「徹底抗戦」が必要なわけ 21世紀の侵攻、許してはいけない一線
東野篤子・筑波大教授(国際関係論)
――ロシアが昨年2月24日にウクライナに侵攻してから1年になりますが、今も激しい戦闘が各地で続いているような状況を想定していましたか。
私はロシアが全面侵攻を始めた時点で、長期化は避けられないと思っていました。
ウクライナ国内では2014年に東部ドンバス地方で戦闘が勃発しましたが、それから8年間、一度たりとも停戦はできていませんでした。その戦闘が規模を拡大し、ウクライナ全土に至る攻撃につながった形です。これまで8年間続いていた事態がさらに悪化しているのに、短期間で終わるわけはないだろうと思っていました。
実際、昨年3月に一連の停戦協議がありましたが、まとまりませんでした。ロシアが要求してきたのは、ウクライナの「中立化」と「非武装化」。ウクライナはどこの軍事同盟にも属することができず、自分で自分の身を守ることもできないという条件です。ウクライナ側がのめるわけはありませんでした。
私はこの1年間を通して、いろんな方から「この戦争の落としどころは」と聞かれましたが、侵攻された側に対して落としどころを問うのは酷です。
――ウクライナに武器を供与している欧米諸国からも、戦争の長期化を見据えているような発言が聞こえてきます。今後、どのような展開を予想しますか。
仮に、何らかの形でロシアが再び停戦を提案したとしても、それは未来永劫(えいごう)、戦闘をやめるという停戦ではないでしょう。一時的な停戦を利用して態勢を整え、さらに侵攻するための小休止に過ぎません。少なくともウクライナ側はそのように認識しており、ロシア軍を国境の外に追い出す前に「停戦」すれば、結果的にさらに被害が広がると恐れています。
確かに長期化の可能性は高いと思いますが、欧州諸国の見方や覚悟は様々だと思います。例えば、ポーランドはドイツに対し、主力戦車「レオパルト2」の提供を早い段階で強く迫っていました。英国も「チャレンジャー2」の提供を決定しています。これらの国々は「戦闘を長引かせることはウクライナだけでなく、欧州にとっても脅威だ」と判断し、攻撃力の高い兵器を投入することで決着を試みようとしたのでしょう。
長期化しても仕方がないと思っている欧州諸国が多いわけではありません。対ロシア制裁と対ウクライナ支援の最大の動機は、ロシアに一刻も早く戦闘の継続を断念してもらうことでしょう。
まったく折り合わない立場
――早くロシアに断念してもらうために、どのような出口が考えられますか。
ウクライナにとっての出口とロシアにとっての出口は、まったく異なります。
ウクライナは戦い続けたくて戦っているわけではありません。しかし、自分たちの領土の中にロシア軍が残った状態で停戦すれば、いつかさらに領土を奪われるのではないかと恐れています。ロシア軍の完全撤退は難しいかもしれませんが、東部・南部の4州がロシア側に占領された状況は出口ではありません。
一方、ロシアは追い出されない自信もあるし、やめるつもりもさらさらないわけです。政治的にも、ウクライナ南部や東部の4州併合を宣言しました。仮に戦争に疲れたとしても、実際に支配していない地域を含めて「4州は法的手続きを経てロシア領になった」という主張を覆そうとはしないでしょう。最終的には、ウクライナ全土の属国化をも狙っているのではないでしょうか。
この二つの立場の間にはまったく折り合うところがありません。しかし、ウクライナが力尽き、欧米諸国からの支援もなくなるような状況に陥ったときに、自分たちの意思とは関係なく、外部から出口を提示されるという可能性はあるかもしれません。もしくは、完全に消耗してしまい、「降伏」という形で一部の占領を受け入れて終わるかもしれません。
ただそれが、21世紀に起きた軍事侵攻の帰結であってはいけないと私は思います。軍事侵攻で得をする国が出てくれば、武力による現状変更のハードルは世界各所で下がることでしょう。中小諸国が「緩衝地域」扱いされ、大国の横暴に従属せざるを得ないような国際秩序を黙認してはなりません。
