入蒙を考える(その二-①) ―キリストの聖痕―

○三朝別院の歌碑

昨年十二月一日、鳥取県三朝温泉にある大本三朝別院の大祭に参拝した。その別院の玄関先に、昭和二年十一月に詠まれた出口聖師の歌碑がある。

「三四年前から来てみたいと思ふていた三朝温泉にやっと来ました」                                       

お歌を詠まれた昭和二年の四年前は大正十二年である。この大正十二年の三月から四月に、出口聖師は皆生温泉で霊界物語の口述をされている。この頃、皆生温泉からそう遠くない三朝温泉に行ってみたいと思っておられたということだろう。

しかも、三朝温泉には昭和二年十一月に続いて、翌昭和三年三月にも行かれている。みろく下生たる出口聖師が、五十六歳七ヶ月になられた三月三日からまもない十四日から三十一日までである。「三朝」とは、三度朝廷が立ったからという話も聞いたが、出口聖師が三月三日を挟んで二度も行かれ、また、出口聖師御昇天後に別院も建てられている。三朝は、どういう神縁の地だろうか。

○不思議な黄金の夢

大正十二年、皆生温泉で口述されたのは五十七巻から六十巻までである。その中の五十九巻(「総説歌」)に、出口聖師御自身が、紫磨黄金の弥勒菩薩になられた不思議な夢の話がある。

「黄金の翼に乗せられ金剛不壊の山に降りると、弥勒菩薩と呼ばれた自分が紫磨黄金の肌となっていた。更(かう)生(せい)主(しゆ)と呼ばれ、世界の人に苦・集・滅・道を説けば、天地が震動し道法礼節も治まり、一天一地一神の治世を見た」というものである。

「弥勒菩薩と呼ぶ声に ハツと気がつき我身を見れば 紫磨黄金の肌となり…更生主と仰がれながら道(だう)聖(しやう)諦(たい) 完全(うまら)に委曲(つばら)に説き出だす」

(五十九巻「総説歌」)

これによく似た話が、回顧歌集「霧の海」

第二回目の高熊山修業においてだが、黄金(こがね)の雲に包まれ、女神の身体(からだ)に変わった出口聖師に、木の花姫が合掌している【註1・註2】。

「わが身体(からだ)たちまち女神とかはり…木の花姫は…われに合掌し…わが身を見れば…黄金(こがね)の雲に包まれて」

また、伊(い)都(づ)能(の)売(めの)神(かみ)は現身(うつせみ)、身体(からだ)を持った神であることが示されている。

「伊都能売神と顕現し、大宇宙の中心たる現代の地球(仮に地球といふ)の真(ま)秀(ほ)良(ら)場(ば)に現れ、現身(うつせみ)をもちて、宇宙更生の神業に尽し給ふ世とはなれり」    (七十三巻一二章「水火の活動」次も)

なお、伊都能売神は厳瑞二霊の接合した神であるとともに、瑞の御霊となるとある。つまり、瑞の御霊は、厳の御霊を含んだ御霊ということになる。

「厳の御霊、瑞の御霊二神の接合して至仁至愛(みろく)神政を樹立し給ふ神の御名を伊都能売神」

「伊都は厳(いづ)にして火なり、能売(のめ)は水力、水の力なり、水は又瑞(みづ)の活(はた)用(らき)を起(おこ)して茲(ここ)に瑞の御霊となり給ふ」

このことは、瑞の御霊の大神に一切の神権が集まるということにつながる。

「瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふ」 (四十七巻九章「愛と信」)

さて、瑞の御霊たる出口聖師は、現身を持った伊都能売神ということであるが、天眼通【註3】を有する人には、出口聖師の肌が紫磨黄金に見えたのではないだろうか。

大本柏分苑

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