なお開祖のご苦労に報いる ―大本神諭と霊界物語の一体性― 藤井 盛(2-1)

○人間味ある開祖を感じる

 開祖ご昇天百年記念大本大祭の前日の平成三十年(二○一八)十一月二日、出口なお開祖のご足跡を福知山市内にたどった。今から六年前になる。(『愛善世界』誌平成三十一年一月号「開祖様のご足跡をたどる隣地研修会」以下参考)

 我々は、なお開祖のお姿を、いつも厳格にされているお写真の中でしか知らない。福知山の街中を回った時、この街中の饅頭屋や呉服店になお開祖が奉公されていたと思うと、若い娘として働いておられたお姿が、急に現実味をもって浮かんで来た。

また、なお開祖が、ご生涯の最後にお参りをされた庵我神社を参拝した。この神社のある場所は、なお開祖が、出口家に入る前に結婚の約束をされていた林助さんの出身地である。

加えて、なお開祖が、林助さんは「本当の身魂の夫」だと語られたという。これらから、生涯林助さんへの思いを抱いておられた人間味あるなお開祖を感じる。

○なお開祖のご因縁

なお開祖の産土(うぶすな)神社である一宮(いっきゅう)神社(じんじゃ)も参拝した。なお開祖はこの神社を大切にされ、「寄附者名」の碑に「出口なを」の御名が刻まれている。

ところで、この一宮(いっきゅう)神社が大本神諭に出て来る。

「艮の金神の仕組(しぐみ)はチト大きな事が経綸(しぐみ)て在るぞよ…直(なを)の氏神(うじがみ)、福知山の一宮(いつきう)大明神でも、直の因縁御存知無くて…産土様でも御存知無い仕組」 (『大本神諭』明治三十二年旧七月二十九日)

 一宮(いっきゅう)神社の産土の神であっても、なお開祖のご因縁はわからないとある。一体、なお開祖のご因縁とは何か。

  ○なお開祖を亀鑑(かがみ)とする

 なお開祖のことが最初に大本神諭(愛善世界社版)に出て来るのは、明治三十年(月日不明)である。

「出口直(なを)を世に落として大望(たいもう)な御用を命(さ)したぞよ」    (『大本神諭』明治三十年 一集二九頁)

 大望な御用をさせるために世に落としたという。さらにこうある。

「出口直(なを)と言ふ人、昔から此の世の変り目に御役

に立てる身魂で在るから、苦労斗(ばか)りが命(さ)して在るぞよ。神威発揚(こ)の時代(よ)に成れば、神の信頼(ちから)に致す取り次ぎで在るぞよ。此の直は昔からの苦労と云(い)ふものは、此の世には先づ無い苦労致した直で在るぞよ。此の世の苦労が一番軽いので在るぞよ。此の直は此の世の亀鑑(かがみ)と致す身魂で在るぞよ。此の人を見て神の御用を聞(きい)て下されよ」

(『大本神諭』明治三十年 一集三六頁)

なお開祖を「神威発揚(こ)の時代(よ)」になれば神の信頼(ちから)にするとして、この世にない「昔からの苦労」をさせて「此の世の亀鑑(かがみ)」としたなお開祖を見て御用をせよと、我々に言われている。

○稚姫君命の天則違反

 なお開祖の御霊(みたま)は若(わか)姫(ひめ)岐(ぎ)美(みの)尊(みこと)である。

「艮の金神国常立尊、若姫岐美尊変性男子の御(み)魂(たま)が出口の神と現はれて、直(なを)の肉体を籍(か)りて、明治二十五年からガンジリ巻にしてをいて、辛い御用を命(さ)したぞよ」

(『大本神諭』 明治四十三年旧四月十八日)

 霊界物語や神霊界にも示されている。 

「大本の神諭は、国祖大国常立尊、厳(げん)霊(れい)と顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊に其(その)神格を充(みた)し、さうして天人の団体に籍を有する予言者なる出口開祖の肉体に来(きた)し、大神の直々(じきじき)の御教を伝達されたもの」 (四十八巻九章「罪人橋」)

「その根元を開かれたのが変性男子の身魂である。すなはち大国常立尊と稚姫君命と、惟神真道弥広大出口国直霊主命の三神一体の厳の御魂の大活動」 (神霊界 大正九年一月十五日号)

 この稚姫君命が規則破りであり、その罪穢(めぐり)を取り御用を勤めるために、苦労をしたとある。

「規則破りた稚比売岐美命の御霊(みたま)の慚愧(ざんぎ)を、出口直に十分晒(さら)さして、罪穢(めぐり)を取らして、二度目の世の立替の御用を機嫌善く勤めさして貰(もら)ふて、規則破りた譴(とが)しめを宥(ゆる)して貰い、因縁の深い身魂であるよつて、これ丈(だけ)苦労がありた」

(『大本神諭』明治四十一年旧六月八日)

    

〔慚愧(ざんぎ)=自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること〕

その規則破りが、色慾(いろ)の道の過ちであることが道のしおりで明かにしてある。 

「稚姫君命はいたずらの罪をおかせり。すなわち色慾(いろ)の道にてあやまり。この世の乱るるはこの色慾(いろ)の道なり。その罪のあがないのために、幾度もこの世に来たりて苦しみを受けられ、ついに心をあらためて、出口の神となりたまえる」

(『道のしおり』明治三十七年十月三十日)

 さらに具体的に、その経緯が霊界物語に示されている。天則違反の稚桜姫命は幽界へと行かされた。

「国治立命は…『夫婦の戒律を破りたる極(ごく)重(じう)罪(ざい)悪(あく)神(しん)なり。天地の規則に照し、天稚彦、稚桜姫命は、すみやかに幽界にいたり、幽庁の主宰者たるべし』と厳命された…天より高く咲く花の…地獄の釜の焦(こげ)起(おこ)し、三千年の、忍びがたき苦しみを受けたまう」  

(二巻四六章「天則違反」)

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