入蒙とトルマン国の物語 ―現界で最善を尽くす―藤 井 盛
○白鷺の歌
父親の跡を継いで米作りを始めて、今年で四年目になる。二年目の夏、家族の中で私だけがコロナにかからず、九日間田んぼの中でヒエ取りをした。その結果か、三年目の昨年はよくお米ができた。
また、田んぼに入るようになって、その風景を短歌に詠むようになった。そして、三年続けて、白鷺の歌が朝日歌壇に入選した。選評と合わせて紹介したい。
「朝早く田んぼにいるのは白鷺と雉子と五(ご)位(い)鷺(さぎ)吾とカルガモ」 (四・八・一四 佐佐木幸綱選)
評 第三首、広々とした早朝の田が眼(め)に浮かぶ。
「五(ご)位(い)鷺(さぎ)がじっと見ており白鷺がくわえた小鳥を飲み込めぬのを」 (五・七・二 馬場あき子選)
評 第二首の五位鷺が面白い。落とすのを狙って
いるのか。
「春耕に出でし野ねずみ白鷺が丸呑みにせりまたたくうちに」 (六・五・二六 馬場あき子選)
一首目は、早朝に見る鳥たちへの賛歌である。一方、二首目と三首目は、白鷺の生々しい生態の描写で、トラクターの上から見たものである。田起しや代掻き、また稲刈りの時には、カエルや虫を捕るために白鷺やカラス、小鳥が来る。その折、白鷺が、カエルではなく小鳥や野ねずみを食べた、あるいは食べようとしたということである。
○鷺と鴉(からす)
外見は優美な白鷺であるが、その内なる性質はなかなか獰猛である。人間も同じだろう。外見は善人そうでも、内面は悪意に満ちているかもしれない。
この内面と外見について、六十三巻(一○章)「鷺と鴉」で示してある。まさに白と黒、善と悪を表徴したかのような章題である。
まず、直ちに地獄に陥(おちい)る精霊についてこうある。表面は鷺の白、内心は鴉
「現界において表面にのみ愛と善とを標榜し、且つ偽善的動作のみ行ひ、内心深く悪を蔵しをりしもの、いはゆる自己の凶悪を糊塗して人を欺くために、善と愛とを利用したもの」
(六十三巻一○章「鷺と鴉」以下も同)
つまり、詐欺師である。最も悪質な者は、逆さまになって地獄に落ちて行く。
「中にも最も詐偽や欺騙(ぎへん)に富んでゐるものは、足を上空にし頭を地に倒(さかさま)にして投げ込まれるやうにして落ち行く」
自民党議員が、政治資金を裏金にして国民を欺いていた。不十分な法律改正で、なお国民を欺くようであれば、彼らの死後はどうなるのだろうか。
「人間各自の精霊には外面的、内面的の二方面を有し」ているが、その内面は直ぐには現れない。黒い内面を白い外面が覆ったままである。
「如何に凶悪無道なる精霊にても、外面的真理を克(よ)く語り善を行ふことは、至誠至善の善霊と少しも相違の点を見出すことが出来ない」
しかし、やがて内面が暴露される。その期間は一年を超えることは稀とある。
「一定の期間を経たる後に彼等の精霊が内面的状態に移る時において、その内分の一切が暴露する…外面は眠り且つ消失し、内面のみ開かるる…外面的情態は、或は一日、或は数日、或は数ケ月…一年を越ゆるものは極めて稀有」
四十七巻(一○章「震士震商」)には、内面の悪を外面の善で隠した例がある。次の一万円札の顔となる渋沢栄一である。慾野深蔵で出て来る。
「日本の資本主義の父」として讃えられ、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ」と立派なことを言っているが、慾界地獄へと落ちて行っている。
また、大本の信者に対しても厳しい。
「偽善者の境遇にあるものは、高天原の経綸や死後の世界や、霊魂の救ひや聖場の真理や国家の利福や隣人の事を語らしておけば、恰(あたか)も天人のごとく愛善と信真に一切基づけるやうなれども、その内実には高天原の経綸も霊魂の救ひも死後の世界も信じないのみ…現代の三五教の中には十指を折り数へたら、最早残るは外面的状態にあるものばかりで、天国に直ちに上り得る精霊は少ない」
しかし、その一方で励ましもある。
「真に高天原の経綸を扶け聖壇の隆盛を祈り、死後の安住所を得むことを思はば、如何なる事情をも道のためには忍ぶべき…神様の御用にたて得らるるだけの余裕を与へられたのも、皆神様のお蔭である」
さて、元より人間の内面は神界にある。
「その善は皆内面的想念より流れて外面に出て、それが言説となり行動となるのは、人間はかくのごとき順序のもとに創造せられ…人間の内面は凡て高天原の神界にあり、神界の光明中に包まれてをる。その光明とは、大神より起来するところの神真で、いはゆる高天原の主なるもの」
そして、最後にこう締めくくられている。
「永遠の生命に入りたる時自有(じいう)となるべきものは、神の国の栄えのために努力した花実ばかりで、其他の一切のものは、中有界において剥脱される」
我々の外面も内面も鷺のような白さにして、神の国の栄えのため一生懸命努力してまいりたいものである。
○現実界で最善を尽くす
この「鷺と鴉」の章に高姫の名前が出て来る。高姫の霊肉脱離の経緯が五十六巻(五章「鷹魅」)にあるが、自分が死んだことを自覚しない者の例としてである。
「自己は最早一箇の精霊だといふことを想ひ起さなかつたなれば、その精霊は依然高姫のごとく、現界に在つて生活を送つてをるといふ感覚をなすの外はない」 (六十三巻一○章「鷺と鴉」)
中有界にいても、自分は死んでいないと高姫は思っていたのだが、その高姫の霊魂が、気絶し昇天したトルマン国王妃の千草姫の肉体に乗り移る物語が七十巻にある。鷺のように白い王妃千草姫の霊魂と鴉のように黒い高姫の霊魂が、千草姫の肉体の中で入れ替わってしまう。
王妃千草姫は、バラモン軍からトルマン国を守るため、軍使として乗り込んで来たキューバーをその美貌で籠絡させた。その過程で千草姫は霊国へと昇天している。その霊国を、第一霊国の天人言霊別のエンゼルが案内する。
「此処(ここ)は第二霊国において有名なる花鳥山(くわてうざん)でございます。御覧なさい、緑の羽(はね)を拡げ、紅(くれなゐ)の冠(かむり)を頂き、美しい鳥が四方八方に翺翔(かうしよう)し、美妙の声を放ち、又この通り地上の世界にないやうな麗しき花が咲き乱れ香気を放つてをります。ここは貴方がたの千代の住家でございますよ。食べたい物は何でも望み次第、この麗しき樹木の枝に臨時に熟します」
(七十巻五章「花鳥山」以下も同)
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