『霊界物語』は皆日本の事
『霊界物語』は皆日本の事である。アメリカや印度の事にしてあるが、皆日本の事である。今まで信者を騙《だま》してあったのや。真面目《まじめ》に筆記しているので、あまり可笑《おか》しいので笑っていた。印度に東西百里南北二百里というような湖はないし、茶の湯...(第六十八巻第四章「茶湯の艶」参照)をしたりはしない。何とか言うたら霊界ではそうなっていると言うつもりであった。密意を含めてあるから判らぬのである。アメリカの名や印度の名やまぜこぜにしてあったが、有名な宣伝使は皆日本の名だ。エルサレムは綾部の事で、河鹿川(峠)は何鹿《いかるが》郡のことだ(『霊界物語』第三十九巻乃至第四十三巻参照)。琵琶《びわ》の湖や呉の湖や瀬戸の湖と書いてある(『霊界物語』第十二巻参照)。今はワックス《?マーク》で、和国の主でワックスや。強きを助け弱きをくじくのや。いまは金盥《かなだらい》を叩かれているところだ。そんなこと判《わか》ろうものなら大事件になるから判らぬように書いてある(昭和二十一年三月二十二日午前九時)『新月の光』。
●耶須陀羅《やすだら》姫とは皇女和宮
耶須陀羅姫の「陀羅尼《だらに》、梵名《サンスクリット》ダーラニーとは、仏教の呪文の一種で、「記憶して忘れない」という意味です。尼《に》を文字通り尼《あま》と考えれば、「ヤス」は「和」ですから、記憶して決して忘れない「和宮(尼)」となり、耶須陀羅姫が皇女和宮であることが明かされるわけです。耶須陀羅姫の許嫁がセーラン王であるとわかると、セーラン王とは、聖師の実父、有栖川宮熾仁親王であることがわかります。ただし、岩倉具視とみられるカールチンの娘、サマリー姫〈堀河紀子〉を娶《めと》ったところを考えると、孝明天皇にもあたります。
聖師は一人の人に複数の人を当てはめられることがあります。たとえば、トローレンスという名前は、トロッキー、レーニン、スターリンの三者を一緒にまとめたものです。同様に、セーラン王の中に、孝明天皇(図六)と有栖川宮熾仁親王(図七)の二人を投影しています。孝明天皇と熾仁親王が重なるということは、孝明天皇の正統な継承者は熾仁親王だと暗示したことになる。
聖師は、両者に同一のセーラン王という役柄を与えることで、両者の解釈を困難とし、この件が当局に見抜かれ、大事件になることを避けた。大本弾圧下、あるいは弾圧後、信者が独自に『霊界物語』を解釈するのは危険すぎたから、独自の解釈を禁じ、すなおにありのままに読むことを指示しました。しかし秘密の「秘」は必ず示すと書く。神秘の扉はいつかは開けられる。
●『霊界物語』と歴史を照合し、実在する人物を当てはめた
『霊界物語』の本文より、「セーラン王」は、和宮(ヤスダラ姫)との関係で兄を示す時は、孝明天皇、または陛下、許嫁《いいなずけ》を示す時は、熾仁《たるひと》親王と記載しています。
カールチンは岩倉具視、またサマリー姫は、孝明天皇の内侍《ないし》であった岩倉具視の実妹、堀河紀子《もとこ》が相応。しかし熾仁親王との関係では、皇女和宮降嫁後も、和宮の存在が脳裏《のうり》を離れず、親王が婚約を遅らせた徳川貞子《さだこ》なのかもしれません。
鬼雲彦は、婆羅門《ばらもん》教の大棟梁《だいとうりょう》、大教主として大黒主《おおくろぬし》と名乗り、鬼雲姫を妻としますが、鬼雲姫は「昭憲皇太后《しょうけんこうたいごう》」の可能性があります。昭憲皇太后は病弱で実子はなかったが、夫明治天皇には寵愛《ちょうあい》を受けておらず、かつその薨去《こうきょ》にあたっては、皇后でありながら劣位の皇太后《こうたいごう》の名を諡《おく》られています。石生能《いその》姫は、大正天皇を生んだ柳原愛子《やなぎはらあいこ》が相応でしょう。
