天の岩戸開きを考える(その四-3最終回)藤 井 盛

「八百万の誠の神たちがよつて来て言霊を上げたから岩屋戸が開いたのであります…決して鏡に映つたから自分でのこのこ御出ましになつたと言ふやうな訳ではありませぬ。つまり献饌し祝詞を上げて鎮魂帰神の霊

法に合致して、一つの大きな言霊と為して天照大御神を、見事言霊にお寄せになつたのであります」    (十五巻三○章「天の岩戸」)

○伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂

このように、天照大御神の五男神が素盞嗚尊の心の清らかさを証明したり、また、尊の救世の御活動を支えたりしている。

つまり、厳霊・天照大御神と瑞霊・素盞嗚尊とが、実は天の岩戸開きを通じて厳瑞一体の御神業を進めておられるように見えるのだが、十五巻に、神素盞嗚尊が「伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂」だというお示しが出て来る。

「われこそは豊(とよ)国(くに)姫(ひめの)神(かみ)の分(わけ)霊(みたま)否(いな)伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂、神素盞嗚なるぞ」

(十五巻二一章「帰顕」)

では、伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂とは何か。天祥地瑞七十三巻に、厳瑞二霊が接合したもの、その結果は瑞の御霊だとある。

「厳の御霊、瑞の御霊二神の接合して至仁至愛(みろく)神政を樹立し給ふ神の御名を伊(い)都(づ)能(の)売(めの)神(かみ)と申す。即ち伊(い)都(づ)は厳(いづ)にして火なり、能(の)売(め)は水力、水の力なり、水は又瑞(みづ)の活用を起して茲(ここ)に瑞(みづ)の御霊となり給ふ」

    (天祥地瑞七十三巻一二章「水火の活動」)

これは、瑞の御霊が厳の御霊を含めて、神権を一身集めておられるというお示しに合致し ている。

「天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は残らず瑞の御霊の大神の支配権に属して居るのである。故に瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外(そのほか)一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふのである」

          (四十七巻九章「愛と信」)

そうすると、天の岩戸開きも厳瑞一体となった伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂の御神業とすると、結果的には瑞の御霊による御神業の一端となる。

つまり、神素盞嗚尊による救世の御神業の活動拠点となる斎(い)苑(そ)の館(やかた)が、この天の岩戸開きの結果として定められるに至っている。

「神素盞嗚の大神は、ウブスナ山脈の頂上斎(い)苑(そ)の高原に宮殿を造り、四方(よも)の神人を言向和し給はむと…此宮殿を本拠と定め…自らは表面罪人の名を負ひ給ひて、大八洲国に蟠(わだか)まる大蛇(をろち)、悪鬼、醜(しこ)の神々を根絶せむと」

(十五巻一九章「第一天国」)

 そして、この十五巻の物語が基となり、三十九巻において、、霊界物語のテーマともいうべき神素盞嗚尊による言向和しの宣伝使の活躍の物語が開始されることとなる。その宣伝使の中には五男神のうちの二神が入っている。

「茲(ここ)に斎(い)苑(そ)の館(やかた)の八(や)尋(ひろ)殿(どの)に大神(おおかみ)は数多(あまた)の神(かむ)司(つかさ)を集めて、大黒主調(てう)伏(ふく)の相談会を開始さるる事となつた。日出別神(吾(あ)勝(かつの)命(みこと))、八島主神(熊野樟日命)…等を初め数多の神司が集まつて鬼雲彦の大黒主神を言向和すべく協議をこらされ…大黒主の館に立向ふ事となつた」

  (三十九巻一章「大黒主」)

《追記》

十月二十二日、家族で素盞嗚尊の三女神を祀る厳島神社をお参りした。ここには客(まろうど)神社として五男神が合わせて祀られ、八王子のようになっている。

また、有栖川宮家が津島神社に関係していたように、厳島神社においても、大鳥居に掛けられた扁額「厳嶋神社」と「伊都岐島神社」は、有栖川宮熾(たる)仁(ひと)親王が書かれたものである。

〔令5年10月31日 記〕

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