『極圏・習近平』(中澤克二) 中国は何処へ行く


(1)

 昨年の10月に開かれた中国共産党大会の模様が多くの人の注目を集めた。この大会は習近平が中国共産党総書記として異例の第三期目に入ることになっていて、それ以前から注目はされていたのだが、この大会の最終日(10月20日)に胡錦涛前総書記の強制退席の様子が映像として流れたからである。ここには中国共産党の壮絶な権力闘争が漏れ出たと思われたのだが、改めて中国(その政権)の動向が注視された。ロシアのウクライナな侵攻に対して中国はそれに理解を示すという形での擁護をしたことで、台湾問題も含めて、政権の動向があらためて注目されてきたのだ。新聞(メディア)もこの中国共産党大会での権力劇に多くのページをさいていたが、一般的な解説という印象は免ぬがれなかった。習近平の一強体制の確立という報道以上を出なかったということである。

この『極圏・習近平』はこの権力劇を冒頭においての中国の動向の分析であるが、見えにくい中国の動きを内からつかみだすような見事な分析となっている。プーチンがそうであったように習近平についてはあまり知らなかった(関心がなかった)ということもあり、その言動に虚を突かれるようなところがあるのだが、その穴を埋めてくれるようなところがある。

 ロシアのウクライナ侵攻に直面して僕はプーチンのことがよくわからないままに来たという思いがあり、これは多くのところで語ってきた。同じことが習近平についても言えると思った。プーチンや習近平のことはよく知らない、関心がないということでは済まされなくなってきているのだが、それにしても彼らの思想や政治戦略を知る手がかりというか、導きの糸になるものは多くない。そういう論究の少ない中この本は多くのヒントが散見する一冊といえる。

 最近、いたるところでプーチンとスターリンの権力者としての類似性が語られ、指摘される。その残虐性や独裁的性格、それにもかかわらず一定の統治力(政治的力)を持つことなどである。皇帝というような言葉が使われるのだが、これはプーチンの思想と政治を認識する糸口になる。同じように習近平と毛沢東の類似性が指摘される。こちらは習近平が毛沢東を崇拝し、そこに回帰することを彼の政治的言動を律していることでもある。そしてプーチンと習近平の類似性も語られる。考えてみればスターリンと毛沢東は類似性があるのだから、プーチンと習近平の類似性も当然なのかもしれない。専制的で権威主義(独裁的)な彼らの権力者としての性格は彼らが依拠する先代に模範(起源)があるというわけだが、それにしても、彼らの言動がロシアや中国の未来だけでなく、世界の未来に関係しているわけだから、もはや彼らの言動はさして関心を喚起しないということではすまされない。そいう事態になっている。

(2)

習近平って何者なのだ、という思いから免れぬところがあるのだが、そういう思いに留まっていられない。彼は今や中国を支配する権力者であり、強権(極権)者であり、その言動は僕らにも深く影響する。僕らの前で君臨するこの権力者は、中国の統治権力者の二期(10年)という不文律を破り、三期目の統率者として存在する。中国の最高権力者は共産党の総書記である。かつてのソ連邦の最高権力者がソ連共産党の書記のスターリンであったように。この総書記の任期は党規約(憲法よりも重い法的位置を持つ)にはないが、アメリカ大統領が「二期8年」であるように、「二期10年」というのが一応の決まりだった。不文律ではあった。

だから、江沢民は総書記を2002年に胡錦涛に譲り、胡錦涛は2012年に習近平にその席を渡した。そのちなみでいえば、習近平は三期目でなく、誰かに総書記を譲るべきだった。この慣習というか、この規約ならざる規約を破って第三期目の総書記にあることは異様であった。これは憲法で規定されている大統領二期の規定を変えて(憲法解釈も含め)、大統領になったプーチンに似ている。どちらも権力の座を降りるのではなく、永久政権をめざすことになっている。

