新しい時代の入り口で
私の好きな作家の一人であるイギリスのヴァージニア・ウルフはかつて世界大戦のさなか、一九四一年の正月に次のような日記を記しています。
「…戦争は中休み。六夜続けて空襲なし。しかしガーヴィンによれば最大の戦闘はこれからだという―ほぼ三週間以内には火ぶたが切られるとのこと―そうしたらわたしたちは誰彼なく、男も女も、犬や猫や昆虫までも武装し、絶対に勝つという信念を持たねばならない云々。いまは冷えびえとしたとき。光が射し上る前。庭にユキノハナが二つ三つ。そういえばわたしは未来のない生活を送っているとばかり思っていた。いわば、閉まっているドアに鼻を押し付けていたのも同然だったのだから。さて新しいペンで〇〇に手紙を書くとしよう。」
この短い断片の中には、戦時下にも戦争の生み出す圧力に押し流されることなく生きる「個」の強さを持とうとした彼女のひそやかな意思が感じられます(しかし彼女は大戦中、入水自殺をしてしまうのですが)。平穏な年始を迎えることができるのは僥倖です。
社会の事象や、その中のささやかな個人の生活も、常に変化し流動する、不確かで不定形なものです。特にこの変化の様が著しくなり、見通しというものがあてにならない、一層予測不能な時代になったのではないかと思います。例えば英国のEU離脱であり、米国のトランプ新大統領の選出がそうでしょう(これらを予想する見方も多くありましたが、現実のものになるとやはり大きなショックを与えました)。こうした出来事は、これまで連綿と継続してきた制度、仕組み、しきたりへのノン(拒否)が人々の中に増幅し、転覆を求める願望となって膨張し、ついにそれが地表に裂け目を作り湧出してきたもののように映ります。それは突如噴出した真っ赤なマグマのようなイメージに重なります(そういえばトランプの赤いネクタイは彼のトレードマークになっています)。
英国の雑誌『TheEconomist』では「The newnationalism(新たなナショナリズム)」というタイトルで、トランプが太鼓を叩き、その横でプーチンが笛を吹き、その背後に英国独立党のナイジェル・ファラージが太鼓を叩き、フランス国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが自由の女神に扮し民衆を導くイラストが表紙になっています。世界各地でグローバリズムに対抗し、閉じた国家を守ろうとするナショナリズムが復活しているという論調の諸記事が掲載されています。私にはやや過敏で誇張だと感じられる文面があるのですが、国際的連帯よりは自国を優先すべきだという風潮(ポピュリズム)が広まり、人々を惹きつけ、ついには米国までが「America First(アメリカ優先)」を掲げるトランプを大統領に選出した現象を見ると、確かに新たなナショナリズムが台頭しつつあるのかもしれません。
『The Economist』誌の表現では「新たなナショナリズムの台頭」ですが、このことは、従来の国際秩序、枠組みが大きく変わる転換期が来ていること、言い方は実に平凡ですが「新たな時代の到来」を告げているのでしょう。「ナショナリズム」は時代の変化を促した一つの要素にすぎないのではないか、と私は思います。変化の背景にはおそらく、従来のパラダイムを抜本的に変えてしまいたいという意識が集合化されたといういきさつがあると思います。国際的な出来事を見るとき、私達はさまざまな国を擬人化して一定の性格付けを行い、一つのペルソナ(人格)のように見なしています。そうすることで物事がすっきり見通せる感じがするからです。例えば、北朝鮮に対しては、その独裁者のなりふりを強く反映して、手の付けられないはみ出し者、荒唐無稽だが危険な人物という擬人化されたイメージを多くの人が持つでしょう。同様に、米国もメディアにおいては「オバマ」や「トランプ」が代名詞として使われます。しかし国というものはもっと多様で複雑な構成員、グループを内包しています。それらの活動主体(アクター)が一国の中で影響を及ぼし合い、連合し、あるいは敵対、離反しながら、ある欲望が集合化されることで世の中の様態が変わっていきます。そうした集合意識が最終的に政府という形式を通じて国家総体の意思という形で表示され実行されることもあります。このことは、教科書風な言い方では、選挙民の選んだ代議士が選挙民の意思を代表して協議によって物事を決める〈民主主義〉のシステムが機能しているということになります(もちろんこのシステムは完全なものではありません)。
今、従来のパラダイムを廃止しようとするアクターの動きがさまざまな地域で並行して活発化し、そしてそれが選挙投票にも多大な影響を与えたのだと思います。米国ではこれまでの大統領が選ばれる仕組み(例えばユダヤ系資本の絶大な影響力)、米国の利益の追求のための内外政策(例えば軍事産業繁栄のための中東介入)を打ち壊して新たなレジームを構築することを望む主体の活動が活発化し、米国大衆の声をも糾合したということだと思います。そういうアクターは必ずしも一元的な存在ではなく、意識と利害を共通にする様々なアクターの集まりとしてとらえるべきでしょう。トランプはいわばその集合意識を雄弁に代弁する人物なのだと思います。
