台風14号と「九月八日のこの仕組」
~本宮山教碑建立九十年目の異例な台風~ 〔令和3年10月5日 藤井盛〕
昭和六年九月八日に本宮山に教碑(註1)が建立されて九十年目に当たる今年九月八日、非常に強くなった台風14号が、異例の東進ルートをとった。そして九月十八日、台風は出口聖師が最後に御巡教された和歌山県に上陸した。
この九月十八日の九十年前は旧暦九月八日に当たり、満州事変が勃発した日である。大本には「九月八日のこの仕組」という言葉がある。台風14号と九月八日の関係に思いをめぐらした。
(註1)神は万物普遍の霊にして 人は天地経綸の大司宰也 神人合一して茲に無限の権力を発揮
〔人のヒは神霊、トは留まる。は主神のス。聖師が主神、天のみろく様の神霊を宿した御神格であること〕
○台風14号の異例なルート
この台風14号のルートは異例であった。上陸前、日本の西の東シナ海で四日間停滞した後、九月十七日午後七時前に福岡県福津市に上陸。福岡県に台風が上陸したのは、台風統計開始以来初めてのことであった。
以後、四国を経て紀伊半島へと定規を当てたように西日本を真東に横断した。通常、日本付近の台風は偏西風の影響を受けて北東に進むことが多いが、今回は偏西風の蛇行によって、特異なコースになったとの解説があった。
そして九月十八日、午前六時過ぎ和歌山県有田市付近に上陸した。
〇大本の出来事と重なる台風
台風の発生は九月七日である。だが、この時点の風速は十八メートルで、風速十七メートル以上が台風という定義にやっと当てはまる「たまご」台風であった。
しかし翌九月八日、風速四十五メートルの「非常に強い」台風へと一気に発達した。強風により各地で七人の負傷者が出て、十八日には、突風による被害も出ている。台風の強い状態は九月八日から始まり、八日午後三時に静岡県沖で温帯低気圧に変わった。
この九月八日から十八日までの期間は、九十年前の本宮山教碑建立の九月八日から、満州事変勃発の九月十八日までと重なる。
ところで、同じように台風が大本の出来事と重なった事例がある。出口聖師が銃殺刑に遭わんとされたパインタラ事件からちょうど八十年目の平成十六年六月二十一日、台風6号が大本の聖地を通り抜けた。神島、亀岡、綾部、冠島・沓島の順である。
この台風6号も14号と同様、異例であった。戦後初めて六月に兵庫県に上陸し、また、統計を取り始めた昭和二十六年以来、六月では最強であった。
なお、パインタラで、銃殺刑の前に出口聖師が詠まれた辞世(註2)を刻んだ歌碑が、本宮山で教碑と並んでいる。本宮山に建てられたものは台風との縁が強いようである。
(註2)よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子(やまとをのこ)の品(しな)は落さじ〔入蒙記第三四章「竜口の難」〕
詳しくは『愛善世界』誌平成三十一年三月号に「パインタラ事件後80年目の台風―数運は天運と相合す―」に掲載されている。
〇神武東征と重なる台風十四号のルート
さて、この台風14号の「西日本を真東に横断した異例」のルートと、神武天皇が日向から畿内を目指した「神武東征」のルートとは関連があるのではないかと思った。西日本を東進していることに加え、三つの共通点が見られるからである。
また、神武天皇と出口聖師との関係はとても深いものがあり、これに台風のルートがからんでいる。
大正五年四月五日、橿原神宮で出口聖師が神武天皇の神霊に言葉をかけられている(註3)が、「紀州に行かねばご用のすまぬことがある」と言われ、神武東征のルートを辿ったかのように、昭和二十一年七月十六日、高血圧をおして大阪から海路で和歌山県・熊野に行かれている。この和歌山県に九月十八日、台風14号が上陸しているのである。
では、台風14号のルートと神武東征のルートを示した次の地図を参考に、二つのルートの共通点を説明する。
まず、共通点の一つ目である。始めて台風が上陸した九州北部に、神武天皇が一年滞在した「筑紫の岡(をか)田宮(だのみや)(岡水門(おかのみなと))」があることである。
二つ目は、台風の和歌山県上陸付近には、神武天皇の長兄五瀬命(いつせのみこと)が亡くなった「紀(きの)国(くに)の男之(をの)水門(みなと)があることである。
出口聖師は大正五年の神島開きのことを『敷島新報』(大正五年五月一日号)に書かれているが、その新報が、長髄彦(ながすねひこ)に命を奪われた兄の五(いつ)瀬(せの)命(みこと)の仇(かたき)をとりたいという神武天皇の歌で締めくくられている。あたかも、神武天皇の無念さに出口聖師が同情を寄せておられるかのようである。
(註3)徳重高嶺氏日記(昭和六年一月八日)
三つ目は、紀州半島を進む台風が、神武天皇が王朝成立に向けて戦った吉野を通過していることである。この戦いの中で、出口聖師が「自分だ」と言われた饒速日(にぎはやひ)が、長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼしている。
