現界における女性の活躍

九月になると、人々が長いバカンスから帰り、閉じていた商店やオフィスが開き、日曜日の丸の内のように人気のなかった官庁・ビジネス街にも活気が戻ってきます。ところがヨーロッパは八月半ばから真夏日が続く事が多くなりました。日照期間の限られたヨーロッパの人達はこの時期にできるだけ陽の光を浴びておこうとでもいうのか、炎天の下を帽子も被らず歩いています。カフェのテラスでは強い陽射しを浴びながらビールを飲んだり本を読んだりしている人も見られます。フランスでは女性に対する賛辞の一つに、とてもよく日に焼けていますね、という言葉があります。それは、おそらく高級リゾートの浜辺で優雅なバカンスの日々を過ごしたんだろうなとやや羨ましさを込めた面持ちで、さりげなく明るく発せねばなりません。どこで焼いてきたのかなどと直接聞くのは無粋というものです。私自身は陽射しが嫌いなので常に日傘をさしていますが、その姿が珍しいのか、声をかけてくる人もいます。近所のカフェの旦那や女将は日傘をさした私を見かけると、笑顔で手を振ってくれます。店の中で涼んでいきなよ、と。ベルギーの人達は人懐っこいところがあります。欧州には近代的な大型のビルを除き、冷房はありません。建物の壁に穴を開けることができないという理由もあるのかもしれません。夏にフランスでサッカーのユーロ大会(ヨーロッパ選手権)が、ブラジルでオリンピックが開かれたので、これら大きなスポーツイベントを観戦した人々の興奮の余熱が、残暑の原因になってしまったのだろうと思うことにしました。

芸術は社会に影響を与え、社会を変える力がありますが、映画を含めサブカルチャーにもそうした力があります。スポーツも同様です。スポーツのパフォーマンスが人々や社会、一国の方向性に影響を与えた実例は(政治的に利用された例も)沢山あります。たかがスポーツ、されどスポーツです。夏のオリンピックを、ベルギー、フランス、またオランダのチャンネルで見ることができましたが、これらの国々の選手が活躍する競技の中継が中心になります。ヨーロッパの得意な乗馬やヨット、ボート、自転車といった、日本ではあまり馴染みのない種目の中継が多く、乗馬の障害物競技を初めて見ましたが、騎手の馬に対する愛情のようなものが一瞬の動作のうちに現れることもあり、新鮮な発見でした。馬と人との間の信頼が基礎にあるようです。フランスはこの競技で金メダルを取得したのですが、インタビュアーが騎手のチームに、最高の成績の要因は騎手の技量なのか、それとも馬の良し悪しなのか、と素朴な質問を向けたところ、一人が、騎手と馬とは一体なのです、どちらがというわけではありません、と答えていたのが印象的でした。そういえば王仁三郎聖師は『玉鏡』の「女は神の傑作」の中で、「動物の中では馬が一番よく出来ているのである。それだから神様に馬はつきもので、何処のお宮にも神馬といふものが居るのである」と述べています。もし仮に王仁三郎聖師がオリンピックを見たとしたら、乗馬種目に注目したのではないだろうかと想像します。

オリンピック競技で感銘したのは、多くの種目の多くの国々の女性選手のパフォーマンスの素晴らしさ、強さと美しさです。そもそも女性はここ一番という時に物怖じしない胆力があります。私は長年サラリーマン生活をしていましたが、個人的な経験でも、有能で肝の座った部下には女性が多かったように記憶しています。王仁三郎聖師は強さと優しさを併せ持つ女性の徳を見抜いていました。王仁三郎聖師が書き物の中で女性の徳に言及した箇所を当たれば数多いでしょう。例えば『玉鏡』の上述の引用箇所においても、「神様は、すべての物を創造したまひしが、其中一番の傑作は女の肉体である」と述べています。申すまでもなく『霊界物語』にも多くの女神が登場しますし、女神達の活動が(悪も含め)、物語の一つの重要なプロットになっています。魂(みたま)が女であることを示された変性女子の王仁三郎聖師は、「人を懐かしめ又大きい仕事をするには男体女霊でなくては出来ない」と述べています(『玉鏡』「変性男子、変性女子」)。同じ個所で、自分は「肉体までが女に似ている」とすら述べています。女性への限りなく高い敬意(それは憧憬にすら近い、と感じるのですが)を王仁三郎聖師は持っていたのでしょう。

