戦争と原発―ロシア軍のウクライナ侵攻をめぐって 山本義隆(2-1)


Ⅰ.はじめに

 新聞では、プーチン指揮するロシア軍のウクライナ軍事侵攻について、連日大きく報道されています。新聞はまた、ウクライナの市民の生命と生活が危機にさらされ、家屋が破壊され財産に多大な被害がもたらされていることを詳細に報道し、言うならば人道的観点からロシアの軍事行動を厳しく批判しています。プーチンからしてみれば、対ロシアの軍事同盟であるNATO(北太西洋条約機構)の拡大が認められなかったのでしょうが、しかし軍事大国が小国に軍隊をさしむけ軍事侵攻すること、そして市民に被害がもたらされることは、もちろん許し難いことであると考えております。日本やヨーロッパにおいて市民から挙げられている戦争反対の表明、プーチン・ロシアの軍事行動糾弾については、強く支持したいと思っています。いずれにせよ、一刻もはやく止めさせなければなりません。

 しかしそのことは、かつて2003年に、ブッシュ米大統領とブレア英首相ひきいる米英有志連合軍が大量破壊兵器保有をしているとのデマにもとづいてイラクを攻撃した、いわゆるイラク戦争にたいしても当然あてはまらなければならないでしょう。今回のプーチンの軍隊によるウクライナ侵攻が主権国家にたいする軍事侵略であるならば、かつてのブッシュとブレアの軍隊のバグダード空爆で始まったイラク侵攻も、主権国家にたいする軍事侵略なのです。そしてその時も、イラクの市民に多大な被害をもたらしました。実際、40日あまりの戦争で10万人をこえるイラクの人たちが死亡したと推定されています。

 しかし今回のウクライナ報道にくらべて、イラク戦争当時のマスコミの報道の構えや視点はだいぶ違っていたし、そもそも市民にたいする報道の熱意にも随分落差があったように思われます。

 攻撃した一方はロシア、他方は米英、攻撃された一方は欧州のキリスト教徒の国、他方はアジアのイスラム教徒の国、という違いであったのか、というような見方は穿ちすぎでしょうか。いずれにせよ、差があったのは歴然たる事実です。反戦思想の立場から侵略反対を語り、人道主義の立場から市民への攻撃を批判するのであるならば、そのような差があってはならないはずでしょう。

 ともあれ、ロシア軍のウクライナ国内での軍事行動が連日続けられ、その現実が焦眉の問題となっている現在、その点についてそれ以上立ち入ることは控えます。

 ここで私が何をさておいても言いたいことは、今回の戦争で、ウクライナ国内の原子力発電所(以下、原発)がロシア軍の軍事行動の対象になり、攻撃目標のひとつになっていることです。それは私がもっとも衝撃を受けたことであり、もっとも憂慮していることです。

 ちなみにウクライナには、かつてソ連時代に大事故を起こした1基を含む4基のすでに稼働していないチェルノブイリ原発以外に、現在13基の原発が稼働し、さらに4基が建設中だそうです。人口が約4千5百万人であることを考えると、結構な原発密度です。今回、ロシア軍の攻撃対象とされたサボロジエ原発は出力100万キロワット6基からなりウクライナ最大の原発です。そのことは、そこで万一のことがあればヨーロッパ全域に影響が及ぶことを意味します(ウクライナの原発事情については、大学の研究室時代の先輩である中村孔一氏に教示していただきました)。

 3月5日の『東京新聞』一面トップの見出しには「ロシア軍 原発攻撃、占拠」とあり、リードに「ウクライナを侵攻したロシア軍は四日、南部にある欧州最大級のサポロジエ原発を攻撃し、占拠した。砲撃で一時火災が発生、ウクライナの原子力当局は原子炉の安全性には問題はなく、周囲の放射線量の変化もないとしているが、稼働中の原発に対する史上初の軍事攻撃は大惨事を招く恐れがあった」と始まっています。そして同紙28面の「こちら特報部」には「ウクライナ侵攻 原発やっぱり狙われた」とあって、私たち10.8山﨑博昭プロジェクトの発起人の一人である水戸喜世子さんの「心配していたことが現実になって寒気がする」という談話が載せられています。

 その記事の最後には、政治学が専門の新潟国際情報大学の佐々木寛教授の談話として、つぎのように書かれています。

 改めて佐々木教授に取材すると「稼働中の原子炉が被害を受ければ放射性物質が放出され、極めて危険だ」と述べ、「日本の場合、内部から工作されることの脅威や外部から攻撃された際の備えが脆弱だということを多くの人に再認識してもらいたい」と訴える。

 しかしこのような言い方では、原発にたいする軍事行動のもつ本質的な問題点と深刻な危険性が十分には語られていません。

 原発は稼働中でなくても核燃料は放射線として熱エネルギーを出し続けているので、冷却し続けていないと高温になって水素爆発や水蒸気爆発を起こすのです。それゆえ発電していない時でも、必要な知識を持ち十分に経験を積んだ何人ものオペレーターやエンジニアが監視し、絶えず冷却水を注入し続けていないと、大事故に至るのです。もちろんそのためには外部電源を必要とします。したがって結論的に言うならば、原発は、使用中ないし使用後の核燃料を内部に蔵しているかぎり、稼働中であろうがなかろうが、そしてまた直接攻撃されなくとも、知識のない軍隊によって占拠されただけでも、オペレーターがいなくなった状態になれば、あるいは原発本体ではなく周辺で外部電源が攻撃され破壊されただけでも、冷却がストップして爆発に至る可能性の高いきわめて危険な代物なのです。

