吉 野 山 と 弥 勒 下 生 (そ の一 ) 大 正 六 年 ・八 幡 社 へー 藤原道長の経筒 藤 井 盛
〇 弥 勒 が 下 生 す る 黄 金 の 浄 土 吉 野 山 は 、 弥 勒 下 生 の 信 仰 の 山 で あ る 。 「 弥 勒 下 生 経 」 に よ れ ば 、吉 野 山 は 弥 勒 が 下 生 す る 黄 金 が ち り ば め ら れ た 弥 勒 浄 土 で あ り 、 吉 野 山 に あ る 金き ん 峯ぷ 山せ ん 寺じ の 「 金 峯 山 」は 、黄 金 で 敷 き つ め ら れ た 山 岳 と い う 意 味 に な る と い う 。 こ う し た 説 明 が 、『 弥 勒 』( 宮 田 登 著 講 談 社 学 術 文 庫 一 ○ 一 頁 )に あ り 、「 第 八 章 大 本 教 の 中 の 弥 勒 」に は 、 出 口 聖 師 を 弥 勒 下 生 と し て い る 。 ま た 、吉 野 山 の 金 峯 神 社 に は 、藤 原 道 長 が 、弥 勒 下 生 を 祈 願 し て 金 峯 山 に 埋 納 し た 国 宝 の 経 筒 が あ る 。 こ う し た 経 筒 は 、 弥 勒 最 勝 妙 如 来 像 の あ る 熊 本 県 山 鹿 市 の み ろ く 岩 に も あ っ た。な お 、弥 勒 下 生 経 に あ る「 兜 率 天 と そ つ て ん に 住 む 弥 勒 菩 薩 が 、五 十 六 億 七 千 万 年 後 に 現 実 世 界 に メ シ ア と し て 降 臨 す る 」(『 弥 勒 』 四 五 頁 )」 こ と が 、 伊 都 能 売 神 諭 に は こ う 示 し て あ る 。 「 五 六 七 の 世 が 参 り た ぞ よ 。釈 迦 が 五 十 六 億 七 千 萬 年 の 後 に 、至 仁 至 愛 み ろ く の 神 政よ が 来 る と 預 言 し た の は 、 五 六 七 と 申 す 事 で 在 る ぞ よ 」 (『 伊 都 能 売 神 諭 』 大 正 七 年 十 二 月 二 十 三 日 ) 〇 弥 勒 下 生 と し て の 吉 野 行 き ( 大 正 六 年 ) 大 正 六 年 四 月 二 十 四 日 、 出 口 聖 師 が 皇 族 の 鶴 殿 親 子 氏 を は じ め 十 一 人 で 吉 野 山 に 行 か れ た 。 こ れ が 大 正 十 年 発 行 の「 瑞み づ 能の 神 歌 」に あ り 、吉 野 山 が「 黄 金 の 山 」で あ る こ と が 示 さ れ 、 し か も 、「 神 の 経 綸 」 の 「 礎 を 踏 み 固 め 」 た と あ る 。 吉 野 行 き が 、 出 口 聖 師 が 弥 勒 下 生 た る こ と を 示 す 経 綸 で あ っ た の だ ろ う 。 「 黄 金 の 山 の 奥 深 き 、 神 の 経 綸 は 白 雲 の 、花 の 吉 野 の 水 清 く 、治 ま る 御 代 の 礎 を 、踏 み 固 め 」 ( 『 王 仁 文 庫 』 瑞 能 神 歌 大 正 十 年 一 月 発 行 ) ま た 、『 新 月 の 光か け 』 に も 、 こ の 大 正 六 年 四 月 の 吉 野 行 き の 記 載 が あ り 、 金 に つ い て 触 れ て い る 。 「 大 正 六 年 四 月 二 十 四 日 … 吉 野 山 に 見 に 行 っ た … 確 か に あ る 。 金 の あ る と こ ろ に は 、 黄 金 草 が 生 え て い る … シ ダ の よ う な も の 」 (『 新 月 の 光 』 下 巻 一 ○ 五 ~ 一 ○ 六 頁 ) 3 弥仙山 な お 、 こ の 大 正 六 年 四 月 の 吉 野 行 き が 、 同 年 六 月 の『 神 霊 界 』( 六 月 一 日 号 )に も 出 て 来 る 。し か し 、 大 正 十 年 一 月 の 瑞 能 神 歌 に は あ る 弥 勒 が 下 生 す る 「 黄 金 の 山 」 は 出 て 来 な い 。 大 正 六 年 の『 神 霊 界 』発 表 時 点 で は 、弥 勒 様 が 下 生 し 「 五 六 七 の 世 の 宝 」(『 錦 の 土 産 』) た る 霊 界 物 語 が 発 表 さ れ た 辛 酉 か の と と り ・ 革 命 の 年 、 大 正 十 年 と い う 時 節 に は 、 ま だ 至 っ て い な か っ た か ら だ ろ う 。 時 節 を 待 つ と い う こ と の 前 例 が あ る 。 明 治 三 十 六 年 九 月 に 出 口 聖 師 が 書 か れ た「 弥 仙 山 」が 、十 七 年 後 の 大 正 九 年 七 月 に な っ て 、よ う や く『 神 霊 界 』 ( 二 十 一 日 号 ) に 発 表 さ れ て い る 。 