慣性の利用開発~開発を怠ると天津罪~国津罪:梅園浩先生NO.11

〇慣性の利用開発

外的には人の慣性を育成するのは、家庭においては母親です。女子の天職であるし、職業の面でいけば、教育家というのは人の持っている慣性を開発、育成する。これが社会的に言えば、教育に携わる人の責任なんだということをおっしゃっているわけです。

 そして、「天道に従い、一切のものの慣性を利用開発するは人の道なり」ということになってきておるわけですが、科学というものも、本来はそういう面で人道的な発展をしていって初めて幸せをもたらすから、科学になってくるわけですが、今日、どうかしますと、天道に従って科学が一切のものの慣性を利用開発するということよりも、逆の方向へ利用しておる。それが、現代の核戦争の恐怖ということにもなってくるのでしょう。

本来核エネルギーというものは、うまく利用すれば、もっともっと世の中を立派にする基になると思うんですけれども、今の科学というものは、戦争道具の方にそれを利用することに考えたのが不幸の始まり。科学そのものがいいとか、悪いとかじゃなくて、科学によって開発された一切のものの慣性を良い方に使うか、悪い方に使うか、これは人間の自由意志の問題で、そこに地獄もできればみろくの世もできるということになってくるように思うんです。

 今日、やはり、そういう点から考えてみたときに、現代は非常に進んでいるとか、文化生活ができるようになったとか、世の中進んだとか言うけれども、果たして本当の意味で進んでいるかどうか、これは問題になると思うんです。

天道に従って人道が行われて、進んできたんなら、これは本当の進歩なんですけど、人道に反するような形で科学技術が発展してくる。これは必ずしも文化的な生活、進んだ人間の生活とは言えないと思う。それを正しく指導していくということは、これは大本の立場からしても大事なことだと思います。

  ○開発を怠ると天津罪

 清潔主義の中でも出てくるわけですが、大本において罪穢れというものの考え方というのは、普通、言われていることとは異なっていて、非常に積極的です。例えば、いろんな自然のエネルギーなり、自然物の良能、良質があり、これを利用、開発することを怠ると、そこに、いわゆる天津罪が生じてくる。天然自然物が持っている良能、良質を包み隠して、包み隠している状態が、天津罪だと言われています。

 神言に出てくる天津罪とは、あはなち、みぞうめ、ひはなち、しきまき、くしさし、いけはぎ、さかはぎというのがありますけれども、あはなち、天然自然物の開発を怠る罪、みぞうめと言ったら、水力の利用を怠る罪、ひはなちといったら、火力の開発を怠ることが罪で、しきまきと言ったら、耕せば、米も実り、食べ物もできる土地を荒らすということを、これは敷き蒔きを怠る罪ですよね。

日本の農業政策は敷き撒きの罪を、金を出して奨励しているわけです。くしさしというのは、隠す、隠されている資源を、探し出すのがくしさしですね。くしさしというのは、隠し探すという意味だと言われていますから、くしさしの罪というのは、隠し探しをして、隠れた自然のエネルギーというものを活かす、自然の恩恵を活かすことを怠るのを、くしさしの罪と言われておりますね。

 いけはぎ、さかはぎは、これもみな、そういう意味での自然の開発を怠ることが天津罪だと言われています。それは、万物の慣性ですね。良能、良質の開発を怠るのを大本では罪として、法律に引っかからなくても、良いことをしないことが罪なんですね。大本でいうと。そういう意味では非常に積極的です。一般には、悪いことをするから罪なんですが、大本の場合には、神様から見て良いとされることをしない、怠ることが罪になるんです。罪というものの元の意味をそういうふうに理解しているわけです。

○国津罪

 神言(かみごと) に「天津罪と詔(の) りわけて国津罪とは」とありますが、「生はだだち、死はだだち、しらひとこくみ、己がははをかせる罪、己が子をかせる罪、ははと子とをかせる罪、子とははとをかせる罪、畜(けもの) をかせる罪、昆虫(はふむし) の災(わざはひ) 」とありますが、人間を含めまして、あらゆる動植物が本来持っておる特有性、これを押しつぶす、包み隠すのが国津罪です。

親、親や祖先を表しているが、それをないがしろにする。これは「己がははをかせる罪」、母親だけじゃないんです。「父をかせる罪」がないのはけしからんということにもなりますが、母ということで、お父さんもお母さんも代表しているし、お父さん、お母さんということで、累代の祖先を代表しているわけで、累代の祖先の徳をないがしろにするということは「ははをかせる罪」です。「己が子をかせる罪」というのは、自分の子だけではなくて、孫、ひ孫、自分の後に続くものの特性とか権限とか、そういうものを親の権限をかさに着て、押しつぶすとかいうのが、「己が子をかせる罪」になるんです。

 動物には、動物の持っている良能、良質がある。神様から与えられた良能、良質を、人間が無視して勝手に乱用することは、あるいは、乱用だけじゃない、それを発揮させない状態にするということは、畜(けもの) をかせる罪、昆虫(はふむし) の災(わざはひ) という形になってくるわけです。

 これは、全部、慣の問題です。天津罪、国津罪は、慣性の開発利用を怠るということになってくるわけです。そういう点で大本の罪悪観というのは、積極的なものがあるんだということです。

大本柏分苑

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