Ⅱ.原子力発電の問題点

 物質は原子から出来ています。その原子の中央には原子の質量のほとんどを持つ原子核があります。原子核は正電荷を持つ陽子およびその陽子とほぼ同質量で電荷を持たない中性子からなり、陽子の数を原子番号、そして陽子の数と中性子の数の和は質量にほぼ比例しているので質量数とよびます。そしてそのまわりを陽子の数と同数の軽くて負電荷の電子が取り囲んでいます。したがって,原子全体では電気的に中性です。

 おなじ原子番号でも質量数の異なる原子核があり、それは同位体と呼ばれ、同位体には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは大きなエネルギーを持った放射線を放出して、別の原子核に変化してゆきます。それを原子核の「崩壊」と言います。放射線はα線(ヘリウムの原子核)とβ線(電子)とγ線(強いエネルギーの電磁波)があります。これらの放射線のエネルギーはそれぞれの原子核ごとに異なりますが、しかし、通常の燃焼つまり分子の化学反応のエネルギーに比べれば桁違いで、約100万倍大きく、したがって放射線が人体にあたると細胞を壊し、強ければ即死、弱くても癌の原因になります。つまり放射線はきわめて危険なものです。

 原子核は、とくに原子番号92、質量数235のウランと、原子番号94、質量数239のプルトニウムの場合、中性子が当たるとほぼ同質量の二つの原子核に分裂します。これを「核分裂」と言います。そのとき放出されるエネルギーは通常の崩壊のエネルギーのさらに100倍もの大きさになります。しかもこの核分裂の際には、通常2個ないし3個の中性子が放出されます。したがって、このような核分裂性の原子核を十分な密度につめると、ひとつの原子核の分裂によって生まれた複数個の中性子がさらに複数個の原子核の分裂をもたらし、そのそれぞれが同様にふるまい、このようにして核分裂がネズミ算式に広がって行きます。それを核分裂の「連鎖反応」と言います。そしてそのとき莫大なエネルギーが生まれます。

 この連鎖反応をほぼ瞬間的に行なわせる、つまり暴走させるのが原子爆弾で、それを制御しながらゆっくり行なわせるが原子炉です。原理的な違いはありません。そして原発は、その原子炉での連鎖反応のエネルギーを使って湯を沸かして、その蒸気でタービンを回して発電しているのです。通常の火力発電との違いは、湯を沸かすのに原子炉を使っているということだけで、その先のタービンを回して発電するという点では、まったくおなじです。決定的な違いは「燃料」にあります。つまりこの核分裂でできた原子核が、通常の燃料の場合の「燃えかす」つまり「灰」に相当するわけですが、核分裂の場合その量はもととほぼ同質量であり、それ自身放射性で、安定な原子核に行き着くまで、崩壊をくりかえし大きなエネルギーの放射線を出し続けます。それが「死の灰」と呼ばれているものです。つまり通常の燃料との違いは、灰が、ただの燃えかすと違って、きわめて危険な放射線とエネルギーつまり熱を何年にもわたって出し続けるということにあります。「灰」がとくに「死の灰」と言われる所以です。

 広島に投下された原爆ではだいたい1キログラムのウランが有効に使われたと言われています。したがって約1キログラムの死の灰が撒き散らされたのです。現在の大型原発の標準である出力100万キロワットの原発では、約10時間の稼働でそれとほぼ同量のウランが消費されます。ということは1年間の稼働で約1トン、つまり広島原発1000個分の死の灰が作り出されることになります。

 日本にある通常の原子炉は軽水炉と呼ばれています(軽水炉には加圧水型と沸騰水型がありますが、本質的な違いはないので、軽水炉で一括します)。軽水というのは普通の水のことで、これが冷却と中性子の減速に使われています(核燃料を少なくするには、中性子は低速の方がよいのです)。燃料としては濃縮ウランを使っています。ウラン原子核は質量数235のもの(ウラン235)と238のもの(ウラン238)があり、前者のみが核分裂反応をするのですが、しかし自然界のウランに含まれているのはウラン238が大部分で、核分裂性のウラン235はわずか0.7%しか含まれていません。これを数%にまで濃縮したものを濃縮ウランと呼んでいます。

軽水炉では、この濃縮ウランを細い棒状にして金属の鞘(さや)に入れて作られた細長い燃料棒を束にしたものを並べて置きます。そしてその束のあいだに金属板の制御棒が入れてあります(図)。その制御棒を抜き取ると連鎖反応が起こり、大きなエネルギーが得られるわけです。

 しかしこのとき、燃料棒に死の灰が溜まってゆき、先に言ったようにその後も熱を出し続けるので、たとえ稼働時でなくとも、つまり連鎖反応を止めている時でも、たえず冷却し続けていなければなりません。そのためには電力を必要とします。止められている原発を電力会社が再稼働したがる理由なのです。原発はきわめて不経済な発電システムであり、その冷却は、この燃料棒を使い終わって炉から取り出した後も相当の長期間必要とされます。そのために原発には、炉の外に冷却用のプールがそなえてあります。

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