吉野山と弥勒下生(その二) ―大正九年・竜門岳へ― 藤 井  盛

〇吉野山が妻との最後の旅行先

妻との最後の旅行先は、真夏の吉野山であった。

九年前の平成二十九年八月十三日に、兵庫県西宮市の娘の所に行くことが以前から決まっていた。そうした中、前月の七月下旬、妻に末期のすい臓がんが見つかった。

十三日、娘の所に行く前に、奈良県の吉野山に行くことにした。出口聖師が行かれたことは知っていたが、行ったことがなかった。

 当時の吉野山の案内図が手もとに残っている。小型バスに乗り、①金峰山寺・蔵王堂を過ぎ、②金峯神社の手前で下車した。

 バス下車の折、運転手が「ここから先は下り道ですから」と言った。すい臓がんのため、ほとんど食事が取れていなかった妻を、歩かすしかなかった。途中少し登ると、③高城山の展望台に至った。

今回、この出口聖師の吉野行きの文章を作成する中で気がついたのだが、当時、この展望台で撮った写真に「竜門岳」とその案内板があった。

この竜門岳に、大正九年五月、出口聖師が登られている(『神霊界』大正九年五月二十一日号)が、これについては後で詳しく述べる。

〇吉野水分(みくまり)神社と天(あめ)の水分(みくまりの)神(かみ)

 道をさらに下ると④吉野水分(みくまり)神社があった。主祭神は天(あめ)之(の)水分(みくまりの)大(おお)神(かみ)で、水の分配を司る神だとあった(吉野町公式ホームページ)。

実は、天(あめ)の水分(みくまりの)神(かみ)は、霊界物語(二十七巻)にも出て来る。同じく降雨を調節する神である。

国依別の言霊で竜神が解脱し、その腮(あぎと)から琉と球の玉が出て来る。竜神は苦行の後、一切の執着を去り、天(あめ)の水分(みくまりの)神(かみ)という降雨を調節する大神となる。

「国依別の言霊に…琉、球の玉を…執着を去つて…天の水分神…降雨を調節し給ふ大神と成らせ」

(二十七巻一三章「竜の解脱」以下も同)

また、琉と球の玉は、風雨水火の調節と「摂(せつ)取(しゆ)不(ふ)捨(しや)」の神業を完成する神器だともある。

「琉、球の二宝…風雨水火を調節…一切の万有を摂受し或は折伏し、よく摂取不捨の神業を完成する神器」

なお、摂取不捨とは「阿弥陀仏が、念仏を称える衆生を見捨てることなく(不捨)、極楽浄土に救い摂(と)ること(摂取)」とある(参考 観無量寿経:新纂浄土宗大辞典Web版)。 

主神を信仰する我々も、主神に必ず天国に救われるということになる。

〇天(あめ)の水分(みくまりの)神(かみ)と玉依姫

 この神社には、天(あめ)之(の)水分(みくまりの)大(おお)神(かみ)とともに玉依姫も祀られている。「子守宮(こもりみや)」とも言われ「子授け・安産・子どもの守護神」とされている(吉野町公式ホームページ)。

「水分(みくまり)」が「身籠(みこもり)り」へと転化し、母・子授けの神として、神武天皇の母たる玉依姫が合祀されたようである。

一方、霊界物語に出て来る玉依姫も、天(あめ)の水分(みくまりの)神(かみ)との関係が強い。解脱し、天の水分神となった竜神の腮(あぎと)から琉と球の玉が出るが、球の玉が玉依姫である。

「琉と球との宝玉を…潮満や潮干の 二つの珠を」

(二十七巻一三章「竜の解脱」)

「潮満の珠…豊玉姫神…潮干の珠…玉依姫神」

(一巻三五章「一厘の秘密」)

つまり、もとより一体のような天の水分神と玉依姫が、吉野水分神社でいっしょに祀られているということになる。霊界物語の世界が、この神社でまるで再現されているようである。

さて、「吉野山と弥勒下生(その一)」の中に、瑞(みづ)能(の)神歌の「音姫どのの御宝を吉野山に探しに来た」がある。乙姫は玉依姫だともあり、玉依姫を祀る吉野水分神社に、音姫どのの御宝があるのだろうか。

「吉野山、八幡の山の奥深く、ミロクの世まで隠されし、音姫どのの御宝の、在所尋ねて」

(大正十年発行「瑞能神歌」)

「竜宮の乙姫即ち玉依姫」(二十七巻四章「教主殿」)

「玉依姫の事を竜宮の乙姫と云う」(出口王仁三郎全集五巻【言霊解】皇典と現代・海幸山幸之段)

〇妻が祈った孫の誕生

子守宮(こもりのみや)である吉野水分神社に、豊臣秀吉が子授け祈願をして秀頼を授かり、現在の社殿は秀頼により慶長九年(一六〇五)に再建されている(吉野町公式ホームページ)。

