憲法を百年生かす (2-2 最終回)

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安倍の改憲の提起は2017年の五月に従来の改憲論(9条の非戦条項の改正)を引っ込め、加憲論ともいうべき憲法に自衛隊の明記に変わった。これは九条改憲に反対する国民の意識の強さに対する迂回路を設定するという政治的対応だった。自衛隊の憲法明記は憲法九条(交戦権の禁止や戦力非保持)とどいう関係に立つのか明瞭にしないまま改正に近づくための方策だった。政治的には憲法九条の実質的な空無化を狙ったものである。これは集団的自衛権の行使容認の憲法解釈の変更や戦争法制で進めてきたことの延長にあることだった。

だが、安倍が、自民党の従来の改憲論を捨ててまで憲法への自衛隊の明記にこだわったのはこれだけではない。彼は現在の自衛隊が軍隊とし欠けているものを認識していた。自衛隊が軍隊ならざる軍隊であることを認識していた。自衛隊がどれほど軍備力を持とうと、埋めきれないものを持つ存在だという事を彼は認識していた。軍備ではなく、精神(理念)の欠落が自衛隊の限界であることを彼は理解していた。憲法改正は非戦を権威づけていることの解体を狙うのだが、彼は憲法の権威を使って自衛隊に精神的根拠を与えようとしたのである。ここはちょっとした新しい動きだった。自衛隊は憲法に明記されることで、現在の自衛隊に欠落しているものを埋める、つまりは精神性を獲得するという狙いがあったのではないか。どんなに装備を強化し、そこで軍隊を軍隊にしようとしても、軍隊になるのではない。軍隊には精神性がなければならない。それを狙ったと言える。日本の保守主義者、あるいは右翼は天皇による権威づけ、そこに軍隊の精神性の獲得(復活)を求めてきたが、彼は憲法の権威を使おうとしたのである。ここは注意をしておく必要のあるとこである。

安倍の改憲提起は国民に無視される形で拒否された。ある意味で国民の戦争に対す意識的基盤の強さを見せつけたともいえるが、かつての左翼や知識人の

政治的力は解体に瀕していることも示した。それに替わって半藤や保阪が改憲に対する批判的位置を持ち得ているのは何故だろうか。それはこの本の面白さと興味を喚起させるところだが、彼等の戦争に対する探究と知見がもたらしているものだろうと思う。保阪や半藤がどのような理念的立場にあるかはわからないが、彼等が少なくとも左翼イデオロギー的な呪縛から解放されて昭和史や戦争を探索してきたことで獲得しているものがそこにある。それは明治以降の歴史のなかで戦争が果たした役割を明瞭にし得ていることであり、大日本帝国憲法の評価,天皇制の評価も含めて見事になし得ていることにある。日本共産党の三二テーゼ示された天皇制の評価(批判)でなく、史的に果たした天皇制を見事に分析しえているし、その批判もなしえている。戦前の日本では国体という事が主張された。国体とは天皇が統治の主体ということであり、天皇の統治の国ということである。この権力形態に立憲的要素(民主主義や議会)を取り入れようとしてきた。これは天皇を立憲君主と規定しょうとすることであったが、これは支配共同体内に通用するものであり、国民には統治主体としての天皇ということを浸透させた。天皇統治と立憲という事は矛盾であった。天皇統治と国民主権(立憲制)は対立するものである。その矛盾を解消しようとしたのは国家主権論だった。が。国家主権論はヌエ的なものだったのだ。

天皇統治を容認した上での立憲政治を容認するものとして、つまりは、この矛盾を解決するものとして天応機関説があった。この天皇機関説は天皇も公認する支配的な学説だった。その矛盾は天皇機関説批判として噴出し、国体明徴化の中で葬られた。何故だろうか。天皇機関説下では軍隊の統治と国民の統治ということが矛盾的にありそれが増したからである。国民の統治に議会主義(民主主義)が一定の範囲で許された時に、軍隊の統治と間で矛盾が深まったからだ。軍隊の統治が国家統治を支配して行くことが強まったのである。天皇統治が国家統治を支配していく、その力が強まったのだ、ここには明治以降に戦争が国家の中心命題になり、軍隊の統治が国家統治に拡大していく必然があったといえる。坂口安吾が戦争論の中で言っていることだが、かつて戦争は利益的なものだった。多分、共同的なもの、公的なもの中心になるものであった。世界的には第一次世界大戦まではという事であり、日本的には第二次世界大戦まではということなのだが、軍隊の統治が国家統治の支配的な方法になって基盤がここにあった。これは強権的な、権威主義的な統治であり、そのウルトラ化したものが全体主義である。軍隊の統治は自由や民主主義とうい国家統治を抑圧し、制限するものであり、基本的には相いれないものである。逆にいえば自由や民主主義は非戦と結びつかないと存在しえない。戦争を容認した国家下の自由や民主主義は限定的な制限的なものであり、そこで主張される自由や民主主義は多分に擬制的である。

