なお開祖のご苦労に報いる ―大本神諭と霊界物語の一体性― 藤井 盛(2-2最終回)
なお、出口聖師は幽界修業の折、幽庁の王と会われているが、なお開祖に会われた時、そのお顔を思い出されている。
「冥界(めいかい)にきたりて大王に対面…教祖をはじめて拝顔したときに…大王の御(お)顔(かほ)を思ひ出さずにはをられなかつた」 (一巻七章「幽庁の審判」)
また、稚桜姫命の相手玉照彦は城内の露と消える。
「玉照彦は…『われは厳重なる規律を破り、天則に違反し…滅びむとす』…城内の露と消えた」
○玉照彦は言霊別命
この稚姫君命に天則違反をなさしめた玉照彦の名前。厳霊・玉照姫と並ぶ錦の宮の神柱、瑞霊・玉照彦の名前となぜ同じなのか、以前からずっと不思議に思っていた。
「錦の宮の太柱…玉照彦の神柱、瑞の魂と現はれ玉ひ、玉照姫の神柱、厳の魂と現はれ玉ひ」
(五十五巻一四章「春陽」)
今回、インターネット上の霊界物語検索サイト『王仁DB』で検索してみた。すると仮の名ではあるが、玉照彦は言霊別命だとあったので驚いた。
「玉照彦は言霊別命の仮名(かりな)なり」
(三巻三八章「四十八滝」)
言霊別命は素盞嗚尊の分霊とか、玉照彦は伊都能売之御霊とある。そうであれば、みろくの大神であり、出口聖師へとつながる。
「素盞嗚尊は其分霊言霊別命を地中に隠し、少彦名命として神業に参加せしめ」 (二十二巻一章「玉騒動」)
「玉照彦様は遠き未来に於てミロク神政成就の神業に参加遊ばす尊き伊都能売之御霊」
(十九巻一六章「玉照彦」)
「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」)
なお、三巻の前の一巻にも玉照彦が出て来る。邪神の扱いであるが、はたしてそうか。
「大八洲彦命は大足彦、玉照彦を両翼となし…大八洲彦命と見えしは武熊別の変身であり、大足彦以下の正神と見えしは彼が部下の邪神」
(一巻四五章「玉黄玉の行衛」)
さらに、二巻で城内の露と消えた玉照彦が三巻で現れるのはどういうことか。この解決が十巻(一五章)「言霊別」にある。今回、この原稿を検討している時、『愛善世界』誌令和元年七月号に掲載されていた。
章題が「言霊別」だが、言霊別は文中には出て来ない。しかし、言霊別のことを言っているように思える。
「太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続する」 (十巻十五章「言霊別」)
実際、言霊別は一巻から、梅公と名を変えた七十二巻に至るまで登場している。
「言霊別命の化身にして、照国別の従者と変(へん)化(げ)したる梅公宣伝使」 (六十七巻「総説」)
○神諭に裏付けが
言霊別命=玉照彦=みろく様が、稚姫君命に天則違反をさせたことに通じるものを、大本神諭に見つけた。ミロク様が、女に変(へん)化(げ)た稚姫君命に苦労をさせたとある。
「此の方の御魂は、ミロク様が苦労致す身魂に、こしらへて御居(おゐ)でました、他(ほか)には無い御魂で在るから、此の方の半分の御魂を女に変(へん)化(げ)て、変性男子の御魂に致して、是(これ)程(ほど)長い艱難(かんなん)を今に命(させ)て、今度の大望な御用に使うたぞよ」
(『大本神諭』大正五年旧三月二十八日)
また、善のままでは経綸(しぐみ)を邪魔をされるから、あえて天則違反をさせて咎(とが)人(にん)にしたとある。
「天と地との先祖が初発(しよぱつ)から善一つで続かしたら邪魔を致すのが世の根起(もと)から能(よ)く判りて居(を)るから、我が子には天の規則を破らして天の咎人(とがにん)に仕(し)てをいて、何(なに)無(ぶ)調(てう)法(はう)の無い地の先祖を世に落して、時節の経綸(しぐみ)を為(さ)せて居(を)いでなされたのじや。」
(『大本神諭』大正五年旧六月十日)
○大望な御用とは
ところで、あえて天則違反をさせての大望な御用とは、一体何だろうか。かつて「出口なお開祖と初稚姫」(『愛善世界』誌令和二年十月号)の中で書いた。
「人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なること」
(四十七巻二一章「跋文」その二)
人間は、自然界と霊界を和合する媒介者として、高天原の根底や基礎となるべきものであるが、
「斯(かく)の如き尊き人間が、其内分を神に背けて、高天原との連絡を断絶し、却て之を自然界と自己とに向けて、自己を愛し、世間を愛し、其外分のみに向ひたるにより、従つて人間は其身を退けて再び高天原の根底となり、基礎となるを得ざらしめたるによつて」
(四十八巻一〇章「天国の富」)
そうならないので、なお開祖にその和合の大望な御用をさせたというのである。
「大神は是非なく、茲(ここ)に予言者なる媒介天人を設けて之を地上に下し、其神人をもつて天界の根底及び基礎となし、又之によつて天界と人間とを和合せしめ、地上をして天国同様の国土となさしめ給ふべく、甚(じん)深(しん)なる経(けい)綸(りん)を行はせたまうたのである。この御経綸が完成した暁(あかつき)を称して、松の代、ミロクの世、又は天国の世と云ふのである」
(四十八巻一〇章「天国の富」)
○御教えを腹に納める
なお開祖ご昇天後、国祖の大神が出口聖師に懸かられて出されたのが伊都能売神諭である。その中に大本の役員を注意したものがある。なお開祖を鏡とせず、世間並みのやり方に逆戻りをしているとある。
当時の役員を指しているのであろうが、我々信徒・宣伝使は、世間並みの見方や世間体を気にするのみではなく、大神の御教えを、まずしっかり腹に納めることが、我々人間のためにご苦労をされたなお開祖に報いる第一歩だと思う。
「出口直を鏡に出して世の立直しの行(や)り方が致して見せて在りたなれど…誰も楽な方へ行き易いもので在るから、今の大本の中の役員の行(や)り方は、薩張(さつぱ)り精神が緩みて了(しも)ふた、世間並の行(や)り方に逆(さか)戻(もど)り致して居(を)るぞよ」
(『伊都能売神諭』大正八年新一月一日)
(令6・9・30記)
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