入蒙を考える(その四ー②)―エルサレム行きとは―藤井 盛
確かに、六十四巻上にあるとおりである。
「カトリックの僧院ホテルへ…二階の一室に案内され」 (六十四巻上三章「聖地夜」)
このカトリック僧院ホテルのみでなく、六十四巻上にはその場に行かなければわからない教会や地名等が、臨場感をもって詳しく示されている。示されているものを、エルサレム旧市街等の地図に当てはめてみた。
①「現今のエルサレムの市街はアラブ、ユダヤ人、アルメニヤ人の住みて居る三ツの区域によつて仕切られて居る」(→今は四ツの区域)②「ヘロデの門」③聖ステフアンの門(=ライオン門)④「慟哭(どうこく)の壁(嘆きの壁)」⑤「汚物の門(=糞門)」⑥「聖セバルタン寺院(=聖墳墓教会):キリストを磔刑(はりつけ)に処した場所」⑦「ダマスカスの門」⑧「死海」
その他、例えば「橄欖山(かんらんざん)の麓(ふもと)にあるゲツセマネの園と聖母の寺」「聖ヘレナの礼拝堂」「マヂの泉(一名マリアの泉)」「聖降誕の寺院」「乳の洞窟」「ハラム・エク・ケリフの神殿」「ヨルダン河及び死海から程遠からぬ所にエリコ」などがある。
こうした中で、何より臨場感を増すのが、シオン大学の建設場面である。
「ユダヤ人の計画したシオン大学の基礎工事は殆(ほとん)ど落成に近付き」(六十四巻上一一章「公憤私憤」)
実際、エルサレム・ヘブライ大学が大正七年(一九一八)に設立されている。
今回、文章を書くに当たってイスラエルの旅行ガイドを買ってみたが、イスラエル建国一九四八年以前の当時、日本にどれだけの情報があっただろうか。
霊界物語での臨場感あるエルサレムの詳細な記述は、出口聖師が霊身でエルサレムに行かれた証に他ならない。時期は、エルサレム・ヘブライ大学設立の大正七年ごろではあるまいか。
○キリストの再誕たる出口聖師
出口聖師は、御自身がキリストの再誕であることをお歌で示しておられる。
「十字架を負ひて此(こ)の代(よ)に降りたるひとは暗(やみ)世(よ)の光なりけり」 (言華『神の国』昭和三年七月号)
「東方の光となりてあらはるるメシアは珍(うず)の聖地にひそめり」 (言華『神の国』昭和八年一月号)
「キリストの牧師らわれを知らずして贋(にせ)キリストといふぞをかしき」
(言華『神の国』昭和八年一月号)
また、六十四巻上で宣伝使のブラバーザが言う。
「既にメシヤは高砂島の桶伏山麓に再誕されて居りますよ」(六十四巻上二章「宣伝使」以下も同)
さらに、九箇の大資格がメシアに必要との問いに、
「メシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に…其名はウヅンバラ・チヤンダー」
そして、宣伝歌の「大聖師」が続く。
「三千世界の人類や…救ひの御船を…神幽現の大聖師…太白星の東天に閃(ひらめ)く如く現はれぬ」
加えて、出口聖師の誕生日十二日(七月)とキリストの復活祭の十二日(四月)が一致することにも触れている。
「十二日は聖師ウズンバラ・チヤンダーの降誕日に相当…当日は聖キリストの復活祭」
(六十四巻下一章「復活祭」)
○メシヤの御教え
メシヤの御教えは霊界物語等全般にわたって説かれているが、入蒙記や六十四巻上・下に示されものを紹介する。インパクトが強い。
〔火の洗礼〕火の洗礼たる霊界の消息を示し、世界人類を覚醒せしめる。
「キリストは…再び地上に再臨して火の洗礼を施すべく誓つて昇天した」 (入蒙記一章「水火訓」)
〔国境と軍備の撤廃〕世界平和のためには、有形無形の障壁を取り除く。戦後の吉岡発言は軍備撤廃。
「有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねば…対外的戦備《警察的武備は別》と国家的領土の閉鎖…国民及び人種間の敵愾心(てきがいしん)…宗教団と宗教団との間の敵愾心」
(六十四巻上五章「至聖団」)
「本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したとき」 (吉岡発言 昭和二十年十二月三十日)
〔テルブソンの刃(やいば)〕真(まこと)の神に触れるには、一切を捨てる覚悟が必要。平和ではなく、刃を出(いだ)すために自分は来た。新約聖書(マタイによる福音書10の34―39)や歎異抄(二章 地獄は一定すみか)の一節もあり。
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