そして、入那を京都、テルマン国を関東、また江戸と見ています。テルマン国は霊反しで「ホツマ」の国ですから、秀妻の国、日本(日本の東)です。四九巻第八章からテルマン国の西に位置すると考えられるのが入那の国、京都。「イル」は「日」(韓国語)那は「地」というのが私の考えです。
ヤスダラ姫は、「皇女和宮」であり、清照《きよてる》姫(図九)は「和宮の替玉」です。四一巻の一八章は、「替へ玉」の章。…セーリス『あのまア、清照姫様のお美しい事、ヤスダラ姫様そっくりですわ。ようまアお顔も御覧になったことがないのに、それほど似るように造れましたねえ《・》』〈清照姫はヤスダラ姫に似せて造られた〉。
そしてリーダーは、聖師の冠句の師匠、度偏屈烏峰《どへんくつうほう》宗匠朝寝坊閑楽、その娘が聖師の恋人であった八木弁である八木清之助がふさわしいと思います。八・一八の政変の時の志士であり、皇女和宮が江戸から都へ帰る途中に暴漢に暗殺された際、その遺骨の一部(左手首説あり)を郷里亀岡の千代川町拝田に運び、和宮を五輪の塔に祀った…。桂小五郎〈木戸孝允《きどたかよし》〉を禁門の変の時、千代川村拝田の自宅のわら小屋に匿《かくま》い、但馬、出石へ逃がしたのが志士である八木清之助です。リーダーは四一巻では、ヤスダラ姫館《やかた》の取締であり、年若き綺麗《きれい》な、万事に抜け目なく立ち回る利口な男子で、八木清之助と致します。ヤスダラ姫の忠誠無比な下男であり、セーラン王側近く仕えます。
マンモスは孝明天皇を忍者刀で暗殺したという暗殺説がある伊藤博文に近いと思います。
〈なお大黒主命の地位である大棟梁とは、三十三階級あるフリーメーソン・マッソンの位階であり、十二位が建築の大統梁、二十位が崇高な大棟梁。大黒主命自体は、日本国の支配者でしょう。〉
右守は右大臣、左守は左大臣と考えました。クーリンスはヤスダラ姫の父という意味では仁孝天皇ですが、孝明天皇の時の左大臣、一条忠香《いちじょうただか》の可能性もあります。一条忠香は、皇女和宮としてその姿が写真となった替玉柳沢明子の父ですから、和宮の父という言い方は微妙です。ちなみに、和宮のもう一人の替玉と想定される南部郁子《なんぶいくこ》は、夫 華頂《かちょう》宮博経《ひろつね》親王が孝明天皇の猶子《ゆうし》〈かつ徳川家茂の唯一の猶子〉となっています。和宮の替へ玉という意味では『霊界物語』では清照姫に相応します。玉山峠でランチ将軍の軍勢に襲撃されますが、母親黄金姫とともに狼に救われます。婆羅門教の副棟梁、鬼熊別の子供で、三五教の神力無双の宣伝使です〈ストーリーが十分には一致しませんが〉。テルマン〈江戸〉国の毘舎《びしゃ》シャールは皇女和宮の夫、徳川家茂に相応します。
●第一章 入那の野辺
…『婆羅門《ばらもん》教では教主の大黒主さまから一夫多妻主義じゃから、婦人は丸切り機械扱い〈性的奴隷扱い・千代田遊郭?〉にされているようなものだよ。婦人の立場として貞操蹂躙《ていそうじゅうりん》の訴えでもする権利がなくてはたまらないからだよ。しかし一夫一婦の道を奉ずる三五《あなない》教では妻の方から貴様の女房のように夫を捨て他の男と情を通じたり、夫を盲目にしよった時は、男だって矢っ張り貞操を蹂躙された事になるのだ。男の方からその不貞腐《ふてくさ》れの女房に対して、貞操蹂躙の訴訟を提起するのは当然だ。女ばかりに貞操蹂躙の訴訟権があるのは未来の廿(二十)世紀という世の中にて行われる制度だ。しかし婆羅門教は文明的進歩的宗教だと見えて、三十五万年も凡《すべ》ての規則ややり方が進歩しているわい。アハヽヽヽヽ』