妻はこの社殿の一角で、一生懸命、子授けの祈願をしていた。上の娘にずっと子ができなかったからである。

この二月後の十月三十日に妻は帰幽したが、妻の祈りが通じたのか、帰幽した後に上の娘に子ができた。しかも、翌年生まれたその子の誕生は、妻が生まれたのと同じ十一月で、あたかも妻の生まれ替わりのようであった。

なお、妻にはいろいろ不思議があった。

熱田神宮の御神体である草薙剣(くさなぎのつるぎ)に妻は感合したかのように、祈願とともにたちまち足の痛みが治り(『愛善世界』令元年八月号掲載「お父さん、足の痛いのが治った」)、また、出口聖師が御手代を出された杖立温泉では、配っていたスプーンを曲げた(『愛善世界』令六年一二月号掲載「言霊の助に依りて」)。

さらには、帰幽の際、息が切れかかっても「おとうさんが来る」との声に息をつなぎ、私のお取次の最後の二拍手とともに目を閉じ、息が止んだ(『愛善世界』平二九年一二月号掲載「妻の昇天と『お取次』」)。

こうした妻であったので、娘のお腹に入ることも、あながちあり得ないことではないと思っている。

その後、⑤上千本を下った。春なら桜が満開だろうが、炎天の八月である。とてもつらそうに歩いていた妻の顔が今も浮かぶ。

「炎天の上千本を歩かせり

葉桜の陰あるとはいえど」

なお、さらに下ってお店で柿の葉寿司を食べた。がんのために、ずっと食事がとれなかった妻が、おいしいと言って一人分を食べたのは、一月ぶりであった。弥勒下生の場である吉野山のおかげをいただいたのだと思う。

〇出口聖師の竜門岳参拝

大正九年五月七日、⑥竜門岳に出口聖師は九十五名で登られ(『神霊界』大正九年五月二十一日号 大和紀行)、その後、雲巻山(うんかんさん)の⑦大(おお)蔵(くら)寺(じ)へ行かれている。

 高皇産霊神(たかみむすびかみ)が鎮まる竜門岳では、山頂の高鉾山(たかほこやま)にある天龍神社で、出口聖師が「諸龍神や諸眷属、諸神仏」に対して、「綾部に昇り神政に参加」するよう詔(の)られている。

 次に行かれた雲巻山の大蔵寺は、竜門岳から約二・五キロの所にあり、現在、出口聖師がお参りされたことが立て札に残されている。

「大本教祖 出口王仁          

三郎師参拝記念之地」

 その大蔵寺で、空海が初めて真言宗を建てたと『神霊界』にある。

「弘仁元年(八一○)空海が帰朝してより三年目 三十七の壮齢で 初めて真言宗を建て…茲に当寺を開き」

 なお、空海も弥勒信仰を強く説いており、出口聖師が大蔵寺に行かれた理由もそこにあったのであろう。

 「空海の『三教指帰(さんごうしいき)』(七九七年)に、釈迦の印璽(じ)を受けた弥勒菩薩がやがてこの世に現れてくることが示してある」

   (『弥勒』宮田登著 講談社学術文庫八三頁要約)

 また、空海と同時代の最澄にも、弥勒信仰があった。

「最澄の空海に対する書簡に、『竜(りゅう)華(げ)三(さん)会(え)』の時を盛んに説く文章があった」(『弥勒』八三頁)

この「竜華三会」とは、衆生済度のために弥勒菩薩が三度の説法を行うことである。

「弥勒菩薩は兜(と)率(そつ)天(てん)から降生せられ、竜華樹の下で悟りをひらかれ、三回大きな説法の会坐(えざ)をもち、何十億という衆生を救済される」

(『弥勒』八三頁)

ここで思い出すお歌がある。昭和三年三月三日、出口聖師五十六歳七ヶ月の折に詠まれたお歌である。

 「万代(よろずよ)の常世(とこよ)の暗(やみ)もあけはなれ

         みろく三会(さんえ)の暁(あかつき)きよし」

まさに自分こそが弥勒下生で、竜華三会、みろく三会の説法を行い、衆生を救うのだという出口聖師の宣言である。

 弥勒下生は「原始仏教の時代から伝えられ」(『仏教の歴史』平川彰著 講談社学術文庫八四頁)ており、人類の長い歴史の中で、竜華三会、みろく三会の弥勒にまみえた奇跡に、我々は改めて感謝すべきである。

〇善如龍王と如意宝珠(ほつしゆ)

龍門岳や大蔵寺の案内を、真言宗の僧侶の丸山貫長師がなされている。その懇切さに、出口聖師は名前の読み込み歌を残されている。

 「 丸山貫長 

天地(あめつち)の誠を丸め海山に

貫き徹(とお)す長(なが)命(とし)の聖人(かみ)」

湯浅仁齋氏が「龍門参拝の思い出」(『神の国』昭和十年三月号)に、丸山氏が高野山の管長候補者であった名僧であることを紹介し、出口聖師との不思議な話を記(しる)している。

その内容。丸山氏が空海から夢の中で「弥勒菩薩に渡せ」と言われた如意宝珠が、眼が覚めたら頭の上にあった。元々この宝珠は、釈迦が弟子の迦葉に、弥勒菩薩に渡すよう命じたもので、丸山氏は、出口聖師が弥勒菩薩の化身だと断定して、その宝珠を聖師に渡したというもの。

