弥勒の世について(出口王仁三郎) 大正9年 神霊界より

弥勒の世について(出口王仁三郎) 大正9年 神霊界より

ミロクの世と謂えば、天下泰平、至善至美なる世、鼓腹撃壌の世の中と思っている人が多いが、報身ミロクの世の中にならねばならぬ。それ迄はミロク様は応身となって現れ、総ての世の悪魔と戦わねばならぬ。ミロクには大自在天と云う敵がある。ミロクに百の力があれば、大自在天には九十九の力がある。百の力が一つ欠けたら大自在天は勝つのでありミロクの世にはならぬのである。大自在天には、財力があり、筆の力、口の力、法律権力、軍隊の力で攻めて来る。どんな権力でも持って居る。九十九の力を持っている。ミロクの方は唯<誠>という一つの玉を持って、ぶつかって行くのである。応身の働きをせねばならず、苦しい立場であります。

大江山の鬼殺し(出口王仁三郎)大正10年 神霊界より

文献を読まずして信仰できるのは奇蹟である。歴史を知らずして語る勿かれ。地質学上の天地の中心点に大化物が顕現し、古今独歩珍無類の美味を有する大本の筆先の濁酒を醸造し、之を天下に普く売出し、上戸も下戸も先を争うて之を飲みたるを7月12日に止め、その代りに三千年間の日子を費やして、神の造られた清酒の売出しを致します。酒の名は大江山の鬼ころしと命名しました。世界の鬼を退治して心の鬼を殺す、力の在る銘酒である事だけは、何処までも保証致します。

つまり霊界物語は大江山の鬼殺しというわけです。改心とは、物語全体から見て、地獄的想念を天国的想念に変えてゆく事です。濁った世の中を清々しい世の中に立替え立直すわけです。

「世界の鬼を退治して心の鬼を殺す」との関連箇所。

まずは、自己の霊の洗濯から。

霊界物語第12巻 (大正11年) 第15章 宣直し(のりなおし)より

玉光彦曰く

人は背水の陣を張らねば何事も成功しませぬ。勇断果決、獅子奮迅の勢をもって、まず自分の霊に憑依せる悪魔を追出し、清浄潔白の霊になった上、悪魔を征服する資格が初めて出来るのだ。大瀑布に悪魔が居ると思へば、あにはからむや、

自分の心の奥に白瀬川の大瀑布が懸り、そこに大蛇の悪魔が巣ぐうて居るのだ。身外の敵は容易に征服出来るが心内の敵は退治が出来難い。深雪の滝の悪魔に突撃するまでに、各自の悪魔を征服し帰順せしめ、己の霊を正しうするのが肝腎だ。敵は本能寺にあり、我身の敵は我心に潜む。心の敵を滅ぼせば、如何に常闇の世の中とは云え、我に取りては悪魔も大蛇も失ひ流す。先ず自己の霊の洗濯に掛りましょう。先づ己の霊を正しうするのが肝腎だ。

我身の敵は我心に潜む。心の敵を滅せば、如何に常暗の世の中とは云へ、我に

取りては悪魔も大蛇もナイル河、‥先づ自己の霊の洗濯にかかりませう。

(宣直し、後半もあります。 続きの原文は愛善世界社刊 注釈付き文庫判をお読み下さい、アマゾン、ジュンク堂書店などで取り扱っております。)

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