『そうすると、鬼雲姫様は永らく夫の大黒主様と苦労艱難《かんなん》して、あこまでバラモンの基礎を築き上げ、ヤレもう楽じゃといふ間際になって、大黒主さまから追い出され、その後へ立派な若い石生能姫さまを女房に入れられて、自分は年を老ってから、アンナ残酷な目に合されていながら、なぜ貞操蹂躙の訴訟を提起なさらないのだらうかなア』
『そこが強食弱肉の世の中だよ。大黒主さまより上のお役もなし、これを制御する法律もないのだから、こればかりは致し方がない。司法、行政、立法の三大権力を握っているのが大黒主だから、これを制御し懲戒《ちょうかい》する権利ある者は大自在天¥梵天王《ぼんてんおう》、のちに常世神王とも言う。てんのう〈天王星・天皇制》から降り、北米(常世国)に出生。〉様より外にはないのだ。思えば下の者はつまらぬものだよ。鬼雲姫様は随分お道のためには沐雨櫛風《もくうしっぷう》、東奔西走《とうほんせいそう》して、ようやくあれだけの土台を築き上げ、今一息という所で放逐《ほうちく》とは余り残酷じゃないか。それだから婆羅門教は無道の教団だというのだ。これが○○教であったら大変じゃないか。部下の宣伝使や信徒が承知しないからなァ』…。
●第二章 入那城
入那の国〈京都〉のセーラン王の館は東西南に広き沼を囲らし、北の一方のみ原野につづいている。この国では最も風景好《よ》くかつ要害《ようがい》よき地点を選み王の館が築かれてある。セーラン王は早朝より梵自在天《ぼんじざいてん》の祀《まつ》りたる神殿に昇りて祈願を凝らし、終って吾居間に帰り、ドッカと坐して双手を組み思案にくれながら独言、『あゝ世の中は思うように行かないものだなア。忠誠無比の左守の司クーリンスの娘和宮を幼少の頃から父王の命により許嫁と定まっていたものを、大黒主の神様に媚《こ》びへつらう右守の司カールチン〈岩倉具視〉の勢力日に月に増大し、ほとんど吾をなきものの如くに扱い、和宮をテルマン〈江戸〉国の毘舎シャール〈徳川家茂(図一一)〉の女房に追いやり、わが最も嫌う所の右守の司〈岩倉具視〉が娘サマリー〈堀河紀子〉姫を后《きさき》に致したとは、実に下、上を犯すとは言ひながら無暴の極まりだ。あゝ和宮は今頃はどうしているだろう。一度姫に会って幼少からの吾心の底を打明かし、ユックリと物語って見たいものだが、吾は刹帝利《せっていり》〈『霊界物語』五四巻では、ビクトリア王となっており、ビクトリアはインドではなく、真実は中国を示すが、泰氏が日本の歴史を中国の歴史に置き換えたという聖師の論拠では、古代日本の支配者とも読める〉の王族、和宮は最早毘舎の女房とまでなり下った以上は到底この世では面会もかなうまい。一国の王者の身でありながら、一生の大事たる許嫁の最愛の妻に生き別れ、この様な苦しき月日を送らねばならぬとはいかなる宿世《すくせ》の因縁か、あゝ和宮よ、余が心を汲み取ってくれ』と追恋《ついれん》の情に堪《た》えかねて思わず知らず落涙《らくるい》に咽《むせ》んでいる。かかる所へ襖《ふすま》をサラリと引き開け、少しく顔色を変えて絹ずれの音サラサラと入り来りしはサマリー姫〈堀河紀子〉なりき。〈毘舎《びしゃ》・バイシャとはインド・ヒンドゥー教のカースト制度で、商人など平民を主に示します。徳川家茂はむしろ貴族身分であるクシャトリアに近いと思いますが、首陀・スードラ〈奴隷〉やブラフミン〈破羅門・司宰〉ではなく、徳川家の元元の出自が高い身分ではないのかも知れません〉。『王様、貴方のこの頃の御機嫌《きげん》の悪いこと、一通りや二通りではございませぬ。妾《わらわ》も日夜、貴方様の不機嫌なお顔を拝みましては到底やりきれませぬから、本日限りお暇《ひま》を賜《たまわ》りとう存じます』と意味ありげに声を震《ふるわ》せて詰るように云う。王は驚いてサマリー姫の顔をツクヅクと見守りながら、
