『ぼくらの戦争なんだぜ』(高橋源一郎)

(1)

あれはいつ頃のことだったのだろう。僕は父親になぜ、僕の奔放な行動というか、活動を咎めなかったのかと聞いたことがある。大学生になるころ父親は僕に左翼(アカ)だけにはならないでくれ、と言った。僕はそれに背き安保闘争を皮切りに革命運動に加わり、退学や逮捕劇のようなことを繰り返していた。離婚のことも加わって父親には最悪の所業を繰り返しているように見えたと思う。一時は勘当まがいのこともあったが、父親は僕の行動を咎めなかった。拘置所や刑務所にも差し入れに来てくれた。実刑で下獄していたときも、何度か面会に来てくれた。そんなこともあり、僕は父親にそんなことを聞いたのだった。父親は「お前の自由を奪いたくなかったからだ」と言って、自分が若いころ、祖父にハリウッドに行ってカメラマンになることを祖父に止められたことを話し出した。若いころ祖父も父親もカナダにいたのだが、父親は友人に誘われてハリウッドに行きたかったらしいが、祖父に止められた。祖父(父親)の意見は絶対的だったからという。父親が若いころハリウッドに行ってカメラマンになりたかったという話は何度か聞いたことがあるが、それが僕の行動を咎めなかったこととが関係していたことを聞いたのは始めてだった。この話はグサリと胸を来たが、父親への畏敬の念を持たせた。と同時にこれが「父親の戦争(戦争の反省)」だったのだと思った。父親とは戦争についてそれほど話したことはなかったのだけれど、ここで分かったと思った。戦争のことを考えるたびに、そして父親のことを考えるたびにいつも思い出すのだが、僕のこころの根底にあることだ。

 

ロシアのウクライナ侵攻は衝撃的な事件だった。それは一言でいえば、戦争が現実的で身近なものだということと迫ったことである。僕らはこころのどこかに日本も含めて大国が主体となって演じる戦争はないだろうと思ってきた。核の抑止力も含めて平和の不可避性というか、そういうことが意識の片隅にはあったのだ。僕らはかつてベトナム戦争を身近に感じ、僕はアメリカと闘う側の義勇兵に参加したいと思ったこともある。けれども、まだ、どこかでこの戦争は他国(他者)の戦争だという思いも残っていた。今度のロシアのウクライナ侵攻は古典的な戦争(古典的な帝国主義の侵略戦争)というべきものだが、この他国の戦争(他者の戦争)ということではないことを感じさせた、もちろん、僕にはこの戦争は他者の戦争だという意識もある。だから、このロシアのウクライナ侵略は奇妙な意識をもたらしているものだと言える。戦後の平和の不可避性をやぶり、戦争の不可避性を到来させるのではないかということと、やはり平和の不可避性という枠は残るのではないかということだ。この意識は戦争が他者の戦争という意識ともう自己の戦争だという意識の奇妙な混在状態にあることを意味する。この意識に分け入るから形でのウクライナ戦争についての論評は何処にもない。『僕らの戦争なんだぜ』はそこに踏み込んだものといえる。その意味でこれは今、手にしえる最も刺激的な戦争論だと言える。

(2)

ロシアのウクライナ侵攻はかつてなかったような衝撃を僕らにもたらした。その衝撃とは戦争が現実的で身近なものだということである。しかし、他方で

戦争が依然として遠い世界の出来事だという想いを残していることも事実だ。この遠さに空間的な距離の問題があることは確かだ。しかし、ここにもう一つ、僕らにとって戦争には時間的には遠さということが存在している。この遠さというのは時間的な断絶と言っていい。単純に言えば戦争が繰り返し眼前にあった1945年(昭和初期までとその後の戦後が断絶した意識としてあることに他ならない。この本の中で著者は繰り返し、父親たち(ということは昭和初期まで戦争を身近な出来事として生きた人々)から戦争体験の話を聞いた、と述べている。それはどこか退屈で言うなら「他者の戦争」という感想を免れなかったとも述べている。

 戦後に自己意識を形成した戦後世代にとって戦争は追体験の世界であり、そこを通してしか関係できなかったこととしてある。これは善悪を超えた問題である。自己に迫りくるような戦争が戦後世界の中では存在せずにあり、現実に起こる戦争は地域戦争という枠組みにあると思ってきたのだ、自己に迫りくるような世界戦争は抑止する枠組みがあるという意識が強かった。これは時間的な戦争の断絶ということと深く関連してあったのだが、この壁を破るような契機がロシアのウクライナ侵攻にはある。ただ、先に述べたように、これは一方では世界戦争に発展して行くことを抑止していく枠組みもあるという意識も残している。だが、戦争は他者の戦争だという意識を残しながら、自己の戦争ということに迫りはじめたという意識の変化を経験している。それが現在である。

著者はここのところを踏まえながら、時間的(歴史的)な断絶状態にある戦争の世界に踏み込む。これは未来のために、歴史(過去)を追跡するというよりは、未来の視線が過去を甦らせようとしていることだ。これは他者の戦争を自己の戦争ということの隙間を埋めよという未来からの視線であり、現実の空白に対する未来からの働きかけともいえるだろう。著者がとっているのは政治的言説ではなく文学者の戦争についての言説を追うという方法である。彼の言葉で言えば大きい言葉での戦争ではなく、小さな言葉での戦争の言及だが、この試みは成功していると言える。