こ の「 弥 仙 山 」を 、 そ の 末 尾 に あ る 「 や ま み ち の あ ん な い 」に よ り 読 み 解 く と 、 開 祖 の 信 仰 を た し な め る も の と な っ て い る 。 大 本 の 中 で 、 み ろ く 様 た る 出 口 聖 師 の 御 神 格 が わ か ら な か っ た 明 治 三 十 六 年 当 時 に は 、「 弥 仙 山 」 は ま だ 発 表 で き ず 、 大 正 九 年 に な っ て 、 よ う や く 真 相 を 発 表 で き る 時 節 が 来 た と い う こ と で あ ろ う 。 ( 参 考 :『 愛 善 世 界 』 誌 令 和 五 年 七 月 号 「 『 愛 善 世 界 』 誌 へ の 投 稿 十 年 目 弥 仙 山 岩 戸 開 き を 考 え る 」 ) 〇 音 姫 ど の の 御 宝 ま た 、 瑞 能 神 歌 の 冒 頭 に は 、「 ミ ロ ク の 世 ま で 隠 さ れ た 」「 音 姫 ど の の 御 宝 」 を 、 吉 野 山 に 探 し に 来 た の だ と あ る 。 「 む か し よ り 花 に 名 高 き 吉 野 山 、 八 幡 の 山 の 奥 深 く 、 ミ ロ ク の 世 ま で 隠 さ れ し 、音 姫 ど の の 御 宝 の 、 在 所 尋 ね て 」 4 三之公神社 〔八幡社を遷座〕 春、山吹が満開 竜 宮 の 音 姫 は 乙 姫 と も 表 記 さ れ 、 御 宝 と セ ッ ト で 大 本 神 諭 や 霊 界 物 語 に よ く 出 て 来 る 。 「 音 姫 殿 の 御 宝 を 上 げ て … 二 度 目 の 世 の 立 替 を 致 し て … 乙 姫 殿 の 御 財 宝 お ん た か ら を 綾 部 の 大 元 へ 持 運 も ち は こ び て 」 (『 大 本 神 諭 』大 正 五 年 旧 五 月 十 四 日 ) ま た 、霊 界 物 語 に は 、章 名 で「 竜 宮 の 宝 」( 七 巻 二 二 章 ) が あ る 。 「 海 面 は … 渦 を 巻 き … 大 き な 金 塊 が 波 の 上 に 浮 き 出 て … 数 限 り の な き 金 銀 、 真 珠 、 瑪 瑙 め の う 、 瑠 璃る り 、硨 磲 し ゃ こ な ど の 立 派 な 宝 玉 は 、水 面 に 浮 き 上 り 」 な お 、「 弥 勒 下 生 経 」 で は こ の 宝 玉 が 、 理 想 郷 の 飾 り と し て 出 て 来 る 。 「 楼 閣 は 、 金 ・ 銀 ・ 瑠 璃 ・ 瑪 瑙 ・ 琥 珀 こ は く ・ 珊 瑚 さ ん ご ・ 真 珠 の 七 宝 で 飾 ら れ 」 (『 弥 勒 』四 六 頁 ) さ て 、探 し に 来 ら れ た「 音 姫 の 御 宝 」と は 一 体 、 何 だ ろ う か 。 〇 出 口 聖 師 が 行 か れ た 「 八 幡 の 社 」 大 正 六 年 四 月 、 出 口 聖 師 が 最 終 的 に 行 か れ た 場 所 が 、『 神 霊 界 』に 「 八 幡 の 社 」 と あ る 。ま た 、『 瑞 能 神 歌 』に も「 吉 野 山 、八 幡 の 山 の 奥 深 く 」と あ り 、 同 じ 「 八 幡 」 の 語 句 が 出 て 来 る 。 ①上市 ②妹背山(妹山+背山) ③柏木 ④不動の窟 ⑤八幡の社 場所:八幡平 〔尊義王行宮跡〕 地図(その1) 宮滝遺跡 地図(その2) 5 吉野宮 模型 こ の「 八 幡 」が ど こ に あ る の か 。『 神 霊 界 』と『 瑞 能 神 歌 』に 示 さ れ た 出 口 聖 師 ら が 辿 ら れ た 地 点 を 、 地 図 で 辿 っ て み た 。 順 路 は 次 の と お り で あ る 。 吉 野 駅 ➩ ① 上 市 ➩ ② 妹 背 山 ➩ ③ 柏 木 ( 柏 原 )➩ ④ 不 動 の 窟 ➩ ⑤ 八 幡 の 社 ( 八 幡 の 山 ) す る と 、 ① 上 市 か ら ④ 不 動 の 窟 ま で は 、 地 図 で 確 認 が で き た 。 途 中 に 、 天 武 天 皇 が 琴 を 弾 か れ た 時 、 天 津 乙 女 が 降 っ て 舞 っ た ( 初 代 田 中 緒 琴「 八 雲 琴 と 共 に 四 十 年 」『 お ほ も と 』誌 昭 三 十 六 年 六 月 号 )と い う 吉 野 の 宮 が あ っ た と い う「 宮 滝 遺 跡 」が あ る 。 し か し 、 目 的 地 の ⑤ 八 幡 の 社 は 、『 神 霊 界 』 で 「 神 霊 の 指 示 に 従 つ て 五 十 丁 」 と あ る の み で 、 具 体 的 に は 示 さ れ て い な い 。 「 神 霊 の 指 示 に 従 つ て … 驀 進 ば く し ん す る 五 十 丁 ( = 約 五 ・ 五 キ ロ ) に し て 、ゆ く り な く も 八 幡 の 社 に 達 し た 。