女性への高い敬意は、一方で理想的な女性像を述べる形で対照的に表れています。例えば、『玉鏡』「男女の道」では、「之は女は受動的、男は能動的の意味を教訓されたもので、女より先に男に声を掛けるものではない、男に従ふべきものである。今頃の女には、女より男に恋愛を申し込んだり、手紙を出したりするが、それは間違って居て天則違反である」と述べていますし、また更に『玉鏡』「妻としては」においては、夫に愛人ができるのはちょっとしたはづみか偶然の出来事で夫の本意ではないのだから騒ぐに足るのものではなく、「妻に、寛恕の心があれば、それは一家を平和に導き、自らの一生を本当に幸福にする所以の道である。嫉妬深い女程気の毒なものはない。自分で自分を地獄のどん底につき落としている」と述べています。ウーマンリブ(この言葉は死語で、最近ではジェンダー論者とでも呼ばれるのでしょうか)の人達が噛みつきそうな文章です。しかし一見男性本位とも読めるこれらの文章は、王仁三郎聖師が自らの魂に女性を見出だしていたほどに女性を崇拝していた、その敬意と理想の強さゆえに、このような表現になったものだと思います。

一昨年八月に「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」(女性活躍推進法)が国会で成立しました。この法律は、女性の個性と能力を十分に発揮できる社会を実現することを目的と記し、具体的には、従業員三百人以上をかかえる民間企業に対し、女性職員の登用等についての数値目標を設定し政府に届け出て公表することなどが規定されいます(努力義務規定)。今の時代にあって法律によるこんな拘束をしなければ社会における女性の進出が浸透しないほど日本という国は男性本意の生産構造と体質だということなのでしょうか。そもそもこの法律制定の背景には、安倍政権が平成二十五年六月と翌二十六年六月にそれぞれ定めた「日本再興戦略」及び「日本再興戦略改定」なるものがあります。「改定」の総論には、「…日本経済全体としての生産性を向上させ、「稼ぐ力(=収益力)」を強化していくことが不可欠である」と書かれています。そして後段の主要施策例として、日本の「稼ぐ力」を取り戻すために、「女性の活躍推進と働き方改革」を行うとしています。ここには、かつての高度経済成長時代やバブル経済時代の郷愁を抱きながら、グローバル経済体制の中で今一度日本経済を浮上させ、国民に自らの実績を認知させたい、という安倍政権の欲望(エゴ)が滲み出ています。政権が夢想してやまない景気浮揚のために女性を労働主体として組み込み(稼ぎ駒とし)、その働き具合のほどを国が管理する仕組みであり、「女性活躍推進法」はそのシナリオの実効性を高めるために制定されたものです。女性への平等な機会と地位の付与を法律で担保するという発想には、根底に労働の場での女性の役割や地位に関する一種の差別意識があることを前提にしています。「女性の活躍推進法」は、この差別意識と世の中の歪みを国が初めて法的に是正したものであるかの如く、称揚を求めています。そこには欺瞞があります。「女性の活躍」は耳当たりのよい言葉ですが、安倍政権は権力基盤維持のため働き駒としての女性の動員とその管理に乗り出すと同時に、女性からの支持を固めるという利得も化け狸のように皮算用したのでしょう。

王仁三郎聖師は、『月鏡』の「普通選挙」の中で、「普通選挙は衆愚政治である」と喝破しています。「普通選挙が行われる間は真の政治は行われない。理屈から言えば国民の思想を代表するものとなって居るが、実際から言ふと寡頭政治と同じである。理想と現実は違うものである」と。今日の日本の状況にもぴったりと当てはまる名言です。デモクラシーの基礎は選挙を基本にしていますが、所詮政治(家)の目的は自分の栄達、エゴの充足であること、彼らは元々腐敗しているか必ずや腐敗するものだということを、王仁三郎聖師は洞察していたのでしょう。公職選挙法等の一部の改正が公布され、衆議院議員及び参議院議員の選挙権が二十歳以上の物から十八歳以上の者に引き下げられました。新たに投票の権利を得た人々がポリュリスティックな甘言に乗せられてしまう危うさがあります。王仁三郎聖師は以下の歌を詠んでいます。

国民が待ちに待ちたる普選権

また危うしと空を仰ぎつ

風船の様にあやふい普選権

何処の嶋に落ちむとするか」

(霊界物語第三十七巻第三章余白歌)

選挙権付与年齢の引き下げには、メディア(今日メディアは政権に自主的追従すらしています)に影響されやすい若年層を政権側に手繰り寄せ、政権の基盤を強化しようとする狡猾さが感じられます。投票する側の人々も根底には、政治家など誰がなっても同じという飄々とした諦めがあり、そこに金毛九尾の狐がしのび入ってきます。数年前からヨーロッパではLiquid Democracy(液体民主主義)というITを通じた人々の直接的な政治参画と意思決定のシステムが試みられていて、このシステムを主張する海賊党という政党が各国で誕生しています。彼らの主張する新しいシステムの根底には、従来の間接的民主主義(投票によって選出された為政者)によって適切な政策が定められることはないという考えがあります。政治家のエゴ、欺瞞を回避する一つの手段と言えるかもしれません。

オリンピックの舞台での多くの女性選手の活躍に見入りながら、我が国の女性活躍の政治化・法定化が頭をよぎりました。政治家の耳当たりのよい言葉には気を付けなくてはならぬ、夏の日盛りの中で王仁三郎聖師のメッセージが蘇えります。

大本柏分苑

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