松・竹・梅の宣伝使 ―市井(しせい)に生まれ替わる―(2-2最終回) 藤 井 盛
○市井(しせい)での苦労を語る
さらに、三人の苦労が語たれる。先の十三巻の「高(コー)加(カ)索(ス)詣(まゐり)」で出てきたお竹のことも出て来て行方不明。お松も遠い国だという。
『お梅さまはお松さまの妹だとか云つてゐましたなア。そのお松さまは今どこに居られますか』
『ハイ私には姉が御座いました。中の姉さまのお竹さまはコーカス山へ行つたきり行方不明となり、上の姉さまのお松さまはフサの国から海を渡つてどこか遠い国へ行かれたとか言ふ話で御座います。何分私の小さい時に別れたのですから詳しい事は存じませぬ』
また、両親は命を取られており、親子兄弟のない苦労が語られる。
『あなたの御両親は何と云ひますかな』
『私の父母は…バラモン教の鬼雲彦とやら云ふ大将に連れ帰られ、生命を取られたとか云ふ…私は或悪者の為に拐はかされ…兄さまが…私を助けて連れ帰り…兄さまの計らひで、親子兄弟のない子だと言つたら世間の人が軽蔑するから、お前は俺の国許から訪ねて来た妹だと言つてをるがよい』
『是(これ)で孫公も三人の秘密が全部分りました』
松竹梅の宣伝使として、黄泉(よもつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)の戦いで容色の端麗さで、華々しく邪神を言向け和し、また、竹野姫が王の許嫁(いいなずけ)を諭したりする姿は、確かに、我々の憧れの対象となり、師として仰ぐ尊敬の対象にもなる。宣伝使としてのその活躍は、我々の目指すところでもある。
しかし立場が変わり、生まれ替わって市井(しせい)に苦労する姿は、我々に身近で理解しやすい。あるいは、他人事(ひとごと)ではないかもしれない。一方、こうまでして神様は人々の御魂(みたま)をお鍛えになるのかとも思ってしまう。
なお、生まれ替わりについて、次のお示しもある。
「太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊(れい)即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続する」 (十巻十五章「言霊別」)
○出口聖師の生まれ替わり
ミロクの大神たる出口聖師の生まれ替わりに関する箇所がある。「若がへり若がへり」という文言もある。
「至仁至愛(みろく)の大神は数百億年を経て今日に至るも、若返り若返りつつ今に宇宙一切の天地を守らせ給ひ」 (七十三巻一二章「水火の活動」)
また、如是我聞にもある。
「王仁は今度で三十六遍生まれてきた。支那の上(こう)野(や)に百姓として生まれてきた事もある」
(『新月の光』上 ○三十六遍生まれてきた)
「『いま誰が来て書いているか判るか…』『菅原道真だ。道真は王仁の分霊だ』と申されました」 (『新月の光』上 ○忠勝)
「わたしの霊はかつて部将としてこの世に生まれでていたことがある…信長…秀吉であり、同時に家康であり、三つの御魂の活動をしていたのである」 (『月鏡』身魂の因縁)
○人間味溢れる出口聖師のお歌
妻が逝(い)って七年。妻との別れを短歌に詠んだ。
「生きている最後の温もり妻の胸に手を当て
最後のお取次(とりつぎ)をなす」 (『歌集 妻千枝』次も同)
「お取次終えなば目を閉じ息も止み妻は静かに逝きにけるかな」
短歌の中には、今も妻の温もりが残り、安らかに帰幽して行った様子が、ありやかに目に浮かぶ。つくづく短歌が詠めてよかったと思う。
天のミロクさまが、生身の人間の体を持って地上に降(くだ)られ、庶民の家に生まれられた出口聖師。『王仁三郎歌集』(笹公人編)から、出口聖師の温もりに触れているようなお歌を十二首選んでみた。
「足音をしのびしのびて二人ゆく道の隈手(くまで)に逢ひし母かな」 (第一歌集『花明山』)
「その君の嫁ぎの夜なりぽつねんと吾おのづから爪かみて泣けり」 (第二歌集『彗星』)
「亡き吾子のあと悲しめど詮なければ忘るる癖をつけたくぞ思ふ」
(第四歌集『霞の奥』次も同)
「いなづまはなやましきかも闇の軒にしのび逢う夜の二人を照せば」
「狂いたる女なるらむ真夜中の雨戸叩きて叫びをるかも」 (第八歌集『白童子』以後も同)
「わが父に叱られたりし若き日を思ひてわが子を一度も叱らず」
「満月に目鼻をつけて絵をゑがき汝がすがたよと妻に見せけり」
「心よわき吾は噂をおそれみて恋歌詠むも妻の名を借る」
「この女入水するかと窺(うかが)ひしを馬鹿をみたりき男待てるに」
「三時間も橋詰に待たされて帰つた夜更け恨みのラブレターを書いてゐる」
(第九歌集『公孫樹』)
「抱いてくれ負うてくれとせがむ女が可愛いい孫だもの」 (第十歌集『山と海』)
「幼児(をさなご)が乳房にすがるこころもて神に近づく身こそ幸なれ」 (道歌集『大本之道』)
内面を惜しみなく表白し、庶民感覚の人情味溢れるこのようなお歌に接すると、ミロクさまたる出口聖師がますます好きになる。我々信徒の素朴な悩みにも、気軽に応じていただける気がする。
(令6・11・23記)
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