幾 度 と な く 霊 眼 に 指 示 さ れ た る 神 縁 の 境 域 」 (『 神 霊 界 』大 正 六 年 六 月 一 日 号 ) そ こ で 、「 八 幡 」 に つ い て 、 奈 良 県 川 上 村 役 場 の ホ ー ム ペ ー ジ な ど を 見 る と と も に 、 川 上 村 役 場 に 直 接 電 話 で 聞 い て み た 。す る と「 森 と 水 の 源 流 館 」 ( 公 益 財 団 法 人 吉 野 川 紀 の 川 源 流 物 語 ) の 職 員 さ ん を 紹 介 さ れ た 。 そ の 結 果 「 後 南 朝 の 皇 子 尊た か 義よ し 王お う が 朝 廷 を 立 て た 行 宮 あ ん ぐ う 跡 が あ る 八 幡 平 は 、八 幡 社 を 建 て た の で 八 幡 平 と 称 し た 」 と い う こ と が わ か り 、 三さ ん 之の 公こ 川 沿 い の 行 宮 あ ん ぐ う 跡 の あ る 八 幡 平 の 位 置 を 教 え て い た だ い た 。 地 図 ( そ の 6 三之公行宮跡 (尊義王行宮跡の奥にある) 2 ) の ⑤ 八 幡 の 社 の 位 置 で 、 ④ 不 動 の 窟 か ら 約 八 キ ロ で あ っ た 。 八 幡 社 は 、 出 口 聖 師 が 行 か れ た 時 に は あ っ た だ ろ う が 、 昭 和 三 年 に 川 上 村 入し お 之の 波は に 遷 座 さ れ 「 三 之 公 神 社 」 と な り 、 元 の 八 幡 平 に は 小 祠 し ょ う し と 堂 跡 が 残 っ て い る と の こ と だ っ た 。 さ ら に『 神 霊 界 』に は「 四 辺 に は … 山 吹 の 花 の 、 今 を 盛 り と 咲 き 乱 る る 」 と あ る が 、 遷 座 先 の 三 之 公 神 社 周 辺 は「 や ま ぶ き バ ス 」が 出 る ほ ど 、春 に な る と 自 生 の 山 吹 が 満 開 を 迎 え る と い う 。「 森 と 水 の 源 流 館 」 の 職 員 さ ん に よ る と 、 こ の 辺 り は 三 之 公 神 社 周 辺 の み な ら ず 、 自 生 の 山 吹 が 咲 く と の こ と で あ っ た 。 〇 皇 族 の 鶴 殿 親 子 氏 が 同 行 さ ら に 、『 神 霊 界 』 に は 帰 神 の 場 面 が 出 て 来 る 。 「 更 に 三 長 髪 男 子 と 一 婦 人 と は こ こ で 厳 粛 な る 帰 神 の 状 態 に 入 っ た 。 霊 眼 に 映 ず る も の は そ も 何 物 」 こ こ の 場 面 を 、『 大 地 の 母 』( 出 口 和 明 著 十 一 巻 一 七 七 頁 ) が 描 写 し て い る 。 「 王 仁 三 郎 、梅 田 信 之 … は … 感 合 し て … 鶴 殿 親 子 が 初 め て の 鎮 魂 で 早 く も 霊 眼 を 授 け ら れ … 神 示 の 内 容 は … 伝 え ら れ て は い な い 」 と こ ろ で 、 前 述 の 尊た か 義よ し 王お う に つ い て 、 川 上 村 役 場 の ホ ー ム ペ ー ジ に こ う あ る 。 「 元 南 朝 方 の 皇 族 尊 義 王 は 、南 朝 の 復 興 を 願 っ て 皇 位 継 承 の し る し の 神 器 の 神 璽 し ん じ ( ま が た ま ) を 奪 い 、川 上 村 の『 三 之 公 』に 隠 れ 住 み 朝 廷 を 7 後醍醐天皇歌碑 平29.8.13 「ここはなほ 丹生の杜にほど近し 祈らば 晴れよ 五月雨の空」 立 て ま し た 」 鶴 殿 親 子 氏 は 、 南 朝 樹 立 の 後 醍 醐 天 皇 を 支 え た 一 条 家 の 支 流 醍 醐 家 の 出 で あ る 。 尊た か 義よ し 王お う 行 宮 あ ん ぐ う 跡のあ る 八 幡 平 の 八 幡 社 で 、南 朝 復 興 に 強 い 思 い を 抱 い て い た 尊 義 王 の 霊 魂 に 、 鶴 殿 氏 を 感 合 さ せ る た め に 、 出 口 聖 師 が 鶴 殿 氏 を 吉 野 行 き に 同 行 さ せ た の で は な い か 。 〇 三 浦 み う ら の 王わ う 統す 家け 三 十 三 巻 ( 一 章 「 高 論 濁 拙 」) で 、 カ ー ル の 国 依 別 と 末 子 姫 の 結 婚 を 祝 う 歌 に 「 三み 浦う ら の 王わ う 統す 家け 」 が 出 て 来 る 。 