『合点《がてん》の行かぬその方の言葉、何かお気に障《さわ》ったかなア』『いえいえ、決して決して気にさわるような事はござりませぬ。何と申しても誠忠無比の左守の司様のお娘、許嫁のおありなすった和宮様を悪逆無道《あくぎゃくぶどう》の吾父カールチン〈岩倉具視〉が放逐《ほうちく》して、貴方のお気に入らない妾《わらわ》を后《きさき》に納《い》れられたのですから、貴方の日夜の御不快は無理もござりませぬ。最早今日となっては妾もやりきれませぬ。互に愛のない、諒解《りょうかい》のない夫婦位不幸なものはござりませぬから、妾は何とおっしやいましても、今日限りお暇《ひま》を頂き父の館へ下ります』
『これ紀子、今さら左様な事を云ってくれては困るじゃないか。少しは私の身にもなってくれたらどうだ』
『はい、貴方のお嫌いな妾がお側に仕えていましては、かえって貴方のお気を揉《も》ませ苦しめます道理、妾の如き卑しき身分の者がヤスダラ姫¥の地位を奪い、この様な地位に置かれるのは実に心苦しうござります。提灯《ちょうちん》に釣鐘《つりがね》、月にすっぽんの配偶も同様、互に苦情の出ない間に別れさして下さいましたならば、妾は何ほど幸福だか知れませぬ。今貴方の独言《ひとりごと》を聞くとはなしに承まわれば、誠忠無比の左守の司の娘、和宮姫を吾父の岩倉具視が放逐し、気に入らぬ私、サマリー姫〈堀河紀子〉を后に納れたのは残念だとおっしゃったではございませぬか。何と云ってもお隠しなされても、もう駄目でござります。妾はこれから父の家に帰り、父より大黒主様へ伺いを立て、その上で妾の身の振り方を定めて頂きますから、何卒これまでの縁と思って下さいませ』
と早立上がろうとするを王は狼狽《あわ》てて姫の袖を引掴《つか》み、『そう短気を起すものではない。その方は私を困らそうと致すのだな』
『いえいえ、お困らし申す所か、貴方がお気楽におなり遊ばすようにと気をもんでいるのでござります。左様なら、御免下さいませ』
と王の手を振り放し、怒りの血相物凄《すご》く父の館へ指して一目散に帰り行く。
孝明天皇は姫の狂気の如く駆け出した後にただ一人黙然《もくねん》として頭を傾け、吾身の運命はいかになり行くかと、トツ、オイツ思案に暮れいたる。そこへシヅシヅと入り来るは左守の司のクーリンスなりける。クーリンスはセーラン王の父バダラ王の弟であって、言わば王の叔父に当る刹帝利族である〈和宮の父は仁孝天皇で孝明天皇と和宮は異母兄妹〉。
『王様、今日はお早うございます。ただ今登城の際、館の者の噂を聞けば、堀河紀子(図十二堀河紀子の墓)様は何か王様と争いでもなさったと見え、血相変えて数多《あまた》の家来どもの御引き留《とめ》申すのも聞かず、蹴倒《けたお》しなぎ払い一目散に岩倉具視の館へ帰られたさうでございます。ともかく七八人の家来を岩倉具視の館へ差向け、姫を迎え帰るべく取扱っておきましたが、一体如何《いかが》な事をおっしゃったのでござりますか。右守の司《つかさ》、岩倉具視は大黒主様の大変なお気に入り、王様も左守の司もほとんど眼中にないと云う旭日昇天《きょくじつしょうてん》の勢でござりますれば、今、紀子姫の機嫌を損じ、具視様の立腹を招こうものなら、たちまち貴方の御身辺も危うござりましょう。誠に困った事ができました』
『何事も天命と諦《あきら》めるより仕方がない。吾は決して顕要《けんよう》の地位を望まない。たとえ首陀〈スードラ、隷属民〉でも何でも構わぬ。夫婦が意気投合してこの世を渡ることができたならば、この上ない余としての喜びはないのだ』
