転じる要因の一つになっている。
周恩来の秘書をしていた人がNHK・BSで放送された『家族と側近が語る周恩来』という番組でこんな回想をしている。周恩来がソビエトの友人と話をした時、アメリカ帝国主義と発言したが、その人は「アメリカ人」と通訳してしまった。すると周恩来はすぐさま「アメリカ帝国主義とアメリカ人は違う」と発言して通訳の誤りを訂正した。それだけ周恩来はどのような政府とも、その国の国民との違いを区別した。
しかし周恩来が亡くなり、鄧小平もいなくなった今日、とりわけ江沢民が主席として登場以降、「国際主義」なる言葉はついぞ中国から消えてしまった。横浜国立大学名誉教授の村田忠禧氏が過去数十年に亘って「人民日報」の社説に出てくる単語の頻出度を調査したところ、「国際主義」という言葉は年毎に減り、それに代わって「愛国主義」なる言葉が頻繁に表れるようになったという。ここ10年は、国際主義という言葉がほとんど消えてしまったと慨嘆している。(詳しいデータは氏のHPをご覧いただきたい)
そうして今、中国政府は世界各国に孔子学院を設立し、中国の思想や中国語(この場合、北京語を主軸に成立した普通語といわれるもの)の普及に余念がない。そのこと自体は、とりたてて問題にすることはない。ただ、中国国内において少数民族の言語が軽視されることはあってはならないだろうと思う。
日本について言えば、安倍総理は、教育の基本に国を愛する考えがなければいけないような趣旨を語っている。そんなことを言うぐらいなら、イギリスやアメリカ、中国に見習って、日本語がたやすく学べる施設を世界の主要都市に設ける方に力を注いだ方がいい。そうすれば『源氏物語』から谷崎潤一郎、川端康成、大江健三郎など世界に誇る日本文学が理解される条件が整ってくるというものである。
「愛国心」などはバーナード・ショーが言うように、エゴイズムを増長するだけである。
言語帝国主義の壁を超え、人類人主義へ
思えば国際主義もいわば「国民国家」が前提になっている。その限界性を認識すべきではないかと思う。国際主義はもともとマルクス主義の「労働者に祖国はない」というプロレタリア国際主義から来ている。しかし現況を考えると、世界共通語エスペラントを創り民族間の争いを防ぎ平和な世界を作ろうとしたルドヴィーコ・ラザーロ・ザメンホフ(Ludoviko Lazaro Zamenhof)が唱えたHomaranismo(ホマラニスモ、人類人主義)こそ、これからの世界はますます求められているのではないかと思う。
エスペラントで「ホマーロ」は人類、「アーノ」は一員を意味し、それに「イスモ」がつき「人類人主義」、つまり国家や民族を超え、あるいは捨てて、我々は人類の一員であるという思想である。いわば我らは地球市民の一員だと規定し行動するのだ。
近年、英語があたかも国際的な共通語であるようなイデオロギー、いわば「英語帝国主義」が跋扈( ばっこ)し、世界共通語としてのエスペラントの存在が減少しつつあるように思えるが、しかしその人類史的な意義と有用性を今こそ声を大にして言いたい。
ザメンホフは1859年、現在のポーランド北東部のビアリストクで生まれたユダヤ人である。当時そこはリトアニア領で、後にはロシア帝国に支配された町だった。そこでは、ロシア人、ドイツ人、ポーランド人たち、そしてイーディシュ語を話すユダヤ人の4つの民族がそれぞれの言葉を話し、些細ないざこざが頻繁に起こっていた。
子供ながら、4民族がそれぞれの言葉を発して喧嘩が絶えない状況を見ていたザメンホフは、共通の言葉があれば争いが止み、平和が訪れるだろうと試行錯誤を経ながら1887年、エスペラント語を発表した。
発行された「インテルナツィーア・リングヴォ」(国際語)のパンフレットを読んだロシアの作家、レフ・トルストイは感激し、「エスペラントを広めることは地上に神の国を創ることであり、これこそ人類の理想」だと語った。ロマン・ローランも、「エスペラントは人類解放の武器である」と支持したのだった。
フランスのブーローニュで世界最初のエスペラント大会が開かれた時、ザメンホフは『緑星旗下の祈り』という詩を発表した。しかし、当初予定していたその詩の最後の部分をフランス人たちの要求で読みあげなかったという。それは次のような詩だ。
兄弟よ、一つにまとまって手を握りなさい。 平和の武器をもって前へ進みなさい!