「 カ ー ル 『 ア ル ゼ ン チ ン … 天 津 日 の 大 神 様 は 赫 々 か く か く と … 三 五 の 明 月 め い げ つ … 瑞 祥 の … 鶴 は 千 年 … 東 方 朔 と う ほ う さ く は 九 千 年 、三 浦 の 王 統 家 五 千 歳ざ い 、三 千 年 の 御 仕 組 の 』 」( 三 十 三 巻 一 章 「 高 論 濁 拙 」次 も 同 ) こ の 結 婚 の 席 に は 、 末 子 姫 の 親 の 神 素 盞 嗚 大 神 が 同 席 し 、 ま た 、 夫 と な る 国 依 別 は 、 竜 の 腮あ ぎ と の 球 の 玉 の 神 徳 を 身 に 受 け て い る 。 「 神 素 盞 嗚 大 神 天 降 り … 竜 の 腮 の 球 の 玉 其 神 徳 を 身 に 受 け て … 国 依 別 … 珍 の 都 の 主あ る じ と し 末 子 の 姫 に 娶め あ は し て 」 ま た 、 祝 歌 を 歌 う カ ー ル は 、 木 の 花 姫 の 分 霊 で あ り 、ま た 、五 六 七 大 神 が 木 花 姫 や カ ー ル 、素 盞 嗚 尊 と 変 現 さ れ る と あ る 。 「 木 の 花 の 神 の 命 の 分 霊 わ け み た ま カ ー ル の 司つ か さ い と な つ か し き 哉 」 ( 三 十 三 巻 一 二 章 「 袂 別 」) 8 神武天皇 吉野行幸 平29.8.13 鶴殿親子氏 「 木 花 姫 … カ ー ル … と 現 は れ … 素 盞 嗚 尊 と な る … 変 現 し て 万 有 を 済 度 … 五 六 七 大 神 様 の 御 真 相 」 ( 四 十 巻 六 章 「 仁 愛 の 真 相 」) こ の よ う に 、 み ろ く の 大 神 ら が 臨 席 の 中 で 「 三 浦 の 王わ う 統す 家け 」が 出 て 来 る 。「 王 統 お う と う 」と は 、帝 王 の 血 統 、 皇 統 ( 天 皇 の 血 筋 ) で あ る ( コ ト バ ン ク )。 な お 、 吉 野 行 き の 大 正 六 年 か ら 二 年 後 の 『 伊 都 能 売 神 諭 』 ( 大 正 八 年 一 月 二 十 七 日 ) に も 、 「 三 浦 の 王 統 家 」 が 出 て い る 。 「 酉と り の 年 、 四 十 四 度 の 紀 元 節 、 五 六 七 の 神 代 の 初 春 … 東 方 朔 の 九 千 年 、 栄 え 三 浦 の 王 統 家 … 辛か の と の 酉と り … 九 月 八 日 の こ の 仕 組 」 辛 酉 か の と と り は 神 武 天 皇 即 位 の 年 で あ り 、同 じ く 辛 酉 の 九 月 八 日 は 、 三 十 五 万 年 後 の 再 会 を 神 素 盞 嗚 尊 と 国 武 彦 が 約 束 し た 日 で あ る 。 さ ら に 、 辛 酉 大 正 十 年 旧 九 月 八 日 は 、 霊 界 物 語 発 表 の 神 示 が 出 口 聖 師 に あ っ た 日 で あ る 。 こ う し た 重 要 な お 仕 組 み の 中 に 「 三 浦 の 王 統 家 」 が 出 て 来 る が 、 そ の 三 浦 の 王 統 に 当 た る の で あ ろ う か 、 戦 後 、 三 浦 芳よ し 聖ま さ 氏 が 「 三 浦 天 皇 」 と 自 称 し 、 南 朝 正 統 の 皇こ う 胤い ん で あ る こ と を 主 張 し て い る ( ウ ィ キ ペ デ ィ ア )。 と こ ろ で 、 南 朝 と 関 係 が あ る 鶴 殿 親 子 氏 が 、 吉 野 出 発 の 前 日 、 出 口 聖 師 に 会 い 、 聖 師 が 有あ り 栖す 川が わ の 宮み や 熾た る 仁ひ と 親 王 の 子 で あ る こ と を 確 認 9 有栖川宮熾仁親王 後花園天皇 し て い る 。 「 そ っ く り 、そ の ま ま … 生 き 写 し で ご ざ い ま す 」 「 そ う か … わ し の 父 … 有 栖 川 宮 熾 仁 親 王 が よ み が え っ た 、 と 思 う た の や な 」 (『 大 地 の 母 』 一 一 巻 一 五 五 頁 ) な お 、 有 栖 川 宮 家 を 直 系 で 辿 っ て 行 く と 、 後 花 園 天 皇 に つ な が る 。 後 花 園 天 皇 の 皇 位 継 承 が 、 南 北 朝 合 一 時 の 「 明 徳 の 和 約 」( 両 統 迭て つ 立り つ : 南 北 家 系 交 互 の 皇 位 継 承 ) に 反 し た こ と が 、尊た か 義よ し 王お う ら の 南 朝 復 興 運 動 の 引 き 金 に な っ て い る( ウ ィ キ ペ デ ィ ア )。 い わ ば 、 出 口 聖 師 の 家 系 は 南 朝 側 の 尊 義 王 に 対 抗 し た 側 で あ り 、 一 方 、 鶴 殿 親 子 氏 の 家 系 は 南 朝 側 を 支 え た 側 で あ る 。 こ う し た 過 去 の 濃 い 関 係 性 の あ る 中 で 、 き っ と み ろ く 様 の 出 口 聖 師 は 、 尊 義 王 ら を お 救 い に な っ た に 違 い な い 。 以 上 、 い ろ い ろ と 勝 手 に 推 測 し た が 、「 霊 眼 に 映 ず る も の は そ も 何 物 」 ( 『 神 霊 界 』 ) で あ り 、「 こ こ で の 神 示 の 内 容 は 、 い ず れ も 伏 せ ら れ た ま ま 伝 え ら れ て は い な い 」(『 大 地 の 母 』十 一 巻 一 七 七 頁 )と あ る 。 ( 令 和 8 ・ 8 ・ 16 記 )