旧ソ連の地域を見ると、いわゆる「凍結された紛争」はたくさんあります。モルドバの沿ドニエストルやジョージアの南オセチア・アブハジアなど、戦闘が常に継続しているわけではないものの、領土の帰属問題はまったく解決していない状況です。お互いが領有権を主張しながら、ずるずると散発的な戦いが続いていくということは、ウクライナでもあり得ると思います。
ロシアのプーチン大統領が狙っているのはその状態だと思います。国際社会の関心がなくなり、ウクライナの一部地域でロシアによる事実上の支配が続く状態を目指しているのでしょうし、国際社会が油断した際にウクライナ全土に支配を拡大する野望も捨てていないと考えます。
プーチン氏にとってこの侵攻はそもそも、ロシアとウクライナはスラブ国家として一体でなければならないという歴史観に根ざした行動であるため、簡単に断念することなどできないのでしょう。
明るみになった惨状、徹底抗戦を固めたウクライナ
――この1年を振り返ってみると、鍵となるような大きな節目はどこにあったのでしょうか。
ウクライナ、ロシア双方にとって、侵攻早期の段階で様々な問題が明らかになっていたといえます。
まずロシア側にとって致命的だったのは、非常にずさんな軍事計画でウクライナの大部分を制圧できると思っていたことです。英国のシンクタンクの分析でも、ロシア軍は当初、最初の数日で大半の地域を制圧し、夏には全土を制圧できると考えていたと言われています。
また、ロシアにとっては、ウクライナが欧米諸国の武器支援がまだ行われていない段階で、ロシアに対して徹底的に反撃してくるということも想定外でした。そのため、侵攻から1カ月あまりで首都キーウや北部チェルニヒウから撤退を余儀なくされました。
ずさんな当初の見通しはあっという間に崩れたわけですが、その後、どのようにダメージコントロールを図ればよいのか分からない、自分で侵攻を仕掛けておきながら終わりが見通せない、という状況に陥っているのだと思います。
一方、ウクライナ側から見ると、昨年3月の停戦協議の後、キーウ近郊のブチャの惨状が判明したことが大きかったと思います。
ウクライナ側は停戦交渉中、「周辺の国が安全を保障してくれるなら、北大西洋条約機構(NATO)に入れなくても中立でもよい」という立場を公にしていました。それは本心だったと思います。しかし、停戦交渉をしている最中にロシア軍がブチャやボロジャンカ、そしてイルピンでも極めて残虐な犯罪行為を繰り広げていたことが判明しました。
仮にこれらの残虐行為が明るみにでなければ、ウクライナも停戦交渉にしがみついていたかもしれません。ですがその後も、南東部マリウポリでは人道回廊が5月まで機能せず、結果的に同都市が壊滅状態に陥ったり、穀倉地帯では穀物や農作業用機械の盗難が相次いだり、黒海を封鎖されて穀物の輸出ができなくなったりするなど、様々な問題が明らかになった。「ロシアの支配下における平和はありえない」ことを骨身に染みて感じ、徹底抗戦という姿勢が固まったのだと思います。
1年を振り返ってみると、3~4月でこの侵略をめぐる様々な問題が明らかになりつつも、5~7月はロシアの支配地域拡大を許してしまった。その後、8~9月は徐々にウクライナの反転攻勢が強まりましたが、10月以降は膠着(こうちゃく)状態が続いているという状況だと思います。
期待値が低かったゼレンスキー氏、いまの評価は
――これまで長い間、ウクライナを見てきたと思いますが、ゼレンスキー大統領をどう評価しますか。
正直に言いますと、19年にゼレンスキー氏が大統領に選出されたとき、私の期待はまったく高くはありませんでした。その前のポロシェンコ大統領もいろいろ問題はありましたが、それでも様々な改革に着手していたことは事実です。政治経験のないゼレンスキー氏の大統領就任により、これまでのウクライナの改革努力がすべて振り出しに戻ってしまったと思いました。
当時、ゼレンスキー政権樹立に対するEUの反応を調査して論文にしましたが、非常に冷淡なものでした。「ポロシェンコ氏が続投する方がまだマシだったのに」という見解は、EUのあらゆるところで耳にしました。就任後、ゼレンスキー氏が初めてブリュッセルを訪問したときもEUに対する理解不足を露呈し、EUのメディアにもかなり辛辣(しんらつ)な評価を受けていました。
