大本は神を立て、神の力で現界に人間を突き動かした宗教

<大本が得意とする、霊界の存在について、以下じっくりお読み下さい。>

聖師は人間をとりまく、2つの世界を説く、現界と霊界である。現界とは人間の住んでいる自然界の事であり、霊界は神霊、意志想念また死後の世界である。自然界も広大であるが、霊界はもっと広大であり、無限の世界でもある。<現実世界はすべて神霊世界の移写であり、縮図である。霊界の真象を移したのが自然界である。現界を称してウツシ世と云う> 霊界の山や川が現界にもあるという事で、相似の関係があると云う。聖師は富士山の写真に例える。<1万3千尺の富士山をわずか2寸四方の写真に移したようなもの。写真は小さくとも実物は駿・甲・武三国にまたがる大高山である>

霊界と現界はよく似た世界です。死んで霊界に行った人間がなお現界に生きているかのように、しばらくは錯覚すると云う。霊界は3つに分けられ、天界・中有界・地獄界がある。天界は正しい神々や人々の霊魂の安住する処。地獄界は邪神が集まり、悪に生きた者が落ちてゆく処です。天界は至善・至美・至楽の神境であり、地獄界は至悪・至醜・至苦の刑域です。中有界は中間にある状態で、人の死後ただちに行くべき境域であり、現界での行為の善悪により、天国に昇り、あるいは地獄へ落ちて行きます。死後天国に昇る者は現界で愛と信との天国を造り、地獄に行く者は現界で地獄を造っていたゆえに、地獄を受けるのです。

人は肉体と共に、霊魂を持っている。人の霊魂は神の分霊であり、神の子・神の宮である。霊魂こそ人の本体であり、真の人格である。人はパンのみにても、また霊のみにても生きるものでない。霊魂は霊界の法則に従い、肉体は自然界の法則に従う。人は霊魂をもつゆえに、霊界からの影響を受ける。身内に天国を開けば、生きながら天国と交流し、地獄を造れば、生きながら地獄と関係を持つ。死後は交流のあった霊界におもむき、そこに永住する。人の霊魂は相応した霊界と交流し、その霊的影響を受け、死後はその相応した霊界におもむき永住する。万古不易の宇宙の法則です。

人の霊魂は永遠に生き通しです。人の死後は霊界に復活し、霊界における生を続ける。肉体の生命には限りがあり、百まで生命保つはまれであり、つまりこの世の生命は仮の生命です。

霊魂の生命は永遠無窮で不老不死で、老いず生命死せずであり、霊界における霊魂の生命だからです。また、肉体の間の苦しみは限りがあり、仮の苦しみですが、霊魂に受けし苦しみは、限りなければ真の苦しみであり、いつまでも免れることは出来ない。人の霊魂は神の分霊ですから、神との交流なしには満足に生きられない。神を信仰し神の力なしでは、真に生きられない。神を離れて、この世にあることは出来ない。

肉体の幸福は物質によって得られるが、霊魂の救済は神の力に依る。身内に天国を開き、死後、人の霊魂を天国に導くのは、神のみです。信仰のない人間は、天国に昇る事は不可能といわれる。死後の宝は、この世にありて信仰より得たる実りの賜物なり。生あるうち神のみ国を知らざる者は、死後なおさら神の国を知りようがない。つまり死後霊界に行ってから修業に励み天国に救われようと努力しても、間に合わない。よって現界における人間は<天人の苗代/養成器>と言われる。人の信仰すべき神は宇宙をお造りになった主神です。神はこの地上に天国を建設し、至善至美の天界の世界を移写しようとされる。

人間は神の目的、みろくの世のために、神の分霊を頂いていて、現界に生まれて神の機関として活動する天賦的使命が与えられている。人生の目的は、神を信仰し、身内に天国を打ち建て、地上天国を建設すべく努力することです。神への祈りは、人と神をつなぐ絆です。毎日の祝詞奏上を怠ってはならない。祈りは人生における大きな力となる。人は頼み求めて与えられぬことはない。求めて与えられず頼みて救われざるは、心にすめる鬼の業による。神の幸いを受けんとすれば、速やかに心の内の悪魔を追い出すこと。祈りを離れて大本の信仰は成り立たない。言心行一致の信仰が求められる。

大本柏分苑

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