聖師の御神格を隠して来た歴史 ( NO.2 ) 藤井 盛

「松のひびき」~出口うちまるを偲びて~出口和明 天声社発行
〇悪く言われる出口伊佐男氏
 
ところで、聖師の歌の中で伊佐男氏(=宇知麿)を詠んだものは、他と比べて異質である。
〔宇知麿〕
・宇知麿は曲犬どもに噛み付かれ事実無根の告白をなせり(1381)
・宇知麿の自白せしとう聴取書もちて統ての羊の調書作るまが(1382) 
 
歌で「曲犬に噛み付かれ」とあるが、大本七十年史では、伊佐男氏はビンタを二、三回受けた(※8)にすぎず、ひどい拷問は受けていないこととなっている。また、伊佐男氏の「事実無根」、つまり嘘の自白によって、他のすべての信者の調書が作られたこととなっている。
また、伊佐男氏は嘘の自白をした理由について、「死んでしまっては本当のことが言えなくなる」と上申書で述べているが、結局、この伊佐男氏の嘘の自白をもとに作られた他の者らの調書が、みな同じであるという不自然さ(※9)もあって、裁判は無罪へと向かうのである。
なお「伊佐男氏の人差し指が爪の根元近くまで斜めに欠けていたのは拷問が原因」(※10)と伊佐男氏の子、出口和明氏が明らかにしているが、そうするとビンタ二、三回どころではない。
実は、千六百首の事件関連歌のうちの六百首の清書を伊佐男氏が行っている。聖師の思いは痛いほどわかっていたはずである。伊佐男氏の「へつらい」の挨拶は、「忍耐」の挨拶と言うべきかもしれない。ではなぜ、伊佐男氏は、あえて忍耐をしながら「へつらい」の挨拶をしなければならなかったのだろうか。
一方聖師は、伊佐男氏に関して、一見同情感のない歌を詠んでおられるが、何か意図的に悪役に仕立てているようにも感じる。
(※8)「平手で頬を二三度打たれ」「すべてを隠忍していきてゐなければならぬ」
〔伊佐男氏上申書:昭一五・一一・一六、大本七十年史下巻四一九、四二〇頁〕
 
 (※9)「どの調書もまったく同じことで、これはおかしいと思った」
〔陪席判事 田村千代一、同六一五頁〕
 
 (※10)「松のひびき」~出口うちまるを偲びて~ 出口和明発行 天声社 一〇六頁)
〇「みろく下生」のない聖師伝
 
「聖師御昇天まで聖師を救世主とは言わない」とされた約束が、そのとおり昭和二十三年一月十九日御昇天の聖師の葬儀での「誅詞(しぬび)」で実行されている。
普通に考えれば、救世主の御昇天であるから聖師の「誅詞(しぬび)」は、言葉を尽くして御業績を褒め称えたものであることが想像される。しかしそうではなく、聖師の来歴を羅列しただけの誠にあっさりとしたものになっている。聖師を「救世主」とは言い切れず、「救いの君と崇められ」などとぼやかすのが精一杯の表現になっている。
 
「北の涯(はて)の崎々南の海の島々までも御跡至らぬ隈なく或は蒙古の野に雄叫び或は満州の都に遊び 東亜の国々は言うも更なり遠く西の海の彼方の人々にでも救いの君と崇められ」                                  
〔誅詞(しぬび) 出口伊佐男斎主〕 
                                 
さて、「聖師を救世主とは言わない約束」は、「聖師御昇天まで」とされていたが、御昇天後も続いた。昭和二十八年四月に天声社から発刊された「聖師伝」には、昭和三年三月三日「みろく下生」の記載がない。
 
〇「みろく下生」の教典上の根拠
 
そもそも、天のみろく様が、救世主神・瑞霊神素盞嗚大神と顕現して現界に「下生」されたのが出口王仁三郎聖師である。またその「下生」は、国祖御隠退の時に、天祖・みろく様が国祖とお約束をされ、国祖再出現の折には、天祖が降ってきてお手伝いをされるという「御神約」の実行である。
そして、この下生されたみろく様の御教えにより、松の世、みろくの世が建設されるというのが、大本出現の根本義である。私は、そう信じている。
以上述べたことは、教典の各所に示されている。まず、天祖たるみろく様が下生され、国祖のお手伝いをされるということについて
 
「五十六億七千万年の星霜を経て…弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため…苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し」      〔霊界物語第一巻「発端」〕
 
「現界の不備欠点を補はむが為に大神は自ら地に降り…天界の福音を宣伝し」「弥勒を世に降し…天国の福音を…示させ」 
〔第四十八巻第一二章「西王母」〕
 
「神諭に『艮の金神が天の御先祖様、五六七の大神様の御命令を受けて、三千世界の身魂の立替、立直しを致すぞよ。それについては、天の神様地に降り御手伝いあそばすぞよ』とあり」 
   〔回顧録「序」〕
 
