霊界物語 霊主体従 第10巻 総説歌

出口王仁三郎著 霊界物語 霊主体従 第10巻 総説歌

(聖師が初心者向けには、この章から読むのが良いと推薦されているのがこの総説歌です。)

(文中の竜樹菩薩とは、龍樹の空理論で有名になった、2世紀にインドに生まれた大乗仏教の祖です。)

啣みし鳩の影もなし   天地曇りて混沌と    妖邪の空気充ち充ちて

人の心は腐りはて    高天原に現はれし    ノアの方舟尋ね侘び

百の神人泣き叫ぶ    阿鼻叫喚の惨状を    救い助くる手力男の

神は何れにましますぞ  天の宇受女の俳優の   歌舞音曲は開けども

五つ伴男はいつの日か  現はれ給ふことぞかし  つらつら思いめぐらせば

天の手力男座しませど  手を下すべき余地もなく 鈿女舞曲を奏しつつ

独り狂へる悲惨さよ   三五教の御諭しは    最後の光明とどめなり

ナザレの聖者キリストは 神を楯としパンを説き マルクス麺麭(パン)もて神を説く

月照彦の霊の裔     印度の釈迦の方便は   其侭真如実相か

般若心経を宗とする   竜樹菩薩の空々は    これまた真理か実相か

物理に根ざせる哲学者 アインスタインの唱へたる 相対性の原理説は

絶対真理の究明か    宗教学者の主張せる   死神死仏を葬りて

最後の光は墓を蹴り   蘇へらすは五六七神   胎蔵されし天地の

根本改造の大光明    尽十方無碍光如来なり  菩提樹の下聖者をば

起たしめたるは暁の   天明閃く太白星     東の方の博士をば

馬槽に導く怪星も    否定の闇を打破る    大統一の太陽も

舎身供養の炎まで    残らず五六七の顕現ぞ  精神上の迷信に

根ざす宗教は云ふも更  物質的の迷信に     根ざせる科学を焼き尽し

迷へる魂を神国に    復し助くる導火線と   秘かに密かに唯一人

二人の真の吾知己に   注がむ為の熱血か    自暴自爆の懺悔火か

古事記には、宇宙開闢の第一の神様として、天御中主神の御名を出してあるが、其広大無辺の神徳、その全智全能の神性をば、ごうも録して無いから、誰一人として此神の明瞭なる観念を有たなかった。尤も此神の神徳は余りに大きく、到底筆舌を以て言い尽し得ぬものであるから、神典にも、単に御名を称えたに止めたのであろう。わざと書かぬのでなく、書き得なかったのである。

天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為に、第二位の神となって顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て此にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次に天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神(かみむすびのかみ)である。創世記には、神を称するに単にエホバとのみ言わず、エロヒムの語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。

天御中主神は、三種の顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限の神徳は、無論このような簡単な事で顕わし切れるものでない。そこでこの大天地鎔造の神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備の域に進ましめられたが、天照大御神の時に至って理想世界は完成した。

理想世界の姿を、地上に写し出すが為めに、天孫瓊々岐命(ににぎのみこと)を日本国に降して地上の主宰者の地位を確定し、同時に神子神孫を世界万国に降して、之を経営せしめられた。

国学者などは、此日本ばかりが神国のように考えて居た。これはイスラエル民族が、自分ばかりが神の選民であると思惟し、エホバの神はイスラエルばかりを守護するように考えたのと同じような僻見である。古事記には『神皇産霊神(かみむすびのかみ)が少彦名命(すくなひこのみこと)を遣わして、常世の国を経営せしめた』と記載されて居る。常世国は外国である。神の眼からは、日本もない、外国もない。只各国をして、其天賦の職責性能を発揮せしめんとせらるるのみである。此の世界経営の神業は今日とても依然として継続されて居る。天御中主神の神徳を知ろうと思えば、日本神代史の研究は勿論、ギリシャ、ローマの神話も、キリスト教、回教、バラモン教、道教、儒教も、西洋の諸学術も、悉く調べて見て、造化の宝蔵を敲いて見ねばならぬ。一宗派、一専門の士では不足だ。霊智霊能あるもの、誠心誠意あるものの全部が、総懸りで取懸らねばならぬ問題である。それ丈努力討究しても、尚お僅に神の大業の百千万億分の一を想見する事しか出来ぬのである。

現代の日本国民の神霊についての知識及び信仰の程度は如何。神代史の知識は欠如し、天御中主神の神徳を知らぬ者の多きは勿論、第2流、第3流の神様さえさしおきて、種々雑多の低級な神々ばかり拝んで居るものが多い。これでは、日本は浅ましい迷信教国と言われても仕方がない。

ギリシャの信仰なども、随分堕落して居た。ギリシャの神々は、森の中、山の上、谷や野原で、よく血を流して闘ったり、鎬を削って争ったりした様だが、敵を殺したり、欺いたりするという事は、神の尊厳を汚すもの、戦いに敗北して、敵に降参するに至っては言語道断である。

大本柏分苑

大本柏分苑のホームページです。 5件のSNSがあります。 ①アメーバブログ ②フェイスブック ③TWITTER ④YOU TUBE ⑤ライブドアブログ 下記それぞれの画像をクリックして下さい。

0コメント

  • 1000 / 1000