同時期に発表、聖師の吉岡談話と日本国憲法前文を読み比べて!
<昭和20年12月30日 朝日新聞掲載 聖師の吉岡談話>
去る昭和10年12月8日大本教弾圧の際、検挙されてから本年昭和20年9月8日解放されるまで10箇年間、沈黙していた大本教教祖出口王仁三郎氏は75歳の衰へもみせず、獄中生活でかかった軽い神経痛の保養のため、いま鳥取市街吉岡温泉で静養している。敗戦日本の冷厳な姿がどう映じたか、神道の変革や信教の自由は、獄中生活の思い出をまじえて語る同教祖の弁、
『自分は支那事変前から第2次世界大戦の終るまで囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国4千にのぼった教会を全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じ続けて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されている、
ただこれまでのような大きな教会はどこにもたてない考えだ、治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで「御光は昔も今も変らぬが、大内山にかかる黒雲」という浜口内閣時代の暴政をうたったものを持出し、“これはお前が天皇になるつもりで信者を扇動した不敬の歌だ”
と言い出し、黒雲とは浜口内閣のことだといったが、どうしても通らなかった、
自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ、日本の今日あることはすでに幾回も預言したが、そのため弾圧をうけた“火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ”
のお告げも実際となって日本は敗けた、これからは神道の考え方が変ってくるだろう、国教としての神道がやかましくいはれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない、ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた、殊に日本官国弊社の祭神が神様でなく、唯の
人間を祀っていることが間違いの根本だった、しかし大和民族は絶対に亡びるものでない、日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和25年までは駄目だ、いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている、本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。
<皆さまご存知、日本国憲法前文です、昭和21年11月3日公布>
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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