『王様、何とした、つまらぬ事をおっしゃるのですか。貴方が左様なお心でどうしてこの入那の国〈京都〉が治まりましょうぞ。少しは気を強くもって下さらないと吾々左守の司の働きができないじゃありませぬか。王様あっての左守の司ではござりませぬか』
『もうこうなる以上は何と云っても仕方がない。紀子姫が帰った以上は、きっと岩倉具視は日頃の陰謀を遂げるは今この時と、大黒主の力を借って遂《つい》には吾地位を奪い、入那の国を掌握《しょうあく》する事になるだろう。どうなりゆくも運命だと余は諦めている』
『右守の司〈右大臣〉岩倉具視がこの頃の傍若無人《ぼうじゃくぶじん》の振舞いは怪《け》しからぬ、とは云いながら、もとを糺《ただ》せば王様が鬼雲姫様の御退隠の件に就いて御意見を遊ばしたのが原因となり、王様は鬼熊別〈これも有栖川宮熾仁親王の投影か〉の腹心の者と睨《にら》まれ給うたのが起りでございます。悪人の覇《は》ばる世の中、阿諛諂侫《あゆてんねい》の徒は日に月に勢力を張り天下に横行闊歩《おうこうかっぽ》し、至誠忠直の士は圧迫される世の中ですから、少しは王様もその間の消息をお考え遊ばし、社交的の頭脳になつて頂かねばなりますまい。クーリンスは心に染まぬ事とは知りながら、お家のためを思い剛直一途の貴方様に対し涙を呑んで御忠告を申上げます』
『たとえ大黒主に睨《にら》まれ、国は奪われるとも王位を剥《は》がれるとも、たとえ吾生命は奪はれるとも、吾は断じて邪悪に与《くみ》する事はできぬ。放埒不羈《ほうらつふき》にして悪逆無道の限りを尽す大黒主の頤使《いし》に甘んずるよりも、鬼熊別様の趣旨に賛し、亡ぼされるが本望だ。あゝもうこの上そんな事は云ってくれるな』
〈国は奪われるとも王位を剥《は》がれるとも、たとえ吾生命は奪はれるとも…は史実と照らすと切実〉
『だと申してこのままに打ちやり置けば大変な事になります』
『余は昨夜の夢に、北光彦《きたてるひこ》の神と云う白髪異様の神人〈恒説 松岡神使と同表現、小松林命と同神か〉顕《あら》われ来り、諭《さと》し給うよう「汝の一身を始め入那の国家は実に危急存亡の秋に瀕《ひん》せり、これを救うに一つの道がある。それは外でもない、鬼熊別の神司の妻子なる黄金《おうごん》姫、清照姫〈きよてるひめ〉(和宮の替玉・南部郁子?マーク)は、今や三五教の神力無双の宣伝使となっている。彼はハルナの都〈東京〉へ言霊戦を開始すべく出陣の途中、この入那の国〈京都〉を通過すべければ、彼を岩倉具視の部下の捕えぬ間に汝《なんじ》が部下に捜索せしめ、密かにこの館に誘い帰りなば、岩倉具視や堀河紀子の勢力いかに強くとも、到底敵すべからず。今や大黒主は鬼春別、大足別の両将をして大部隊の軍卒を引率せしめ出陣したる後なれば、今日の大黒主の勢力は前日の如くならず、早く部下の忠誠なる人物を選み、母娘《おやこ》両人の行手を擁し、この王城にお立寄りを願ふべし」との事であった。クーリンス、夢であったか現《うつつ》であったか、余には判然と分らないが、きつとこれは真実であらうと思う。其方はどう思われるか』
『王様もその夢を御覧になりましたか、へー、何と妙な事があるものですな。私も昨夜その夢を歴然と見ましたので、実は夢の由を申上げむと参ったのでござります。こりゃきっと正しき神様のお告げでござりましょう。左様ならば時を移さず忠実なる部下を選んで表面は母娘を生捕《いけど》ると称し、迎えて参る事に致しましょう』
『しからばクーリンス殿、一時も早くその用意を頼む』
『はい』と答えてクーリンスは恭《うやうや》しく暇《ひま》を告げ一目散に吾家を指して帰り行く。
王はまた独り黙然《もくねん》として両手を組み、少しく光明にふれたような気分にもなっていた。
