戦争と原発――ロシア軍のウクライナ侵攻をめぐって 山本義隆(3-2)

Ⅲ.原発の危険性

 冷却に失敗したらどうなるのか。

 その点については、先述の水戸喜世子さんのお連れ合いで、1967年10・8羽田闘争の直後に羽田救援会を立ち上げ、さらにそれを出発点に救援連絡センタ―を創り上げられた、そして同時に物理学者としては私の先輩で、早くから原発の危険性を語り、草分けの時から反原発運動を続けてこられた故水戸厳氏の著作・講演集『原発は滅びゆく恐竜である』(2014年3月刊、緑風出版)に明確に描かれているので、それを使わせてもらいます。

 軽水炉のばあいは、冷却材である水が失われると、幸いなことに核分裂の連鎖反応は自動的に停まってしまうのですが、燃料棒内の「余熱」および燃料棒内の死の灰が出しつづける熱(「崩壊熱」)によって燃料棒被覆は10秒の間に1000℃という高温に達し、水と反応し、ここで第3の熱「反応熱」を出します。……1800℃を越えれば被覆が融け、2800℃では燃料全体が融けだします。その間に、金属と水の反応によって生じる反応熱が加速度的に加わってゆきます。こうして100トンから200トン近い燃料全体が溶鉱炉の鉄のような熔融物と化して、原子炉容器の底に崩れ落ちてゆくでしょう(「炉心溶融」)。こうなってしまえば厚さ12㎝という原子炉容器も、コンクリートの格納容器ももはや安泰でなく、発生しつづける熱や、容器内の圧力の増大によって破壊され、そこから大量の死の灰が外界に放出されてゆくことになります。

 このように容器の底の金属さらには床のコンクリートが融けて、熔融物となった高温の燃料の塊が地面に潜り込んでゆくことが「チャイナシンドローム」と言われていますが、この点について、水戸さんの1979年の芝工大での講演「原発はいらない」ではさらに語られています。

 チャイナシンドロームというのは、まだ幸運なケースなんですね。もっと恐ろしいのは、そこまで行く前に、たとえば、ドロドロに熔けた燃料棒が原子炉圧力容器の底の水に落ち込んで、水蒸気爆発を起こし原子炉が圧力容器の蓋を吹き飛ばすことです。格納容器といって更に圧力容器の周りにもう一つ覆いがあるんですけども、その格納容器の天井をも吹き飛ばすということが考えられています。そのようなケースは、事故が始まってから数時間の間に起こると考えられています。

 水素爆発ということも控えています。

 原子炉には非常に沢山の金属があります。当然圧力容器も金属ですし、燃料棒の鞘に使われている物も金属です。金属と水が反応する時、金属‐水反応が起こります。金属が水の中の酸素を奪ってしまって水素が分離されて水素発生ということが起ります。特に現在の原子力発電の中の燃料棒の鞘に使われているジルカロイという金属は、ジルコニウムを主体とした合金ですが、そのジルコニウムは特に水とよく反応して水素を発生させる性質があるんですね。……この水素爆発がもし、原子炉圧力容器のなかで起きれば、さっき言った水蒸気爆発と同じように原子炉圧力容器を吹き飛ばして、その破片によって格納容器も潰されてしまう、という事態が考えられます。

 火力発電所でしたら、事故が起きたとして、重油や天然ガスの燃料供給を直ちに止めてしまえば、それですべてが終わりです。しかし、原子力発電所は死の灰の猛烈な発熱が続いていますから、これを冷却しなければならない。この冷却に失敗すれば、直ちに炉心溶融を引き起こします。そのために原子炉に必ず備え付けられている非常用炉心冷却装置を動かします。これを動かす電源は外部電源です。原子力発電所というのは非常に停電に弱いということは大変皮肉です。発電所が停電に弱いというのはおかしな話なのですが、非常に弱いわけです。外部の電源が断たれると、原子力発電所はものすごいことになっていくわけです。 

 ところが11年前、2011年3月11日の東日本大震災の際の東電・福島第一原発の事故では、すべての外部電源が断たれ、津波で非常用電源が使えなくなり、まさに30年以上も前に水戸さんが「予想される最悪のシナリオ」「ものすごいこと」と語った通りのことが起きたのです。冷却水の補給が途絶え、核燃料は熔け落ち、翌12日には1号機で、14日には3号機で、格納容器内で水素爆発が起こり、格納容器と建屋の屋根を吹き飛ばし、大量の死の灰を撒き散らしたのです。そして1号機、2号機、3号機の核燃料はすべて熔融したのです。

1986年のチェルノブイリ原発事故にたいする通産省資源エネルギー庁、梅沢原子力発電課長の次の発言があります。

 日本の原発ではまったく考えられない事故です。即ち日本の原発では、非常用冷却装置で水を送り込みますので、燃料棒の過熱や水素ガスの発生は考えられません(1986年5月30日東京放送)。

 そして東京電力もまた、2002年と2004年の福島第一原発などについてまとめた評価報告書で、水素爆発を「考慮する必要がない」と判断していたのです(『東京新聞』2011.4.17)。

 日本で原子力発電を推進してきた中央官庁の官僚や大電力会社の経営陣が、いかに外からの批判や指摘に耳をふさぎ、自分たちに都合の良い部分のみを語ってきたのかということ、それにひきかえ、水戸さんが現実をどれほど冷静かつ批判的に、そして明確かつ深刻に見抜いていたかが、じつによくわかります。