キリスト教徒もユダヤ教徒もマホメット教徒も 私たちはみんな神の子です。
ザメンホフはこの『祈り』の最後の部分の削除を要求された時、あまりのくやしさに泣き出してしまったという。最終的に妥協して最後の部分を読みあげなかった。一時は、シオニズムというユダヤ・ナショナリズムに傾倒しながらも、最終的にはアラブ人を排撃することによって成立するイスラエルの存在を予感したザメンホフは、シオニズム運動と決別した。
ヨーロッパというキリスト教世界の中で、ユダヤ教徒もイスラム教徒もみんな神の子だと歌ったザメンホフ。エスペラントは単なる言葉の一つにすぎないという意見に対して、商売や実用にしか役に立たないエスペラントならば、ない方がましだと言いきったのもザメンホフだった。
英語帝国主義に抑えられたEUのエスペラント論議
1998年の朝日新聞(大阪版・朝刊の学芸欄)によればEUでは言語問題が真剣に論議されたという。当時EUでは公用語だけでも11もあり、EU本部の職員21000人(今だともっと多いはずだ)のうち、通訳、翻訳業務に6000人が当っていて、その経費は全事務費の3分の1を占める。しかし英語の共通語化には強い抵抗があるという。
日本では二葉亭四迷、宮澤賢治、新渡戸稲造、北一輝などがエスペラントを支持した。異色なのは大本教の教祖、出口( でぐち)王 ( お )仁三郎 ( にさぶろう )が強くエスペラントを支持し、今でも大本教では、熱心にエスペラントを推奨している。
またアナーキストである大杉榮は、エスペラントを学び、中国人留学生にエスペラントを教えた。当時の中国人留学生がアナーキズムの影響が強かったこともあるが、例えば、在日留学生の劉師培、何震、張継、景梅九、銭玄同らにエスペラントを教えたという。また作家では魯迅、巴金もエスペランティストだった。ちなみに巴金というペンネームは代表的なアナーキストであるバクーニンのバクとクロポトキンのキンから取ったものである。巴金はエスペラントの普及にも力を注ぎ、上海エスペラント協会の会長にもなっている。
中国ではエスペラントを世界語と言い、中華全国世界語協会があり、「El Popola Cinio」(「人民中国」のエスペラント版)を発行している。また北京大学学長になった蔡元培は1921年、北京大学学長に就任後、エスペラントを必修科目として採用し、エスペランティストのロシア詩人であるエロシェンコを教授に迎えた。
エロシェンコは盲人の詩人だ。日本では盲人が按摩師として自立していると聞き、来日。東京・新宿の中村屋で秋田雨雀らと交流するが、社会主義者の会合に参加したなどとの理由で国外追放になり、ハルピン、上海、北京を渡り歩き、魯迅と面識を得ている。
中国のエスペランティストが今、何人いるか知らないが、北京の百万庄に中華全国世界語協会の本部がある。1982年だったか、たまたま「人民中国」日本語版の編集部にいた韓美津(本会顧問・韓慶愈夫人)さんを訪ねた際看板を見つけ、韓美津さんを案内人になっていただき訪ねたこともあった。
こんなことを書いているといろいろとエスペラントのことが走馬灯のように思い出されてくる。と言っても大昔、エスペラントは少しばかりかじった程度なのである。しかし、この『星火方正』を編集し、国際主義的精神を広めようと考えていると、最近の狭隘なナショナリズムを超えるには、いわゆる国際主義ではなかなか難しいのではないかと思うようになってきた。国家を前提とする国際主義ではなく、日本人とか日本民族などを基軸に自分を考えるのではなく、あくまでも個人を単位として考えることが重要ではないか。
一人ひとりが、居住する国の国際主義者であろうとするより、ザメンホフの人類人主義、いわば地球の一員であるという考え方、生き方を志向することの方が大切ではないかと思うようになった。
まやかしの“世論調査”なるものもあるだろうが、安倍内閣の支持率が7割を超えるという、こんな嫌な日本で生きる(某漫画家なら、それなら日本から出ていけと言うんだろうね)国際主義者より、国家や民族を超えてエスペランティストとして生きたいものだと思い、大昔かじったエスペラントに今、再度挑戦しているところである。
百歳を迎えた水墨画家・篠田( しのだ)桃 ( とう )紅 ( こう )の作品を評してノーマン・トールマンは、「桃紅さんは日本人ですが、作品は日本的ではありません。いわば<無国籍>それが魅力です」と語っている(東京新聞2013年4月17日付け夕刊)。
故郷の文学は大切にすべきである。しかし国籍や民族などにアイデンティティーを求めることはまったく必要はない、拘泥することはないのである。
(おおるい・よしひろ:本会理事長、著書『ある華僑の戦後日中関係史』(明石書店)、共著に『風雪に耐えた「中国の日本人公墓」―ハルビン市方正県物語』(東洋医学舎)ほか)
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