言(こと)霊(たま)の助(たすけ)に依りて ―伊都能売神諭に学ぶ― 藤 井 盛(2-2最終回)
太元顕津男の神が「西南の空より下り」と詠んでいるとおり、「太元顕津男の神の神名は、ア声の言霊南西に活(はたら)き給ひて顕れ給ふ神名」(七十三巻「総説」)とある。
また、「太元顕津男の神は大太陰界に鎮まり給ひて至仁至愛(みろく)の神と現じ…瑞の御霊…伊都能売神と顕現し…現身(うつせみ)をもちて」(七十三巻一二章「水火の活動」)とあるとおり、太元顕津男の神はミロクの大神であり、現身(うつせみ)を持たれる出口聖師へと至る。
つまり、「泉の水底の鰻」とは、泥海におられた鱗も角(つの)もない青水晶色の蛇体のミロク様ということになる。
大正五年、国祖の大神がなお開祖に懸かられて出された大本神諭の泥海のミロク様に関する内容が、大正八年、同じく国祖の大神が出口聖師に懸かられて出された伊都能売神諭で詳しく述べてある。さらにその内容を受けた歌が三首、昭和八年に出口聖師が口述された天祥地瑞の中にある。教典の違いはあっても、同じ教えが貫いてあることがわかる。
○大地の創造
また、伊都能売神諭では、国祖の神様が、世界を造る手伝いをしたいとミロク様にお申し出になり、「誠忠無比の神であるから世界の一切を委す」と言われ、「土と水とを立別け、山、川、原、野、海を拵(こし)らえたのが地の先祖の大国常立之尊」(『伊都能売神諭』大正八年二月十八日)とある。
霊界物語では、大地の創造がさらに具体的である。
「もつとも大きな竜体の泳ぐ波動で、泥の部分は次第に固くなりはじめ、水の部分は稀薄となり、しかして水蒸気は昇騰(しようとう)する。そのとき竜体が尾を振り廻すごとに、その泥に波の形ができる。もつとも大きな竜体の通つた所は大山脈が形造られ、中小種々の竜体の通つた所は、またそれ相応の山脈が形造られた。低き所には水が集り、かくして海もまた自然にできることになつた。この最も大いなる御竜体を、大国常立命と称へ奉る」 (一巻二○章「日地月の発生」)
○神々の昇り降りの龍宮館
昨年八月二十七日、瑞生大祭後の七夕祭に参拝した。本宮山に向かって祈った時、大神様との一対一感など、これまでにない気持ちの入(はい)りようを感じた。
「気持ち込め大天主太神(おほもとすめおほみかみ)の御名(おんな)唱える本宮山へ」 (『愛善世界』令和五年十一月号 自作)
実はこの参拝前の八月一日、伊都能売神諭のうち、この文章で引用した箇所を拝読し、「YouTube藤井盛」に配信していた。
ことに、次の箇所は、七夕祭にも重なる神々の昇り降りが示されており、ここを事前に拝読していたことで、霊地に関する思いが特に強くなった。まさに感謝祈願詞(みやびのことば)にある「言(こと)霊(たま)の助(たすけ)に依りて大神の御(み)心を直覚(さと)り」ということである。
「五六七の大神様と日の大神が…天を固めに御上り遊ばし…綾部の神宮本宮の坪の内、龍宮館の地の高天原…天地の神々が…昇(のぼ)り降(くだ)り…集会を遊ばし…御相談なされた結構な霊地(とち)」 (『伊都能売神諭』大正八年二月十八日)
なお、大本神諭にも龍宮館での神様の昇り降りの箇所がある。
「綾部の陸(あげ)の龍宮館の高天原には、結構な神が降(お)り昇(あ)がりを成(な)されて、世の立替に付いて歴然(ありやか)と神謀神策(けつこう)な現象(こと)」
(『大本神諭』大正五年旧五月十八日)
○陸(あげ)の龍宮「奥の院」
綾部の陸(あげ)の龍宮館の「奥の院」が鉢伏山だとある(『大本七十年史下巻』)。この鉢伏山に昭和二十一年五月二十三日、出口聖師が登られている。その後の七月、最後のご巡教先が紀州路であったが、鉢伏山もどうしても行っておかなければならない霊地であったということである。
日本列島がユーラシア大陸から分離し、日本海ができ、「元の大国常立尊が、竜体を現じて地上の泥海を造り固めてゐられた時のお姿同様」(一巻二一章「大地の修理固成」)に竜の形に形成された約一千五百年前は、地質時代の「新生代・新第三紀」に当たる。
鉢伏山は、これと同じ時代区分の中にある二百五十四万年前の火山活動で噴き出した溶岩からなる山である。陸(あげ)の龍宮で神々が昇(のぼ)り降(くだ)りされ、天地の創造や世の立替えの相談がなされた時代を表徴する意味での「奥の院」という考え方はどうだろうか。
なお、この鉢伏山に平成二十八年十月八日、妻とお参りをした。翌二十九年十月三十日に妻が他界して、まもなく七年目になる。腹の据わっていた妻が今も生きていたら、孫娘の不登校にどう対応していただろうか。
(令6・10・27記)
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