入蒙を考える(その二-②最終回) ―キリストの聖痕―藤井 盛
また、六十七・六十八巻には、主神が一国の太子スダルマンに化身して王政の改革を行うタラハン国の物語がある【註4】。
スダルマン太子は、スマナー姫と恋に落ちて隠遁生活に入るなど一見遊び人風である。そのスダルマン太子が主神の化身であることが、見落としそうな六十八巻最後の宣伝歌の一節に示してある。
有(あり)栖(す)川(がわの)宮(みや)熾(たる)仁(ひと)親王を父とし、三界の大革正を進められた出口聖師がスダルマン太子と重なることを、私は見落としたくない。
「時しもあれや皇(すめ)神(かみ)の 化身とあれますスダルマン 太子の君は逸(いち)早く」
(六十八巻二一章「祭政一致」)
【註1】『愛善世界』誌平成二十七年十一月号「聖師の二回目の高熊山修行―歌集『霧の海』より―」
【註2】YouTubeチャンネル藤井盛「出口聖師の二回目の高熊山修行」
【註3】一巻「発端」
【註4】『愛善世界』誌平成二十八年四月号「タラハン国の物語を聞く」
○みろく様の御(み)手(て)の代わり
皆生温泉での口述は、大正十二年三月二十四日から四月七日までである。また、夢で出口聖師が紫磨黄金の肌となり、弥勒菩薩と呼ばれたのは四月三日である。
その年の八月二十三日(旧七月十二日)、出口聖師五十二歳の誕生日に杖立温泉で出されたのが御手代(みてしろ)である。この日がちょうど、出口聖師が伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となられた日であることが、入蒙記に示してある。
「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」)
現身(うつせみ)、つまり身体(からだ)を持たれた伊都能売御魂=弥勒最勝妙如来=瑞霊である出口聖師の御手(みて)の代わりが御手代である。御手代お取次により、現身の伊都能売御魂、つまりみろく様たる出口聖師の御手から発せられる御神徳をいただくということになる。
福島県の草野一也さんから、病気の母親に御手代お取次をした時、御手代から黄金の光が出たという話を聞いたことがある【註5】。まさに、紫磨黄金の肌たる出口聖師の御手から発せられた黄金の光である。
【註5】参考『愛善世界』誌令和二年三月号「御手代お取次のご神徳」
○キリストの聖痕
御手代を出された翌年の大正十三年二月十三日、入蒙のため出口聖師は綾部を発たれ、下関から関釜連絡船で大陸に渡られた。
二月十五日に奉天着。盧占魁の公館に滞在され、御自身の伊都能売御魂たるの御神格とともに、その身体的特徴を明かにされている。
「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」以下同じ)
「掌中に五(ご)大(だい)天(てん)紋(もん)皆(かい)流(りう)紋(もん)固く握りて降(くだ)る救世主」
「基督(キリスト)の聖痕迄も手に印(しる)し天降りたる救世(ぐぜ)の活仏」
また、盧占魁は、観相学者にその身体的特徴を確認させ、盧自身も釘の聖痕や、背中のオリオン星座の形をした黒子(ほくろ)等を見て驚喜している。
「掌中四天紋=乾為天…指紋皆流=坤為地」(入蒙記九章「司令公館」)
さらに桃南を出て三月二十六日、出口聖師の掌に聖痕が現れ、出血している。
「日出雄の左の掌(てのひら)から釘の聖痕が現はれ、盛んに出血し淋漓(りんり)として腕(かひな)に滴(したた)つた」
(一五章「公爺府入」)
この様子を、入蒙に同行した合気道の始祖植芝盛平氏が語っている。
「私はそれを見ていよいよこれはえらいことになるぞと思った」 (『救世(ぐせい)の船(みふね)に』二○○頁)
なお、出口聖師は、五十九巻では夢の話としたものを、入蒙では、御自身が「弥勒下生」【註6】であることを名詞に記(しる)して、ストレートに伝えておられる。
【註6】参考 三柱の御子を引連れ降りたる達頼は弥勒の下生なりけり (八章「聖雄と英雄」)
【追記】
私は、出口聖師のお茶碗を持っている。昭和七年七月から東京で開催された「満州国大博覧会」のお手伝いをされた方が、出口聖師から御礼にといただかれたものである。
お茶碗の裏に、出口聖師の親指の跡が等間隔で三つある。親指を当てるとみろく様のお力がいただける気がする。残念ながら、親指の跡から出ているに違いない黃金色を、私は見ることができないが。
(令6・1・30記)
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