アメリカ大統領であったトランプが選挙で負けても、選挙には不正があったといって権力を手放そうとしなかった異様さを目撃したばかりだが、独裁権力者になればなるほど降りられなくなるというのはわかる。独裁権力の矛盾というか、所業の跳ね返りがあるからだ。その意味で権力者の任期の規定は人類の生み出した知恵のようなものであるが、これを破るのは異様と言わざるをえない。プーチンの大統領の座の固執はウクライナ侵略と深く関係しているようにみえるが、絶対的権力は腐敗するというが、こういう権力の座への固執は様々の矛盾を膨らませる。習近平はプーチンと同じように権力の座についたころは「泡沫候補」とよばれるような存在だった。彼は江沢民グループと胡錦涛グループの激しい権力闘争の所産として、いわば漁夫の利を得るような形で権力の座を得たといわれるが、権力についてからは毛沢東張りの権力闘争を仕掛けて、この第三期目の政権の座を得た。昨年10月の共産党大会での胡錦涛の退去劇という政治劇はこの10年の権力闘争を影のように浮かび上がらせるのだが、そうまでして第三期目の政権を確保した習近平政権は何を目指しているのか。そしてそれはいったい中国をどこへ導こうとしているのか。

彼は三期目の政権の座を「中華民族の偉大なる復興という中国の夢」を実現するためと、台湾問題を解決するためというが、毛沢東が創った中国の百年(共産党統治の百年9のつぎの百年をその引継ぎと発展に期するという。彼の中華民族の復興というのは毛沢東の志向したものであるか、どうかには疑問が残るが、彼が毛沢東を真似、その後継者になろうとしていることは確からしい。そこで、また、多くの人は懸念もする。毛沢東が封建的中国の変革する近代化の扉を中国革命として開いたことは確かだが、彼の統治した中国は矛盾に満ちた治世(政治)の時代であった。彼はレーニンがロシア革命の道を開きながら、革命後の権力の創出にしたように,中国革命後の権力の創出に失敗した政治家(革命家)である。大躍進や文化大革命はその証明だと思う。僕はそういう感想というか評価を持っている。毛沢東を崇拝し、その真似を何かにつけてするという習近平の動きに僕がある種の懸念を持つのは当然である。

(3)

 胡錦涛の退去劇というドラマの背後には習近平と胡錦涛グループとのし烈な権力闘争があったことを『極権・習近平』は取りだし分析している。この中で興味深いのは2012年に胡錦涛から権力の座を譲られた習近平が毛沢東思想の継承として演じてきたといわれることだ。これは彼の政治とそれに対する胡錦涛グループとの暗闘が続いてきたという指摘である。この共産党大会での政治局や中央委員のメンバーの選出では胡錦涛を支えてきた目されるメンバーは排除され、習近平の側近とかグールプと目されるメンバーに独占される結果としてなっている。そして、それは、毛沢東の後の中国社会を立て直し、中国の経済的な発展に導いて鄧小平路線の修正があるということである。これは習の毛沢東回帰とわれるものだが、今後の中国を予測するうえでも重要なことが含まれているとみなせるだろう。この本では鄧小平の登場によって可能になった中国全盛期の30年が終わるという予測になっている。

 習近平の毛沢東思想への回帰には彼がモ沢東語録のように、習近平語録を学習させ、彼を「領袖」と呼ばせようとする試みなどいくつもしてきされる。彼は毛沢東のように国家主席になりたいのだともいわれる。そういう試みは彼が鄧小平を超える存在になりたいのだともいえるが、このこころみは胡錦涛などの長老によって阻止されたのだという。この本では胡錦涛などの長老が習近平に

