日本の保守とリベラル(宇野重規)(思考の座標軸を立て直す)
(1)
冷戦構造が崩壊してリベラリズムの勝利を宣言したのはフランシス・フクヤマだった。フクヤマにとって冷戦とは社会主義圏(ソ連邦を中心の諸国)と西欧諸国の統治権力(政治権力)の対立であり、それが社会主義圏の敗北として結果した以上は、今後はもうこの種の対立は起こらないだろうと分析した。国家の統治権力をめぐる歴史的対立は終わりという意味で歴史の終わりを宣言した。そのあとはリベラリズムと保守主義の対立は続くであろうが、それは社会主義と自由主義との対立のようなものはないだろうということだった。あれからプーチンの西欧諸国との対立、習近平のプーチンへの同調はフクヤマの予測とどう関係するのか。そんなことが頭をかすめるが、冷戦構造の崩壊はマルクス主義の社会的退場を加速させた。そしてそこで見られたのはマルクス主義からのリベラリズムへの移行が進んだことだ。左翼リベラリズムという言葉も見られるようになった。そして、また、指南力のある思想(政治思想)の不在があり、空白状態が広がる事態も進展した。かつて20世紀では乗り越え不可能な思想とサルトルによって評されていたマルク主義は指南力を失い、思想の不在が意識されざるを得なくなっていたのだ。マルクス主義は思考の座標軸でもあったから、その喪失状態が広がった。マルクス主義から保守主義やリベラリズムへの政治や思想を移行させたにしてもそれは何となく居心地の悪さを感じていたと思われる。そういう事態もあるように思う。というのはマルクス主義から保守主義やリベラリズムヘの移行がマルクス主義の思想的な総括(反省や反省的対象化)を経てのことではないからである。そう推察された。自分が主体的に保守主義やリベラリズムを選び取ったというわけではないからだろうと思う。マルクス主義の減衰や指南力の喪失を実感していても、その信奉を捨てない人もいるだろうが、保守主義やリベラリズムのいやらしさというか、不快感を持つ人も少なくない。
著者は1963年生まれとあるから、マルクス主義の影響力が減衰し、それにとって替わるように保守主義やリベラリズムが広がる環境というか、時代に中で自己思想を形成してきた人と思われるが、保守主義やリベラリズムをその歴史を含めて問うている。僕らがマルクス主義ってなんだという問いかけをせざるを経なかったのとこれは似ていると思う。これは思考の座標軸と空白を意識し、それを見出すということを意識せざるを得ないことでもある。マルクス主義であれ、保守主義であれ、リベラリズムでも、その思想は自分たちの生から生み出されたものではなく、多くは移入されたものであり、伝統と言ったところで断絶を持っているから、この種の問いかけは思想する人の宿命のようなものだろうと思う。この本の全体を読んでみて気が付くのは天皇や天皇制的なものの言及が少ないということだ。保守主義であれ、リベラリズムであれ、それを政治や思想の問題として問う時に、避けられないのは天皇や天皇制との関係であるが、この本ではそれはあまり触れられていない。
(2)
この本には冒頭に「本書は近現代の日本における<保守>と<リベラル>の政治と思想を検討することを目的とする」とある。この後にこういう問いを発したときに、様々の問いかけがでてくるだろうということが書かれている。「保守」と言っても{リベラル}と言っても定まった定義のようなものはないからだ。かつて、僕は1970年代の終わりのころに日本の保守思想に言及したことがある。保守思想と言っても自分で勝手に取りあげて論じたものであり、三島由紀夫や田中角栄や江藤淳を取りあげ論じたものだ。それは『三島角栄江藤淳』という本にしたのだが、そのあとに、ある出版社から『保守反動思想に学ぶ本』というのを出した。共作だった。この時に最近、亡くなった鈴木邦男と「天皇制について」の対談をやったことがある。この本の共作のメンバーでも保守というときに一致するイメージを持つことが難しいと思った。共作のメンバーは左翼の面々がほとんどだったから、保守とは反左翼、反革新ということではすぐに一致はするけれど、それがどの範囲までさすかというと一致は難しかった。その意味でこの本の一章(「日本の保守主義」)、第二章(「日本のリベラリズム」)の冒頭でその定義というか、規定をしているのは理解できる。保守が反左翼(反共)や反革新という対抗概念でなく、その自体の内容ももとめると曖昧になってしまう。それは序章での「あいまいな日本の保守とリベラル」ということにも関係するが、保守とかリベラルとを内容として取り出そうとすると曖昧であるということになる。保守だってリベラルだって現実から生まれたものだが、その概念は日本で生まれたものではない。だから、それを日本に適用しようとすると曖昧になる。これは日本の思想の宿命のような問題であるが、その意味で初めに定義をきちんとしようとしているのは理解できる。
彼はこの保守主義の定義というか、考えをバークに求めている。保守主義の祖とされるバークは自由の闘士であつたがフランス革命に反対したことでよく知られる。バークの立場(その保守論)を著者は詳細に検討しているが、彼には保守すべき制度【自由な制度】があり、これを急進的に変えるのではなく、改良を重ねるように変えていくべきであるとするものだ。保守主義はここでは急進主義と対立するように取り出されているが、バークの保守主義には自由の保守があったとされる指摘はおもしろいし、示唆されることもある。保守主義というと
