霊界物語を2倍、楽しく読むには?
耶須陀羅(ヤスダラ)姫が皇女和宮である。耶須陀羅姫の許嫁がセーラン王であるとわかると、セーラン王とは、聖師の実父、有栖川宮熾仁親王である。岩倉具視とみられるカールチンの娘、サマリー姫〈堀河紀子〉を娶《めと》ったところを考えると、孝明天皇にもあたります。
聖師は一人の人に複数の人を当てはめられることがあります。トローレンスという名前は、トロッキー、レーニン、スターリンの三者を一緒にまとめたものです。セーラン王の中に、孝明天皇と有栖川宮熾仁親王の二人を投影しています。孝明天皇と熾仁親王が重なるということは、孝明天皇の正統な継承者は熾仁親王だと暗示したことになる。
●『霊界物語』と歴史を照合し、実在する人物を当てはめた。つまり<現界物語>である。
『霊界物語』の本文より、「セーラン王」は、和宮(ヤスダラ姫)との関係で兄を示す時は、孝明天皇、または陛下、許嫁《いいなずけ》を示す時は、熾仁《たるひと》親王である。
カールチンは岩倉具視、またサマリー姫は、孝明天皇の内侍、岩倉具視の実妹、堀河紀子《もとこ》が相応。しかし熾仁親王との関係では、皇女和宮降嫁後も、和宮の存在が脳裏《のうり》を離れず、親王が婚約を遅らせた徳川貞子かもしれません。
鬼雲彦は、婆羅門《ばらもん》教の大棟梁《だいとうりょう》、大教主として大黒主《おおくろぬし》と名乗り、鬼雲姫を妻としますが、鬼雲姫は「昭憲皇太后《しょうけんこうたいごう》」の可能性がある。昭憲皇太后は病弱で実子はなかったが、夫明治天皇には寵愛《ちょうあい》を受けておらず、かつその薨去にあたっては、皇后でありながら劣位の皇太后の名を諡られています。石生能(いその)姫は、大正天皇を生んだ柳原愛子が相応。入那を京都、テルマン国を関東、また江戸と見る。テルマン国は「ホツマ」秀妻の国、日本(日本の東)です。四九巻第八章からテルマン国の西に位置すると考えられるのが入那の国、京都。「イル」は「日」(韓国語)那は「地」です。
ヤスダラ姫は、「皇女和宮」であり、清照《きよてる》姫は「和宮の替玉」です。四一巻の一八章は、「替へ玉」の章。セーリス『あのまア、清照姫様のお美しい事、ヤスダラ姫様そっくりですわ。ようまアお顔も御覧になったことがないのに、それほど似るように造れましたねえ』〈清照姫はヤスダラ姫に似せて造られた〉。
●霊界物語 第41巻 第二章 入那城
入那の国〈京都〉のセーラン王の館は東西南に広き沼を囲らし、北の一方のみ原野につづいている。この国では最も風景好くかつ要害よき地点を選み王の館が築かれてある。セーラン王は早朝より梵自在天の祀りたる神殿に昇りて祈願を凝らし、終って吾居間に帰り、ドッカと坐して双手を組み思案にくれながら独言、
『あゝ世の中は思うように行かないものだなア。忠誠無比の左守の司クーリンスの娘和宮を幼少の頃から父王の命により許嫁と定まっていたものを、大黒主の神様に媚びへつらう右守の司カールチン〈岩倉具視〉の勢力日に月に増大し、ほとんど吾をなきものの如くに扱い、和宮をテルマン〈江戸〉国の毘舎シャール〈徳川家茂の女房に追いやり、わが最も嫌う所の右守の司〈岩倉具視〉が娘サマリー〈堀河紀子〉姫を后に致したとは、実に下、上を犯すとは言ひながら無暴の極まりだ。あゝ和宮は今頃はどうしているだろう。一度姫に会って幼少からの吾心の底を打明かし、ユックリと物語って見たいものだが。
霊界物語』五四巻では、ビクトリアはインドではなく、真実は中国を示すが、泰氏が日本の歴史を中国の歴史に置き換えたという聖師の論拠では、古代日本の支配者とも読める〉の王族、和宮は最早毘舎の女房とまでなり下った以上は到底この世では面会もかなうまい。一国の王者の身でありながら、一生の大事たる許嫁の最愛の妻に生き別れ、この様な苦しき月日を送らねばならぬとはいかなる宿世の因縁か、あゝ和宮よ、余が心を汲み取ってくれと追恋の情に堪えかねて思わず知らず落涙に咽んでいる。かかる所へ襖をサラリと引き開け、少しく顔色を変えて絹ずれの音サラサラと入り来りしはサマリー姫〈堀河紀子〉なりき。〈毘舎バイシャとはヒンドゥー教のカースト制度で、商人など平民を主に示します。徳川家茂はむしろ貴族身分であるクシャトリアに近いと思いますが、首陀・スードラ〈奴隷〉やブラフミン〈破羅門・司宰〉ではなく、徳川家の元元の出自が高い身分ではないのかも知れません〉。『王様、貴方のこの頃の御機嫌の悪いこと、一通りや二通りではございませぬ。妾も日夜、貴方様の不機嫌なお顔を拝みましては到底やりきれませぬから、本日限りお暇を賜りとう存じます』と意味ありげに声を震《ふるわ》せて詰るように云う。王は驚いてサマリー姫の顔をツクヅクと見守りながら。
こんな調子で、霊界物語第41巻、第16章<三番叟(さんばそう)>をぜひお読み下さい。
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