報いた一矢だという。毛沢東のような個人崇拝の対象に自己を押し上げようとする野望が阻止されたという。中国では憲法よりも共産党規約が重要視されるが。自己の権力者としての地位を毛沢東のようにするには党規約の改正が不可欠である。そこでは鄧小平によって改正された党規約(いかなる形式での個人崇拝の禁止)があるからだ。中国共産党の長老や胡錦涛グループは習近平が個人崇拝を復活させる試みをそししたのだという。僕は中国の最高権力者になり、規則を破って三期目まで権力の座を得ても絶えず不安があり、それは彼に権威がないからであるという不安を抱えているからだと推察する。権力者としての地位を安定的なものにするのは力の掌握ではない。権威がそれを保障する。だから、権力者は権威を得るために血なまこになる。戦争だって権力者は権威を得るためにやる、それが権力の欲動である。しかし、権威は権威者を真似ることや、それを踏襲することで得られるものではない。おそらく、習近平は毛沢東になれないように、彼の持っていた権威を獲得はできないだろう。そこに、習近平の危うさを僕は感じる。

それにしても、習近平の毛沢東回帰は目につく。例えば、最近、しばしば、目にする「共同富裕」という言葉がある。これは1953年に毛沢東が提唱したものと言われる。「工業と農業の二つの経済部門の発展の不釣り合い矛盾を徐々に克服していくのだ。かつ農民が一歩一歩完全に貧困から脱却できるような状況にし、共同富裕と普遍繁栄の生活ができるようにするのだ」という形で提唱されたものだ。これは抽象的であるが、スターリンが1930年代に行った政策を真似たものと言われ、農業の集団農場化や急激な工業化として、いわゆる「大躍進」政策となったものである。よく知られるように1958年に始まったこの『大躍進』は失敗になって4000万に上る餓死者を出したと言われる。この結果、毛沢東は主席の座を劉少奇において自分は退くが、文化大革命によって巻き返しを目指す。この文革は再び、中国経済を停滞に追い込んだ。この停滞を打ち破ったのは

鄧小平の経済路線だった。習はこの共同富裕ということで鄧小平の路線を修正しようとしているのである。

文革後の経済停滞を立て直したのであるが、鄧小平である。彼の思想は毛沢東の農民ユトピア的な社会主義思想に対していえば、現実主義的なものであり、生産力の発展を根底に持つものであった。生産力の発展が未熟な社会では社会主義は不可能であり、生産力の発展が焦眉の課題だとする現実主義ものであった。彼は毛沢東から「実権派」「走資派」と批判され文革では失脚するが、文革の終焉を経て返り咲く。彼の思想は生産力主義とでもいうべきだが、毛沢東の思想のアンチ・テーゼであり、これは「改革・開放・現代化」と呼ばれる路線であった。それはまず農村改革として展開された。これは農業の個人農業の復活であり、これによる農業生産の拡大あった。これは毛沢東によって試みられた農業の集団化の修正であり、変更だった。解放経済は他方で市場経済の導入でもあった。毛沢東は農地の合作化と集団化を自己目的化のように追求したのに対して、鄧小平は農業の生産力がどのような形態において発展するかを基準にして対応し、結果として個人農業を復活させたのである。ここで商品経済化した農業の建設を目指した。鄧小平の「開放経済・現代化」という経済路線は停滞した中国を経済的に発展させた。文革期を含めた中国経済の停滞は鄧小平の路線によって発展の方向になったことは疑いない。ここには1972年の米中和解や日中和解も存在した。この鄧小平路線は中国の国家社会主義から国家資本主義への修正であり、それを進めたということであるが、世界的には市場経済への参入を強めたということでもある。