(3)

戦争って何だろう。今回のロシアのウクライナ戦争についての認識でも生じた問いだ。誰の目にも明瞭なのはこの戦争はロシアの帝国的な侵略戦争だった、でもなぜ、今、ロシアがこの戦争を始めたのかは明瞭ではなかった。国連憲章などの戦争についての世界的枠組み、法的枠組みを破る行為を何故、今、ロシア(プーチン)ははじめたのか、明瞭にはできないところがある。戦争は国家意思を強力(暴力)で持って押し闘争とする行為であり、国家権力の欲動ということになるが、ロシア国家(プーチン)にとってこれがどうして必然なのかの説明がもう一つ納得しえるものがなかったのだ。納得するということは認めるということではないが理由としてわかるということだ。戦争が国家意思の発動でるとすれば、その意思の発動の理由を国家は大義などの形で表す。がロシアの場合にはこの大義が明瞭ではないのだ。例えばナチズムの排除、あるいはナチ化の阻止などというが、ウクライナのナチ化ということがピンとこないというか、説明になっていないのだ。これらは総じていえば国家意思とその発動を認識し、把握することの難しさである。これはロシアのウクライナ侵攻を通じ、現在の戦争の認識や把握が難しいこと、そこでは大きな言葉での戦争の分析や認識という課題がある。

 

著者はこういう大きな言葉での戦争の認識の問題をロシアのウクライナ戦争が突き出した課題を十二分にわかっているのだと思う。それよりは違う方法での戦争へ接近せんとする。戦争は国家意思の発動であるが、それはその発動に反応する人々の動きである。人々のこの国会意思への反応を構成的に組み込んで戦争は成り立つのである。反応ということは同意による参加から、それへの反抗ということを含めて多様なものであるが、それが戦争を構成するのであり、現実的に生成させるのだ。この人々の反応としての戦争ということは、戦争体験やその証言として語られてきたのであるが、その多くは沈黙としてあり、文学作品などとして残されている。著者は親から多くの戦争の体験を聞いている。僕の経験からみればそれは大変豊富なものだったと思えるが、そこで特徴的なことは著者がその体験談の多くを退屈なものと感じたということであり、どこか他者の戦争という感じをも持ったということだ。僕らは戦争体験を親や親たちの世代の人たちから聞いて育ったし、そのようにして戦争を追体験した。著者がその体験談にどこか退屈さを感じたというのは、これは他者の戦争の話であって、自己の戦争の話ではないと意識を持ったということだろう。これは距離の問題もあったが、そこには隙間があったということである。戦争は国家意思の発動なのであるから、それは国家の物語として継続されていく側面を持つものだ、この国家の戦争の物語は歴史的な物語の根幹をなすものでもあるが、戦後は良くも悪くも断絶を余儀なくされた。この問題は敗戦を契機にする戦争放棄を掲げた問題である。国家と戦争の物語の敗戦を契機とする大きな転換は明治以降の国家と戦争の物語の断絶をしたのであり、それは現在も続いている。大きな言葉、つまり政治の言葉でいえば、ここから日本は非戦を根底に持つ国家と戦争の物語を創り出す課題に逢着した。この物語は反戦争や反国家(反体制)の人に課せられた課題でもあった。ここ課題は果たし得たのか、失敗を重ねてきたのか、ここで問わないが、著者はこのことを十二分にわかった上で、小さな言葉での戦争のことに言及している。僕らはそこは読み取ことだと思う。

(4)

戦争とは先に述べたように「国家意思の発動で権力の欲動」である。現在の戦争は国家(支配共同体)を軸にした国家構成の主体部分だけの意思の発動で形成できない。その欲動だけで戦争はできない。そいう戦争は見かけの強さに比してもろいものであると思う。現在の戦争は国民(市民や地域住民)の意思や欲動を組み込むか、その点での合意を不可欠とする。国家が何らかの形での国民的意思形成に関わらない国家は国家として機能しないし、戦争またそうであると言える。国家意思が国民に降りてきくる形での国家意思の形成に対する様々の反応が戦争の現象形態であるが、著者はまず、教育という現場に降りてきた問題を取り上げる。

