天変地妖と宣伝使 ―私の泥海時代―藤 井 盛(2-2最終回)
○私の泥海時代
十五年前の平成二十一年七月二十一日、山口県では一時間雨量八十ミリ、二十四時間雨量二百七十五ミリの観測史上一位による豪雨災害があった。土石流も発生し二十二名が亡くなられた。
私は当時五十一歳、知事の記者会見担当であった。災害対策本部が設置された十日間、まともに眠らせてもらえない中、副知事から執拗な叱責を受けた。知事の記者会見担当でありながら、会見場に入れてもらえないというひどいこともされた。おかげで三年半に及ぶうつ病に陥った。当時においてもパワハラであるが。
落ち度の覚えなく叱責を受けうつ病になった理不尽さが、三年間ずっと消えなかった。私は、三毒(二巻五○章「鋼鉄の鉾」貪(どん)、瞋(しん)、痴(ち))のうちの瞋恚(しんい)(恨み)の毒に浸ったのである。
ところが不思議なことに、病いが癒えて副知事(この時は美術館長)に会った途端に、恨みがぱっと消えた。瞋恚の毒から救われたのである。
うつ病となった私は、本庁から出先への異動を申し出たが、驚いたことに、会った時、私の出先への異動を副知事は不審に思っていた。心配してくれていたのである。しかし「あなたのせいで私は病気になった」と言ったのに対し、「そうかあ」とだけで悪かったとは言わなかった。その後手紙ももらった。四年前には、唐突に私の携帯に副知事から電話があり、最近も電話やメールのやりとりをしている。
災害対応当時、副知事はパニック状態で、顔元が全く変わっていた。それまで、床屋で隣り合った副知事から「藤井くん、髪をもっと短くしてはどうか」と言われ、髪の薄い副知事に「では、私の髪を分けて上げましょう」と言える仲であった。災害対応でのいらだちを、ものを言いやすかった私にぶつけていたのだろうと最近思えるようになった。
現在、私は副知事を恩人だと思っている。副知事が与えた試練のおかげで信仰に熱が入り、教えを本気で学ぼうと思うようになった。
『愛善世界』誌への投稿をはじめ、YouTubeチャンネル藤井盛での霊界物語の拝読録音の配信やホームページ霊界物語勉強室により、世の中に広く教えを伝える宣伝使の役目を果たせるようになった。自分自身が、泥海のような状態に陥ったからこそである。
なお、私の泥海時代に関して、霊界物語で二箇所が思い浮かぶ。一つは八十一巻後半のアヅミ王の娘チンリウ姫が被る過酷な試練の話。乳母の裏切りが結果的にチンリウ姫を救う。
「吾霊魂(みたま)身体(からたま)共に汚さるゝ真際を救ひし彼なりにけり」 (八十一巻一六章「亀神の救ひ」次も同)「かく思(おも)へばアララギとても憎まれじ吾(わが)操(みさを)をば守りたる彼」
もう一つは六巻。善悪混じて宇宙が完成し、自分を苦しめる者が必ずしも悪人ではないとある。
「陰陽善悪相混じ、美醜明暗相交はりて、宇宙の一切は完成するものなり」
(六巻二〇章「善悪不測」次も同)
「吾を愛するもの必ずしも善人に非ず、吾を苦しむるもの必ずしも悪人ならずとせば、唯々吾人は、善悪愛憎の外に超然として、惟神の道を遵奉するより外無しと知るべし」
○「暴れる気候」と宣伝使
先週七月十七日の朝日新聞に「湖が語る『暴れる気候』」と題した記事があった。福井県にある水月湖には、毎年一枚ずつ薄く堆積(たいせき)する縞(しま)模様の泥が四十五メートル以上の厚さで存在し、七万年以上の気候の変化が、一年ごとにわかるという。
例えば平成二十五年の台風十八号の跡や一五八六年の天正の大地震の痕跡などがあり、また、一万一千年前、気候がそれまでの寒冷な氷期から温暖で安定した時代になった時と農耕文明の発生が一致しているという。
しかし、それ以前は、気温変化の上昇と下降を頻繁に繰り返す「暴れる気候」。過去百万年の地球は暴れる不安定な氷期が普通で、十万年に一回程度、温暖で安定した時代が数千年続く。現在はその安定した時代がすでに一万一千年以上続き、本来ならその安定した状況が終わっていてもおかしくないという。
また、十五巻でも五十世紀は、地上が炎熱の世界になっているが、宣伝使は活躍している。
「地上の世界は炎熱甚(はなはだ)しく相(あい)成りたれば、今は罪軽き神人は残らず、日の御国に移住をすることになつてゐます」 (十五巻二一章「帰顕」)
こうした中でも宣伝使は活躍している。
「併(しか)し乍(なが)ら…三五教の教を信じ不言実行に勉め、労苦を楽しみとしてゐる人間の系統に限つて、夫(そ)れと反対に六尺以上の体躯(たいく)を保ち、現幽神界に於て、神の生宮として活動してゐるミロク人種もありますよ」 (十五巻二○章「五十世紀」)
(令6・7・24記)
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