『昨夜の夢が実現したならば自分もまたこの苦が逃れられるであろう。うまく行けば再び和宮と添うことが出来るかも知れない』などと、頼りない事を思い浮かべながら色々と考え込んでいる。そこへ足音高く岩倉具視の一の家来と聞えたるユーフテスは、虎の威をかる狐の勢、王者も殆《ほとん》ど眼中になき有様にて、案内もなく襖《ふすま》をサラリと引き開け、
『王様、只今具視《ともみ》様のお使で参りましたが、貴方様は紀子様を虐待遊ばし、王者の身としてあるまじき乱暴をお働きなさったそうでござりますな。吾主人具視様は表向き貴方様の御家来なり、また堀河紀子様の父親なれば、王様にとってはお父様も同然でござりましょう。親として子の不埒《ふらち》を、何ほど王者なりとて戒《いまし》められずにはおれないと云って、ハルナの都〈東京〉の大黒主様の御許《みもと》に早馬使をお立てになりました。何分のお沙汰《さた》』あるまで別館に行つて御謹慎《きんしん》をなさりませ』
と横柄《おうへい》面に打ちつけるように云う。その無礼さ加減、言語に絶した振舞である。王はカッと怒り、
『汝《なんじ》、臣下の分際として余に向って無礼千万な、左様な事は聞く耳もたぬ。ユーフテス、汝《なんじ》が主人岩倉具視に対して余は今日限り堀河紀子とともに暇《いとま》を遣はす、一時も早く右守の司〈右大臣〉の館を立出で、何処《どこ》えなりと勝手に行けと申伝えよ』
と声荒らげてグッと睨めつけ叱りつければ、ユーフテスは案に相違の王の権幕に縮《ちじ》み上り、頭をガシガシ掻《か》きつつ、狼に出会うた痩《やせ》犬のやうに尾を垂れ、影まで薄くなつてショビショビとして帰って行く。
『アハヽヽヽヽ、右守の司の悪人に仕えるユーフテス奴、余が一喝《かつ》に遇《あ》うて悄気《しょげ》返り、初めの勢い何処《どこ》へやら、スゴスゴ帰り行くその有様、ほんに悪といふものはマサカの時になれば弱いものだな、アハヽヽヽヽ』
と思わず知らず高笑いしている。そこへスタスタと足早に這入って来たのは和宮の妹セーリス姫なり。
歴史を紐解けば、文久二年(一八六二)、五月一五日、カールチンとしての岩倉具視は左近衛権中将に転任しますが、八月二○日、左近衛権中将を辞任し蟄居《ちっきょ》(図十三)します。同年、九月一日、私がサマリー姫と見る堀河紀子は、和宮降嫁を進めたという理由で、辞職・蟄居となり、文久三年に出家します。
『陛下、今日は御壮健なお顔を拝し、セーリス姫誠に恐悦《きょうえつ》に存じます。つきましては早速ながら、父クーリンスの命により女の身をも顧みず罷《まか》り出でました。岩倉具視は年来の野心を成就《じょうじゅ》するは今この時と、東京へ早馬使を立て王様の廃立を図っておりまする。ついては吾父クーリンスはそれに対する準備も致さねばなりませず、家老のテームスに命じ黄金姫母娘の所在を探すべく準備の最中なれば、父が参る暇《いとま》がござりませぬので不束《ふつつか》なる女の妾が参ったのでござります。また父が幾度も登城致しますれば右守〈岩倉具視〉の身内の奴等に益々疑われ事面倒となりますれば、向後を慮《おもんばか》り妾を代理として参らせたのでござります』
『あゝそうか。事さえ分れば女でも結構だ。時にセーリス姫、その方はユーフテスに今会わなかったか』
『ハイ、只今お廊下で会いました。大変な悄気《しょげ》方で帰って参りました。あの男は実に好《す》かない人物でござります。毎日日々妾の許へ艶書《えんしょ》を送り、それはそれは嫌らしい事を云って参ります。本当に困った事でござります』
『ホー、そりや都合のいい事だ。これセーリス姫、近う近う』