また、『神霊界』(大正九年五月二十一日号 大和紀行)は、出口聖師のお歌を綴ったものであるが、その中にも如意宝珠が出て来る。

「善如龍王が鎮まりて 如意の宝珠を守るてふ」

八大龍王のうちのサーガラ龍王(大海龍王)の第三王女が善如(女)龍王(ウィキペディア)であるが、五十七巻(「序文」)で、サーガラ竜王(海竜王)が八大竜王の中に出て来る。

 また、善如龍王が法華経・提(だい)婆(ば)達(だっ)多(た)品(ほん)第十二に八歳の龍女として登場する(娑(しゃ)竭(かつ)羅(ら)龍王女 年始八才)が、六十巻(一○章「玉国」)に、七(しち)八(はち)才の乙女が、サーガラ竜王の背に乗せられて出て来る。この乙女はサーガラ竜王の身魂から生まれ、如意宝珠の玉と変じている。

 「サーガラ竜王、七八(しちはち)才の乙女を背に乗せ…この御子(みこ)は吾が身魂より生(あ)れ出でし 如意の宝珠の化身なりけり…乙女は如意宝珠の玉と変じ」          (六十巻一○章「玉国」)

大正九年の『神霊界』に出て来る善如龍王と如意の宝珠が法華経にも通じ、その真相が大正十二年口述の六十巻で明らかにされているのには驚かされる。

また、善如龍王は大蔵寺を開いた空海とも関係が深い。奈良時代の八二四年、空海が淳和(じゅんな)天皇(てんのう)に雨乞いを命じられ、空海に応じて雨を降らしたのは善如龍王である(ウィキペディア)。

ところで、善如龍王が変じた如意宝珠の働きを、明確に示した箇所は霊界物語にはない。

しかし、出口聖師が、竜門岳の天竜神社で「当山守護」の諸龍神と詔(の)られていることや、善如龍王が空海の雨乞いに応じたこと、その後、サーガラ竜王と夫婦となる八大竜王の司たるタクシャカ竜王が所持をしていた夜光の玉が「風水火を自由に」(六十巻一○章「玉国」)していたことを勘案すれば、如意宝珠にも同様な働きがあったものと考える。

「アヅモスの 山に隠れしタクシャカの 竜王始め妻神の サーガラ竜王救ひつつ 夜光の玉や如意宝珠」 (六十三巻一章「玉の露」)

なお、入蒙記(二五章「風雨叱咤」)にも、竜神が雨を降らす役目であることが示してある。

「激しき暴風雨窓を破らむず計(ばか)りに襲来…大先生が今日の役目を承(うけたまわ)るべき竜神を、温(おん)さんに取り懸けられた」

また、竜神が解脱した天(あめ)の水分(みくまりの)神が、「降雨を調節し給ふ大神」(二十七巻一三章「竜の解脱」)となったこととも同じである。

 

  ○国祖の生まれ替わり

  

吉野山の金峰山寺・蔵王堂を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)と空海は、国祖の生まれ替わりだと出口聖師が言われている。

「空海(弘法大師)と役の行者は艮の金神様の生れ変りだ」  (『新月の光』下巻 昭和十九年二月)

役行者は「弥勒が下生する黄金がちりばめられた弥勒浄土」(『弥勒下生経』)として吉野山を開き、空海も「弥勒菩薩がやがてこの世に現れてくる」(『三教指帰(さんごうしいき)』)として弥勒下生の信仰を世に広めている。まさに天祖たるミロク様の出現を待つ国祖の立場である。

特に空海は、弥勒下生が出口聖師であることを予言している。

「古川のほとりに一人の神人あらわる、月の輪、萩の山」

昭和十六年頃、丸山師が高野山で空海の秘められた壺を開いてあったという。亀岡を流れる保津川は昔、古川と称えられ、亀岡の天恩郷は月が美しい所で、また、天恩郷の月照山にはミソ萩が植えられ、まさしく出口聖師の出現を予言したものとなっている。  

(概要:大本教学第一一号「月の輪萩の山」)

(最後に)

そして時節により、今日(こんにち)、これまで仏教で弥勒菩薩と称えていたものが、本来の至仁至愛大神(みろくさま)と称える良い世が到来している。

「五六七(みろく)様が永(なが)らくの間(あひだ)仏(ぶつ)事(じ)の御守護で御座(おいで)ましたが、天では弥勒菩薩と、仏事の御守護なり、地の世界ではダルマ様と御生(おんま)れなされて禅(ぜん)宗(しう)を御(お)開(ひら)きなされ、人の身魂を研(みが)いて居(を)られたが、何(なに)彼(か)の時節が参りて来て、大(も)本(と)の至仁至愛(みろく)大神様(さま)の良い世に戻る時節に成りて来たのであるぞよ」    (大本神諭 大正五年旧八月五日)

              (令8・9・15記)

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