それならばファシズムと民主主義国家といわれたものの違いは何だったのだろうか。ファシズムは軍的な統治の度合いが強く、民主主義国家はその度合いがちいさいということに過ぎない。戦争と軍の統治が国家統治の中で支配力をつよめるとき、自由や民主主義が制限されて行くのは必然である。僕は鶴見俊輔が日本では戦争に反対する部分がほとんどいなかったことに注目し、戦後も戦争に反対するものはでてくるだろうか、と疑念を生涯抱きつけていたことを想起する。鶴見は母親たちにその可能性はあるかと、望みを託していたが、このことは自由や民主主義は存在することの困難性の問題である。だから、自由や民主主義は守るものではなく、創り出していくものであり、運動とはそれを創り出していくものなのである。その意味では自由や民主主義を生みさせない、創りだせない革命運動等は言語矛盾なのである。

大日本帝国憲法は憲法としてはこういう矛盾を持っていたのであるが、ここのところを半藤や保阪は大日本帝国憲法の分析として正確にやれている。天皇と統帥(軍事)問題の関係を明瞭にすることで、天皇、軍隊、憲法の関係を分析しているところはいい。その意味では第二話の「近代日本と軍隊」は僕には刺激的だった。大日本帝国憲法の性格に、その構造についてかなり明瞭になったところもある。

僕は以前から左翼史観の戦争分析や昭和史観の限界というか気がついていた。それは戦争については帝国主義戦争論の限界にあると考えてきたが、戦争の否定を外的に言うだけでその内在的過程に触れられないと思ってきた。保守というか右翼は戦争の肯定のために戦争や昭和史を客観的に抽出できないと思ってきた。戦争を否定しながら内在的に戦争や昭和史を抽出できたらと思ってきたが、それはうまくいかないできたが、保阪や半藤はそれをなし得ていると思う。これは国家や政治の問題を上部構造として経済過程から導くというマルクス主義の方法が国家や政治の経済過程に還元できない独自性を取り出さなかった欠陥を彼等が無方法の方法で克服しえているからだと思う、かつて吉本は共同幻想論として国家や政治を認識し、抽出する理論を提示した。このときに、国家や政治の独自性ということを提起したことが大事なポイントであったが、左翼的な部分には一番反発され、理解もされなかった。このことを振り返ってみて、共同幻想ということに、共同という要素と幻想という要素があるのだが、僕は幻想という側面に拘り過ぎて共同という面に入れなかったという反省がある。

いずれにしても、明治以降の歴史をその中心に位置した戦争をとうして分析するということは左翼的な分析ではできなかったことである。戦争は経済的要因ではなく、主要には国家的な要因から起こるのであるが、保阪や半藤はそれをつかみ得ている。戦争の経済的な要因はもちろんあるのだが。

安倍が憲法改正を提起し、それに呼応する動きは世界史的に見れば戦後の戦勝国の立場が崩れその世界支配の枠組みが壊れてきていることにある。歴史修正主義はそのことで台頭してきたのだが、日本の中のその動きに安倍は呼応してきたと言える。そこで非常に重要なことは戦争についての戦後的枠組みが解体し、国家間戦争が評価され、浮上する傾向がでてきていることである。安倍はそのことを過剰に強調したと言える、安全保障の環境が厳しくなっているという主張は彼の誇大化された主張であり、「戦争のできる国」へ方向づけていく政治宣伝だった。世界の動きは複雑だが国家間戦争への動きはそれほどストレートに進展しているわけではないし、歴史修正主義の動きは歯止めがかかっているともいえる。これには国民の戦争に対する否定の意識がそれなりに浸透してもいるからだ。日本はそれが顕著であり、これは世界的には孤立状態にあるといえるが、それでも、国民レベルではそうではないと言えるところがある。国家レベルで非戦、あるいは非軍事を掲げている国は少ない。けれども国民レベルになればこれの浸透はちがってある。かつて湾岸戦争の時に、日本は軍隊を派遣しなかった。孤立的平和主義という批判があったが、国民レベルではこれは別に受け止められてもきた。憲法九条という非戦条項を持ち、戦後の70年、外国で戦争をしなかったことは世界的におおきな信頼となっている。かつてアフガニスタンで活動していた中村哲が憲法九条の意味を伝えてくれたときの驚きを忘れないが、保阪や半藤はその点はよく理解しているように思う。安倍の「積極的平和主義」より非戦条項の保持と軍隊を派遣しないことのほうが、世界の平和に貢献していることは明らかである。

大本柏分苑

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