また、米国の大統領選挙の際には、当時のバイデン候補の息子ハンター氏の身辺調査を要求して電話をかけてきたトランプ前米大統領と、EUの悪口を言い合っていたことが内部告発サイト「ウィキリークス」を通じて明らかになってしまい、大騒ぎになったこともありました。
とはいえ、大統領就任後にゼレンスキー氏が目に見えて変化したのは事実です。自らの政治知識の欠如を自覚して、非常に優秀な専門家チームを周りに置いた。それが「お友達人事」と言われることもありましたが、周囲の声にしっかり耳を傾け、大統領に「なる」ための努力を重ねていました。
それが、いまの戦争の乗り越え方にも通ずる部分があるんだと思います。ロシアの侵攻後、暗殺作戦の対象になっていることが分かってもゼレンスキー氏は逃げませんでした。親ロ派の政権が倒れた14年のマイダン革命のときは、当時のヤヌコビッチ大統領が首都を脱出しました。ロシアによる侵略が開始され、自分が暗殺のターゲットになっていてもキーウにとどまるということは、相当の胆力がなければできないことです。
日本ではいまだに、「ゼレンスキー大統領は、国民を無理やり戦わせて残虐なんだ」と誤解されています。ウクライナの人の特質を考えたとき、ゼレンスキー氏は国民を強制して戦争に引きずり出しているというより、「絶対にロシアの支配下には入らない」というウクライナの民意に従っている側面が強いのです。
「戦えば戦うほど犠牲が出てかわいそうだ」という指摘も間違いではありませんが、それは目先の犠牲を甘受してでもウクライナの独立と領土、主権を守りたいというウクライナの世論を見誤っていると思います。
逆に「併合された4州をロシアに割譲し停戦」という解決方法をゼレンスキー氏が国民に対して提示するような事態になれば、ウクライナ国民は激しい非難を浴びせるでしょう。これ以上、ロシアに何も奪われたくないというのがウクライナの人たちの意思ですし、19年の大統領選でロシアとの和平を唱えていたゼレンスキー氏がロシアに過度な妥協をするのではないか、と厳しい目を向けているウクライナ人も少なくないことは留意すべきです。
これほど強い人たちが折れてしまったら……
――ウクライナに知り合いも多いと思います。一般のウクライナ市民は、この1年をどう乗り越えてきたのでしょうか。
ある意味で、みんなまったく変わらないんですよね。侵攻の直前や、キーウがロシア軍に取り囲まれて攻撃を受けていたときなどに現地の知人や研究者とオンラインで集まる機会があったのですが、みんな平然と出席し、この戦争について冷静に議論しているんです。その後もある意味、危機に慣れてしまったということもあるのだと思いますが、どれだけ悲惨な状況でも経済を回しながら祖国を支える覚悟ができている。そうでないと、「ロシア軍を最後の1人まで徹底的に追い出す」という高い意思は保てないんだろうと思います。
世論調査でも徹底抗戦の支持率がとても高い。もちろん、いつ死ぬか分からない恐怖を抱え、みんなどこかで無理をしています。一方で、ロシアの侵略に対する怒りは厭戦(えんせん)感情を上回るので、「そろそろ諦めましょう」「領土を譲って終わりにしましょう」と言う人には、これまで1人も会っていません。
ロシア側にとっては、ウクライナ側が攻撃を受ければ受けるほど、諦めるどころか激しく反撃してくるというこの点が、一番理解できていなかった部分なのだと思います。
一方で、こんなに強い人たちであっても、やはりどこかで折れてしまわないか、ということがとても心配です。心ならずも、という結果になってしまったときの絶望感と復讐(ふくしゅう)心が、どんなものになってしまうのか。残念ながら、ウクライナにとって有利な状況で終わる保証はどこにもないのです。
ウクライナ人の多くが言うような、「ロシア軍を完全に追い出して」戦争が終わることは、はっきりいって非現実的だと思っています。どこかで諦めないといけない。一方で、これだけの犠牲を払わされたうえ、とても不本意な終わり方をしてしまったときに、今と比べものにならないくらいの復讐心が生まれてしまうでしょう。
それが避けられないからこそ、ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています。
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