と手招きすれば、セーリス姫は「はい」と答えて王の側近くににじり寄る。王は姫の耳に口寄せ何事か囁《ささや》けば、セーリス姫はニッコと笑つて打頷《うなづ》きこの場を立つて帰り行く。
●孝明天皇を暗殺したのは伊藤博文か 『霊界物語41巻より推定』
~そして皮袋に二三合ばかりの水を入れておき、ソツと敷居に流し、戸をあける時、音をさせぬ様にして暗夜に忍び込み、敵情を視察するのが忍術使の職務であつた。そして敵の寝所に忍び入った時は、頭の方から進みよるのである。万一足の方から進む際、敵が目をさまし、起上る途端に其姿を認められる事を恐るるからである。頭の方から進む時は、敵が驚いて起上るを、後から短刀にて切りつくるのに最も便宜なからである。~クーリンスはセーラン王(孝明天皇)に面会し、種々と右守の司のカールチン(岩倉具視)が陰謀に備うべく、密議を凝らし、初夜頃漸く吾家に帰り、草疲れ果てて、グツと寝に就いていた。そこへ塀を乗り越え黒装束となってやって来たのがマンモスであつた。彼は型の如くクーリンスの寝室に忍び入り、鼠を放つて見た。第二回目に放つた鼠はうろたへて襖の破れ穴から隣の宿直役のウヰルスの間へ飛込んだ。ウヰルスはウツラ ウツラ眠っていたが、飛込んだ鼠が自分の顔を走つたので、フッと目をさまし、起出でて見れば合点の行かぬ鼠の行動、こりやキツト何者かが忍び入つたに相違ない……と、左守の司の寝室に耳をすまして窺つてゐた。そこへノツソリと黒装束で現はれた男、「ヤア」と一声、左守の司を頭の方から切りつけむとする。この声に驚き、矢庭に襖を押開け、夜具を抱いた儘、曲者を捩伏せ、短刀を奪い取り、直に後手に縛り上げて了っていいような。『霊界物語41巻』「7章忍術使」より
マンモスを伊藤博文と確信するのかもう一つの4理由も述べます。『霊界物語41巻』より一部引用します。
『貴方は寡欲恬淡な、チツとも欲のないお方と云つたのですよ。凡て世の中は捉まへやうとすれば、捉へられぬものです。旦那様は万事にかけて抜け目なく、よくない方だから王様の方から昨日の様にあんな結構なことを仰有るので厶りますわい。これを思えば時節は待たねばならぬものですな。(都々逸)「時世時節の力と云へど、よくないお方が王となる」あゝヨイトセ ヨイトセぢや。おい岩倉具視、貴様も一つ前祝に歌はぬかい。大蛇の子のやうにグイグイ飲んでばかり居やがつて、何の態だ。チとコケコーでも唄つたら如何だい、アーン』
マンモス (伊藤博文)は鹿爪らしく、
『飲む時には飲む、遊ぶ時には遊ぶ。然り而うして聊か以て唄ふべき時には唄ふのだ。俺も若い時や、千軍万馬の中を往来して来た英雄豪傑……ではない、其英雄豪傑の……伝記を読んで、チツとばかり感化力を養ふ……たと云ふチーチヤーさまだからな、エーン。貴様の如き燕雀《えんじゃく》輩の敢て窺知《きゅうち》する所に非ずだ。(詩吟)「月は中空に皎々《こうこう》として輝き渡り、(伊藤博文)は悠々として酒杯に浸る。月影映す杯洗の中、絶世の美人吾傍《かたわら》に在り」とは如何だ、うまいだろう。俺の詩歌は而も特別誂《あつら》えだからなア、エーン』
『貴様の詩歌はカイローカイローと紅葉林《もみじばやし》で四足の女房を呼ぶ先生の声によく似ているわ。オツとそのカイローで思い出した、俺も早くセーチヤンと偕老同穴《かいろうどうけつ》の契《ちぎり》を結びたいものだ。貴様のようなシヤツチもない詩歌を呻《うな》ると気分が悪うなってくるわい。シカのシは死人の死だろうよ。もつと生命のある歌を歌つたら如何だい、アーン』『霊界物語41巻19章当て飲み』
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