このように、台風14号は神武東征のルートを、しかも出口聖師と関係がある所を辿っている。
なお、出口聖師と神武天皇の関係の深さについては、『愛善世界』誌令和三年四月号「神島開きを考える」を参考にしていただきたい。
〇九月八日のこの仕組
大本の大事なお仕組は、辛酉(かのととり)など三革の年や次の表にあるとおり、ことに九月八日に多く行われている。伊都能売神諭(大正八年一月二十七日)に「九月八日のこの仕組」とあるほどである。三十五万年前から戦後のサンフランシスコ平和条約調印までの、いわば太古から現代に至るまでの壮大なお仕組である。
ところで、和歌山県に台風14号が上陸した九月十八日の九十年前の昭和六年九月十八日、出口聖師の「九月八日」に関する講演がある。
大本教旨を書いた大きな天然石を…新の九月八日に建て上げていた。それから十日後の九月十八日には満洲問題が起こると予め言っておいたが、その通り起こりました。また本日が旧の九月八日であって新の十八日に当たっているのも不思議であります。
つまり、教碑建立の九月八日の十日後の満州
事変勃発の九月十八日が実は旧九月八日で、教碑建立も満州事変勃発も、いずれも「九月八日のこの仕組」だということである。
そして、この満州事変勃発の旧九月八日の九十年後の今年九月十八日に、台風14号が和歌山県に上陸している。「九月八日のこの仕組」が今日(こんにち)に至るまでなお、歴史を貫いているという証しが、今回の台風14号ではないだろうか。
○神武天皇と九月八日の仕組
また、この講演で出口聖師は「九月八日の仕組」について説明されている。
九月九日は菊の節句であり、九月八日はこれに先立つこと一日であって、何事も世の中に先端を切り、来らんとする事を前つ前つに覚って実行しているからであって、これを九月八日の仕組という
また、伊都能売神諭(大正八年一月二十七日)の「九月八日のこの仕組」の前にはこう書かれてある。
辛の酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組。
まず(1)「辛の酉の紀元節」について、表にもあるとおり神武天皇の即位は辛酉(かのととり)の一月一日である。次の(2)「四四十六の花」であるが、
皇室は十六花弁の菊花紋である。こう並べてあると「九月八日の仕組」が皇室やその祖たる神武天皇に関わることが連想される。そうすると、台風14号が「九月八日のこの仕組」と関係があるとすれば、神武東征のルートを辿ったこともうなずける。
ところで、霊界物語第五巻(第三六章「言霊の響」)にある「九月八日のこの経綸(しぐみ)」では、十六の花ではなく「九(ここの)つ花」である。
神の恵の言の葉に 眼(まなこ)をさませ百(もも)の神
耳を欹(そば)だて聞けよかし 聞けば香(かむ)ばし長月の
九月八日のこの経綸(しぐみ) 九(ここの)つ花の開くてふ
今日九日(ここのか)の菊の花
また、この「九つ花」が第六十巻(第二四章「三五神諭その五」大正五年旧十一月八日)にも出てくる。これを見ると九つの花が開くことや「九月八日のこの仕組」が、救世の御経綸を行う大本の出現あるいは、その使命をきちんと果たした状態を言っているのではないかと思えてくる。
九(ここの)つ花(ばな)が咲(さ)きかけたぞよ。九つ花が十曜に成りて咲く時は、万古末代しほれぬ神国の誠の花であるぞよ。…此世初まりてから、前にも後にも末代に一度より無い、大謨(たいもう)な天の岩戸開きであるから…
〇台風14号も真神を「悟る種」
大本略義に「神の黙示」と題して、今の「三大学則」が示してある。天地の真象や万有の運化、活物の心性を見て、真神の体、力、霊魂を思考することが、真神を「悟る種」になるというのである。
私はかつて、平成十六年六月の台風6号が真神を「悟る種」になることを述べた(註4)。コロナ禍にある世界を祓い清めるような今回の台風14号も、真神を「悟る種」になるのだと思う。
「活眼を開いて素直な心で対すれば、悟りの種は随時随所に充満して居る。それが即ち神の黙示であるのだ。
神の黙示
一、天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし。
一、万有の運化の毫差なきを見て、真神の力を思考すべ
し。
一、活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし。
吾々は実に此活経典に対して、真神の真神たる所以(ゆえん)を悟る事に努力せねばなるまい」
(註4)『愛善世界』誌平成三十一年三月号「パインタラ事件後80年目の台風―数運は天運と相合す―」
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