とあるとおりである。また、天祖・みろくの大神が神素盞嗚大神と顕現されることについても
 
至仁至愛の大神は其神格の一部を地上に降し神素戔嗚尊と現はれ」
 〔第四十九巻第三章「地鎮祭」〕
 
「坤の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊がみろくの神のおん霊で…みろくさまが根本の天のご先祖さまであるぞよ」
     〔大本神諭 大正五年旧九月九日〕
 
と示されている。そして、聖師の御霊(みたま)が神素盞嗚尊であることを歌で明らかにされている。
 
わが魂(たま)は神素盞嗚の生御霊(いくみたま)瑞の神格に充されてあり  〔第四十一巻第十六章「三番叟」余白歌〕
 
教典をこのように丁寧に探っていけば、天のみろく様が出口聖師として地上に「下生」されたということは明白である。
 
〇聖師の御神格隠しが極まる「三代教主伊都能売御霊論」
 
「聖師を救世主とは言わない約束」は、なおも続く。その極め付きが、聖師の御神格を三代教主に置き換えたことである。
昭和二十九年十月二十九日の全国主会長会議において、総長の伊佐男氏は「三代教主は伊都能売御霊であり、開祖や聖師、二代の生きた現れ、過去の凡ての教御祖の現れである」という挨拶をされ、三代教主を伊都能売御霊としたのである。私は以下、これを「三代教主伊都能売御霊論」と呼ぶことにする。
 
「四魂揃った活動は伊都能売の活動であり、直日先生はこの伊都能売の神格と活動をなされている ‥直日先生は二大教祖の道統を継承され言わば現に生きていられる開祖様、聖師様、二代様であり ‥直日先生を過去の凡ての教御祖のお現れであるとの絶対的信仰」
〔昭和二十九年十月二十九日、主会長会議出口伊佐男総長挨拶〕
 
つまり、三代様を「伊都能売御霊」として前に立てて、その陰に聖師の「伊都能売御霊」、「救世主」たる御神格を隠そうというのである。「聖師を救世主とは言わない約束」をより強力な手段で貫こうとしたのである。
ところで、先に、聖師がみろく下生たることの教典上の根拠を示したが、同時に聖師が厳瑞二神を合せた伊都能売神であり、それは肉体を具備した神であることの霊界物語上の根拠を示しておきたい。
 
太元顕津男(おほもとあきつを)の神は大太陰界に鎮まり給ひて至仁至愛(みろく)の神と現じ給ひ、数百億年の末の世迄も永久(とこしえ)に鎮まり給ふぞ畏けれ。 
至仁至愛の大神は数百億年を経て今日に至るも、若返り若返りつつ今に宇宙一切の天地を守らせ給ひ、今や地上の覆滅せむとするに際し、瑞の御霊の神霊を世に降して更生の神業(みわざ)を依さし給ふべく、肉の宮居に降りて神代に於ける御活動そのまゝに、迫害と嘲笑との中に終始一貫尽くし給ふこそ畏けれ。
 
◆大太陽に鎮まり給ふ大神を厳の御霊と称へ奉り、大太陰界に鎮まりて宇宙の守護に任じ給ふ神霊を瑞の御霊と称へ奉る。厳の御霊、瑞の御霊二神の接合して至仁至愛神政を樹立し給ふ神の御名を伊都能売神と申す。
即ち伊都は厳にして火なり、能売は水力、水の力なり、水は又瑞の活用(はたらき)を起して茲に瑞の御霊となり給ふ。紫微天界の開闢(かいびゃく)より数億万年の今日に至りていよいよ伊都能売神と顕現し、大宇宙の中心たる現代の地球(仮に地球といふ)の真秀良場(まほらば)に現れ、現見をもちて、宇宙更生の神業(みわざ)に尽し給ふ世とはなれり。 
われは今伊都能売の神の功もて
曇れる神代(みよ)を光(てら)さむと思ふ
〔第七十三巻第一二章「水火の活動」〕 
 
ちなみに、松本清張氏の絶筆「神々の乱心」は、時代背景を第一次大本事件から入蒙あたりに置いて、大本をモデルとして書かれたものであるが、聖師のみろく下生が積極的に著されている。
 
「ミロクの霊を享(う)けた『聖師』出口王仁三郎」(上巻17頁)・「弥勒の下生」、「弥勒が王仁三郎」、「弥勒が現世に現れたのが王仁三郎」(下巻67頁)・「弥勒下生ダライラマ 素尊汗(ハン」(下巻69頁)
 
このような記述が大本関係ではなく、一般書籍にあることに驚かされる。
もっとも、清張氏の妹(姪とも)の山川京子氏が大本信者で、東京で支部長であったと聞くが、聖師のみろく下生たることを世に伝える清張氏は、立派な大本の宣伝使と言うべきである。

大本柏分苑

大本柏分苑のホームページです。 5件のSNSがあります。 ①アメーバブログ ②フェイスブック ③TWITTER ④YOU TUBE ⑤ライブドアブログ 下記それぞれの画像をクリックして下さい。

0コメント

  • 1000 / 1000