Ⅳ.ウクライナの戦争について

原発において、冷却水の供給停止と、その原因となる外部電源の喪失がいかに危険なことがわかっていただけたと思います。ウクライナの原発は、まさにその重大な危険に直面していると思われます。3月10日の新聞の見出しでは、『朝日新聞』では「チェルノブイリ電力途絶」、『毎日新聞』では「露軍 原発の電力切断 チェルノブイリ燃料貯蔵庫 ウクライナ側発表」とあります。「途絶」つまり事故によるものなのか「切断」つまり意図的なものなのか、真相は不明ですが、きわめて危険な処に来ていることは確かです。

 チェルノブイリ原発は、全4基でそのうちひとつが1986年に大事故を起こし現在は「石棺」と呼ばれるコンクリートで固められ、その上をさらに鋼鉄製シェルターで覆われている状態あることが知られていますが、『毎日新聞』によると、残りの3基は2000年までに稼働を停止し、使用済み燃料は貯蔵施設で冷却されていたとあります。ということは死の灰を含む使用済み燃料は、20年以上も冷却が必要とされることを意味しています。この施設が停電でどのような状態になるのか、一貫して原発推進の立場にあり、つねに原発事故を低く見る傾向にあるIAEA(国際原子力機関)は、「重大影響なし」と表明していますが、額面どおり受け取ることは困難です。決して楽観できるものではないでしょう。

『毎日新聞』10日の夕刊には、「ザポロジエ原発 データ途絶」とあり、IAEAがザポロジエ原発で、核物質を監視するシステムのIAEA本部へのデータ送信が途絶えていると明らかにした、とあります。事態はかなり深刻なように思われます。

 くりかえしますが、原発は、直接攻撃を受けなくとも、占拠され、施設のオペレーターやエンジニアが作業できない状態になるだけで、あるいは外部電源を遮断されるだけで、危機に直面するのです。もちろん施設のコンピュータに対する外国のハッカーからのハッキングということも予想されます。そしてその広い意味を含めて、核施設への攻撃は、それ自体が核戦争の一形態と見なければならないでしょう。先に触れた3月5日の『東京新聞』の「こちら特報部」には、弁護士河合弘之氏の「戦争が起きたときに、安全保障上の最大の弱点が原発であることが今回、改めて分かった」との談話が載っています。今回のロシアの軍事行動は、21世紀の戦争のひとつの焦点がそこにあることを明らかにしました。その意味で、海岸線にいくつもの原発を造っている日本は、きわめ無防備な状態にあると考えなければなりません。しかしそのことは、軍事力の強化でもって解決できる問題ではないのです。解決策は原発使用からの撤退しかないのです。

 しかしこのような状況を前にして過剰に危機を煽り、それに乗じて問題をきわめて一面的な形で提起し、どさくさまぎれに自分たちの都合の良いように軍事力の強化を叫ぶ人たちがいる事には、注意しなければならないでしょう。その最たるものが、安倍元首相による「核の共有」つまり米国の核兵器の日本国内への持ち込みと配備の主張です。率直にいってそれは、日本がアメリカの軍事戦略により一層強く組み込まれることであり、東アジアの緊張をより高め、日本により深い危機をもたらすことにしかならないでしょう。岸田現首相はさすがにそれを否定したものの、しかし自身では「敵基地攻撃能力の保持」などと、憲法9条の厳密な解釈に反するばかりか、これまでの自民党自身の解釈にさえ抵触することを口にしています。通常の法律は一般の国民を縛るものであるが、しかし憲法は権力者を縛るものであるという原則を、この際あらためて確認しなければなりません。

 いずれにせよ、危機に際してまずもって軍事力のエスカレートで対処するというのは、もっとも低次元の発想であり、もっとも知恵のない反応なのです。

 そしてそのような形で、一方の国の軍事的エスカレートが他方の国の更なる軍事的エスカレートの口実を与えて、結局危機を更に深化させたという例を、私たちは20世紀の歴史でいやというほど学んできたのです。

 今回の問題でも、何もないところから起ったわけではないでしょう。米国主導の軍事同盟であるNATOへのウクライナの加盟問題が、プーチンの過剰反応の引き金になったことは事実です。プーチンの反応があまりにも過剰であり、到底許されないものであるにせよ、ウクライナのNATOへの接近、あるいはNATOのウクライナへの拡大の背後に米国の軍事戦略を見ているプーチン・ロシアの危機感を高めたことは、否めないでしょう。

 国家間の軋轢という問題を考えるときには、自国側からだけではなく、相手国側から見る、さらにはその他の周辺の国から第三者的に見るということが重要なのです。その点では、少なくともかつて東アジアを軍事侵略した日本が、戦後の東アジアでそれなりに存在してくることができたのは、「国際紛争解決の手段として武力を用いない」と謳った戦後のいわゆる平和憲法があったからなのだということを、忘れてはならないでしょう。為政者がみだりに軍事力のエスカレートを口にすることに対しては、民衆の側から厳しい目を向けなければなりません。権力の座にある者は、憲法を順守しなければならないのであり、みだりに憲法に反することを口にしてはならないのです。その点では、岸田首相の発言に対するマスコミの報道はきわめて甘いと言わなければなりません。

大本柏分苑

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