入蒙を考える(その1の②) ―みろくの世の宝― 藤井 盛

○西の国の宝

神功皇后は、宝のある西の国を帰服させ、その宝を得んとしたのではないか。

「西の方に國有り。金銀(くがねしろがね)を本(はじめ)として、目の炎耀(かがや)く種種(くさぐさ)の珍しき寶、多(さは)にその國にあり。吾今その國を歸(よ)せたまはむ」(歸(よ)せ‥帰服)

             (古事記「仲哀天皇」)

また、入蒙記にも、同じく西の国である中国の新彊(シンキヤン)は鉱物が豊富だとある。しかも、新彊が神の経綸に枢要な場所ともある【註3】。

「私の霊界で見てる所では、安爾泰(アルタイ)地方から新彊(シンキヤン)の西蔵(チベツト)境の方面には、砂金と云ふより寧ろ金の岩とも云ふべき程の物が沢山隠されてゐる。鉱物のみでなく、新彊は神の経綸に枢要(すうえう)な場所で、一般に天恵の豊富な土地なのだ」

         (入蒙記二九章「端午の日」)

 なお、新彊(シンキヤン)の鉱物が豊富なことは、今日(こんにち)証明されている。

「ここ数十年、新彊では豊富な石油・鉱物資源が発見されており、現在は中国最大の天然ガス産出地となっている」

(ウイキペデイア=中華人民共和国中央人民政府ホームページ引用)

また、地理的関係をわかりやすくするため、新彊の位置や入蒙のルート、高句麗の位置を地図に落とした。併せて、後述する満州国(一九三二~一九四五)の位置も示した。

【註3】参考:「愛善世界」誌平成二十九年六月号「未来

の資源エネルギーと気候」新屋三右衛門氏

○みろくの世の宝

 

入蒙から五年後の昭和四年(一九二九)、熱心な大本信徒【註4】であった三谷清氏は、満州に渡って来られた出口聖師から、「みろくの世の宝」について聞かされている。これが昭和三十四年の「おほもと」誌に載せてある【註5】。

「満州、シベリアはみろくの世のために大事な宝が地下に隠してあり、今は冬期酷寒の地であるが、その時には気候が変わり、温暖なよい土地になるはずだから、そのつもりで満州、シベリアについてよく研究しておきなさい」

(「おほもと」誌 昭和三十四年一月号「四十年の信仰を顧みて2」)

三谷氏は、昭和七年建国の満州国の行政官となり、戦後はソ連軍に捕えられた。この間、出口聖師から言われた「みろくの世の宝」を研究している。

満州国の行政官時代には、満州東部全域から南満州の資源調査や開発を行い、埋蔵資源の豊富さを確認している。また、戦後のシベリア抑留の五年間には、シベリア及び中央アジア一帯八カ所の地に移されるなかで、土地々々の風土や開発状況の一端を観察している。

加えて、出口聖師は三谷氏に対して「大きな御用」があると言われている。

「あなたにはなお満州で大きな御用があるので、内地へは帰れません。相当長く満州に居ることとなりましょう」

昭和十八年に一時帰国した時も、出口聖師は三谷氏に対して、

「どんなことがあっても私が守護しておりますから、何時でも親船に乗っているつもりでおりなさい‥‥必ず護ってあげますぞ」

と言われている。

三谷氏は、昭和二十二年のシベリア抑留中、急性肺炎に肋(ろく)膜(まく)炎併発という死線から奇跡的に助かっている。それ以前の昭和八年にも、乗り物の転覆をあらかじめ予感し、転覆時に軽傷ですんでいる。また、昭和十五年にも襲撃を予感し難を逃れている。

このように、三谷氏は出口聖師の厚い御守護を受けて、みろくの世の宝を研究するという「大きな御用」を果たされている。

【註4】三谷夫妻は熱心な大本信者として、大本七十年史下巻・九七頁に出ている。

【註5】「おほもと」誌 昭和三十三年四月号「聖師さまと満州」 昭和三十三年十二月号 ~ 昭和三十四年三月号「四十年の信仰を顧みて」

○入蒙とみろくの世の宝

 実は、入蒙以前の大正七年の伊都能売神諭にも「五六七(みろく)の神代を建てる龍宮の御宝」、つまり「みろくの世の宝」が出てくる。

「龍宮の御宝…今度の二度目の世の立替の神の宝で、昔から隠してありた…金銀銅鉄水鉛石炭木材食物は…肝心の時には掘上げて…五六七(みろく)の神代を建(たて)る」

「人民の自由に致さぬ様に、態(わざ)とに寒い国の広い所に創造(こしらへ)て蓄へてありた」

(大正七年十二月二十七日)

御宝がある寒い国の広い所が、満州やシベリヤを指すとすれば、昭和四年に出口聖師が三谷氏に研究を命じた「みろくの世の宝」と一致する。また、古事記で神功皇后が言った西の国の宝も、この「みろくの世の宝」を指しているのかもしれない。

ところで、入蒙記には、入蒙が霊界物語の内容を証明しているとの記述がある。

「日出雄『…之れが霊界物語の第一巻にある天保山の一部ですよ』

真澄『今度の蒙古入には霊界物語中の実現が大分含まれて居る』」 (二九章「端午の日」)

そうであれば、霊界物語の基礎とも言うべき古事記や伊都能売神諭が示す「みろくの世の宝」も、入蒙により証明されたのかもしれない。

なお、みろくの世とは「至仁至愛(みろく)様の世」【註6】とあるが、入蒙の前年大正十二年旧七月十二日、杖立温泉で出口聖師は五十二歳の誕生日に「弥勒最勝妙如来」【註7】、つまりみろく様となられている。入蒙により、その足跡をみろくの世の宝のある満州に残されたことになる。

【註6】大本神諭大正四年旧六月二十八日

【註7】五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)入蒙記八章「聖雄と英雄」

  (令6・1・14記)

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