毛沢東の死は1976年であり、鄧小平が復活するのは1977年である。1987年に天安門事件がある。これは鄧小平の犯した失策の一つにかぞえあがられるが、毛沢東後の中国を指導し、その社会を方向づけてきたのは彼だった。江沢民、胡錦涛と続いてきた中国の権力は概ねこの鄧小平の思想によって中国を統治してきたが、2012年に登場した習近平はこの修正をやろうとしてきた。先で取り上げた「共同富裕」は鄧小平路線によって拡大した路線の否定である。鄧小平路線が毛沢東路線の修正(否定)であることの修正(否定)だというわけである、これは資本主義の行きすぎた拡張の否定であり、「高所得者の所得を修正し、中所得者層を拡大し、低所得者層の収入を増加させるという」ということであり、鄧小平路線が生み出した格差拡大是正ともいえる。これは毛沢東思想が内包していた平等発展ということへの回帰でもあるが、社会主義路線への回帰ということである。これはかつて毛沢東路線が生みだした経済的停滞を生まないのか、と懸念されてもいる。毛沢東の時代とは違う経済的条件がある。しかし、資本主義的な経済条件の未熟な段階で社会主義経済を志向した矛盾を中国経済は克服しえているとは思えないから、試みは成功するとは思えない。国家による経済過程への介入を強めるというのが習の鄧小平路線の修正だから。これは現段階の中国経済にとってはマイナスに作用すると思う。僕はそういう懸念を持つ。

この本ではこの習の動きを「鄧小平ルール」の破壊として取り上げられており、また、つづいて「中国全盛30年終わり」として指摘されている。この辺の分析についてはこの読んでいただければいいと思うが、僕は納得というか、同意できるところが多い。僕は習金平の香港制圧やその延長ある台湾問題でもこういう懸念抱いている。香港問題は香港返還期を抱えた時期に鄧小平が生みだした「一国両制」の終生いう問題であり、これは台湾問題の再燃ということでもある。この本では7章の「台湾武力統一」からの終わりの方に向かって取り上げられているのだが、この点ついての感想を述べておきたい。一国両制度というのは香港返還にあたって鄧小平が考え出したものである。これは香港ための制度というよりは台湾の統一のために考え出したものである。これは鄧小平が1981年に「台湾統一ための9項目提案」の中で打ち出したものであり、そのなかに「統一後の特別行政区設定や、台湾制度の普遍」が含まれていたからである。これは明らかに中国革命後の毛沢東路線の台湾開放(祖国統一)路線の修正だった。

 台湾は蒋介石政権(国民党政権)が逃げ込んでというか、生き残って出来た政権であった。その政権は中国側(共産党政権)側にとっては古い制度を残した地域の政権であり、こちらの政権に反抗する政権であった。逆に言えば蒋介石政権側からも同じことがいえた。これは中国側から言えば資本主義政権あり、台湾側から言えば社会主義政権であり、台湾の武力侵攻と大陸武力開放は同じことの主張った。要するに中国の国家的な統合の問題と言えた。これを複雑にしたのは中国の朝鮮戦争参戦とアメリカ台湾擁護であった。これは台湾問題を複雑してきた。ベトナム戦後の中国とアメリカ和解はこの台湾問題をどのように変化させたかのか。中国は一つの中国いう形で名目的に中国と統一性の確保しながら武力侵攻はやめるという妥協策を持ったと言える。後景に退けたといえる。

鄧小平の台湾制度の普遍ということはその表明であった。一国内での異なる制度の共存というのは妥協策であるが、これは建国以来のモ沢東路線の修正だった、これは香港返済にあたって50年は現在の香港制度は変えないという一国両制の実現になったものである、

 この香港に対して習近平は中国化という統合策を進めた。香港の住民や市民の抵抗を排してである。そしてこの延長台湾統合の動きがあるのではと人々に懸念抱かせている。ここには鄧小平の提起した一国両制の修正がある。このときには習近平は「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」というスローガンをかかげ、アヘン戦争と日清戦争前の状態に戻すということが提起されている。これならば、台湾国民党政権が存在することを武力打倒する根拠は明瞭とならない。毛沢東は中国革命の継続として、つまりは残存する資本主義の殲滅のため台湾政権打倒すると事を主張していた。アヘン戦争と日清戦争の前の状態にもどすということと台湾武力開放はどう結びつくのか。この辺は台湾武力開放の論拠に説得力ないと思える所だ。毛沢東思想に回帰する習近平の思想は魅せるものがないということにつながっていると思える。

目の離せなくなった習近平動きだが、彼の国家思想(統治権力ついての思想)に興味があり、毛沢東思想との関連もそこを注視している。

大本柏分苑

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