吉 野 山 と 弥 勒 下 生 (そ の一 ) 大 正 六 年 ・八 幡 社 へー 藤原道長の経筒 藤 井 盛 2 みろく岩 令7.11.29 『新月の光』下巻 『瑞能神歌』 な お 、弥 勒 下 生 経 に あ る「 兜 率 天 と そ つ て ん に 住 む 弥 勒 菩 薩 が 、五 十 六 億 七 千 万 年 後 に 現 実 世 界 に メ シ ア と し て 降 臨 す る 」(『 弥 勒 』 四 五 頁 )」 こ と が 、 伊 都 能 売 神 諭 に は こ う 示 し て あ る 。 「 五 六 七 の 世 が 参 り た ぞ よ 。釈 迦 が 五 十 六 億 七 千 萬 年 の 後 に 、至 仁 至 愛 み ろ く の 神 政よ が 来 る と 預 言 し た の は 、 五 六 七 と 申 す 事 で 在 る ぞ よ 」 (『 伊 都 能 売 神 諭 』 大 正 七 年 十 二 月 二 十 三 日 ) 〇 弥 勒 下 生 と し て の 吉 野 行 き ( 大 正 六 年 ) 大 正 六 年 四 月 二 十 四 日 、 出 口 聖 師 が 皇 族 の 鶴 殿 親 子 氏 を は じ め 十 一 人 で 吉 野 山 に 行 か れ た 。 こ れ が 大 正 十 年 発 行 の「 瑞み づ 能の 神 歌 」に あ り 、吉 野 山 が「 黄 金 の 山 」で あ る こ と が 示 さ れ 、 し か も 、「 神 の 経 綸 」 の 「 礎 を 踏 み 固 め 」 た と あ る 。 吉 野 行 き が 、 出 口 聖 師 が 弥 勒 下 生 た る こ と を 示 す 経 綸 で あ っ た の だ ろ う 。 「 黄 金 の 山 の 奥 深 き 、 神 の 経 綸 は 白 雲 の 、花 の 吉 野 の 水 清 く 、治 ま る 御 代 の 礎 を 、踏 み 固 め 」 ( 『 王 仁 文 庫 』 瑞 能 神 歌 大 正 十 年 一 月 発 行 ) ま た 、『 新 月 の 光か け 』 に も 、 こ の 大 正 六 年 四 月 の 吉 野 行 き の 記 載 が あ り 、 金 に つ い て 触 れ て い る 。 「 大 正 六 年 四 月 二 十 四 日 … 吉 野 山 に 見 に 行 っ た … 確 か に あ る 。 金 の あ る と こ ろ に は 、 黄 金 草 が 生 え て い る … シ ダ の よ う な も の 」 (『 新 月 の 光 』 下 巻 一 ○ 五 ~ 一 ○ 六 頁 ) 3 弥仙山 な お 、 こ の 大 正 六 年 四 月 の 吉 野 行 き が 、 同 年 六 月 の『 神 霊 界 』( 六 月 一 日 号 )に も 出 て 来 る 。し か し 、 大 正 十 年 一 月 の 瑞 能 神 歌 に は あ る 弥 勒 が 下 生 す る 「 黄 金 の 山 」 は 出 て 来 な い 。 大 正 六 年 の『 神 霊 界 』発 表 時 点 で は 、弥 勒 様 が 下 生 し 「 五 六 七 の 世 の 宝 」(『 錦 の 土 産 』) た る 霊 界 物 語 が 発 表 さ れ た 辛 酉 か の と と り ・ 革 命 の 年 、 大 正 十 年 と い う 時 節 に は 、 ま だ 至 っ て い な か っ た か ら だ ろ う 。 時 節 を 待 つ と い う こ と の 前 例 が あ る 。 明 治 三 十 六 年 九 月 に 出 口 聖 師 が 書 か れ た「 弥 仙 山 」が 、十 七 年 後 の 大 正 九 年 七 月 に な っ て 、よ う や く『 神 霊 界 』 ( 二 十 一 日 号 ) に 発 表 さ れ て い る 。 こ の「 弥 仙 山 」を 、 そ の 末 尾 に あ る 「 や ま み ち の あ ん な い 」に よ り 読 み 解 く と 、 開 祖 の 信 仰 を た し な め る も の と な っ て い る 。 大 本 の 中 で 、 み ろ く 様 た る 出 口 聖 師 の 御 神 格 が わ か ら な か っ た 明 治 三 十 六 年 当 時 に は 、「 弥 仙 山 」 は ま だ 発 表 で き ず 、 大 正 九 年 に な っ て 、 よ う や く 真 相 を 発 表 で き る 時 節 が 来 た と い う こ と で あ ろ う 。 ( 参 考 :『 愛 善 世 界 』 誌 令 和 五 年 七 月 号 「 『 愛 善 世 界 』 誌 へ の 投 稿 十 年 目 弥 仙 山 岩 戸 開 き を 考 え る 」 ) 〇 音 姫 ど の の 御 宝 ま た 、 瑞 能 神 歌 の 冒 頭 に は 、「 ミ ロ ク の 世 ま で 隠 さ れ た 」「 音 姫 ど の の 御 宝 」 を 、 吉 野 山 に 探 し に 来 た の だ と あ る 。 「 む か し よ り 花 に 名 高 き 吉 野 山 、 八 幡 の 山 の 奥 深 く 、 ミ ロ ク の 世 ま で 隠 さ れ し 、音 姫 ど の の 御 宝 の 、 在 所 尋 ね て 」 4 三之公神社 〔八幡社を遷座〕 春、山吹が満開 竜 宮 の 音 姫 は 乙 姫 と も 表 記 さ れ 、 御 宝 と セ ッ ト で 大 本 神 諭 や 霊 界 物 語 に よ く 出 て 来 る 。 「 音 姫 殿 の 御 宝 を 上 げ て … 二 度 目 の 世 の 立 替 を 致 し て … 乙 姫 殿 の 御 財 宝 お ん た か ら を 綾 部 の 大 元 へ 持 運 も ち は こ び て 」 (『 大 本 神 諭 』大 正 五 年 旧 五 月 十 四 日 ) ま た 、霊 界 物 語 に は 、章 名 で「 竜 宮 の 宝 」( 七 巻 二 二 章 ) が あ る 。 「 海 面 は … 渦 を 巻 き … 大 き な 金 塊 が 波 の 上 に 浮 き 出 て … 数 限 り の な き 金 銀 、 真 珠 、 瑪 瑙 め の う 、 瑠 璃る り 、硨 磲 し ゃ こ な ど の 立 派 な 宝 玉 は 、水 面 に 浮 き 上 り 」 な お 、「 弥 勒 下 生 経 」 で は こ の 宝 玉 が 、 理 想 郷 の 飾 り と し て 出 て 来 る 。 「 楼 閣 は 、 金 ・ 銀 ・ 瑠 璃 ・ 瑪 瑙 ・ 琥 珀 こ は く ・ 珊 瑚 さ ん ご ・ 真 珠 の 七 宝 で 飾 ら れ 」 (『 弥 勒 』四 六 頁 ) さ て 、探 し に 来 ら れ た「 音 姫 の 御 宝 」と は 一 体 、 何 だ ろ う か 。 〇 出 口 聖 師 が 行 か れ た 「 八 幡 の 社 」 大 正 六 年 四 月 、 出 口 聖 師 が 最 終 的 に 行 か れ た 場 所 が 、『 神 霊 界 』に 「 八 幡 の 社 」 と あ る 。ま た 、『 瑞 能 神 歌 』に も「 吉 野 山 、八 幡 の 山 の 奥 深 く 」と あ り 、 同 じ 「 八 幡 」 の 語 句 が 出 て 来 る 。 ①上市 ②妹背山(妹山+背山) ③柏木 ④不動の窟 ⑤八幡の社 場所:八幡平 〔尊義王行宮跡〕 地図(その1) 宮滝遺跡 地図(その2) 5 吉野宮 模型 こ の「 八 幡 」が ど こ に あ る の か 。『 神 霊 界 』と『 瑞 能 神 歌 』に 示 さ れ た 出 口 聖 師 ら が 辿 ら れ た 地 点 を 、 地 図 で 辿 っ て み た 。 順 路 は 次 の と お り で あ る 。 吉 野 駅 ➩ ① 上 市 ➩ ② 妹 背 山 ➩ ③ 柏 木 ( 柏 原 )➩ ④ 不 動 の 窟 ➩ ⑤ 八 幡 の 社 ( 八 幡 の 山 ) す る と 、 ① 上 市 か ら ④ 不 動 の 窟 ま で は 、 地 図 で 確 認 が で き た 。 途 中 に 、 天 武 天 皇 が 琴 を 弾 か れ た 時 、 天 津 乙 女 が 降 っ て 舞 っ た ( 初 代 田 中 緒 琴「 八 雲 琴 と 共 に 四 十 年 」『 お ほ も と 』誌 昭 三 十 六 年 六 月 号 )と い う 吉 野 の 宮 が あ っ た と い う「 宮 滝 遺 跡 」が あ る 。 し か し 、 目 的 地 の ⑤ 八 幡 の 社 は 、『 神 霊 界 』 で 「 神 霊 の 指 示 に 従 つ て 五 十 丁 」 と あ る の み で 、 具 体 的 に は 示 さ れ て い な い 。 「 神 霊 の 指 示 に 従 つ て … 驀 進 ば く し ん す る 五 十 丁 ( = 約 五 ・ 五 キ ロ ) に し て 、ゆ く り な く も 八 幡 の 社 に 達 し た 。幾 度 と な く 霊 眼 に 指 示 さ れ た る 神 縁 の 境 域 」 (『 神 霊 界 』大 正 六 年 六 月 一 日 号 ) そ こ で 、「 八 幡 」 に つ い て 、 奈 良 県 川 上 村 役 場 の ホ ー ム ペ ー ジ な ど を 見 る と と も に 、 川 上 村 役 場 に 直 接 電 話 で 聞 い て み た 。す る と「 森 と 水 の 源 流 館 」 ( 公 益 財 団 法 人 吉 野 川 紀 の 川 源 流 物 語 ) の 職 員 さ ん を 紹 介 さ れ た 。 