鶴見俊輔の戦前の教科書を読みながら論評をとりあげながらである。鶴見俊輔は小さな領域での国民の合意なり同意のないところで戦争は成り立たないという考えに立ち、この領域で戦後の国民は戦争に同意しない考えを構築できたか、どうかを問うてきた思想家だった。彼は戦前の日本では戦争を拒否した市民や地域住民はいなかったということを最も深く考えてきた。同じようなことを吉本隆明は日本では戦争への動きから孤立することは難しいと述べていた。鶴見は最も根源的に戦争についての考察と対応の提言をした人だが、教科書を通して戦前にもあった大正-昭和初期(大正末から末から昭和はじめ1920年代から30年代の前半)と昭和10年代(1930年代の後半と1940年代後半)の違い、それは戦争の浸透度違いを取り出している。ここの分析はなかなか見事だ。国家がその国家意思を国民に伝えるメッセージとは「国と国が争うことが、いかんともしがたい現実であり、だからこの争いにあっては、理非を超えて自分の国のためにたたかうほかないという考え方である」であるが。昭和の初めにはそれでもこのメッセージに反対するグループはいたと鶴見はいう。大正デモクラシーの影響もあったろうし、昭和の初めに全盛期を迎えていた左翼運動の余韻もまだあったのかもしれない。これは昭和の10年代になると国家意思を押し付けてくる動きは強まり、このメッセージの刷り込みは激しくなっていく。僕は大正デモクラシーから昭和の初めに全盛期であった左翼の反戦を色濃く持つ政治的抵抗運動が、なぜ、弾圧と抵抗の中で消えて行ったのかに関心がある。これは権力による弾圧が主要因ではなく政治的言葉の内容が大衆的な孤立を招くものであったという考えに立ってのことであるが。この辺では鶴見や著者は大衆というか、国民の意思のありかたにより注目するところがあり、小さな言葉にささえられない、それを裾野として持たない、政治的抵抗の弱さをみている。そういう考えが強い。その点では僕も同意するのだが、この時代の大きな言葉での戦争への抵抗がどうなったか、それが小さな言葉での抵抗の行方にどう関係したかの関心はある。昭和10年前後に国家の戦争への動きは加速的に強まりはじめる。「天皇の統治」(国体)の強調や軍の政治的進出の動きも活発になり、やがて日中戦争も勃発する。この時代は戦争が社会に降りてきて、市民や地域住民にもその反応や対応がせまられることになる。これはある意味で政治的世界での戦争では他者の戦争だったのが、個々の生活者(大衆)のレベルの戦争になったことを意味する。戦前の人の多くの証言ではこの時点で戦争は身近なものとなり、その時は、内心で戦争に反対する気持ちがあってももはやどうすることもできないところに追い詰められていたといわれる。木々康子『戦争まで』はそういう証言の一つである。

(5)

 文学者たちも国家が押し付けてくる戦争の反応(対応)を迫られることになる。文学者たちは兵士として軍に加わるものもあれば、従軍作家にように戦争に協力するものもあれば、文学報国会のような団体に参加するものもあれば、それを拒否する者もいた。一番重要なことは書くことに制限が出てことであり、書く環境が変わったということであった。このことは文学者たちにとって戦争が身近な、いうなら戦争が自己の戦争になったことである。著者はこの戦時下の文学者たち作品を通して戦争とはなにか、戦争への抵抗は何か析出するのだが、ここでは戦後に行われた戦争への協力者とか拒否者とかの区分(多分にイデオロギー的、政治的な区分)ではなく、戦争への反応や対応を作品の中にみるということをしている。ここは納得のいくものである。

例えば、林芙美子が従軍して書いた『戦線』を取り上げている。この作品は戦前のベストセラーであったが、戦後は典型的な戦争協力作品として葬られ、作者の自己の作品集からも削除していたものだ。最近になって復刊している。作品は大陸で戦争を展開する兵士たちに感動し、その共感を綴ったものだ。それは大衆作家としての根を持つ林芙美子が戦争に前のめりになった日本の大衆に同調するものであるという一面がある。自己も戦争にのめりこんでいくところのある作品だ。同時にこの作品には押し付けられた戦争に関係のない大衆の発見とそこへの同調もある。直接には中国人老婆や婦人への目線の中に戦争を賛美する自己のころを荒んでいるという見る目を見出していることである。戦争への同調の揺らぎであり、たたずんでいる作者がいる。ここを著者は国家的な枠づけられた「大衆」をこえて大衆と連帯する目の発見でもあったと評している。それは国家に枠づけられ分断された大衆が、国家の押し付ける戦争など関係がないとする大衆として連帯していく契機の発見ではなかったかという。これは文学者にとって戦争とは何であったかを示唆している。人は戦争という避けがたい契機の中で生きながら、戦争に協力に従わせながら、戦争を超えたものを発見することもできる。それは小さな言葉として表現するか、なお沈黙のうちにあるほかないかは別にしてそれができる。これはこの本の中心とでもいえる太宰治の二つの作品の分析と評としてもあるものだ。『散華』も『惜別』も国家の要請に応じて戦争に協力した作品といわれもするが、その作品の中で戦争を超えるもの、あるいは抵抗を読み取る。戦争は国家が押し付けてくるものである。それを跳ね返すという抵抗は難しい。本当に抵抗することは難しい。鶴見俊輔いうように日本人で本当に戦争に抵抗する人は出てくるのだろうかという自問を繰り返すしかないものだ。著者はそのキーワードとして日常ということを提示している。ここは大変に興味深いし、小さい言葉とともに示唆されることの多いものだ。僕なら自由ということを提示したいところだが、それは大きな言葉としての自由ではなく、小さい言葉での自由である。大きな言葉の自由は小さな言葉の自由に支えられなければ存在できないからだ。

大本柏分苑

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