ドイツは欧州各国にとって脅威の存在ですが(歴史上の記憶は今も鮮明です)、英国EU離脱後はEUでのドイツの勢力を伸張させる可能性があります。例えば、軍事戦略上、英国が抜けた後はドイツが主となって欧州の軍事防衛統合を進めていくことになるでしょう。これによりNATO(北大西洋条約機構)の存在理由も弱くなり、欧州は米国との距離を置くことも可能になると思われます。これが英国にとっての利益になるのかどうか。英国はもともとユーロにもシェンゲン協定にも加盟せず、EUには片足だけをつっこんでいた状態でした。上述のように国家は様々なアクターの混合です。英国の集合意識は離脱という選択をしたということです。この出来事は、二○一一年にチュニジアの動乱から始まったアラブの春をもじって、「欧州の春」と言えるかもしれません。キャメロンに替わって首相に就いたメイは、EU離脱の正式申請を行い、実際に離脱を終えると述べ、未練の残る残留派を一蹴しました。また彼女は、保守党大会で、労働者や中産階級のための政府であるべきだと述べました(保守党は富裕層の声を代弁するという英国の常識からの大きな転換です)。
米国や英国という「大国」の変化は、これまで伝統的に「西側」と敵対的な立場に置かれた国々との関係も大きく変えていく可能性があります。ロシアとの関係がまさにそうでしょう。『The Economist』の表紙でトランプとプーチンが並んで楽器を演奏しているのは米露の関係が敵対から接近へと変わることを示しています。少なくとも中東シリアでのロシアのIS討伐をはじめ、米国がロシアの中東戦略を正式に容認していく可能性があり、実際にトランプはそうすべきだと主張しています。これまでEU加盟交渉を長年続けてきたトルコですが、エルドアン大統領は、EU加盟はもはや意味がないと発言しました。クーデター未遂事件後のメディアへの抑圧や死刑制度復活の示唆に対してEUが非難を向けていることへの腹立ちもありますが、エルドアン大統領は、EUよりも中国、ロシア、中央アジア諸国が形成する多目的ブロック(上海協力機構)に加入する方がより大きな魅力だと述べたのです。シリアなどからの大量の移民をEUに替わり受け入れてくれるトルコは、EUにとって今や重要な存在です。難民受け入れの肩代わりのためにEUはトルコに数億ユーロの金を提供しています。トルコがEUから離反すれば、相当数の難民がEUになだれ込んでくることになります。トルコはEUに対して難民という強力なカードを持っており、これを有利に使っていこうとするでしょう。トランプはTPPを脱退すると声高に述べていますが、これが、中国がTPPに対抗して進めてきた東アジア包括経済提携(RCEP)を実現へ向かわせる助力になるとみられ、トランプのTPP脱退は中国の利を高める可能性があります。米国(トランプ)・ロシア(プーチン)・トルコ(エルドアン)・中国(習近平)という強面の枢軸が出来上がる様子はあながち夢想とは言い切れません。
フランスでEU離脱を公約に掲げるマリーヌ・ル・ペンが大統領に選出され、ドイツで現メルケル首相の中道右派と中道左派の連立が崩壊する可能性もあり、仮にこれらが現実のものとなれば、EUは実質的に形骸化し、世界のゲオポリティックス(地政)に大きな影響を与えるでしょう。
果たして日本(と言っても多様なアクターの混合体ですが、ひとまず「日本政府」という意味としましょう)は混沌とした世界地政の中でどのようなポジションを取っていくのでしょうか。これまで日本(政府)は米国を同盟国とし、何事も米国と一体化してきました(同盟とは当事者間の同等の立場を示す言葉ですが、日本が一方的にそう呼んできただけであり、対米「追従」であり、対米「従属」と言うのが実際のところです)。トランプの米国がアメリカ・ファーストを方針とする以上、日本に対する軍事防衛上の従来の役割を大きく変更していくことは明らかです(トランプは費用負担金をあげつらいますが、本質的には日本の防衛のことなど日本が自己責任でやればいい、というのが本音でしょう)。日本は従属先を失うことになりますが、そこで予想されるのは、日本の右傾化が極端に進むことです。安倍が悲願である改憲を推進するチャンスになるかもしれません。首相の任期を延長する策略も進められています(アフリカなどの独裁的な大統領が任期を延長し続け、国際社会から非難されるケースがありますが、日本政府はちゃっかりとそうした西側の非難者の一員になっています)。私はこうした事態に流れてしまうことを危惧します。
霊界物語の教えは、愛と善を貫くことです。武力を放棄し、言向和しによることでしか真の平和は得られないことを繰り返し説いています。プラグマティスト(実務主義者)やリアリスト(現実主義者)は、独自の軍隊なくしてどうやって国体を守れるのか、自衛のための戦争は正義だ、とこれからも主張するでしょう。しかし真理というものはそういった実務的現実を超えたところに凛然と咲いています。一層厳しく混沌とした新たな時代の到来の予感の中で、霊界物語を前にして、将来の日本人のあるべき姿を静かに心の中で尋ねると、次のような言霊(ことだま)が還ってきました。―献身―
それは損得なく他者を思い、自らの身を捧げること。実に難しく、尊い行為です。日本人は献身というソフトパワーを世界に示せ、それが世界の「型」になる、ということだと理解します。
これからの時代、寒風の中に咲きほころぶ一輪の梅花のごとくありたい、と思います。
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