そ の 結 果 「 後 南 朝 の 皇 子 尊た か 義よ し 王お う が 朝 廷 を 立 て た 行 宮 あ ん ぐ う 跡 が あ る 八 幡 平 は 、八 幡 社 を 建 て た の で 八 幡 平 と 称 し た 」 と い う こ と が わ か り 、 三さ ん 之の 公こ 川 沿 い の 行 宮 あ ん ぐ う 跡 の あ る 八 幡 平 の 位 置 を 教 え て い た だ い た 。 地 図 ( そ の 6 三之公行宮跡 (尊義王行宮跡の奥にある) 2 ) の ⑤ 八 幡 の 社 の 位 置 で 、 ④ 不 動 の 窟 か ら 約 八 キ ロ で あ っ た 。 八 幡 社 は 、 出 口 聖 師 が 行 か れ た 時 に は あ っ た だ ろ う が 、 昭 和 三 年 に 川 上 村 入し お 之の 波は に 遷 座 さ れ 「 三 之 公 神 社 」 と な り 、 元 の 八 幡 平 に は 小 祠 し ょ う し と 堂 跡 が 残 っ て い る と の こ と だ っ た 。 さ ら に『 神 霊 界 』に は「 四 辺 に は … 山 吹 の 花 の 、 今 を 盛 り と 咲 き 乱 る る 」 と あ る が 、 遷 座 先 の 三 之 公 神 社 周 辺 は「 や ま ぶ き バ ス 」が 出 る ほ ど 、春 に な る と 自 生 の 山 吹 が 満 開 を 迎 え る と い う 。「 森 と 水 の 源 流 館 」 の 職 員 さ ん に よ る と 、 こ の 辺 り は 三 之 公 神 社 周 辺 の み な ら ず 、 自 生 の 山 吹 が 咲 く と の こ と で あ っ た 。 〇 皇 族 の 鶴 殿 親 子 氏 が 同 行 さ ら に 、『 神 霊 界 』 に は 帰 神 の 場 面 が 出 て 来 る 。 「 更 に 三 長 髪 男 子 と 一 婦 人 と は こ こ で 厳 粛 な る 帰 神 の 状 態 に 入 っ た 。 霊 眼 に 映 ず る も の は そ も 何 物 」 こ こ の 場 面 を 、『 大 地 の 母 』( 出 口 和 明 著 十 一 巻 一 七 七 頁 ) が 描 写 し て い る 。 「 王 仁 三 郎 、梅 田 信 之 … は … 感 合 し て … 鶴 殿 親 子 が 初 め て の 鎮 魂 で 早 く も 霊 眼 を 授 け ら れ … 神 示 の 内 容 は … 伝 え ら れ て は い な い 」 と こ ろ で 、 前 述 の 尊た か 義よ し 王お う に つ い て 、 川 上 村 役 場 の ホ ー ム ペ ー ジ に こ う あ る 。 「 元 南 朝 方 の 皇 族 尊 義 王 は 、南 朝 の 復 興 を 願 っ て 皇 位 継 承 の し る し の 神 器 の 神 璽 し ん じ ( ま が た ま ) を 奪 い 、川 上 村 の『 三 之 公 』に 隠 れ 住 み 朝 廷 を 7 後醍醐天皇歌碑 平29.8.13 「ここはなほ 丹生の杜にほど近し 祈らば 晴れよ 五月雨の空」 立 て ま し た 」 鶴 殿 親 子 氏 は 、 南 朝 樹 立 の 後 醍 醐 天 皇 を 支 え た 一 条 家 の 支 流 醍 醐 家 の 出 で あ る 。 尊た か 義よ し 王お う 行 宮 あ ん ぐ う 跡のあ る 八 幡 平 の 八 幡 社 で 、南 朝 復 興 に 強 い 思 い を 抱 い て い た 尊 義 王 の 霊 魂 に 、 鶴 殿 氏 を 感 合 さ せ る た め に 、 出 口 聖 師 が 鶴 殿 氏 を 吉 野 行 き に 同 行 さ せ た の で は な い か 。 〇 三 浦 み う ら の 王わ う 統す 家け 三 十 三 巻 ( 一 章 「 高 論 濁 拙 」) で 、 カ ー ル の 国 依 別 と 末 子 姫 の 結 婚 を 祝 う 歌 に 「 三み 浦う ら の 王わ う 統す 家け 」 が 出 て 来 る 。 「 カ ー ル 『 ア ル ゼ ン チ ン … 天 津 日 の 大 神 様 は 赫 々 か く か く と … 三 五 の 明 月 め い げ つ … 瑞 祥 の … 鶴 は 千 年 … 東 方 朔 と う ほ う さ く は 九 千 年 、三 浦 の 王 統 家 五 千 歳ざ い 、三 千 年 の 御 仕 組 の 』 」( 三 十 三 巻 一 章 「 高 論 濁 拙 」次 も 同 ) こ の 結 婚 の 席 に は 、 末 子 姫 の 親 の 神 素 盞 嗚 大 神 が 同 席 し 、 ま た 、 夫 と な る 国 依 別 は 、 竜 の 腮あ ぎ と の 球 の 玉 の 神 徳 を 身 に 受 け て い る 。 