伝統的なもの、伝統的な体制の保守ということをイメージされがちであるが、バークにおいては保守すべきものは伝統的や体制ではなく、自由な制度であるというのはすぐれた知見だと思う。保守って何を保守したいのかをとわれるのだが、その点で著者は定義をはっきりさせている。
普通は保守主義というのは政治的には統治権力の急進的な変革に反対し、改良的改革は認めるというものであり、統治権力の伝統的な形態を擁護するということである。統治権力の自由な形態のことは問題にされない。保守主義であれ、急進主義であれ、政治的には統治権力のあり方をどうするかということが政治、あるいは政治思想である。政治の保守、変革には統治権力をどうするかがある。
この統治権力という問題は人々の共同体内の関係であり、共同体の運営ということであり、民主主義は構成員の自己統治ということである。神であれ王であれ、官僚であれ、他者から統治されることを排して自己統治をめざすことだ。自由の問題はそこにある。統治権力を国民の自由な意思に委ねていくのか、権力は国民の上にあって、その支配に委ねていくのかが問題である。
統治権力の存在様式をどうするかといことがあって保守主義と急進主義は分かれるのだが、著者はバークの保守主義は統治権力の自由な形態というのを前提としてあるという。保守主義が伝統の擁護というときには、伝統的な統治様式の擁護があり、これと結びついているのだが、著者のバーク諭はこれとは違っている。
著者の日本の保守の歴史分析で天皇の問題があまり出てこないこともこれで理解できる。彼が伊藤博文とそこから系譜づけられる流れのうちに日本の保守の歴史を探ろうとするときバークの自由制度の保守ということが頭にあったことがよくわかる。丸山真男は日本では保守主義が根付かなかったという時に天皇制を基軸にした保守主義が強かったためであるということを念頭においていたことが理解できた。戦後日本の中で保守本流と呼ばれた部分がいた。これは戦後の日本の政治を支配してきた存在である。これには敗戦と占領ということが関わっているが、かつて天皇と軍が統治権力の主体であったことが深く関わっていた。つまり、日本の統治権力の中で天皇と軍が主体であった経験を否定的に考え、これを排した統治権力を目指したのである。吉田茂を祖とする部分であり、この保守派はもっと言及されていい存在だし、戦後政治の中で大きな役割を果たしたのだと思うが、著者の分析はそこに及んでいるが、僕には軽すぎるように思う。日本の保守にとって天皇と戦争の問題は依然として難題である。この保守本流が憲法に対して取った態度は戦争の問題に関係しているが、これは今、その方策が問われているのである。戦争の問題は権力の問題だが、それは真の意味で自由で民主的な権力と不可分のことである。国家が非戦を貫こうとしたら自由で民主的な権力に権力を変革し続けなければならない。そこだけしか非戦の可能性はない。戦後の日本が自らの軍隊を率いて国家間の戦争に参入しなったのは幸運だったのか。そこには戦後の保守本流が戦争体験者の声を基盤にして戦争に対して取った態度がある。これは世界関係の中で今後も取りつづけられることか、どうかを迫られて行くと思う。
(3)
保守の問題のもう一つはリベラルの問題といわれる。マルクス主義が政治や思想のうちに占めた力を減衰させ、社会的に退場をしいられたときに、その位置にリベラルという政治や思想が出てきた。左翼リベラルというのはそういうものである。ただ、リベラルとは何かを問えば、これもはっきりしない。保守ということに比べれば自由や人権や多様性の尊重という意味で明瞭である。ただ、リベラルというのは抽象的な理念のようなきらいがするのだが、それは政治、社会、家族などの関係の中で問う時にその難しさがある。その難しさがはっきりする。これは政治や政治思想としてのマルクス主義の敗退ということを明らかにできれば幾分かは明瞭になるのかもしれない。マルクス主義は国家権力をブルジョワ権力から社会主義権力に変えることをめざした。より具体的にいえば、<プロレタリア独裁による統治>ということである。これはコンミューン的な統治(政治)という幻想であったのだが、自由で民主的な統治(宗教的な王権的な統治にかわる統治)を超える統治だった。マルクス主義、これはレーニン主義であったが、国民の自己統治という自由で民主的な統治を越えられなかっただけでなく、専制的で独裁的な統治を生みだした。統治権力を変えることに失敗したのだ。
自己統治に変えるという自由で民主的な権力を越えられなかったということは国家意思を国民的な意思において決定していくということができなかったことである。共同体内で権威と隷属という関係を変えることができなかったということである、これにはレーニンの国家認識(権力認識)が大きく作用していたのだが、この政治革命論は政治変革の理念としては失敗し、敗退したのである。そこで自由と民主主義が再評価をされはじめたというわけである。リベラルな思想の問題はその抽象的理念が現実の関係の中で問われるということが大事なのである。政治ということでいえば、どういう統治関係としてこれは現れるかということであり、自己統治というのはどういう権力関係として可能かということでもある。男女関係や社会関係で問われるようにあることは論をまたない。リベラルというのを政治、社会、家族などの関係、そこで登場する権力との関係のなかで問われるということを明瞭にすることが大事なのである。歴史的に形成されてきた関係を保持するのか、変革するのか問われるのもそのためである。
0コメント