みろくの世の反対語は天皇制ファシズム
みろくの世の反対語は天皇制ファシズムです。弾圧事件をよく説明して下さい。
みろくの世は,復活(REVIVAL or REBIRTH)という言葉が分かり易いでしょう。
弥勒菩薩は天上に生まれ、仏教天界世界観の一つ兜卒天にあって、釈迦の入滅後56億7千万年後、下生して衆生を救う未来仏、弥勒如来と称される。弥勒信仰は上生信仰と下生信仰があり、56億7千万年後、弥勒菩薩が下生して釈迦の救いに漏れた人々を救う信仰。平安時代の末法思想を縮めて、1053年、藤原頼道が宇治の鳳凰堂を建立した阿弥陀如来の信仰と重なり、釈迦が滅するときの印璽を慈尊に授け、弥勒菩薩が成道すべきとの真言を開いた空海を、聖師は高く評価された。
弥勒の化身とされる布袋信仰や、七福神があり、おかげ参り、ええじゃないかの世直しを願うみろく信仰の生きた鼓動が感じられる。
天照大神と対峙する瑞の大神、素戔嗚尊(聖師)は、言魂としての霊界物語12巻で、3女神が登場し、深雪、秋月、橘姫による2度目の天の岩戸開きを行う。
みろく下生された昭和3年3月3日(56歳7ケ月)の前後に、聖師は台湾から樺太まで巡教され、月宮殿を造営し、歌、合気道を実践され、身をもって霊五体五を強調された。
ぬけ参り、阿波踊り、三河万才など、みろくが下生し、みろくの世が来るという民衆のエネルギー(みろくの理想世界、平和への変革思想)です。聖師は、記紀神話と異なる国祖神の隠退再現、艮の金神が三千年押し込められた大本を、国家に公認して貰うのでなく、弥勒の働きをする使命が自分にあるとした。
皇祖神天照大神との万世一系の下に、君主制を巧みに成文化した明治憲法は、岩倉/伊藤/井上により、国民に義務を強制させた。国家神道にては、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神と天照大神の四神となり、体制を確立していく。祭政一致、一君万民の国体とする、
天皇の日本統治の根拠を、前近代的な宗教の次元に求め、現人神を中心とする国教的に創造し、臣民に天皇制ファシズムを制度化した。
大本は尊い東洋の宗教思想の根幹であるみろく信仰の生命を承継し、平和なみろくの御代を創造し、万物を更生し、新しい生命を賦与して、立替え立直しの中心的神であるみろくの神を主体として生きた真実の信仰を信奉する。
大本信仰に対する動的神観にめざめ、三大学則の精神(宇宙の本源は活動力にしてすなわち神なり)を体認し、みろく神業に奉仕の誠を捧げる覚悟が必要です。
王仁三郎は、出所後よく「日本の歴史は千年程水増しされている。神武以前を神代だといって自由な研究などさせないが、考古学的に見てもおかしいし、色々と出土品が各地から出てきて、そんな誤魔化しはできなくなったね。そんなこと言ってるから若い優秀な人は日本の歴史にそっぽを向くようになる」と語った。そして「神話をすべて歴史的な事実のように思っているからかなわんな。古事記や日本書紀には、多くの中国の思想から影響を受けているよ。中国の思想史は一通り勉強することだね。」と教えてもくれた。記紀が8世紀の古代国家の統一のイデオロギーとして皇室の日本統治を正当化するために造作されたことは、いまや明らかであり、記紀成立の時点には、すでに中国、朝鮮との文化交流は頻繁であって、記紀の編纂者は、すでに高い文化をもつ中国、朝鮮の典籍にも通じ、それらを加味して潤色しようとした。中国の『准南子』や『三五歴紀』などから『日本書紀』が影響を受けていることぐらいは、王仁三郎は、すでに知っていた。
主(す)の神なる神素戔嗚大神は、古事記に載せられた如く大海原を知食(しろしめ)すべき天職があるのは明白な事実である。主の神は天界をも地の世界をも治め統(す)べ守り給ふと言えば、大変に驚かるる国学者も出現するだろう。しかし天界と云っても矢張り山川草木其他一切の地上と同一の万類があり、土地も儼然として存在して居るのだから、天界、地球両方面の主宰神と言っても余り錯誤ではありますまい。天界又は天国と云えば蒼空にある理想国、所謂主観的霊の国だと思っている人には容易に承認されないでしょう。天国とは決してちゅう虚の世界ではありませぬ。天人と雖も亦決して羽衣を着て空中を自由自在に、飛翔するものと思っているのは誤解であります。天国にも大海原即ち国土があるのです。只善と真との智慧と証覚を得たる、個体的天人の住居する楽土などであることを思考する時は、主の神の天地を統御按排し給ふといふも、決して不可思議な議論ではありませぬ。故に大海原の主宰たる主の神は、天界の国土たると地上の国土たるとを問わず、守護し給ふは寧ろ当然であります。(第47巻総説、大正12年 王仁識)
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