「 神 素 盞 嗚 大 神 天 降 り … 竜 の 腮 の 球 の 玉 其 神 徳 を 身 に 受 け て … 国 依 別 … 珍 の 都 の 主あ る じ と し 末 子 の 姫 に 娶め あ は し て 」 ま た 、 祝 歌 を 歌 う カ ー ル は 、 木 の 花 姫 の 分 霊 で あ り 、ま た 、五 六 七 大 神 が 木 花 姫 や カ ー ル 、素 盞 嗚 尊 と 変 現 さ れ る と あ る 。 「 木 の 花 の 神 の 命 の 分 霊 わ け み た ま カ ー ル の 司つ か さ い と な つ か し き 哉 」 ( 三 十 三 巻 一 二 章 「 袂 別 」) 8 神武天皇 吉野行幸 平29.8.13 鶴殿親子氏 「 木 花 姫 … カ ー ル … と 現 は れ … 素 盞 嗚 尊 と な る … 変 現 し て 万 有 を 済 度 … 五 六 七 大 神 様 の 御 真 相 」 ( 四 十 巻 六 章 「 仁 愛 の 真 相 」) こ の よ う に 、 み ろ く の 大 神 ら が 臨 席 の 中 で 「 三 浦 の 王わ う 統す 家け 」が 出 て 来 る 。「 王 統 お う と う 」と は 、帝 王 の 血 統 、 皇 統 ( 天 皇 の 血 筋 ) で あ る ( コ ト バ ン ク )。 な お 、 吉 野 行 き の 大 正 六 年 か ら 二 年 後 の 『 伊 都 能 売 神 諭 』 ( 大 正 八 年 一 月 二 十 七 日 ) に も 、 「 三 浦 の 王 統 家 」 が 出 て い る 。 「 酉と り の 年 、 四 十 四 度 の 紀 元 節 、 五 六 七 の 神 代 の 初 春 … 東 方 朔 の 九 千 年 、 栄 え 三 浦 の 王 統 家 … 辛か の と の 酉と り … 九 月 八 日 の こ の 仕 組 」 辛 酉 か の と と り は 神 武 天 皇 即 位 の 年 で あ り 、同 じ く 辛 酉 の 九 月 八 日 は 、 三 十 五 万 年 後 の 再 会 を 神 素 盞 嗚 尊 と 国 武 彦 が 約 束 し た 日 で あ る 。 さ ら に 、 辛 酉 大 正 十 年 旧 九 月 八 日 は 、 霊 界 物 語 発 表 の 神 示 が 出 口 聖 師 に あ っ た 日 で あ る 。 こ う し た 重 要 な お 仕 組 み の 中 に 「 三 浦 の 王 統 家 」 が 出 て 来 る が 、 そ の 三 浦 の 王 統 に 当 た る の で あ ろ う か 、 戦 後 、 三 浦 芳よ し 聖ま さ 氏 が 「 三 浦 天 皇 」 と 自 称 し 、 南 朝 正 統 の 皇こ う 胤い ん で あ る こ と を 主 張 し て い る ( ウ ィ キ ペ デ ィ ア )。 と こ ろ で 、 南 朝 と 関 係 が あ る 鶴 殿 親 子 氏 が 、 吉 野 出 発 の 前 日 、 出 口 聖 師 に 会 い 、 聖 師 が 有あ り 栖す 川が わ の 宮み や 熾た る 仁ひ と 親 王 の 子 で あ る こ と を 確 認 9 有栖川宮熾仁親王 後花園天皇 し て い る 。 「 そ っ く り 、そ の ま ま … 生 き 写 し で ご ざ い ま す 」 「 そ う か … わ し の 父 … 有 栖 川 宮 熾 仁 親 王 が よ み が え っ た 、 と 思 う た の や な 」 (『 大 地 の 母 』 一 一 巻 一 五 五 頁 ) な お 、 有 栖 川 宮 家 を 直 系 で 辿 っ て 行 く と 、 後 花 園 天 皇 に つ な が る 。 後 花 園 天 皇 の 皇 位 継 承 が 、 南 北 朝 合 一 時 の 「 明 徳 の 和 約 」( 両 統 迭て つ 立り つ : 南 北 家 系 交 互 の 皇 位 継 承 ) に 反 し た こ と が 、尊た か 義よ し 王お う ら の 南 朝 復 興 運 動 の 引 き 金 に な っ て い る( ウ ィ キ ペ デ ィ ア )。 い わ ば 、 出 口 聖 師 の 家 系 は 南 朝 側 の 尊 義 王 に 対 抗 し た 側 で あ り 、 一 方 、 鶴 殿 親 子 氏 の 家 系 は 南 朝 側 を 支 え た 側 で あ る 。 こ う し た 過 去 の 濃 い 関 係 性 の あ る 中 で 、 き っ と み ろ く 様 の 出 口 聖 師 は 、 尊 義 王 ら を お 救 い に な っ た に 違 い な い 。 以 上 、 い ろ い ろ と 勝 手 に 推 測 し た が 、「 霊 眼 に 映 ず る も の は そ も 何 物 」 ( 『 神 霊 界 』 ) で あ り 、「 こ こ で の 神 示 の 内 容 は 、 い ず れ も 伏 せ ら れ た ま ま 伝 え ら れ て は い な い 」(『 大 地 の 母 』十 一 巻 一 七 七 頁 )と あ る 。 ( 令 和 8 ・ 8 ・ 16 記 )
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